梅切らぬバカのレビュー・感想・評価
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☆☆☆ 元祖まりこ様ムービー。 《正義》を盾にした暴力ほど厄介なモ...
☆☆☆
元祖まりこ様ムービー。
《正義》を盾にした暴力ほど厄介なモノはない。
でも、一般人ならいざ知らず。少なくとも牧場経営の者が、ホースセラピーを蔑ろにしての《正義》をふりかざすのは全く分からなかったなあ〜。
塚地は頑張ってはいるけど。実際に家族に要介護人を抱える人から見たら、今ひとつ的な違和感は拭えないかな〜と。
特に眼の泳ぎ方とかは、、、難しいって言えば難しいので、致し方ないってところでは有りますけど。
一応はまりこ様曰く「私が居なくなったなら…」って事での施設への入居だったみたいですが。
どう見ても、今現在では何をするにしても1人で出来ている感じですので。介護認定は難しそうな気はしましたが、、、
まあ、その辺りは映画なので割り切って観るのが良いとは思います。
何かと事なかれ主義の渡辺いっけいが、自分の子供が招いたとは言え。突然に心変わりしてしまうのも、ちょっと違和感があった。
少しずつ心を開いて行く展開だったならばよく分かるんですけどね。
まあ、その辺りは好みの問題でしょうか。
あら?終わっちゃった。
まだまだこれからってところだったのに。
別にいいっちゃいいですけど、、、
映画としては雑…って言うか、違和感のあるところが多かった感じですかねえ。
但し、未だにチャキチャキしているまりこ様が存分に見れたのは良かったんですけどね。
2021年11月14日 TOHOシネマズ錦糸町オリナス/スクリーン7
『壊れていても生きていて構いません』なのだ。
どこかの公園が閉鎖になる。のかなぁ?
どこかの老人ホームとか要支援者施設が建設反対される。のかなぁ。
子供達の声がうるさい。
暴力的な奴がいる。
臭い。
汚い。
そう言った理由があるのだと思う。さて、一方でアメリカ軍機がうるさいとかごみ焼却施設は汚い。とかの声はいつの間にかトーンダウンする。
子供の声が春風に乗ってそよぐ。そのくらいの余裕持ちたいものだ。勿論、夜勤の人達もいるからね。一概には判断出来ない。
しかし、ごみ焼却施設の煙を我慢する事と、アメリカ軍機の音に怯える事とは桁が違うと思う。
『壊れていても生きていて構いません』なのだ。
タイトルがいまひとつ
梅切らぬバカ
U-NEXTの配信で
見ました。
塚地さんがうまくて、加賀まりこさんとの親子が素晴らしかった。一度別れてみるというのはアリなんだと。
住民が、施設の前で抗議行動を起こすなど、フィクションぽいところもあったけどいい感じの着地点。
自閉症児の将来についての話で、難しいテーマを程よい加減で映画にしたところがいい。塚地さんのおかげで若干、コミカルでもあり、珠子のような強気の母親もいるかもしれないとおもわせもする。
調布市が協力してるらしいので、その近辺でのロケか。
馬の飼育場と運動場があるすぐそばに、住宅街があるという設定。細かいところはあまり説明されない。
加賀さんもお年だし、塚地さんもいい年齢なので、お二人はベストキャスティングだが、続編は無理のような気がします。
梅についても、馬についても、もう少し掘り下げてもらえるとなお良かった気がします。
目にインパクトのあるタイトルかつ、記憶にも残るタイトルですが、梅の枝は、切るべきではないのか非常に気になります。
まずまず
親子の共依存的な関係が解消されなかったことは少々残念。
渡辺いっけいの家族と交流することで、嫌悪感が和らいでいき、徐々にちゅうさんを理解にするようになる部分は良かった。
障がいの有無にかかわらず交流することで、なんだかんだで一緒に暮らしていけるようになるということがわかる。
裏を返せば交流しなければ一生相互理解が進まないのだとも感じた。
何を狙ったのかなぁ?
