わたしは最悪。のレビュー・感想・評価
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自分の未来を可能性のままにしておきたい
主人公ユリヤは頭が良く文才もある。何にでも、とまではいかなくとも、本人が望めば大概のものになれる。
しかしユリヤは望まない。何者かが確定してしまうことを恐れている。肩書きが確定しそうになると逃げ出すのだ。
かといって、何も目指していないわけでもない。非常に面倒な女なのだ。
彼女は30歳。しかしまだ子どもでいようとする。
自由で縛られない生き方。未来が可能性に満ちた状態。それを維持したいのだ。
大人になっていくというのは、好き勝手に振る舞えなくなっていくものだ。選べる選択肢が少なくなっていく中で、望むものを得、守ろうとしていくのが大人だ。
その大人の生き方の見本として、アクセルがいる。
彼はグラフィックノベル作家としてそれに邁進し、守ろうと戦う。さらなる幸せのために、ユリヤに求婚もする。
未来を選んで得て守ろうとしていたわけだ。
物語が進み、ある意味で、大人の一生を目の当たりにしたことで、ユリヤもやっと選択し、自分の肩書きを確定させようと成長する。
子どもはいらないと言っていた人間も子を得るように、人は変わっていくものなのだ。
国が違うので当てはまるかどうか分からないけれど、40歳オーバー世代の人は子どものときに、誰もが早く大人になりたいと願っていたように思う。無自覚であっても。
子どもの目線で大人のほうが自由だったからだ。
ピーターパン症候群なんて言葉があるよねってくらい、珍しいといえた。
ものが溢れて、子どものままで充分に楽しめる世の中になったからなのか、大人が楽しそうでなくなったからなのか、ピーターパン症候群という言葉は聞かなくなり、現代のアダルトチルドレンと意味がイコールではないとしても、その状態の人は増えたように思う。時代は変わっていくのだなと強く感じる作品であった。
率直に言ってめんどくさいひとです
奔放な女性の遍歴。
古い引例だが結婚しない女みたいな映画だった。
が、経年分表現は尖っていた。
女性もジルクレイバーグほど柔和じゃなかった。
その時、自分を輝かせてくれる男がすきになる女性。直感で別れたり、さらりときついことを言ったりする。いわゆる地雷系。
彼女自身その自覚があり、ひとしきり気分で生きると“ぶりもどし”(後悔)がやってくる。顧みて思うのが「わたしは最悪」──という話。邦題には句点がついていた。
本作は(ドライブマイカーが出品された年の)カンヌで絶賛され、結果的にとらなかったが有力候補とされた。審査委員長がスパイクリーでなかったらとっていたかもしれない。
Imdb7.8、RottenTomatoes96%と86%。
批評家も一般もすこぶるいい。
ヨアキムトリアーは挑戦的でタフなのをつくる作家だったのが、ノーラエフロンみたいなロマンチックコメディになっている意外性とRenate Reinsveの熱演が高評価へつながった。
個人的には筋にも特別なものは感じられず、ユリア(Renate Reinsve)のキャラクターもよくある奔放さで、会話もクリシェだったと思う。
“奔放”とは子供が古い玩具にあきて新しい玩具に行くのとおなじことで、そんな感覚的なことに理屈はない。奔放な女がいかに「男ができた」を糊塗するかが描かれる──わけである。
ジルクレイバーグやマーシャメイソンが演じた昔の“女性映画”は男に振り回される話だったが、今は女性が振り回す話になっている。
ユリアの“奔放”は特別なものではなくあるていど誰にでもある打算又は優柔不断が表徴されたものだったが、とはいえ面倒な女だなあと感じる度合いが映画からの感興を上回ってしまいそうなのは辛かった。わら
