アネットのレビュー・感想・評価
全26件中、1~20件目を表示
癖は強いが当たればハマる冒険的ロックオペラ
予告映像と、オープニングがメタ的である、子役(?)が人形という事前情報で、自分がついていける内容なのかかなり心配になったが、アダム・ドライバー見たさで覚悟して観に行った。
コレが意外と、大丈夫でした。というか、むしろハマってしまった。
癖が強いのは間違いない。だが、取っつきにくそうな人に思い切って話しかけたら予想外に話の通じる相手だった時のように、私の中では好感度が急上昇した。
理由はいくつかある。
ひとつは、物語の筋が素直で分かりやすく、登場人物の置かれた状態や感情を追いやすかったこと。登場人物が少ないし、歌詞がわりと説明的(悪い印象はない)なので、理解が楽だった。
それと、私が観た範囲では他のミュージカル映画よりも歌の割合がさらに高い印象だったが、そのことでかえって作品世界に入り込みやすかったように思う。
個人的にミュージカルは嫌いではないが好んで見るわけでもない。ミュージカルが苦手な人が引っ掛かることのひとつに「普通に話していた人物が『突然』歌い出す」という点があり、その気持ちも割と分かる。
本作は、ゴシップ誌の体のナレーション以外、登場人物はほぼ歌しか歌わない。ベッドシーンでさえ歌っている。思えば、普通の会話と突然の歌との間を往復する瞬間に一番違和感が発生しやすいのではないか。それがほぼないため、歌で感情表現し話を進めていくという文法に2時間ひたすら浸っていればよく、むしろ観やすかったような気がする。(でも本当に苦手な人はやっぱり駄目なのかも知れないが)Sparksの音楽も耳に残る感じでよかった。
そしてアダム・ドライバーの演技とマリオン・コティヤールの歌。何度か出てくるスタンダップコメディの舞台のシーンはドライバーの一人芝居だが、悲劇が似合うクズ男ヘンリーの野心や焦り、戸惑いなどが詰め込まれていて圧巻だ。役柄のせいかはたまた無駄に脱ぐシーンが多いせいか、彼のセクシーさも他の作品に増して際立っている。
コティヤールの繊細な歌声にも聞き惚れる。46歳とは思えないスタイルと美しさ。背泳ぎしながらでも歌います(吹き替えではなく、実際泳ぎながら歌っている)。作品の癖が合わなくても、この二人の演技と歌で見応えは十分担保出来ると思う。
アネットが人形であったことの必然性が最後にちゃんと分かったのもよかった。両親の操り人形から脱却した生身のアネットの芸達者ぶりには度肝を抜かれた。ラストしか出てこないのがもったいないほど。人形はCGではないらしい。パペットを動かすにも今や色々なテクノロジーがあるだろうけれど、動きがとても自然でファンタジー感があった。
産婦人科医役で古舘寛治が出てきて歌まで歌ったのもびっくりした。調べたらこの方、ニューヨークで演技を学んで英語ペラペラ、海外作品の出演も過去に経験があるとのこと。存じ上げませんでした。水原希子は鑑賞中は気付かなかったけれど、後で確認したらヘンリーを告発する女性6人が映る画面の左上にいましたね。
一般的な映画の表現のように、「物語の中」にいる状態から始まって終わる形では、人形の登場を筆頭とした劇中の突飛な表現や第四の壁を超えてくる歌詞に、冷めるような違和感を覚えたかもしれない。あのオープニングとカーテンコールのようなエンドロールは単なるお遊びではなく、「これはお芝居です」と明言することで、細かいリアリティを気にしがちな現実世界に慣れた目のピントを調整する役割も果たしているように思えた。
好き嫌いは分かれるだろうが、うまく当たれば特別な1本になるタイプの作品。
悪夢的おとぎ話の中で歌い踊り堕ちる、悪魔と女神と天使
人気のスタンダップコメディアンと世界的オペラ歌手の恋。
やがて二人の間に娘も生まれ…。
ミュージカルで描き、さぞかしハッピーに満ちた作品…ではない。
監督はレオス・カラックス。寡黙家ながら斬新で鮮烈な作品を手掛けてきた鬼才。甘っちょろい作品になる筈ない。
ジャンル的には“ダーク・ファンタジー風おとぎ話”。恐ろしくもある物語が、カラックスならではの独特の世界観と映像美の中に展開していく。
話の原案はバンド“スパークス”のストーリー仕立てのアルバムから。
一応ストーリーはあるが、それを追い掛けると、とんでもない目に遭う。常人には理解不能。
ストーリー云々より、設定や描写など、何かしら意味深さを含んでいるかのようなのが印象的。
人気のスタンダップコメディアンのヘンリー。まず、このキャラを好きになれるか、否か。
陽気で面白い/楽しいコメディアンではない。ステージに上がるや否や、毒を吐きまくり。ブラックジョークっていうのではなく、とにかく攻撃的で挑発的。日本のお笑い界にリアルに居たら、何をするにも炎上し、“嫌いなタレント1位”は殿堂入りだろう。
一方のオペラ歌手のアン。美しく、その歌声は聞く人全てを虜にし、女神のよう。
そんな二人が恋に落ちた。言わば、悪魔が女神に恋をした。
全く不釣り合い。メディアの格好のネタ。
見る我々も察してしまう。この愛は、破滅しかないと…。
娘も生まれ、幸せの絶頂のように思えるが、ヘンリーの黒い噂は絶えない。他に女性の影、過去に関係あった多くの女性から訴え…。
夫婦関係もぎくしゃく。
家族でヨット旅行へ。嵐に見舞われた海が、悲劇的な展開を暗示させる…。
酔ったヘンリーは強引にアンと踊る。その時…
波に飲まれ、アンは帰らぬ人に…。
これは事故なのか…? それとも…?