ほのぼのっぽいけど、結局塚地さんの厩舎侵入は彼一人ではない事を、厩舎や周りの人々には知らせようともせず、もう一人の張本人家族と仲良くするが為うやむやになった形?
グループホームって冷たい飲み物も満足に飲めないのかな。あれは酷だった。
ストーリーや設定がわざとらしくて共感しにくかった。たとえば、大人が背中伸ばして歩けない高さに道に張り出した枝を放置していたり、
外部の人間が厩舎に入りポニーを連れ出したり、次の話のきっかけになる事象を無理につくり出している感がある。また、あんな街中に馬を飼っている所なんてあるのかな?塚地さんより匂いとかで近隣からの苦情が絶えないと思う。
塚地さんの演技が良かったけど、何が言いたかったんだろう?
大局的には何も解決してない
隣人の理解を得られ、忠さんが少し成長したのは分かるが、それでは視聴者のもやもやした感情を払拭するには至らない。
結局忠さんがグループホームを追いやられる形となったが、その原因となった騒動のきっかけが忠さん自身とは言い難いし、地域住民には勘違いされたままで物語が終わってしまい、え?終わりなの?って言うのがまず出てきた感想。
せめて、グループホームでなんとか生活できる基盤が整って、溝の埋まらない諸問題を抱えつつも騒動に対する地域住民の勘違いを払拭するところまではやってほしかった。
この結末ではグループホームに預けるに至った"母親離れ"がただ失敗しただけでしかない。
梅切らぬ馬鹿を、外の世界に無理矢理にでも押し出して、独り立ちさせる決断に至れない親子をなぞらえてるのだとするとまぁ…という感じではあるが、煮え切らないエンディングだというのが正直な感想。
一方で、塚地や加賀まりこの演技には惹きつけられた。
また登場人物の個々のキャラクターも個性がありつつも嫌いになれないいい味を出していたと思う。
誰にも迷惑をかけずに生きられますか?
丁寧に手をかけて育てられた自閉症の忠さん50歳。
塚地武雅が演じているので愛嬌たっぷり。
現実世界では、爪を噛んだ手のまま電車内の手すりを触っていたりなどをよく見るが、忠さんもストレスがあると爪を噛むものの、作中では触っても自身の折り畳み傘程度。時間通りに自律した行動を丁寧に行うし、決まりを守れる性格。
馬が好きで、馬を驚かせてしまったりするが、危害を与えようとしたり身体の大きさを考えずに手が出てしまったりの、怖い印象は受けない。
ただし、今周りがどんな状況どんな気持ちかを推測することは難しい。
母親は70代。忠さんの先行きの人生をすごく案じつつ、女手ひとつで何十年も一生懸命忠さんを育ててきたので、いざ忠さんがいなくなると気力がなくなってしまう。
グループホームに忠さんを入れる事を決意した時、特性の異なる入居者どうしの空気の読み合いが難しいから、忠さんは煽りをくってお風呂上がりのカルピスを飲み損い、予定通り飲めなかったのでホームの外にパジャマのまま外出して自動販売機でカルピスを購入し立ち飲み。そこで出会ったお隣の息子少年、草太の誘いで一緒に厩舎の馬を見に行き、馬を連れ出すトラブルを起こしてしまう。
軽い気持ちでグループホーム脱走中の忠さんに声を掛けた草太だったが、騒動はグループホーム運営反対の動きとなり、忠さんはグループホームを退去する流れとなり、再び自宅に戻ってくる。
社会的な部分に影響がある特性の方々への理解や、近隣住民や社会との調和について、考えさせられる。
個人的には、人によるなぁと。
状況を説明する力や、空気を読む力が不足して誤解やトラブルを招きやすくても、その行動の動機によって受け入れやすい、受け入れにくいは異なる。
特に、性的な動機が絡んでいる方だと、正直怖い。
