「粗すぎるという印象」機動戦士ガンダムSEED FREEDOM 映画読みさんの映画レビュー(感想・評価)
粗すぎるという印象
SEEDと言えば痴話喧嘩。
痴話喧嘩と言えばSEED。
高校生の頃にテレビシリーズが放映されていたが、年齢的に魔法にはかからなかった世代である。
無印よりも運命の脚本のひどさがよくやり玉に挙げられるが、無印で32話まで延々と痴話喧嘩された時点で唖然としていた。なんとなくかっこいいシーンやセリフが入るだけで、各キャラクターの思考言動は矛盾だらけで意味不明。全くいい印象のないガンダムだった。(良心たるニコルが死んだのは、場当たり的な感動友情エピで不義を働いたアスランのせいだ…)
少女漫画の方向性自体を否定するわけではないが、少女漫画に「なんとなくガンダムと戦争(圧倒的な武力と市民を巻き込む命のやりとり)を付け足す」と、組み合わせとして「最悪」になるというのが私の印象だ。
人を殺めるための兵器が、軍隊が、戦況が、出てくるキャラ出てくるキャラすべて小学校低学年相当の「感情」で動かされては、グロテスクに過ぎると思う。作品世界でも判断力が水準未満の子供たちに、作中の大人たちが核ミサイルのスイッチを配ってはいけない。もし手に渡ってしまったら、せめて作中で成長していかなければならない。SEEDにはそのリアリティラインが無いことをお約束としている。0年代前半、まさに主人公とヒロインの感情が世界を左右するセカイ系のガンダムなのだ。
本劇場版は、完成間近にして出したくなかった作品だろうなという印象を受ける。
それが、まさかここまで「一応アリ」と言われるとは奇跡が起きた、という所だろう。
そう考える根拠としては
・キャラデザが粗い
・作画や演出がひどく弱い箇所が多い
・ストーリーは生成AIレベルの、あってないようなもの
という、かなり「やってはみたが、なし崩し出すはめになりそう…」という、刑の執行を待つ囚人の気分が伺える内容に満ちているからだ。
ストーリーはSEEDのシリーズだから期待していないにしても、令和の劇場アニメとしては見せてはいけないぶちゃいく顔アップのシーンが多かったり、ゲームのカットインのような画面構成乱発というのは制作の苦しさが伺える。全体品質の印象としては、ガンダムNTのレベルに近い。
恐らく、地上波時に十代前半だった少年少女たちだけが、魔法がかかったままこの劇場版を楽しめているのではないか…と思う。自分にはリファインされたとかブラッシュアップされたという印象はなく、厳しいままだった。
ストーリーはとにかくひどい。
SEEDと言えば痴話喧嘩だ!という因数分解と開き直りは、むしろいい。徹頭徹尾、小学校低学年が考えるような痴話喧嘩とえっちでやり通している。戦争の話なのに、セーラームーンよりもずっと低い軍人たちのプロ意識とメロドラマに満ちている。「これがSEEDなんだよ!」とちゃんと軸がブレないのはすごい。
ただどうしても褒められないのは、敵キャラがただのやられキャラで魅力がないのはさておいても、「心が読める敵キャラたち」「遠隔洗脳による転換点作り」である。ふんっといきなり出てきた超超コーディネーターたるアコードたちが念じると、痴話喧嘩で隙ができたラクスとキラが容易に洗脳できる。そんな痴話喧嘩の流れ弾で核ミサイルが起動してしまい、多すぎる無辜の民が焼死していくのは、前述の通り組み合わせとしてグロテスクに過ぎる。洗脳が解けたキラも、その点は全然気にしていない。
そして痴話喧嘩抜きにしても粗さを感じるのは、結局ラクスもキラも死んだ目の種割れパワーでラスボスを倒してしまった所だ。その描写では結局、ラスボスや故デュランダル議長が言った運命プラン(デザインチャイルド)の、天稟の力だ。敵の運命プランを否定しながら結局は運命プランの超コーディネーター先天性力ゴリ押しして勝ってしまっているのだから、否定しているようで肯定しておりまったくまとまっていない。せめて死んだ目から光のある目に変えて「デザインされた運命の力を超えて、二人の自由意志(二人が唱える運命を超えた愛)の力で、運命プランの頂点であるアコードを超えた」と演出するべきだっただろう。ダブル死んだ目で言葉の上だけいいことを言われても、絵としても弱いし解釈としても説得力がない。最後の最後の語り口上で目に光を入れて勝つだけでいいのに、なぜそうしなかったのか。
また、作中で正義のパワーと変換される愛の解釈も浅く、結局作中で語られる愛が「異性の性愛的なパートナーがいること」に限定した描写なのもなんだか残念。ラスボスの「なぜ愛されない!」に対するラクスの返答は「今ではない未来に、あなたを見てくれる人がいる(いつか君にも彼女できるよ)」であり、正義の自陣営の描写も彼氏彼女がチュッチュしているだけで、「彼氏や彼女がいない人間は愛されていない、愛を知らない」という、かなり古くて浅い恋愛観だと感じた。大量殺戮を行ったラスボスは、DVしていた女に実は愛されていたことを理解して死の救済を迎えたが…正直気持ち悪い。キラやラクスとしても、聞き分けが悪いから説得せずに殺した(偶然それが死の救済になった)だけである。
なんとなく、ストーリーの大筋は妄想力豊富な小学生女子が書き、各場面の詳細は元気な小学生男子が書いたようなバランスを感じる。全体を痴話喧嘩やえっちな駆け引きが覆い、所々の場面はヤケクソじみて元気いっぱいにおバカだ。
元気いっぱいな男子だなと感じたところ
・君たちが弱いから!
・使えないやつだな(嘲笑)
・心を読まれる対抗策が、恋人との情交シーンを思い出して読ませるカウンター
・本当に使えないやつだな
・こいつの心の闇は深すぎる~!
・分身ってのはこうやるんだよ!!!
・ラスボスは反省させずに説教した上で殺す
・ヌーディストでFREEDOMオチ
自分としては見続けるに堪えない☆1だったが、アスランズゴックの絵面と、先祖返りしたキラ(0年代なよなよセカイ系主人公)に対してちゃんとした大人の言葉でぶん殴りまくったアスランが良かったので☆2。だからこそ、その後のアスランの変態や性悪な雰囲気は抑えてほしかった。
賞賛の声に、思い出補正の凄さを感じる。
シリーズのファンだったが本作に辟易したという人がもしいたら、きっと作品が変わったからではなくて鑑賞者の内面が変わったからだろう。わりと「ちゃんとそのままの出来だった」印象だ。SEEDらしく完結。