父一人娘一人になった訳だが、まだ幼い娘に母親譲りの歌の才が…。
タイトルの“アネット”とは、娘の名前。
この娘が本作最大の驚き。ヘンリーもアンも当然ながら役者が演じているが、アネットは何とマリオット。
これは何を意味するのか…?
アネットは生まれた時から世間の注目の的。
父ヘンリーによって、ショーに出演させられる。
我々世間や父親の“操り人形”。
どんどんアルコールに溺れていくヘンリー。己の惨めさ、あの“事故”での妻への自責、そして新たな罪を犯し…。
アネットのラストショー。アネットの口から衝撃の発言が…。
ラストのあるシーン。
この時、マリオットだったアネットが人間の姿に。
父から娘へ愛を乞うが、娘は…。
悪魔のような男は何を求めたのか…?
女神(=妻)や天使(=娘)、生身の“人間”への愛か、虚遇への幻か。
アダム・ドライヴァーとマリオン・コティヤールの熱演。
初の英語作品で、全編ほぼ歌の意欲作。
正直、レオス・カラックスの作品は不得意だ。いつぞやのレビューでも書いたが、鬼才の世界は凡人には理解出来ない。
本作もほとんど理解出来ていないだろう。
しかしこれまで見た中でも、少なからず惹き付けられるものとインパクトがあった。
不思議な世界観のミュージカル
【このレビューは書きかけです】
全く内容を知らない状態で鑑賞しました。
結論ですが、今まで見たことがない不思議な世界観のミュージカル映画でしたね。スタジオでの収録から外に飛び出ていく冒頭のミュージカルシーンで一気に世界観に引き込まれました。一人のコメディスターの栄枯盛衰。非常に面白かったと思います。細かな演出が光っていて、思わず息を呑むようなシーンも多くありました。
ただ、素晴らしいと思った反面、正直私には刺さらないと思ったのも事実ですね。絶賛しているレビュアーさんが多いのも納得できるけど不満点も結構ある感じ。冒頭のミュージカルシーンがピークだったような気もします。
・・・・・・・・・
人気スタンダップコメディアンであるヘンリー(アダム・ドライバー)と、一流オペラ歌手であるアン(マリオン・コティヤール)。人気絶頂の二人はやがて結婚し、アネットという可愛い女の子が生まれる。子供の誕生後、ますます人気を高めていくアンとは対照的に、女性関係のスキャンダルなどでどんどん落ち目になっていくヘンリー。二人の間には次第に確執が生じるようになってしまう。
・・・・・・・・・・
最初に感じていた人形がアネットを演じている違和感。それがストーリーが進むにしたがって薄れて行き、最後にアネットが人間の姿で登場した時に再度強烈な違和感として現れる。この演出は実に見事でした。
ストーリーも分かりやすかったように感じます。youtubeで映画解説をされている守鍬刈雄さんが「ミュージカル映画は音楽に時間を割いているので物語描写が少なく、故にストーリーが単純なことが多い」とおっしゃっていましたが、本作もそんな感じですね。一人のコメディスターの栄枯盛衰を描いた映画です。
全体的に見れば非常に面白い作品だったように感じますが、残念ながら私は今作はあまりハマりませんでした。
理由は色々あるんですが、他のミュージカル映画と比べて明らかにミュージカルシーンが長く、ストーリーが全然進まないことが一番の原因であるように感じます。とにかく話が前に進まなくて、同じようなヘンリーの気が滅入るような独白を延々と聞かされているような感じ。ところどころ挟み込まれるミュージカルシーンも、曲や歌が私の好みにはハマらなかったためそこまで楽しめませんでした。映画冒頭の音楽スタジオから外に出て繰り広げられるミュージカルシーンはめちゃくちゃ良くて期待が高まったんですが、そこをピークにどんどんミュージカルが魅力的に見えなくなっている気がします。
独善的な生き方の果てに
冒頭と末尾で示されていたように、これは監督の娘さんへの懺悔なのかな、と強く感じる作品でした。
人は「親になりました〜!!」と宝くじにでも当たるような気分で親になり、子供のことを"生きている人間"と思えない日々があるのかもしれない。子供が自分の意思で話して初めて、当たり前のその事実に向き合うのかもしれない。
サスペンスで誤魔化されていましたが、もし可能ならアンも生かしたままで、2人がそれぞれ「親になる」ことに向き合う筋書きも見てみたかった。
ヘンリーみたいに思い通りにならないとすぐキレて他者を害して、自分の尊厳を守ろうとする人っていますよね…アンが"告発"を知ってなお、自分を守るために離別を選べなかったのは、彼女も同じく現実感がなかったせいなのかな。
超人気前衛的コメディアンとされるヘンリーの面白さがわからなかったので、成功と凋落の差が感じられず、そこは文化の違いで惜しい気持ちがあります。見る前からうすうすわかっていましたが、笑いって共有するのが難しいんですね、やっぱり。
最後の「誰かに薦めてね!」に一番笑ってしまいました。こんなに友達に薦めにくい作品もないだろうに!!
