アミューズメント・パークのレビュー・感想・評価
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直接話法、比喩表現を取り混ぜた奇妙な映画
冒頭から、ドキュメンタリーの前説のようなモノローグが始まる、要は歳をとると大変だよということらしい。妙な造りの映画だと思ったら西ペンシルバニアのルーテル教会が高齢者を疎んじる世間の状況に警鐘を鳴らすために「ゾンビ」のジョージ・A・ロメロ監督に依頼した啓蒙映画だそうだ、ただ、余りにも過激と言うことで公開されずに半世紀もお蔵入りしていた作品。いわば当然の成り行き、そもそもホラー映画の鬼才ロメロ監督に頼んだ教会はどんな映画を期待したのか、相当間抜けに思えます。
夫の死後、未亡人のスザンヌは非営利団体ジョージ・A・ロメロ財団を立ち上げ、その最初のプロジェクトが16mmフィルムのデジタル修復、上映でした。当初はスザンヌも映画が良く分からず、「何なのよ?」とロメロに尋ねたら「コミュニティの問題だよ」と答えたそうです。
まあ、テーマは分かるが通俗的な弱者の軽視、虐待エピソードを遊園地を舞台に詰め込んだシュールな構成、観客が誤解しないようあえて映画の前後に直接的なナレーション解説を入れたのでしょう。
作家性が強いのは致し方ないが誰もが楽しいはずの遊園地に悲劇を盛り込んで悦に入っているのは多少白けます。まあ、上映時間が短いので付き合えましたがなんとも言えない奇妙な構成の映画でした。
この老人ってもしかして・・・・・・!? ゾンビ映画の巨匠が手掛けた幻の「教育短編映画」発掘!
最初に言っておくと、映画としては正直たいしたことがない。
というか到底、人からお金を取れるような代物ではない。
ポスターアートは、最っっ高に生かしてるんだけどなあ(笑)・・・・・・(マグリットかダリみたいな二重像。だれだこんな秀逸なアイディア考えたの??)
もともとはルーテル教会の依頼で作られたままお蔵入りになっていた「PSA(Public Service Announcement、公共広告作品)」。パンフによれば、PSAは50年代から70年代末ごろまで、アメリカでは一般的に学校や教会、映画館での前座として、教育的目的で上映されていたものらしい。
冒頭にナレーターが出てきて問題意識を共有する本作の作り自体、当時のPSAのお約束のフォーマットだったようだ。ロメロに依頼があったのも、彼がホラーの巨匠だからというより、ピッツバーグ周辺に他に映像制作会社がなかったからで、教会としては地場の企業に頼みたかったということらしい。
ただ僕は、教育映画だから、ホラーじゃないから、つまらないといっているわけではない。
ぶっちゃけ、映画自体の出来がはなはだ芳しくない。
ロメロと彼の会社は、本作製作のために、エイジズムに関する膨大なリサーチと、何百人にも及ぶインタビューを敢行したそうだが、映画撮影自体は3日間で、仕上げも実見するかぎりかなり雑なつくりだ。
正味53分のうち、前半はただ老人が遊園地内をうろうろする描写に費やされ、メリハリも気の利いた演出もへったくれもない。後半には老人がひたすらいたぶられるショックシーンが続くとはいえ、見世物小屋にはいったらリハビリセンターだったり、いきなりヘルスエンジェルズにしょぼい暴行を受けたりと、とりとめのないダサいシーンを適当にモンタージュで賑やかしているだけで、面白くもなんともない。とくに未来視できる占いの館のモンタージュなんかは本当に拙劣で、むしろ困惑させられる。
冒頭とラストで2回、「暴行被害前」の老人と「暴行被害後」の老人が真っ白な部屋で交錯し会話を交わす、エンドレスの「仕掛け」がちょっと気が利いているくらい。意気込みはさておき、結果物としての映画自体は「やっつけ仕事」といわれても仕方のない出来だと思う。お蔵入りしたのも、「あまりの内容に依頼主が恐怖した」からじゃなくて、単に出来が悪かったからじゃないのか?