登下校中に待ち伏せされていた期間が過去にあり、知的な原因の場合警察も動けないとのことで、その方には怖い思いをさせられた。本人に悪気がないのはわかっているが、理性がきかず身体が大きいと、許容頂くのが難しい場面もあると思う。
ただ、そういった処理などのお世話も行う親御さんの日々の努力や心配は、作中には出てこないが、胸中思うと頭が下がる。
一方、可愛いなぁ優しいなぁ、お互い難しいことも工夫して、人並み程度に克服しながら頑張ろうね、と特に違和感を抱かず関われる方々もいる。
特性があっても、聖人君子ではないので、人間として得意不得意もあれば性格も色々。
それにより、家族以外の人々に、社会に、受け入れて貰えるかや居場所があるかも異なる。
だからこそ、育て方が大切なので、タイトルが響いてくる。桜と梅では必要な対処が異なる。性格や特性や習性をよく理解して、手をかけて育てないといけないのは、どんな人間にも、馬にも、動物にも、共通する。そこが欠如したらバカ。安心な町を育てないのと同じ。
そしてできれば、他人やその大切な人や動物や物にも、同じ気持ちを向けたいね、と思う作品。
作中で、自分の馬は大切にするのに他所にはキツくあたる人、相手を許容はできないが自分のお行儀はめちゃくちゃな人、とにかく優しさが際立つが落ち着いた行動が苦手な人、自分の息子は棚にあげ他人の息子に冷たい目を向ける人、など客観的に見ると「お互いさま」精神に欠くが、現実にはよくいる人々が出てくる。
そういった人々=社会の目に、フェアじゃないなーと心を傷める機会が多いであろう親御さんがただからこそ、作中のように占いはできずとも人を見る目が真を突いていることって大いにしてあるだろうなぁと加賀まりこ演じる母親像を見て思った。
役所が他人事感覚なのもリアル。
当事者同士の「お互いさま」が、持たれつがなく持ちつばかりになる時、排除が起こるのかもしれないが。
塚地武雅は風貌がまるでドラえもんが人間になったみたい。
路地に張り出した枝は象徴?
地域が障害のある人を受け入れるためには、その地域の側でも、彼ら・彼女たちを理解して、生活上で受けるかも知れない不便・不都合を、温かな眼差しで受容することが必要ということを、本作は訴えかけているように思われました。評論子には。
本作で、山田家の前の小路に伸びた(通行人の邪魔にもなっている)梅の枝は、たぶん、そのこと(不便・不都合)を象徴していたのだろうと思われたので。
もとより、評論子は本作の障害(自閉症)について充分な知識・経験があるわけではなく、その限りでのコメント(印象)ということで、理解をお願いしたいと思います。
(追記)
蛇足ですが、今の法律では、他人の木の枝が張ってきて迷惑でも、所有者に切らせることができるだけで、勝手に切ることができません(その木の根が張ってきて迷惑なときは切ることができる)。
民法233条(竹木の枝の切除及び根の切取り) 隣地の竹木の枝が境界線を越えるときは、その竹木の所有者に、その枝を切除させることができる。〔2〕隣地の竹木の根が境界線を越えるときは、その根を切り取ることができる。
ものの本によると、枝と根とで取扱いが異なるのは「根と比較して枝の方が高価な場合が多い、ということのほかに、枝ならば竹木所有者が隣地に立ち入らないで切除できるが根は立ち入らなければ切り取ることができない」(有斐閣「新版注釈民法」2007年)からだそうです。なお、本当に枝が迷惑なときは、裁判所に言って決定をもらえば、自分で切ることも出来るようです。(前同書)
ちなみに、張って来た他人の木の枝から自分の土地に落ちた果実は拾って食べてもOKという説が有力のようですが、違う見解もあります。レビュアー各位は、恐れ入りますが、その点は自己責任にてお願いします。