破天荒
破天荒なミュージカル映画だなあ〜とずっと最初から最後まで楽しみながら観ることが出来た。
始まり方から終わり方まで奇想天外だし、一方で描かれる物語やその結末は一筋縄ではいかない感じがして、最初はノリと勢いを楽しみながら観ていたが、やはりレオス・カラックスの映画はそんな簡単に終わるわけないかという展開を見せてくれた。
とは言ってもレオス・カラックスの作品は「ポンヌフの恋人」しか見た事ないので、改めてこの監督の他の作品も観たいと思わせてもらえた。
「ポンヌフの恋人」でも感じたが、レオス・カラックス作品の編集がとても好きだ。物語を紡ぐことにおいて、これから何が起こるんだ?と思わせられる繋ぎ方をしてくる。特徴的な技法でアクロバティックに。そんな編集を味わう度に、映画を観ていることを感じられる。
アネットがなぜ生まれたときから父親が逮捕されるまでの間、ずっと人形として描写されていたのか。
アネットはずっと父と母の操り人形として存在していて、父も母も失う=開放されるという意味で、面会のシーンで初めて人の姿になったのだろうか。そのシーンでアネットはキッパリと「あなたは私を愛せない」と言いきっているので。
ではなぜ、生まれてすぐのタイミングから人形の姿だったのか。その時はまだ父も母も幸せそうだったのに。
そもそも子どもという存在自体が、父と母のエゴから生まれた操り人形という皮肉なのだろうか?
なんにせよアネットは最後自ら決断し、自分で歩けるようになる。それがこの作品の結末なのだろう。
わからなかった
はじめてカラックスの映画観たけど、おもしろさが全然わからんかった。
最初から最後までずっとスベってるって印象。
オープニングのナレーション、スタジオから歌いながら飛び出して行った時点で不安になったけど、そのままずっとその感じで、指揮者の人出てきたところでおもしろくなりそうな感じしたけど結局エンドロールまでノレへんかった。
おもしろいことしてまっせ感が鼻について楽しめへんかった。
でもファンも多いし、絶賛してる人も多いから、私がわからんだけなんかなって感じ。
合わへんだけとか。素直じゃないからか、学がないから楽しめへんかっただけなのかもしか。
緑のバスローブ
期待どおりだった!
今年の初めにレオス・カラックスを知った無知なあたし…
正月に娘の付き合いで配信の『Tokyo 』を見て
その流れで『ホーリーモーターズ』を見たわけなんだけどこれが
まんまとあたしの胸を撃ち抜いた…
ほどなく『アネット』公開の情報を目にしてびっくり
なんとあたしのアイドル♡アダム・ドライバーがミュージカル⁉︎
と言うことで何度も間違いじゃないかと読み返した笑笑
とうとうレオス・カラックスも商業映画を作るのかな〜と訝ったけど
ま、それもいいかと、巨匠なんだから
オープニングのなんと粋なこと
そこでスパークスなんだけど
バンド名とあのキモノ女性のジャケットは記憶にあるものの
当時の音楽が浮かばずスパークスの予習
映画館から出るとすぐにサントラをダウンロードして聴きながら帰った
スタジオから外に出てキャスト全員が歌いながらのイントロダクション
ここでもう『ホーリーモーターズ』のアコーディオン隊フラッシュモブを思い出す、いよいよミュージカルの始まりだと思うと1度目の感涙
『ホーリーモーターズ』では終盤唐突にミュージカルになって美しい夜景はポンヌフを思うよね
緑のバスローブを身に纏うアダム・ドライバーが期待以上に頑張って歌ってる姿とメルドの緑のジャケットを思い出させ2度目の感涙
デカいバイクを操るデカいアダム・ドライバーめっちゃカッコいい♡
マリオン・コティヤール扮するアンと
ラブラブな季節森でのデュエットに3度目の感涙
セックスシーンの歌もすごく良かった、痺れた
まさか歌いながらするとは思いもよらぬ驚き笑
そうなるともちろん出産シーンも歌うわな
しかし!そのベビーが人形だった
あたしはこのアネットちゃんがお人形だったからこそ、この映画を見続けていられたような気がして救われたのだ…
映画ではたまにある出産シーンと新生児
本当の赤ちゃんだとわかるといつも
どこから借りてきたのよー!と怒りに震えるからなのです
産んだママが撮影現場になんか連れて行きたい訳ないじゃない!
