梅切らぬバカ
劇場公開日:2021年11月12日
解説
加賀まりこと塚地武雅が親子役で共演し、老いた母と自閉症の息子が地域コミュニティとの交流を通して自立の道を模索する姿を描いた人間ドラマ。山田珠子は古民家で占い業を営みながら、自閉症の息子・忠男と暮らしている。庭に生える梅の木は忠男にとって亡き父の象徴だが、その枝は私道にまで乗り出していた。隣家に越してきた里村茂は、通行の妨げになる梅の木と予測不能な行動をとる忠男を疎ましく思っていたが、里村の妻子は珠子と密かに交流を育んでいた。珠子は自分がいなくなった後のことを考え、知的障害者が共同生活を送るグループホームに息子を入れることに。しかし環境の変化に戸惑う忠男はホームを抜け出し、厄介な事件に巻き込まれてしまう。タイトルの「梅切らぬバカ」は、対象に適切な処置をしないことを戒めることわざ「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」に由来し、人間の教育においても桜のように自由に枝を伸ばしてあげることが必要な場合と、梅のように手をかけて育てることが必要な場合があることを意味している。加賀にとっては1967年の「濡れた逢びき」以来54年ぶりの映画主演作となった。
2021年製作/77分/G/日本
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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丁寧に手をかけて育てられた自閉症の忠さん50歳。
塚地武雅が演じているので愛嬌たっぷり。
現実世界では、爪を噛んだ手のまま電車内の手すりを触っていたりなどをよく見るが、忠さんもストレスがあると爪を噛むものの、作中では触っても自身の折り畳み傘程度。時間通りに自律した行動を丁寧に行うし、決まりを守れる性格。
馬が好きで、馬を驚かせてしまったりするが、危害を与えようとしたり身体の大きさを考えずに手が出てしまったりの、怖い印象は受けない。
ただし、今周りがどんな状況どんな気持ちかを推測することは難しい。
母親は70代。忠さんの先行きの人生をすごく案じつつ、女手ひとつで何十年も一生懸命忠さんを育ててきたので、いざ忠さんがいなくなると気力がなくなってしまう。
グループホームに忠さんを入れる事を決意した時、特性の異なる入居者どうしの空気の読み合いが難しいから、忠さんは煽りをくってお風呂上がりのカルピスを飲み損い、予定通り飲めなかったのでホームの外にパジャマのまま外出して自動販売機でカルピスを購入し立ち飲み。そこで出会ったお隣の息子少年、草太の誘いで一緒に厩舎の馬を見に行き、馬を連れ出すトラブルを起こしてしまう。
軽い気持ちでグループホーム脱走中の忠さんに声を掛けた草太だったが、騒動はグループホーム運営反対の動きとなり、忠さんはグループホームを退去する流れとなり、再び自宅に戻ってくる。
社会的な部分に影響がある特性の方々への理解や、近隣住民や社会との調和について、考えさせられる。
個人的には、人によるなぁと。
状況を説明する力や、空気を読む力が不足して誤解やトラブルを招きやすくても、その行動の動機によって受け入れやすい、受け入れにくいは異なる。
特に、性的な動機が絡んでいる方だと、正直怖い。
登下校中に待ち伏せされていた期間が過去にあり、知的な原因の場合警察も動けないとのことで、その方には怖い思いをさせられた。本人に悪気がないのはわかっているが、理性がきかず身体が大きいと、許容頂くのが難しい場面もあると思う。
ただ、そういった処理などのお世話も行う親御さんの日々の努力や心配は、作中には出てこないが、胸中思うと頭が下がる。
一方、可愛いなぁ優しいなぁ、お互い難しいことも工夫して、人並み程度に克服しながら頑張ろうね、と特に違和感を抱かず関われる方々もいる。
特性があっても、聖人君子ではないので、人間として得意不得意もあれば性格も色々。
それにより、家族以外の人々に、社会に、受け入れて貰えるかや居場所があるかも異なる。
だからこそ、育て方が大切なので、タイトルが響いてくる。桜と梅では必要な対処が異なる。性格や特性や習性をよく理解して、手をかけて育てないといけないのは、どんな人間にも、馬にも、動物にも、共通する。そこが欠如したらバカ。安心な町を育てないのと同じ。
そしてできれば、他人やその大切な人や動物や物にも、同じ気持ちを向けたいね、と思う作品。