(張って来た他人の竹の根から自分の土地に出たタケノコを切って食べても良いかは、たぶん食べても良いのだとは思いますが、確答はいたしかねますので、どうしても食べたい向きは、各自で弁護士等に法律相談をお願いします。)
現実をつきつけられた
自閉症の子供さん達もいつか大きくなり本作のチュウさんみたいに40代、50代と歳を重ねていく。
献身的な母親が一緒に居てくれ、マイルールを理解してくれるという環境がチュウさんには居心地がよいが一生それが出来るわけではない。
本人の意思では変えようのない自閉症の方の特性を理解しながら寄り添っていて、カラッと明るくサバサバ意見を言える母親役を加賀まりこさんが好演。塚地さんも自閉症をもつチュウさんを熱演されていたと思う。
本当の親子みたいな温かい空気感が漂っていた。
施設のスタッフの雰囲気とかもリアリティーを感じた。
地域住民の反対運動はやり過ぎでは?と思える場面もあるが、理解出来ないものを排除するというよりは、
実際に子供を叩かれたとか馬を逃がされた、とか致し方ない理由があり抗議する気持ちも分かってしまう。
お隣さんとは少年とチュウさんとの繋がりきっかけで仲良くなりホッとした。馬を逃してしまった事に巻き込んだのは自分だ、と正直に告白できた少年も素直だし、
謝罪にいきチュウさんと親しく接して仲良くなろうとする家族が温かい。
梅を結局切らなかった理由を自分なりに考えてみた。
邪魔だからと切り捨てるのではなく距離をとりながら気を遣って共存する事で梅は実をつけ、手を加えたら梅エキスのように人を癒す薬にもなるのだ。
邪魔だから排除という世の中に一石を投じたのではないだろうか。
感動した
身近にあればありそうな。
でもめちゃくちゃ心温まるお話☺️
最後、続きはっ!?ってなったけどw
(つい続きの話まで見たくなる話)
それくらい惹かれる♡
ホッコリしてて良かったのかも😊
なんだか障害者の方のストーリーって賛否両論激しい気もするが私はこの映画が好き!
問題提起とかめんどくさい話はやめようぜ!w
面白い心に響けばそれが正解ってことにしよ!w
てか普通にお話がホッコリ癒し!
なんか色んな人の立場それぞれの視点で見て掘り下げようとすると多分もっと掘り下げて映画自体5時間くらいにできそうな話でしたが←主観w
色々まとめてこの短い時間のこの映画なのかと思うと暖かい気持ちにさせてくれてすごく良いと思う😌
やさぐれた私が癒されて幸せな気持ちになれる映画でした💖
ちゅうさんが生き生きしてる
何が主題なのか…
鑑賞の角度は其々ですが、我が子を思う加賀まりこの演技は光っていたように思えます。
塚池は研究しただろうな…という印象です。
隣に住む家族も良かったですね。
転校生って友達出来づらいからね。
地域の人の反対する気持ちもわかります。
こういう日常を送っている人たちもいると思えれば、これはこれで良い映画かと思います。
親子の姿に涙
最上級のバッドエンド
序盤は「障害者の高齢化」という社会問題を風刺した作品かと期待したが、ただ市民の障害者に対するスティグマを誇張したものにすぎなかった。これではむしろ映画の観客に対して、差別的な感情を煽ってしまう恐れもある。
タイトルも「子離れ出来ない親」の隠喩であれば面白いのだが、どうもそうではなく「個性を尊重しよう」みたいな単純なものであったようだ。
結局社会参加に失敗し、高齢の親元へ帰ってゆく主人公。障害者との触れ合いを通じて、精神的な成長を遂げる隣人の事など何の救いにもならない。主人公が歩む、この先の人生を想像すると、感動を誘うような演出とは裏腹に暗い気持ちにしかなれなかった。
現実社会をとらえながら、理想を問いかけるストーリー
偏見
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