本当にアネットちゃんのおかげで生々しさが軽減して
この映画がファンタジーとして完結したんだと思う
そしてヘンリーの右耳あたりから濃く広がるアザは何だったのか…
DOMMUNで考察番組見たけど触れてなかったと思う…誰か教えて
最後は「これで終わり?」という感じだったけど
ちゃんとエンドロールでまたフラッシュモブやってくれて
友達に宣伝してね!というチャッカリな歌にまたまた感涙
泣くよねー⁉︎
私は「愛が、うなった」
アダム・ドライバーとマリコン・コティヤーの演技力と役作りには感服したが、モブの皆さんの一体感には目を見張るものがありました。OPの演出やヘンリーの観客、アネットのライブツアーといった一体感はすごかった。
そして、アネットが人形だったのが衝撃だった。CGではなく本物の人形だったのも驚愕だったが、アネットの決断が印象的だった。
終盤ヘンリーが刑務所に入ったときに、アネットは人形ではなく人間の子供に変わったときには自我が確立していて、アネットなりの愛情表現が「親を突き放すこと」だったのではないかと思いました。
ヘンリーは軽薄で自制心のない人間だけどアネットにとって唯一の肉親だから、酒もたばこも禁止の刑務所にいることが彼にとっての居場所であると諭すシーンは「苦渋の愛」だと感じました。
ベイビーとドライバー
かつてのフランスの“新しい波”三羽烏、ジャン=ジャック・ベネックス、レオス・カラックス、リュック・ベッソンのうち、一番ぴんと来なかったのが、このカラックス。それでもまだアレックス三部作の頃は良かったけど、その後は作品数も少なく、印象が薄い。
この新作に関して言えば、一体何を見せられているんだろうとずっと我慢との戦いだった。(ミュージカルでは往々にしてありがちだが)ちょっとした台詞をいちいち歌にするので、間延びして仕方がない。主役二人の愛憎劇は陳腐で、人形とのやりとりも含めてうたたねを誘う。偽悪的なスタンダップジョークもただ痛々しいだけだ。
監督に謝らないといけないのは、上映中二千回ほど呼吸をしてしまったこと。お約束を破って申し訳ない。
愛なんてどこにもない
スタンダップコメディアンのヘンリー(アダム・ドライバー)とオペラ歌手のアン(マリオン・コティヤール)は恋に落ち、やがて結婚して娘のアネットが生まれる。
こう書けば、これは愛の物語かと思うが、本作はそうではない。
ゆえに観るものは、終始、落ち着かない。
舞台でヘンリーは繰り返し「殺し」、アンは「死ぬ」。
そう、この映画は2人の恋愛が順調そうに見えるあいだも不穏だ。
ヘンリーは身勝手な男である。
落ち目になると家庭を乱し、アンを死なせる(過失致死と言ってもいい状況)。
アンは死んでも幽霊になってヘンリーにつきまとう。この執念は愛なのかと思うと、彼女にはヘンリーの前に男がいたこと(その男は、その当時は地位も実力もなく、人気者のヘンリーに乗り換えたことが示唆される)、そして、彼との子を“ヘンリーとの子”と偽っていたことが明らかになる(アンにとってもアネットが人形として描かれていることに注意)。
そう、アンのほうにも誠実さはない。
このミュージカル、愛なんてどこにもないのだ。
その2人の子が、人ではない存在(人形)として描かれるのは納得である。
ミュージカルという不自然さと、作為的な画面作りがマッチしている。
ダークな大人のファンタジーというべき作品。
アダム・ドライバー、マリオン・コーティヤールの演技、歌も見事。
We love each other so much.....
