梅切らぬバカのレビュー・感想・評価
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良質のドキュメンタリー
加賀まりこさん主演の新人監督作品。 当初上映館はもっと少なかったようですが、宣伝の甲斐あって増えたと加賀さんがテレビで話されてました。 ロングランになりそうだし、海外で評価されそうな佳作だと思いました。 自閉症スペクトラムについてあまり詳しくないけれど、特質?としての感覚過敏とか几帳面さは共感できました。 怖いのはわからないから、 正義の反対はまた別の正義、 地域住民とグループホームのやり取りからそんな言葉が浮かびました。 自分の子供、家、日常、動物 大切なのはみんな同じで守りたいからこそ声をあげる。 傷つけたくてわざとやっている訳ではないのに、ままならない現実があります。 それをそのまま誠実に映しているのでともすれば悲壮感漂いそうなのに、 そうならないのは加賀まりこさんの達観した明るさと塚地武雅さんのどこか憎めないキャラクターの成せる技。 あと音楽も軽やかで効果的でした。 77分と短く、他の方のレビューでもあったようにこれで終わり?と物足りない印象もあるかもしれません。 私は監督からの投げかけと受け止めました。この後のことを考えて想像したり、話し合ったりしてみて下さいと。 わかりやすい結末よりも余韻のあるエンディングでした☆
全てが中途半端なような…
エンドロールが流れ始めた時に「え?終わり?」と言う声が近くから聞こえました。
ダイナミックな展開は期待してはいませんでしたが、もう少し話に何か落とし所が欲しかったです。結局何の解決にも至らず、障害を持つ人がまた高齢の母と共に暮らす生活に戻って、今後この親子はどうなっていくんだろうという気持ちが不完全燃焼のまま残りました。
そもそもグループホームに入って、トラブルが起きて、地域住民が不満を訴えて、トラブルの当事者となった人が退所して「はい、終わり!」みたいに見せるのもどうかと…。グループホームも色々あるのでこの映画を観て「グループホームってこういうのもなんだ。」とも思ってほしくないですし。
障害を持つ人への理解がない人もたくさんいるということや、自分の住む家の近くにグループホームができるという事への不安や不満がリアルに伝わる点では綺麗事ばかりじゃなくて良かったです。
【梅のタイトルから考えられること】
僕の実家では、干さないで梅漬けを作っていた。梅酒も作っていた。 実家に梅の木はなかったが、亡くなった父が毎年大量の梅を、どこからか調達してきていた。 お花見と云えば、現代は桜の花見のことだが、奈良時代までは中国から伝わった梅が主流で、平安時代から徐々に桜に置き換わったと言われている。 実をつけることを目的に品種改良されたのを「実梅」、お花を観賞するための梅を「花梅」と一般的には呼ぶが、前者は、効率的な実の付き方を、後者は、古木としてごつごつした肌合いの老成感と長寿感を独特の枝ぶりで味会うことを目的に剪定するのが当たり前になっている。今でも日本各地に梅の名所はあって、花だけではなく、梅のごつごつした木肌や枝ぶりも鑑賞してみてください。 この作品のタイトルは「桜切るバカ、梅切らぬバカ」からとったものだと思うが、人間の成長は、どっか厳しくしつけたりしながらするものだということを示唆し、この映画ならではの皮肉のようなものなのだろうか。ただ、花梅のこと考えると、珠子さんのことを示唆しているのかもなんて考えたりもした。 映画では、梅の枝は剪定されなかった。 前に、港区青山に児童養護施設が建設されることが決まった時に、この映画のように、地域の地価が下がると言って反対する人が説明会に来て、抗議するのをテレビで見たことがある。 ただ、ふと思ったのが、おそらく地域に暮らす人のほとんどが、実は、その集会には来ておらず、一部の、いわゆるノイジーマイノリティが騒ぎ立てているのではないかと。 ただ、こうした抗議の声は、受ける側にとっては厳しく、ひどい言葉が投げかけられることも多い。 ネットの誹謗中傷とある意味似ている。 だが、行政は、方針を変更しなかった。 僕は、適切な判断だったと思っている。 映画のタイトルは、効率的な実のりに、子供の将来の地位や稼ぎが例えてちょっと皮肉っているのかもしれないが、地域社会にも過度な剪定は必要ないような気がする。 幼稚園や保育園の建設に対する反対もそうだが、コミュニティは社会全体の縮図なのだから、一部の人間の好みで剪定する必要は全くないと思うし、剪定などせず、自由に個性を伸ばせる社会の方が素敵なような気がする。 剪定する、しないは、ケースバイケース、個性を見極めてやれば良い。切らない方がいい場合も、切る方がいい場合もあって、騒ぎ立てるより、見極める力をつける方が、実は、効率的なんじゃないかと強く思う。
