「ラクスぅやっと会えたね」機動戦士ガンダムSEED FREEDOM ピロシキナムルさんの映画レビュー(感想・評価)
ラクスぅやっと会えたね
前半は少なくとも種死の世界観を引きづりつつデュランダル議長への「覚悟はある、僕は戦う。」からの苦悩の日々を描いていた。福田監督の20年、種死が抱えた問題点を視聴者と一緒にキラとラクスが悩み苦しむという点が強調されている。前作で聖人のような振る舞いを見せたキラとラクスが、打って変わって世界に向き合う心細さ、少しばかりのなんでこれが分からないんだという苛立ち[主にキラの]を、あんなに言葉で気持ちを言い表すことが苦手だったアスランに諭されるのは感涙もの。
しかし、C.Eの世界での根本的な解決は成されていない。これは今日の我々の世界を見ても解決策は提示しようがない。ならばどう世界と向き合うのか。再三申し上げるが、前作ではキラとラクスが悟ったように、聖人のように自由意思の世界をと唱える。そしてデスティニープランへの明確な代替案がないままなし崩し的に物語は終了する。また、コーディネイターとナチュラルの対立に対しても同じように解決策を持っていない。これはキラの戦闘介入、シンの立場変更と並び、種死に並び20年問題にされ続けたことでもある。今回の映画ではそれに対してどうアンサーを用意したか。
‥‥それは愛である。ええ、ラブである。
笑ってはいけない。まず今作ではラクスの出自が明らかになる。それはスーパーコーディネイターであった筈のキラをも上回る、指導者としてプログラムされた人間としてのラクスである。しかし、その可能性をラクスは拒否する。それはやはりどう生きるのが正しいかではなく、どうありたいかを重視する彼女らしい決断である。その決断にも紆余曲折あるのだが、愛するべき人ではなく、愛したい人を選ぶ。後半の主役はラクスであろう。であるならばコクピットへの同伴出勤も納得できる。うん、納得できる。納得出来るね?
結局はラストシーン、真っ裸で砂浜にいるシーンは、人間的な葛藤を抱えながらも、1人の人間としてC.Eの世界と向き合おう、愛する人と、ということである。
筆者の最終的な感想は、庵野監督が答えを投げ出さなかった世界線のエヴァに近いものを感じた。C.Eの世界、現実の世界。争いの絶えない世界への答えを、この映画を通じて福田監督なりの考えを提示したという点では満足度が高い。後述するようなツッコミどころも満載ではあるが、20年越しのお祭り映画であるという側面を見れば凡そ許容範囲であろう。多分。
以下雑記
・カズイ、サイの登場は胸熱
・アスランは結局カガリとなのね…
・戦闘シーンが目に痛い…速すぎるよ
・分身といいオデコビームと言いちょっとスーパーロボット大戦に片足突っ込んでません?
・作画!もうちょい頑張って!
・ちょっとエヴァ入ってない?ミサトさんが居るからかなぁ
・ちょっとはフレイを思い出してあげて…
・ラクスのスーツどうにかならんかったん?要らんよ。ラストシーンの真っ裸がボケるでしょ
以上、ラクスが初恋だった者より愛を込めて。