破滅型の男の愛と喪失の物語。
アダム・ドライバーがこんなにできるヤツとは、知らなかった。スター・ウォーズのどよーんとしたイメージしかなかった。スタンダップ・コメディの舞台、がんばったねー。イケイケの時の舞台と、そうじゃない舞台、演じ分けていた。笑いってやつは、なんと繊細なんだ。ヘンリーは観客が変わったと思っているけど、本当は自分が変わったんだと思う。でも、分析もしたくないし、方向転換する努力もしたくない。それじゃ落ちていくだけだな。顔のアザが最初は薄かったのに、だんだん濃くなっていく。心の闇が深まるのと共に。
アンは努力家だ。子供の頃から声を鍛え、常にのどを気にしている。どうしてヘンリーを好きになったのか、よくわからないが、きっと自分でもわからなかったかもねー。気づいたら沼にはまって、身動きできなくなってしまったパターン? ヒロインがラストで死ぬオペラ、主役を演じるアンは、舞台の上で何度も死ぬ。暗示的だ。ヘンリーの回想であっさり流されてしまったが、さまざまなオペラの衣装、もっときっちり見たかったー。
あと、アネット役の子は、なんですか、天才ですか!? 2014年生まれ、撮影時6才くらい? こりゃ参った。脱帽。
古舘寛治さんが意外な役で登場、水原希子、福島リラがちょい役で出た。みんな歌ってた。どんな縁でオファーが来たんだ?
指揮者のサイモン・ヘルバーグは、どこかで見たと思ったら、「マダムフローレンス」だった。こちらでも伴奏してたな。指揮者が独白しながら、音楽の盛り上がるところで話を中断し、律儀に「失礼」と言うのがおもしろかった。この人、良心の呵責を感じながらも、結局音楽の魔力に抗えなかったね。
スパークスの映画を観たばかりなので、メイル兄弟が出てきただけで、うれしくなってしまった。ロン兄さんがシャキシャキ歩いてるよ! 70後半だというのに! 2人で作詞作曲しているらしいが、「We love each other so much」のメロディは、完全に刷り込まれた。しばらく鼻歌で歌ってしまうわ。「私達はとても愛し合っている」という平凡な一文を、よくぞこれだけロマンティックにしたことよ。イントロとエンディングも多幸感に溢れて、とても良かった。いやー、ホントに映画ができて良かったー。
ちょっと失礼
伴奏者から指揮者になった男が語りながら指揮をしてるところをグルングルン回って、間に3回指揮に集中するんで「ちょっと失礼」。ここが一番かな。
ちょっと懐かしいメタ的なオープニングでめちゃめちゃ期待が盛り上がる。ここから二人が盛り上がってバイクで疾走するところまでが起なんだけど、ここまでは星4つ。
アネットがめちゃ自然なパペットからラストで子供になったところ、その子がまたうますぎるところ、演者が皆達者だったところ、バイクがトライアンフ、日本の資本が入ってるからか六本木も出るし日本人も3人も出てるとこ、良いとこもたくさんあるけど、全体では星3個マイナー。
アダム・ドライバーがスタンダップコメディアン役というのも知らなかったが、おいらにゃスタンダップコメディー鬼門なんで単に響かなかったのか本当につまらないのかわからない。クレジットに例のクリス・ロック。監修なのかな。
あとポスター以外に知識なく鑑賞したんだが、あのシーンをポスターにしてミュージカルと聞けば違う内容を想像する。絵柄が美しければそれで良いのか?俺は買えんデス。
掛かり気味
レオン・カラックス作品初鑑賞です。いきなり飛び込むにはハードルが高いと言われていましたが、そんな事はないだろうと思い切って飛び込んでみました。
いや〜頭のおかしい作品でしたね。やりたい事全部詰めの渋滞映画でした。
最初のロックオペラは音楽の好みもありとてもワクワクするものになっていました。このテンションなら楽しんでいけるなと思いましたが、そうはいかず…。
アダム・ドライバーはつくづくすごい俳優だなと実感させられました。直近の「最後の決闘裁判」といい「ハウス・オブ・グッチ」といい、嫌ーな奴を演じさせたら右に出るものはいないと思えるくらい良いキャラクターをしていました。ただ、物語に活きていたかというと微妙な感じでした。スタンダップコメディは一つも面白くありませんでしたし、嫌ーな奴くらいで止まるなら良かったのですが、つまらないサイコパスの領域に達してしまったが故に物語を停滞させているようにも見えました。ずっとオペラを歌っているのも鼻についてしまいました。
あと意図的なものだとは思いますが、娘アネットの完全に人工的なもので作られておりとても奇妙でした。ここまで感情の起伏がなく目が据わっているのなるとこうも怖いんだなと思いました。
終盤に差し掛かるまではつまらないなと思っていましたが、終盤になりアネットが父ヘンリーの殺人を暴露して獄中にぶち込まれたあたりからだんだん面白くなってきました。アネットが父親を突き放す会話をするあたり子離れ、巣立ちのメタファーのように思えてフフッと笑えました。
OPとEDでスクリーンの壁を打ち破って観客に語りかけてくる演出はわりと好きでした。
