「日本は一度滅んでもいいかもしれない」東京クルド 正山小種さんの映画レビュー(感想・評価)
日本は一度滅んでもいいかもしれない
難民認定申請が認められず、仮放免の状態で日本に暮らすラマザンとオザンという二人のクルド人の物語。作り話ではない、現実の映像に圧倒されっぱなしでした。
主人公の一人であるオザンは、自分のことを不良だと言ってましたが、仮放免では日本国内での就労が認められず、将来どうのように暮らしていけばいいのかの見通しも立たないのですから、少々やさぐれたりしても当然だと思います。もし、自分が彼と同じような立場だったとしたら、はたしてどうしていただろうと考えると、厳しい状況の中で逞しく生きる彼らには尊敬の念以外、何もありません。
もう一人の主人公のラマザンは、将来通訳や自動車の整備関係の仕事に就くことを夢見たり、考えたりして、最終的には埼玉の自動車学校に通うことになりますが、学校を卒業したとしても、日本での在留や就労が認められるか不透明な状態で、モチベーションを保ちながら勉強を続けるのは、非常に大変な努力が必要だっただろうと思います。将来チャンスが巡ってきたときに、あの時努力していればよかったと後悔しないためにも、いま勉強するのだ、というのは語るのは簡単ですが、それを実践できる人がはたして何人いるでしょうか。ラマザンのこの美しい生き方に心打たれました。映画上映後の舞台挨拶で、彼に在留特別許可が出たことを監督がおっしゃっていました。難民としては認められない結果のようですが、日本に滞在し働くことはできるようなので、彼には幸せななってもらいたいものです。
クルド人の民族問題に関しては不勉強なことで、どのような民族かもよく知らなかったので、映画を見ることで何か学べるかもと期待していたのですが、主人公二人や彼らの家族が難民となって来日する経緯を含む、彼らの民族問題について、劇中ではあまり触れられておらず、少々物足りなさを感じました。確かに、主人公のお父さんのセリフの中や、いくつかのセリフ等から、彼らクルド人が母国で大変苦労していたことが分かるのですが、もう少し深く切り込んでほしかったです。ドキュメンタリーなのですから、彼らは難民ですと始めるよりは、このような事情があり、彼らは難民となりましたと紹介してくれたほうが、彼らが難民であることがより分かりやすかったと思います。確かに、上映後の舞台挨拶の際に、監督がクルド問題についてお話ししてくださったのですが、全ての上映後に舞台挨拶をしてくださるわけではありませんので。
ところで、劇中で、彼らが仮放免の条件に違反して、「生きる」ために建物の解体工事の現場で働いているシーンがありましたが、はたして彼らは働いた仕事内容に相応しいだけの給料をもらっていたのだろうかと疑問に思いました。肉体的にきつくて、実入りが悪く、日本人が就きたがらない職業に、外国からの技能実習生や高度人材外国人を低賃金で雇用することが行われていますが、不法就労の外国人についても、不法就労の発覚を恐れて、低賃金を理由に彼らが会社を労基署や裁判所に訴えることがないことなどから、低賃金で劣悪な環境で働かせられているという話を聞いたことがあります。わたしたち日本人は、日本よりも産業や経済が遅れている国の人たちは、奴隷として扱っても構わない、搾取しても構わないという考えがあるのかもしれません。それの現れが、入管の収容問題や技能実習生等の問題なのではと感じました。まあ、これは何も難民や外国人に限らず、大企業が中小企業を苛めるなど、経済的に優位な立場にある者が、劣位な立場にある者を奴隷として扱い、搾取することは日本人間であっても決して珍しいことではありませんが。
基本的に、入管は法律に従って粛々と業務を行い、彼らを収容しているのであり、恣意的に収容しているわけではないのでしょうから、非常に難しいことだとは思いますが、難民の収容問題については、法律を改正して対応する必要があるのではと思いました。オザンも、「法律って、正しいの?」と言っていました。彼らが正しくて、法律が間違っているのかもしれません、だったら法律を改正するべきだと思います。また、難民申請に対して、迅速で適切な判断を下すためにも、難民申請を審査する職員の数を増やし、彼らが各難民申請者の母国に関する専門知識を学ぶ機会を増やす必要もあると思います。そのためには、相当の額の予算を法務省や入管に割り当てる必要があると思いますが、われわれ日本人が直接に利益を得られない、そのような業務にどれだけの予算を割くことができるか、日本人の良心が問われることでもあります。それができないなら、日本は一度滅んでもいいかもしれません。