だがオスロの景色はよかったし居住空間や調度に北欧らしい瀟洒があった。日本とは違い街はどっちを向いてもきれいで草木の気配があった。
また感情表現には工夫があり一定のアート値もあった。
どこまでものびるファルセットをだすMorgan Jamesの曲でCall My NameというのがあってそのPVで自分以外動いていない街がでてくる。そこからもってきたようなハイライトシーンだと思った。
最悪でもない‼️
この作品のポイントは主人公の女性に共感できるかどうかにあると思います。なかなか自分のしたいことが見つからず、コロコロと進路を変え、仕事を変え、彼氏よりも他の男性が魅力的に見えてしまう・・・かと思えば新しい彼氏と喧嘩、昔の彼氏が病気になって心配し、一方で妊娠していることを彼氏に言えないでいる、年齢も30を超えてしまっている・・・ラスト、一人になってカメラマンの仕事に打ち込む彼女の瞳は、しっかりと前を向いているように見える・・・この映画のヒロインのような人は世の中にいっぱいいると思います‼️女性だけではなく、男性にも多いと思います‼️そんな不安定でどうしようもないヒロインの成長を、演じるレナーテ・レインスベが魅力的に好演してくれてます‼️ヨアキム・トリアー監督の演出も全体を13の章に分けたり、彼の元へ走るヒロインの周りで他の登場人物たちが静止していたり、音楽の使い方も秀逸で、新たな女性映画の秀作と言えるのではないでしょうか
本当に最悪。
素晴らしい
本当に最悪。
怪作快作テルマからスリラー要素を抜いて成功。
異性の主人公を描くと…
赤裸々な女性の姿、ユリヤ
生きるなんて分からないことだらけ
わたし最悪。なるほど。共感する
私が最悪
昨年のアカデミー賞で『ドライブ・マイ・カー』と国際長編映画賞を競ったノルウェー映画。
主演のレナーテ・レインスヴェがカンヌ国際映画祭で女優賞を受賞、その他多くの映画賞や映画祭で絶賛。共感も必至と評判も上々で期待していたのだけれど…、
う~ん…、自分には合わなかったかな。
描かれている事は普遍的。全世界や個人個人にも通じる。
30歳を迎えたヒロイン。人生の目的が定められずにいる。
自分の人生はこれだ!…とスパッと決められる人なんてそうそう居ない筈。仕事を転々としたり、思い悩んだり、一応今の仕事や人生を歩んでいるけど、これじゃないと感じたり…。
誰にだってある。私もそうでした。それに、時折今も思っている。
ならばこのヒロインには共感必至…とはならず。何処にでもいる平凡なヒロインに見えて、なかなかクセあって、その考えや身の振り方に共感出来るか否か。
実は割りと才能に溢れているヒロイン。並大抵の事はそれなりに出来る。
故にあれもしたい、これもしたい…。当初は医学の道に進もうとするも、心理学に興味持ったり、かと思えば写真家になりたいと大学を辞めて本屋で働く。
かなりのあっちにふらふら、こっちにふらふら。
人生設計もそうなのだから、恋愛に関しても。
年上のコミック作家と付き合う。描いている作品は時々物議を呼ぶ風刺的なコメディが多いが、性格は穏やかで優しい。おそらく、仕事も含め一緒になったら安泰。実際、彼は結婚を意識している。
だけど…。今一歩、踏ん切りや決心がつかない。
そんな時とあるパーティーで、年下の魅力的な青年と出会う。
お互い急速に惹かれ合う。
年上の安定した男性か、年下の魅力的な青年か。
彼女が選んだのは…、後者。
人の色恋に良い悪いは無いし、本人が選んだ事だけど、この時ばかりはしっかりとした理性より、女性としての本能や欲が出た気がする。
絡みは激しい。こっちも求めたり、あっちも求めたり。
それで幸せを見出だしたのならいいんだけど、喧嘩もするし、何処か元カレとは違うズルズルとした関係な感じだし、いつもながらの考え。
これでいいの…?