鑑賞日 4/17
鑑賞時間 19:45〜22:10
座席 D-9
常にレオス・カラックス自身の映画
レオス・カラックスの映画は、自身をお気に入りの俳優に置き換えて自分自身のこと、恋愛や結婚生活のことを描いた映画だとまるわかりである。過去作もそう。
この映画のアダム・ドライバーは風貌がレオス・カラックスそっくりになっていく。
自分自身の風貌に似た俳優を好んで使う監督は、
デヴィッド・クローネンバーグがそう。彼も自分自身の離婚劇を『ザ・ブルード 怒りのメタファー』というホラーにした。『ザ・ブルード』でも、親同士が不仲になり、揉めると最大の被害者になるのは子供である。子供は何も悪くないのに、親たちのせいで子供が可哀想な目に遭うのは、子供を愛する親にとっては最大のホラーである。
こちらは、ホラーではなく、コメディとミュージカル。奥さんに見放された悲劇をコメディアンとして笑いにして金を稼ぐ。子供が赤ん坊なのに歌をうたえる特殊な子だったことで、子供の能力を商売道具にする。道具なので、木製人形。
ミュージカル?コメディ?全然明るくないし笑えない。偏屈で自己中心的、客を笑わすのがうんざりだと言い、時には殺人も犯すロクデナシで明るくないし暗い。昼間のシーンはほとんどなく、夜がメイン。暗い舞台や自宅のシーンが多い。色使いが全体的に暗い。こいつは本当にコメディアンなんだろうか?
このどうしようもない人間を見て笑ってくれ!と観客に対し訴えかけてるようだが、でも笑えない。ミュージカルとして歌って踊る。夫婦仲を回復するために、旅行に出て、嵐のなか船の上で踊ったら奥さんが死んだ。死んでもなんだか、あまり悲しそうじゃない。こいつは何なんだ。
妻への愛もいつのまにか枯れ果て、子供を商売道具にするクズ人間のコメディアンの人生をミュージカルにしたら、笑えるだろうか?という問いかけを観客に投げかけてくるが、全く笑えない。なぜなら、アダム・ドライバーはカッコ良すぎてコメディアン向きじゃない。というか、そもそも笑える話でもなんでもない。ホラー向きだ。死んだマリオン・コティアールは妖怪になってアダム・ドライバーのもとへやってくる。不気味な木製人形のアネットだって怖い。コメディじゃなくてホラーになってる。
俳優を変えたらコメディになっただろうか?
これを若い時のジョー・ペシが演じたら?
ジム・キャリーは?クリス・ロックは?
本物のコメディアンがやってみたらどうだったか?
いやいや、絶対にそうはならない。自分と風貌が似てなさすぎる俳優は絶対に使わないだろうし、コメディやミュージカルがやりたかったのではなく、コメディ劇やミュージカルに出てくる自分自身を描きたかったんだろう。
自分自身を描く映画ということで、彼の映画は常に一貫している。
神降臨
ライフタイムベストが『ポンヌフの恋人』で、『ポーラX』で来日した時は、シネマライズに舞台挨拶を観に行ったカラックス信者の自分には待望の新作。
観るかどうか迷う事もないので、予告編以外の予備知識はゼロ。
ズズズズとサウンドイコライザー?のようなオープニングにワクワクしていると、最初の登場人物に背筋がのびる。神様、いらしたのですね。
ヘンリーがアンを乗せてバイクを走らせるシーンは、『汚れた血』を彷彿とさせる疾走感。
激しい愛が次第に暴走し、やがて狂気に変わっていく様は、やっぱりカラックス好きだなぁと思わされた。
知らない方々だったけど、スパークスブラザーズのドキュメンタリー映画があるようなので、観てみようと思う。
あんまりロックじゃないロック・オペラ
オペラです。ロック・オペラです。ダンスのための演奏と歌じゃないのでオペラだと言う、音楽家のプライド。「ロッキー・ホラー・ショー」「TOMMY」と同分類。カルト感しか無かったロッキー・ホラーショーやTOMMYからすると、映像・音響が21世紀クオリティで、アダム・ドライバーと言う当代きっての名優をキャスティングするだけあって、見応え十分、聞きごたえ十分で、ウォーってなります。
でもですね。なんかですね。オペラなら哲学を求めたくなる訳ですよ。全てのものに意味を探したくなるわけですよ。
まずはAnnette。フランス語で「慈悲深い女性」の意味ですが、Automata(機械人形)と言うところがミソ。母親の唄声の再生装置たる存在であり、キリスト教が禁止する偶像崇拝の象徴となり、最後には生身の人間となり唄を唄わなくなります。オカルティックで神秘をまとう存在でタイトルにもなっています。刑務所でのアダム・ドライバーとのやり取りは見どころです。
でも「哲学的」ってんじゃ無いよな、って思うんです。アンとヘンリーの恋は今風な設定ですが、物語りのプロットはフランス奇譚的な悲劇。レオス・カラックスっぽいと言えば、ぽい。スパークスがオペラを構想したのだとすれば、オカルト仕立ても「ありそう」な感じはします。
ごめんなさい。でも、良く分からないw
「ひとつの悲劇」を「オカルト仕立て」で「ロックオペラ」にしたずら!