軽やかに描く中にも切実な問題が詰まっている
塚地さんの演技のうまさに驚きました!こんなに上手だったっけ。 障がいのある子を持つ親が誰しも思うのが、自分が先死ぬとこの子はどうなるのかということ。 親一人子一人のこの先の生活、障がいを持つ者に対しての世間の目や不寛容さ。数え上げたらキリが無いけれど、メソメソしてたってしょうがない。 加賀まりこ演じるお母さんが逞しくてポジティブで、そんな不安や葛藤などを感じさせないところがグッドポイント! イスラエル・イタリア合作の父と自閉症の息子物語を描いた『旅立つ息子へ』を思い出した。
桜切るバカ、梅切らぬバカ
塚地武雄の演技はお見事でした。 加賀まりこ、もっとキツいおばちゃんかと思いきや怪しげな占い以外はわりと低姿勢 グループハウスの名前が「さくら」さしずめ反対派は桜切るバカ。さて気になったのはあの梅の木、本物?撮影用のセット? ところではみ出た梅を勝手に切ってしまえば有罪なのかな? ブチ切れた渡辺いっけいがやらかすかと思ったんですが。
聖なる愚者の話。秀作である。
予告編を見たときから、この作品は良いと思えた。実際、観てみると期待通りであった。 一般受けはしないかもしれない。でも、鑑賞していて気持ちのいい映画であった。 発達障害の中年の息子を抱えた老年の女性の物語である。いわゆる8050問題であるが、ユーモアを持って暖かい目で描いている。脚本も素晴らしい。 子供が障害を抱えようと生きているだけで嬉しいと、訴える映画だった。加賀まりこ及び障害者を演技は賞賛に値する。タイトルのバカは、聖なる愚者だろう。
大変だねだけではすまされない
自閉症を、もつ親御さんはみな感じているな 地域の、方ともこんな感じなのだろうか 辛いな なにもできないオバサンですが、考える良いいきっかけの作品になりました
加賀まりこと塚地武雅の親子が絶妙だけど、タイトルは誤解を招くかも
加賀まりこは圧迫面談で相談者に不安感を与えつつ、カネを巻き上げる胡散臭い占い師として生計を立てている老母。何となく若かりし頃の尖ったイメージの加賀に連なる役柄。 一方の塚地は当たり役の山下清もそうだったが、ガ○ジの役は難しいはずなのに実に自然にこなす。 そんなセンターキャストの二人が役にピタッとハマっていたせいか、決してほっこりする内容では無いはずなのに何となく安心感を覚え、見ているうちにどんどん引き込まれていった。 決してメッセージ性を込めず、かと言って無理やりハッピーエンドに繋げるようなエンタメ色を強く打ち出さなかったのも見ている側としてはかえって「たまにはこういう映画も良いかも」という心地良さを感じさせる作品だった。
相方が授産施設で働いています。
私の相方がこの映画に出てくるような授産施設の職員として働いています。 一緒に見に行きました。 「この映画は、実際に起きていることを、とても丁寧にわかりやすく伝えている良質な映画だ。」と話していました。 私は「こんなのオーバーに演出してんでしょ?」と思っていた、障害者支援グループホームvs地域住民のトラブル。 新設反対や移設強要は、よくある問題なのだそうです。 加賀さんと塚地さんは「8050問題」を象徴しているそうです。 今グループホーム側は、両親が高齢になるよりもっと若い段階のうちからグループホームを利用して欲しいと考えているそうなのですが、それが進んでいないということもよく表れていました。 私たち無関心だった者たちに、教科書のようにわかりやすく教えてくれる映画でした。 たくさんの人たちが見て、渡辺いっけいさんのように、徐々に考えと行動が変わっていくといいなと思いました。
梅を切れない訳を確かめに映画館にお越しくださいな
桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿。と、口癖のようによく言っていた母がシルバー人材派遣の植木屋さんを呼んで、桜を根本から切らせたときは「え~?」って思いました。 梅の木はどんどん枝が伸びるので、早め早めに切らないと大変なことになります。梅の木は一本だけでも実はなるとずっと思っていましたが、越してきた一家の父親(渡辺いっけい)は最初からなんだか小難しいことを言ってましたね。 やっと実がなるようになった柿の木をまたまた植木屋さんを呼んで、違う場所に移させた時も「えーっ?」って思いました。柿の木は見事に枯れました。そんな悲しい思い出があるアタクシですので、つい気になって、シネスイッチ銀座に観に行きました次第でございます。ほぼ、私よりご高齢の方ばかりでしたが、90歳以上のご夫婦?が観に来ていらっしゃいまして、ほっこりさせていただきました。 加賀まりこ様はずっと怖~いイメージが強かったのですが、優しかったですよ。占い師、なかなかいいことおっしゃっていました。あれっ、見たことある若い女優さん。カメ止めの真魚さんでした。忠さんをホームに入れてから寂しさのせいでペースが崩れてしまう珠子さん。たった一人の息子ですもんね。 この映画を観て次の日、「んー、んー」と言いながら、仕事してました。影響されやすいんです。 忠さんたちの風呂上がりの一杯はCALPISでした。今夜は缶ビール🍺やめて、CALPISにします。あー、でも、梅酒に使った焼酎の残りがあるから、CALPISの焼酎割りにしてしまいそう。人間はそうそう変われないけど、いいじゃありませんか。
難しい課題
今年は自閉症スペクトラムの子と父の関係を描いた「旅立つ息子へ」を鑑賞。「自分がいないと(いなくなったら)この子はどうなる?」と想う親の気持ちは国は違えど変わらない、ただし過干渉にもなりがちではありますが。 周囲の関わりが日本の場合相変わらずの「村社会」で自分たちに合わないものを受け入れようとしないですね。 難しい問題ではありますが、今後も無くならない問題ですし、相模原事件のようなことが再び起こることのないよう考えないといけないな、と作品を見て思いました。 加賀まりこさんは塚地さんに負けずにいい味出してました。
身近な問題にならないと中々人間は他人に優しく慣れませんね。
それにしても酷いね ・役所の職員の事務的過ぎる態度 ・人より馬を可愛がる馬鹿な女 ・家の資産価値を気にして白眼視する爺 でもこれが現実だから受け入れるしかないのかな 皆が一歩ずつ譲り合ったらいい社会になるんだけどな
特に劇的展開はないけれど…
知的障害の息子と暮らす老いた母、障害者グループホームと地域の関係、ただ淡々とその成り行きを描く。ソフトに描いているけれど根本的な問題は深い、と思う。誰が何に対して我慢したりどうやって思いやりを持ち続ければ良いのか、答えは出ない気もするけれど考えさせられるな。 山下清といい塚ちゃんはこの演技のイメージ強し。
圧巻の演技
いつも映画を見る時は、あらすじなど事前情報はチェックしないようにしている。先入観が入るからである。忠さんこと塚地さんのリアル過ぎる演技力に圧倒された。発達障害者を持つ親子の心あたたまるストーリーだ。この種の映画では観客の多くを期待できないのが通例だ。しかし平日の映画館の客席の6割強が埋まっていた。いかに支持されているかが証明している。
これでいい
現代のいろんな問題を含んだドラマ。
それぞれの立場で考え方も感じ方も違うと思うので、評価も様々。
実際の生活もこういうものだと思います。
もう少しドラマを引っ張って、周りの人達と打ち解けてハッピーエンドみたいなものでも良いんでしょうが、僕はこれでいいと思いました。
母親が歳を取るのは変えられないし、忠さんの生き方も変えられない、すべてが上手くいくエンディングは今のところ無いんでしょうね。
それやっちゃうと嘘臭くなる😅
占いにすがる人や夫婦間の問題、いろんな問題を抱えて生活があるんだなって改めて考えました。
加賀まりこさんをはじめとして、出演者の演技がさりげなくてとても好感が持てました。
リアル球子の立場で2回鑑賞しました
加賀まりこさん、塚地武雅の演技は元々素晴らしいと思っていましたが、予想にたがわない演力に引き込まれました。 現実問題と比較すれば設定に無理があるかもしれませんが、おおむね自閉症の特性はとらえており、私ども親子が経験してきた現実と重ね合わせ納得しながら鑑賞しました。 実際近隣ばかりか、身内でさえ障害を理解してもらいながら生活するのは困難なことも多いですが、どこかで折り合いをつけながら生きる日々ですが、映画を通じて自閉症の特性や、本人たちが困っていること、加賀さんが『見終わって、こういう息子をみかけることがあると思います。決してこの子たちは攻撃的なことはない。手を差し伸べなくてもいいので、ほほえんであげてください』と、おっしゃったように、映画を通じて一般の方々に知っていただければと願っております。
このまま共倒れになっちゃうのかね?