このヒロインの言動で、本作に共感出来るか否かのポイント。
揺れに揺れ動く心情は誰の身にも置き換えられつつ、つまりそれは優柔不断。見てて結構イライラもする。
恋に仕事に人生に、迷いに迷っているが、実は結構自己チューな気もしない訳も…。
“わたしは最悪”なんて自虐的なタイトルだが、行き当たりばったりのゴーイング・マイウェイ。
そもそもこのヒロイン像に共感を求めていないかもしれない。
共感というより、突き刺さるか、否か。
突き刺さる人には突き刺さるだろう。特に女性で、同年代、似たような経験があれば。
普遍的な人生右往左往物語として作り、誰にも思い当たる設定や要素を込めているも、なかなかどうして突き刺さらない。響かない。あくまで個人的見解として。
性別や国、これまで歩んできた人生などから来るのもあるかもしれないし、単にヒロイン像や話の展開が好みじゃなかったのかもしれない。
作品的には優れていると思う。
巧みな章仕立て。
描写はリアル。
レナーテ・レインスヴェは魅力的。好演。
“陽”なロマコメの雰囲気から、“陰”をも感じさせる切なさ、悲しさ。
ヒロインの喜怒哀楽、苦悩、成長、進む道…。
秀作ドラマ。
人は時に悲観的になる。“最悪”と思う事もしばしば。
しかしそこから、自分の“最高”を見つけ出す。
あまり好みの作品じゃなかったかもしれないが、作品自体は最悪じゃない。
まだまだ人生経験が乏しい私が最悪。
ある意味、自分の無能っぷりを思い知らされる衝撃作だったのかも…??
自分の中にある妄想と重なる
北欧版『大豆田とわ子』と書いていたレビューには共感できない
『大豆田〜』と似ているのは台詞とモノローグの形式のみであって、中身全然違うと思うんですが…
ユリヤとほぼ同世代独身女性ですが、全然共感できなかったので。
子孫を残すことに私自身が全く興味がないからかもしれない…ドラッグの幻想によってその強迫観念を示したり、彼女の奔放な男性遍歴を見させられたりしても、説得力に欠けているので、殆どが「このシーン要る…?」と感じてしまった。
ただ、人生の脇役のままである・傍観者のままである、という焦燥感だけは理解できた。
18世紀の女性は35歳が平均寿命で、愛のない結婚をしてたくさん子供を産んでいた女性も多かったと聞くと、30歳にさしかかっても人生が迷子であること、子を持たないことへの彼女のこだわりやリミット感みたいなのはあるのかもと思った。
皮肉なのは、最後の彼氏、サーミ人の血が入ってた彼女とヨリ戻して、結局子どもが産まれていたことかな。子を持つことこそ「持続可能な生き方」から盛大に矛盾してると思うのですが。
まあ、人の考えは変わるし、生きるとは変わることと思うと、そんなもんかなと思った。ユリヤこそ変わりまくって生きているわけだし。
被害妄想
尊敬もするけど大っ嫌い。
30歳になって、年上の恋人との関係もまずまず、仕事については書店で働きながらまだ模索中のユリヤが、新たな若い男と出会い舞い上がる話。
タイトルが「わたしは最悪。」のように、間違いなく私はユリヤのこと最悪だと思うし嫌い。でも、自由奔放に踊ってる姿は可愛いと思うし、自分の主張をハッキリと伝えられる頭の良さは尊敬する。でも、死にかけの元恋人に自分の迷いを解消したい(と私は感じた)がために会いに行く感じ本当に嫌い。でも、パートナーの意見に流されない姿勢はかっこいい。こんな無限ループに陥った。
#Metoo以降、やたら女性の目線に寄り添ってくれる作品が多い中、今作は主人公に適度に距離を置いた「まぁ女だってこんなもんでしょ?」という姿勢が正しいなと思った。女性映画は過剰に共感して燃え上がっちゃいがちなので。
最近言われてるジェンダーとか多様性とかなんだかんだって100やろうとするから疲れる。アイヴァンの元カノが環境問題とかサスティナブルに100傾倒していくのは疲れるけど、ユリヤのように譲るところは譲って(アクセルの漫画の時代錯誤なジョークとか私は許せんな)突き通すところは突き通すのがちょうどいい。
時間が止まったり、風景を見て泣くユリヤ、ヘッドフォンをしてドラムを叩く真似をするアクセルなどなど色んな印象的なシーンはあるけど、私はアクセルがフェミニストと口論になってる様子を見てるユリヤのシーンが印象的だった。今まで自分も感じた違和感を代わりに行ってくれて清々してるようにも見えるし、話せば話すほど失言をするアクセルへの同情か、久しぶりに彼を見れたことへの嬉しさにも見える。
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