ってだけでしょうか?エンタメですよね、あくまでも。
Annette役のDevyn McDowellちゃんについて調べてみたら、ブロードウェイミュージカル"Waitress"に出演しているらしく。彼女が主役のCMフィルムもYoutubeに上がっていました。今後、色んな映画に出て来そうな注目株の様で。
取りあえず、ロック・オペラとしてはキレイにまとまり過ぎてて、かつ音楽の方も無難に過ぎて、正直なところ、ハミダシだらけでギラギラのインパクトを期待したワタクシ的には、物足りなかったです。実は、前半部分で寝落ちしそうになりましたw
2022年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️✨
まるでピート・タウンゼント(The Who)でも作りそうな感じのミュージカル作品でした…と言うか、正にロック・オペラ風な作品でしたね。こういうの好きです…(楽曲の半分は正に"オペラ")
映画終わってから、(modsとは全然関係のない作品ですが)なんだか『四重人格』聞きたくなりました。
で…
作品は、アダム・ドライバー演じるスタンダップ・コメディアンが、疑心暗鬼や不安に囚われて、人気の絶頂から落ちて行く物語なんですが…
上映時間が長い割には、エピソードが意外にシンプルで、波瀾万丈な人生もさして波瀾万丈に見えないせいか、中盤から後半にかけて、ちょっと飽きる(笑)
しかし!…
とにかく、娘"アネット"が生まれてからは…というか、その産まれる瞬間から以降は、この"赤ちゃん"から目が離せません(笑)
アネット…ユニーク過ぎる!
ラスト、刑務所の面会場面は…まるでピノキオでした(笑)
ちょっとホロっと来ちゃいました(涙)
終わってみれば、結構悲しい物語でした。
*エンドロール中にオマケありです。
スタンダップ・コメディアンのヘンリー・マクヘンリー(アダム・ドライ...
スタンダップ・コメディアンのヘンリー・マクヘンリー(アダム・ドライヴァー)は、挑発的なスタイルで笑いを取るステージが大人気。
ステージのタイトルは「The Ape of God」(神の猿人)。
そんな彼が、国際的オペラ歌手アン(マリオン・コティヤール)と情熱的な恋に落ち、ふたりは結婚。
まもなく娘アネットが誕生するが、ヘンリーの名声は失墜し夫婦仲はギクシャクし始める。
夫婦仲を取り戻そうと、ヨットでの世界旅行中、嵐の夜、無謀なヘンリーを諫めようとしたアンはデッキから墜落、行方不明となってしまう。
命拾いしたヘンリーとアネットだったが、たどり着いた無人島の海岸で月明りに照らされたアネットは、まだ喋れる年齢でもないのに、突如、美しい声で歌い出す。
その声は、アンを彷彿とさせるものだった・・・
といった内容で、このあたりで、半分以上が過ぎています。
オープニングからカラックス監督の挑発的なアナウンスがあり、ノイズ交じりの夜景に続き、音楽(原案も)を担当したスパークスの録音風景から始まり、曲に合わせて街へ出、フィクションの世界へと誘っていきます。
勉強不足のためスパークスの曲を聴くのは初めてでしたが、1曲目から「これ、好きなタイプの曲!」と感じ、以降は、カラックス・マジックならぬスパークス・マジックにハマった感じ。
ミュージカル仕立てと聞いていましたが、ミュージカルというよりもオペラに近い感じです。
ミュージカルだと、1曲1曲が「はい、これからミュージカルナンバーです」みたいな感じで、ドラマの繋ぎにナンバーが登場することが多いのですが、本作ではほぼ歌いっぱなし。
なので、ミュージカルファンは「あれ、違うんじゃない?」と違和感を持つかもしれません。
さてさて、映画の中心はヘンリーなわけですが、とにかく、この男がエゴ丸出しで、自己愛が強すぎて辟易。
「ほらほら、僕をみて。ほらほら、笑わしてあげるから。だって、俺ってすごいんだから。でも、俺はホントは弱いんだよ。すぐ傷ついちゃうんだ」って。
うへぇぇ・・・
不愉快だねぇ。
その上、なんだか自分をみているようで困ってしまうぞ。
ということで、アネットを愛しているといいつつも、「アネットを愛している俺を、俺は愛している」な男は、最後の最後にアネットからしっぺ返しを食う。
とにかく、救われない。