・・・そう、母親は悩んだ。 そこから周りを巻き込んだドタバタ劇となっていくのか、切実なシリアス劇になっていくのか、注意深く見届けていたけど、おおきな山場もなく、結局は肝心なことは解決せず、近隣との些細なトラブルに日々疲弊し、それでも明るく振る舞い、変わらぬ日常が過ぎていく、そんなお話。上映時間の短さを見た時、そんな気はしてたが。でもこのエンディングでよかったのかもしれない。これなら、忠さんと同じ人たちが観ても心乱れないだろうし。それに、彼らの日常は、そうたやすく解決するものでもないだろうし。バッドエンドをみせないだけで、じゅうぶん幸せな映画だと思った。
差別する人たちに付き合う時間はない
エンドロールにスタイリスト(加賀まりこ担当)、ヘアメイク(加賀まりこ担当)とあった。単独の担当者が付くとは、さすがに大女優さんである。 それはさておき、占い師にはある種の尊大さが必要である。意味不明の基準で一方的に決めつけられても何故か納得してしまうような、自信たっぷりの態度がなければ占い師は務まらない。 主人公の珠子さんは、自閉症の息子に限りない優しさを注ぐ一方で、占い師としての尊大さを見せる。こんなややこしい役を演じることが出来る女優となると、加賀まりこを置いて他に思い当たらない。まさにはまり役である。 人と人とは結局のところ、解り合えないものだ。それぞれに自我があるから当然である。歳を取ると、他人とは解り合えないと諦めて、どこかで折り合いをつける。つまり妥協するのだ。それは悪いことではない。 息子の忠さんが50歳になっても、珠子さんには忠さんのことがまだまだ解らない。きっと死ぬまで解らないのだ。しかし珠子さんは、解らないからこそ人生が面白いと達観しているフシがある。だから占い師みたいなことも出来ているのだろう。 自閉症の息子を抱えていても、珠子さんに悲壮感はない。何があろうと忠さんはかけがえのない自分の息子だ。一生背負っていく。自分が亡くなったとしても、忠さんはなんとかやっていけるだろうという楽観もある。それは占い師ならではの楽観かもしれない。 忠さんは自閉症の中でも意思疎通が難しい部類に入る。意思疎通が図れない人間は常に差別の対象だ。日本人は言葉の通じない「在日」を差別してきた。戦時中や戦後には殺された人も多くいたと聞く。差別はいまも続いている。忠さんへの差別も同じ精神性である。 珠子さんは、息子を差別する人たちとは戦わない。グループホームに対する反対運動で時間を無駄にしている人たちに付き合う必要はないのだ。 脇役陣は概ね好演。林家正蔵は人のいい役が似合うが、本作品では人の好さだけではなく、差別や役所の怠慢に対する怒りも見せる。なかなかいい。森口瑤子は偏りのない素直な精神性の奥さん、渡辺いっけいは自分本位ではあるが、他人の人格も尊重する気の弱いサラリーマンをそれぞれ上手に演じていた。 塚地の忠さんは、自閉症の中年としての悲哀が少し足りなかった感じがある。急に真顔になったりスタスタ歩いたりして、自閉症らしくないシーンもあった。そのたびに珠子さんが、塚地の演技にかぶせるようにして忠さんに話しかけたり、話を引き取ったりして、いくつかのシーンを見事に収めていた。このあたりの呼吸は流石である。加賀まりこはやはり大女優なのだ。
日常だわ
自閉症の判定うけてませんが、ADHDの娘連れて見に行きました ちよーど、グループホームやら親なき後の事や よく話してます。だからこそ娘は、しっかと見てましたわ。 癇癪かーと、思ってたら、その夜別件で 友達とのLINEのやりとりにて癇癪起こす あーそのままや!と思い書き込みました 忠さんの演技、良かったし、母親役の加賀まりこさんが 番宣にて、障害者を見たら笑顔見せてねでしたっけ ほんとそーです。
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