作中で、自分の馬は大切にするのに他所にはキツくあたる人、相手を許容はできないが自分のお行儀はめちゃくちゃな人、とにかく優しさが際立つが落ち着いた行動が苦手な人、自分の息子は棚にあげ他人の息子に冷たい目を向ける人、など客観的に見ると「お互いさま」精神に欠くが、現実にはよくいる人々が出てくる。
そういった人々=社会の目に、フェアじゃないなーと心を傷める機会が多いであろう親御さんがただからこそ、作中のように占いはできずとも人を見る目が真を突いていることって大いにしてあるだろうなぁと加賀まりこ演じる母親像を見て思った。
役所が他人事感覚なのもリアル。
当事者同士の「お互いさま」が、持たれつがなく持ちつばかりになる時、排除が起こるのかもしれないが。
塚地武雅は風貌がまるでドラえもんが人間になったみたい。
2023年5月9日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
地域が障害のある人を受け入れるためには、その地域の側でも、彼ら・彼女たちを理解して、生活上で受けるかも知れない不便・不都合を、温かな眼差しで受容することが必要ということを、本作は訴えかけているように思われました。評論子には。
本作で、山田家の前の小路に伸びた(通行人の邪魔にもなっている)梅の枝は、たぶん、そのこと(不便・不都合)を象徴していたのだろうと思われたので。
もとより、評論子は本作の障害(自閉症)について充分な知識・経験があるわけではなく、その限りでのコメント(印象)ということで、理解をお願いしたいと思います。
(追記)
蛇足ですが、今の法律では、他人の木の枝が張ってきて迷惑でも、所有者に切らせることができるだけで、勝手に切ることができません(その木の根が張ってきて迷惑なときは切ることができる)。
民法233条(竹木の枝の切除及び根の切取り) 隣地の竹木の枝が境界線を越えるときは、その竹木の所有者に、その枝を切除させることができる。〔2〕隣地の竹木の根が境界線を越えるときは、その根を切り取ることができる。
ものの本によると、枝と根とで取扱いが異なるのは「根と比較して枝の方が高価な場合が多い、ということのほかに、枝ならば竹木所有者が隣地に立ち入らないで切除できるが根は立ち入らなければ切り取ることができない」(有斐閣「新版注釈民法」2007年)からだそうです。なお、本当に枝が迷惑なときは、裁判所に言って決定をもらえば、自分で切ることも出来るようです。(前同書)
ちなみに、張って来た他人の木の枝から自分の土地に落ちた果実は拾って食べてもOKという説が有力のようですが、違う見解もあります。レビュアー各位は、恐れ入りますが、その点は自己責任にてお願いします。
(張って来た他人の竹の根から自分の土地に出たタケノコを切って食べても良いかは、たぶん食べても良いのだとは思いますが、確答はいたしかねますので、どうしても食べたい向きは、各自で弁護士等に法律相談をお願いします。)
ドラマティックな展開の物語というわけでなく、良い意味でも悪い意味でも淡々と続く物語。自閉症の中年男性を演じる塚地武雅氏の演技が抜群であった。
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自閉症の子供さん達もいつか大きくなり本作のチュウさんみたいに40代、50代と歳を重ねていく。
献身的な母親が一緒に居てくれ、マイルールを理解してくれるという環境がチュウさんには居心地がよいが一生それが出来るわけではない。
本人の意思では変えようのない自閉症の方の特性を理解しながら寄り添っていて、カラッと明るくサバサバ意見を言える母親役を加賀まりこさんが好演。塚地さんも自閉症をもつチュウさんを熱演されていたと思う。
本当の親子みたいな温かい空気感が漂っていた。
施設のスタッフの雰囲気とかもリアリティーを感じた。
地域住民の反対運動はやり過ぎでは?と思える場面もあるが、理解出来ないものを排除するというよりは、
実際に子供を叩かれたとか馬を逃がされた、とか致し方ない理由があり抗議する気持ちも分かってしまう。
お隣さんとは少年とチュウさんとの繋がりきっかけで仲良くなりホッとした。馬を逃してしまった事に巻き込んだのは自分だ、と正直に告白できた少年も素直だし、
謝罪にいきチュウさんと親しく接して仲良くなろうとする家族が温かい。
梅を結局切らなかった理由を自分なりに考えてみた。
邪魔だからと切り捨てるのではなく距離をとりながら気を遣って共存する事で梅は実をつけ、手を加えたら梅エキスのように人を癒す薬にもなるのだ。
邪魔だから排除という世の中に一石を投じたのではないだろうか。