「なんやかんやよかったです」ノイズ maruさんの映画レビュー(感想・評価)
なんやかんやよかったです
主演3人の藤原竜也・松山ケンイチ・神木隆之介の演技の仕方がそれぞれで(※素人目線で恐縮ですが)舞台・映画・テレビみたいなそれぞれの芝お居分で統一感を感じられず、いまいち映画に入っていけなかった。余貴美子と榎本明の格闘シーンは(映画+舞台+テレビが混ざったような感じ)で、永瀬正敏と伊藤歩は(映画とテレビ)みたいな。まさに「ノイズ(雑音)」、雑な音という解釈ではなく「色んな音(お芝居の形)」が入り混じった映画。
ビニールハウスに入ってきた前科者を誤って殺してしまったときも、無花果(イチジク)を島の名産にしようとする思い・期待を背負いすぎて「通報する」ではなく「隠す」ことを選んだ。狭いコミュニティーならあり得ることだろうが、冒頭でもう少し島のコミュニティーの狭さを物語っていてもいいのかなとも思った。
無花果の花言葉が「実りある恋」「裕福」という皮肉もきいている。泉圭太(藤原竜也)は、目の前にある裕福を守るために動く。田辺純(松山ケンイチ)は、ストーカー並の異常な片思いを成就させるために圭太を主犯に仕立て上げる。
小御坂にとっては、保護司がノイズで。
警察にとっては、小御坂がノイズで。
島の人らにとっては、警察がノイズで。
泉圭太にとっては、周囲の期待の声・島の人らがノイズで。
田辺純にとっては、泉圭太がノイズで。
守屋真一郎にとっては、罪悪感がノイズで。
泉加奈にとっては、田辺純がノイズで。(「純は純のしたいことして。私はいつまでも圭太のこと待ち続けるから」と言い放つシーンがあるので)
それぞれの登場人物に「ノイズ」があるが、結果、それぞれのすべてのノイズは取り除かれまた日常が流れていく。
道路を走る車の音、クーラーの音、テレビの音、風の音、日常は色んな音が混ざっており、人は雑音(ノイズ)の中で生きている。
雑音=日常の中に例えば、「SNSでの自分への悪口」という一つの音を気にしはじめると、より「雑音」と認識してしまい、それが雑音のすべて(日常のすべて)だと思い込んでしまう。
島には漁業や農業も他の青果物あるはずなのに、「イチジク」という音だけに集中するから「島にはこれがすべて」という思い込みを生んだ。それが良くない結果を連鎖し呼び寄せた。泉圭太の心には島の風習が濃く染み込んでいたために初動の判断を誤らせ、遺体を「隠す」行為に至らしめた。ラスト、子供の絵日記の内容を復唱しながら歩く場面では、「家族との時間」の「音」が圭太の中で際立ち、その心地よい音に満たされ涙していた。島のしがらみのくだらなさや己の愚かさに涙しているようにも思えた。よかったです。