グレート・インディアン・キッチン
劇場公開日 2022年1月21日
解説
ある一組の夫婦の姿を通して、インドの中流階級に根強く残る家父長制やミソジミー(女性嫌悪、女性蔑視)を鋭く描き、インド本国でも女性観客の支持を得て、口コミで話題と評判が広がった一作。インド、ケーララ州北部のカリカットの町で、高位カーストの男女がお見合いで結婚する。夫は由緒ある家柄の出身で、伝統的な邸宅に暮らしている。一方、中東育ちで教育もあり、モダンな生活様式になじんだ妻は、結婚して夫とその両親とが同居する家で暮らしはじめるが、台所と寝室で男たちに奉仕するだけの生活に疑問を持ち始める。
2021年製作/100分/G/インド
原題:The Great Indian Kitchen
配給:SPACEBOX
オフィシャルサイト スタッフ・キャスト
全てのスタッフ・キャストを見る
2022年3月13日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
自分の幸せを犠牲にした結婚。
感謝もされず、家政婦のようにただただ家事をこなす。
言っても直さないマナーの悪さ、しかも逆ギレ。
愛より信仰の精神。
したいと思ったことも、家族のためという理由で否定される。
前半、料理を作る過程がとても幸せに満ちていたのに、次第にただただ苦行になっていく。
インドの家族制度は女性にとって辛いなぁ。日本もここまで酷くはないはず…
周りも理解を示してくれないのが辛い…この人たちの考えを変えるのは無理そう。
彼女の決断は良くやった!と素直に喜べた。
たまたま見たけどなかなかヘビーな映画だった!
見る人の性別で受け取り方が違うんではないかと思う。
主人公が自分の道を突き進めたことはとても誇らしい。
もう抑圧される時代ではない。
2022年2月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
今作は、いわゆる「モリウッド」映画である。『ジャリカットゥ 牛の怒り』や第34回東京国際映画祭で上映された『チュルリ』と同じく、南インドにあるケーララ州が舞台となり、マラヤーラム語映画のことだ。
南インドの保守的な家庭の物語であり、実際にケーララ州ならではの宗教的概念や、女性蔑視は色濃く反映されているものの、今作で描かれている「家庭」「キッチン」という名の呪縛の中で苦しむ女性の姿は、何もインドに限ったことではない。
韓国や日本の映画でも嫁姑問題として、散々ネタにされ続けている普遍的な、どこにでもある物語。だからこそ、今作には主人公夫婦には名前が付けられていない。
ひとりの人間として評価されるのではなく、どれだけ働くか、主人や家族のために尽くすことができるのか……といった、まるで召使いや奴隷のような生活であるというのに、それが当たり前だと思うしかない環境。生ごみや水道の汚水が溜まっていくように、妻の不満も溜まっていく。
一方でそういった、揺るぎない概念において、ある流れが少し事情を変えようとしている。それはネットの普及による、デジタル化の波だ。
急激なデジタル化、グローバル化の波というのは、南インドも例外ではなく、原始的な風景の中にも、スマホを欠かせない状況が出来上がってしまっている。今作の中でも老人がスマホで動画を視聴している。
主人公が勇気を出して、自分を主張しようとするきっかけも、実はネットからの情報によるものだったりする。
これは伝統や風習という側面からは、悪いことのように感じられるかもしれないし、実際に間違った感情を芽生えさせてしまう危険性も秘めている。
しかし、世界を知ることで、自分の選択肢の幅が広がるという意味では、良い点も多いと、改めて気づかされる。特に極端に文明が乗り遅れているような地方や村の人々の変化には、かなりの説得力があるといえるだろう。
何よりこれを映画として製作したこと自体に意味がある。今作で描かれている問題が、そもそも一般的で当たり前のこととして、捉え続けているのだとしたら、今作は誕生していない。
今作で問題定義できているということは、ケーララ州の人々が、女性の権利について、徐々に気づきはじめているという証拠なのだ。
2022年2月6日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
インドの結婚した女性主人公が、名家である夫の家で、ひたすら食事を作り、掃除をし続け、伝統に縛られまくる話。
いつものインド映画を観るノリで観ましたが、これは極めて真面目な映画でした。フィクションだけれど、ドキュメンタリーかのようなテイスト。
主人公は、ひたすらキッチンで料理。その出来上がった料理はとても綺麗なのだが、夫と義父が食べ終わった食卓は、これでもかと散らかっている。
タイトル通り、グレートな?インドの台所だ。
お義父さんも常に微笑んでいる優しそうな人なのだが、主人公が「働きたい」と言えば即座に「我が家には、(妻が働くのは)合わないな。私の妻はずっと家にいる。だから我が家は幸せなんだ」と、優しそうに答える。
衣服を洗濯機で洗うと「服が痛むので、自分の服は手で洗ってね」と微笑む。きっと、ごく普通の家なのだろう。
主人公が頼りにしたい大学で人権について教えている夫ですら、食卓の食べ散らかしを指摘されると怒りまくる。食べカスを皿に置くかテーブルに置くかだけの違いなのに。店で食べる時は皿に置くのに。
俺たちはこれを「遅れてるなあ」と笑うのでなく、「俺たちもこうだったんだな。そして、まだまだ似たようなことがあるんだろうな」と我が身を振り返る機会としたいものだ。
冒頭に映る「科学に感謝」というメッセージは、「生理は忌むべきもの」という根強い考え方があって生理期間を、不潔な環境で過ごさなければいけなかったインドで、科学的に意味がないどころか危険だよ、と周知されるようになって、女性達がようやくそこから脱出できつつあるからなのだろう。「パッドマン」でも同じ課題が語られていたが、本当に由々しき問題だよな。
おまけ
この映画を観ると、人は、なぜ強い言葉で、頑なな姿勢で言う時があるのかがわかる気がする。それは、言おうとしている言葉に理屈がないからだ。過去にやってきたことが正しいのだと考えもせずに言う時、人はそうなるのではないか。気をつけよっと。
すべての映画レビューを見る(全26件)