だが、しかし。
長年ロメロ映画を観続けてきた人間として、いろいろとそそられる作品であることも確かだ。
もちろん、第一には「まだ観たことのないロメロ監督作が遺っていて、それがリストアされて公開される」というだけで、オールドファンにとってはもはや一大事である。
何はともあれ、こうやって劇場で観せてくれたことに、心からの感謝の念を表したい。
それから、「社会派」としてのロメロの本質に直接的にかかわる作品として、本作には無限の価値がある。
とにかく、ロメロというホラー監督は、少なくともそのキャリアの初期においては、間違いなく「社会派」の監督でもあった。
彼にとって、大衆消費社会や人種差別の問題点を指摘し、風刺し、指弾することは、ゾンビを撮ることと同じくらい重要な意味があったのだ。
その彼が真正面から「エイジズム(年齢差別)」という社会問題を扱った「教育映画」が発掘公開されるときいて、ファンが興味深く思わないわけがない。
そう、ロメロの作品世界では、ホラーであることと、社会派であることは、つねに両輪を成していた。
ロメロは、ホラー作家であることと、社会派であることが共存し、どちらかがどちらかの方便になっていなかった稀有な監督だった。常に知識人としての思想性をバックボーンとしつつ、ホラーという異形のジャンルをむしろ嬉々として表現の場に据えた映画作家としては、唯一クローネンバーグくらいしか匹敵する存在を想起できない。
僕は、ロメロという人物は、大衆消費社会を嫌悪する一方で、ユートピア的な素朴なコミューンを愛してやまなかった、理想主義的な社会主義者だったと勝手に思っている(べつに何か文献にあたったわけではないけど)。
たとえば、僕が一番大好きなロメロ映画は、ダントツで『ナイトライダーズ』なのだが、あれはまさにユートピアへの憧憬と幻想に彩られた、生粋のコミューン映画に他ならなかった。
もう少し有名な例でいうと、代表作『ゾンビ』における僕の一番のお気に入りシーンは、実はゾンビの出てくるところではない。巨大ショッピングモールに籠城する主人公たちが、楽しそうに束の間の安楽を満喫するシーン。あそこを観ていると、なんだか無性に泣きたくなってくるのだ。
だってあれ、まんま『明日に向って撃て!』――遅れてきたアメリカン・ニュー・シネマだものね。
そんな彼が、「エイジズム」というテーマで教育映画を撮るにあたって「遊園地」を取り上げたのは、実に当を得た着眼だったと思う。
「テーマパーク」こそは、「ショッピングモール」とならぶ大衆消費社会の縮図であり、しかも「若者」が多数派として君臨する、「老人を少数者として追い込む」には絶好の舞台設定だからだ。
「逃げ場のない特殊な閉鎖的空間」
「圧倒的多数を占める言葉の通じない他者」
「商業主義と大衆消費社会の行きついた悲劇的状況」
「知能や思想が期待できない『モブ』と化した大衆との軋轢」……。
そう、ここアミューズメント・パークは、もうひとつの「ゾンビ世界」でもあるのだ。
別の文脈でも、「遊園地」は題材として、実に興味深い側面を持っている。
多くのホラー作家・監督たちが、カーニバルや遊園地に強く惹かれ、舞台立てとして扱ってきた長い歴史があるからだ。
一義的には、「恐怖」の原体験が幼少時のお化け屋敷に遡る人が多いってことがあるのだろうが、最高の悦楽の裏側に潜む恐ろしき存在とか、非現実的な「ハレ」の祝祭の場にやってくる非現実の怪人とか、ホラーと遊園地の親和性は、実はめっぽう高いといえる。
代表的な存在としてぱっと想起されるのは、やはりレイ・ブラッドベリとスティーヴン・キングの小説群およびその映画化作品だろうが、そのまんまの趣向としては、D.R.クーンツ原作/トビー・フーパー監督の『ファンハウス』なんてのもあった。
昨年読んだ短編で、ラムジー・キャンベルの「道連れ」(1973、『闇のシャイニング』所収)は、まさに遊園地で乗ったジェットコースターが地獄めぐりに変わったあげく、ラストに驚愕のオチが待ち受ける佳品で、伝説的カルト・ホラー『恐怖の足跡』(61)からの影響が感じ取れる作品だった。
で、この『恐怖の足跡』から強い影響を受けたとされている監督の一人が、外ならぬロメロその人だったりする。
実際、本作には、ひとつの「趣向」がほの見えている。
なぜ、主人公の老人は、「白づくめの装束」で、「顔まで白塗り」にしているのか?
ホラーハウスに入ったと思ったらなぜかリハビリ室、といった歪んだ時空の構造は、そもそも「なぜ」成立しているのか?
老人の迫害が映画内で始まる直前のタイミングで、一瞬、メリーゴーラウンドに乗る「巨大な大鎌をもったフードの人物」が映り込む。この人影はいったい何者なのか?
さらに、この「大鎌の人影」は、老人がヘルスエンジェルズにいたぶられるシーンでも、群衆に交じって映り込む。もしかすると彼こそは、この「地獄の遊園地」の「主催者」ではないのか??
ここで冒頭とラストに置かれた「暴行前老人」と「暴行後老人」のすれ違いを、もう一度思い出してほしい。そもそも、この部屋はいったいどこだ? 老人はどういう「属性」を付与されて、こんなところに放り込まれているのか?
僕は、この映画の老人こそは、「生きている死者」――リヴィング・デッドなのだと思って観ていた。
某有名映画同様、老人自身は気づいていないが、彼はすでに死んでいて、ここはもう「死後の世界」なのだ。
すなわち、本作は「地獄めぐり」――ダンテの『神曲』的な――の物語だといえる。
もちろん、群衆に交じって幾度か姿を見せる大鎌の人影は、「死神」だ。
何らかの理由で、この老人は「罰」を与えられている。
何度も何度も、若者たちに無視され、迫害され、暴行され、眼鏡を踏み割られる永劫の罰。あるいは、その繰り返しのなかで、いつの日か成仏する日が来るのかもしれない。
いかにも「世にも奇妙な物語」あたりで出てきそうな1エピソードだが、それを「エイジズム」をテーマとした教育映画でやろうというのが、まだ30代前半だったロメロらしい仕掛けだし、その種明かしを必ずしも作中で積極的にしないのがまた、奥ゆかしくて良いと思う(笑)。
映画の出来自体はどうしようもないが、「文脈(コンテクスト)」だけでファンならご飯何杯もいける。
そんなマニアックな映画でした。
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