ま、こんなヘンリーみたいな男は救うことなど必要ではないのだけれど。
物語の内容はすこぶるシンプル。
ヘンリーの側に感情移入・自己投影するならば、どうにもこうにも救いようがない話だけれど(というかアネットから見放されて、やっと自己に気づいたのか)、アネットの側に感情移入すれば、父と訣別して最後は救われた話かもしれない。
けれども、アネット側に感情移入できない仕組みがあって・・・
幼いアネットは「人形」が演じている。
それも、かなり精巧に出来ているので、かえってホラーじみているというか。
後段、幽霊となって登場するアンより、よっぽど怖い。
ヘンリーは「暗い闇の深淵を覗いちゃいけない」と格言めいたことを繰り返しアネットに言うが、それは一理あるが、ヘンリーは深淵を覗いていなかったのだろう。
どれほどの深さかにも気づかず、どれほどの暗さかも窺わず、侮っていたのだろう。
ABYSS(深淵)ではなく、HOLEだとアナどっていたんだよ。
とにかく後味の悪い音楽映画で、同系列の映画では『Tommy/トミー』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』を思い出しました。
とはいえ、悪い後味は尾を引くもので・・・
よかった
子どもが人形でびっくりした。育児がノーストレスに描かれている。いくら歌がうまくても子どもを見せ物にするのは引く。
アダム・ドライバーのお笑い芸人ぶりが煽り芸で、さっぱり面白くない。
後から『スパークス・ブラザース』を見たのだが、そっちを先に見ていた方がより音楽や映画とスパークスとの関わりに思いを巡らせながら見ることができて楽しかったはずだ。
レオス・カラックスの「告解」か?
レオス・カラックスの映画は基本的には私小説的な自分自身の告白と理解すると、わかりやすくなる。それは『アネット』も同様で、主人公のヘンリーの(アンとの恋愛に関する)高揚感、(アネット誕生の)喜び、(観客から見放された)焦燥、(アンの成功に対する)嫉妬、(アンの死に対する)罪悪感、そして(指揮者殺しによる)破綻は、カラックスの人生と重ね合わせるとよくわかる(ような気がする)。ヒロインのアンは、その前半は(カラックスと別れて大成功した)ジュリエット・ビノッシュで、アネット出産後とお亡くなりになったあとの亡霊は(カラックスの亡き妻の)カテリーナ・ゴルべワか?指揮者は(かつての親友で撮影監督であった)ジャン=イブ・エスコフィエか?アネットは娘のナースチャ・ゴルべワ・カラックスか?ヘンリー(≒カラックス)は、アン(≒カテリーナ)と指揮者(≒エスコフィエ)を「殺した」ことについて、アネット(≒ナースチャ)に「お前には愛がない」と罰せられたいのか?もしそう考えることができるのなら、『アネット』は、カテリーナとエスコフィエに対する罪悪感を「ダーク・ファンタジー・ロック・オペラ」なるよくわからないながらも、観客に受け入れやすい(?)形であらわした彼独特の「告解」のなのかもしれない。もっともそうだったら、「見知らぬ人には気を付けて」「でもよかったら、知らない人にもこの映画を伝えてね」(『ポーラX』の興行的不振を踏まえている?)と最後にちょうちん行列で訴えるカラックスの業は相当に深いとも言えるし、恥を忍んでここまで自身をさらけ出したという意味では、温情的な観点からはカンヌの監督賞も妥当だったであろう。
もっとも、カラックスの人生にまったく関心がない普通の人にとっての問題は、映画の完成度である。この点についてはアダム・ドライバーが致命的であり、なぜ彼を(かつてのドニ・ラヴァンのように)カラックスが自身の代理として選んだのか分からない。だいたいヘタレWannabe「カイロ・レン」にこんな業の深いカラックスの代役は務まらない。カラックスのいつもの癖で自分の思い全開の映画なのはやむを得ないとはいえ、ドライバーの調子の狂っただみ声の歌を延々と聞かされる観客の身についても少しは考えてほしかった…(とはいえ、ドニ・ラヴァンはもっとあり得ないが)。なお、美魔女なマティオン・コティヤールの歌声は(幽霊になっても)よかった。その点で、映画としての完成度を考えたら☆3つ。もっとも、カラックスの映画(特に『ポーラX』)が好きな人にとっては☆5つかもしれない。
全26件中、1~20件目を表示