東京オリンピック2017 都営霞ケ丘アパートのレビュー・感想・評価
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そして、オリンピックが終わった今
都営霞ヶ丘アパート。 私は自転車が大好きで、前職のときによく渋谷近辺から浜松町の職場まで自転車で通勤してました。色んなルートを開拓した中でも好きだったのが神宮を通るルート。特に秋口の夜は本当に気持ちよくて、この近辺の雰囲気の良さ、緑の多さに癒されたものです。 で、このアパートは昔から国立競技場の隣にあり、古いアパートだな、と思いながら横を通ってました。 この映画の中では、元住民の方達の淡々とした引越しまでの生活が描かれてます。 私も若い頃、引越しするときは友達に頼んで業者に頼らずやってたので、引越しの苦労はよくわかります。年取ってからの引越しなど、本当に凶器の沙汰です。まして90近い歳でやるなんて。。 しかし、本当にこの国には「まとも」な政治家はほぼ居なくなってしまいました。。 国政の酷さは言うまでもないですが、都政も似たようなものです。住民のことなど考えておらず、表向き華やかなモノばかりがクローズアップされ、生活に大切な地味なモノなど見向きもしない。嘘のアンケートまで取って住民の退去を正当化する浅ましさ。政治家が気にしてるのは、自分の権力を維持してくれる近場の「お友達」ばかり。 もっとも、それは住民も同じかもしれません。 その政治家たちを選んでるのは、国民であり、都民なんですから。 映画見終わったその足で、改めて自転車で神宮に行ってみました。霞ヶ丘アパート後地は工事用の壁(フェンス)に覆われて、壁には「華やかそうな」絵が描かれてました。公園が出来る予定らしいですが、オリンピックが終わった2022年6月時点で、まだ更地のままです。 それでは、いったい何のために住民は引越ししたのか? 文字通り、この古いアパートが「目障り」だったからでしょう。 それ以外理由が見当たらない。住民の生活など無視して、「目障り」という理由で住居を追いやる。本当に美しい国です。 新しくなった国立競技場には観光客っぽい人たちがまばらに居ました。 その隣で壁に覆われた元霞ヶ丘アパートの更地。自分には「華やかな衣で覆った、中身のないハリボテ」に見えてなりませんでした。ここもいずれ公園になり、この国立の建設により高さ制限が撤廃された神宮付近は、ハリボテの高層ビルが数年後立ち並ぶことになるのでしょう。 映画の最後、右腕のない障害者の老人がリアカーを引いてる姿が忘れられません。 私は悲観論者ではなく、むしろ楽観論者だと思っていますが、それでも今の日本の未来に希望は見出せません。あの老人の姿は明日の自分たち自身だな、と思います。 それでも最後の最後、この老人がラジオ体操に行くために走っている姿には、日々をしなやかに強(したた)かに生きる力が見えました。その、どんな状況でも、人とつながりコミュニティを作り、命尽きる時まで「生き抜く力」こそが希望なのかもしれないな、と最後に感じました。
あのですね…
..... とてもいいです。 ただただ住居者の方々の健康と幸せを祈るだけです。 神様、もしいるのであれば、どうか、どうか、彼らをお願いします。 人間にはなにもできないから。 もちろん泣きましたよ。 込み上げてきましたよ。
スポーツの祭典の裏虐げられた弱者たち
五輪は見ませんでした。所謂、反五輪派です。コロナで大変なときに、スポーツのお祭りをやる余裕なんてないと思ってたから。 でも、コロナ以前から『スポーツのお祭りを楽しむ余裕もない人』、『お祭りのせいで不自由を強いられる人』が居たことを改めて確認。。。 映画に出てくる人々は毎日を必死に生きていて。。。 毎日を一生懸命に生きる彼らと競技に向かう選手の姿は、どちらも綺麗で、尊いものだ。 2017年を中心に構成されているが、もう少し前後も写してくれると嬉しかった。
自分がもし、90歳くらいで 急に自宅から退去を迫られとしたら… 日...
自分がもし、90歳くらいで 急に自宅から退去を迫られとしたら… 日常生活だけでもやっとなのに この上引越しだなんて 何から手をつけてよいのかと 途方に暮れてしまうと思う オリンピックの是非はともかく 街が生まれ変わることで 良いことも多々あるとは思うけれど せめて居住者が納得できるように 時間をかけて サポートもしっかりして欲しい 古いもの、歴史、コミュニティを 全部壊すのではなく その価値をしっかり感じ取って欲しい 計画に関わる人達は 知事も建築家も公共団体の職員も この映画を観て もっと居住者に寄り添って欲しい 効率ばかりを求めて ギスギスした世の中になってきていると つくづく感じる 都営住宅の跡地は 国立競技場建替工事のバックヤードとして使用された後 公園が整備される計画とのこと 辛い思いをした住民達のことを考えると 複雑な気持ちになる
日本という国の姿が凝縮された作品
映像の力がとても強い作品だった。意図的に作品内で説明を省いているので、パンフレットは高い(1300円)が必須だと思う。解説も素晴らしいので、損はない。映像と資料、両方で「都営霞ヶ丘アパート」とは何であったのかを記憶したい。 本作で描かれるのは、まさに国家が弱者を虐げる姿である。 都営霞ヶ丘アパートの住民のほとんどは高齢者だ。都によって強制的に移住が決められ、なけなしの補償が十数万円でるが、引っ越し費用に充てても足が出るようだった。お年寄りなので、重いものの移動や機械の取り外しはできないので業者に頼むから、費用がかさむのだろう。 はした金だけ寄越して「後は自分で」という行政の投げやりな態度が見える。 住民にとって、都営霞ヶ丘アパートを出ていくことはただの引っ越しじゃない。 そこには住民たちが数十年にわたって築き上げてきたコミュニティがあった。国は、その住民たちのコミュニティを破壊したのだ。 晩年になって、こんな仕打ちを受けることになるなんて、同情するという言葉では言い尽くせないほど気の毒に思った。おそらく、離れ離れになって二度と会わないまま亡くなった人たちもいるだろう。 2021年の東京オリンピックは、コロナや関係者のスキャンダル、開催費用の高騰等、実に多くの問題を孕んでいた。だが、仮にそれらの問題がなくて、オリンピックの開催によって社会に莫大な富や人々の幸福がもたされるとしても、私はこの「都営霞ヶ丘アパート」の一件だけで、オリンピックはやるべきではなかったと言い切れる。国家が弱者を虐げることなど、絶対にあってはならないことだからだ。 国とは、弱者を守るためにあるのではないのか。現実には、逆のことが起きている。権力や金を持った強い者を優遇し、弱者はまるでそこに存在しないかのように扱う。この国は、根本のところで大きく間違った方向に行ってしまったと、映画を観て痛感せざるをえない。 本作を、オリンピック関係者はもちろん、テレビの前で競技を楽しんで観た人々にもぜひ観て欲しい。特に選手たちには、自分たちが栄光の舞台に立っている裏で、どういう人々が犠牲になっているのかを知って欲しい。知るべきだと思う。 後年に2021年の東京オリンピックを振り返る時、「都営霞ヶ丘アパート」のことを抜きにしては語れないだろう。
【”国策ですから、住んでいる場所から、とっとと出て行ってください”と後期高齢者の方々に国は冷たく通知した。”地上げ屋の様な行政の姿勢に戦慄した作品。】
ー ”国策”・・・言わずと知れた先日終わった東京オリンピックである。 当時の東京都知事、石原は今作の舞台になった都営霞ヶ丘アパートを ”あんなみっともない建物を諸外国に見せるな” と2度言ったそうだ。ー ◆感想 ・その後、新国立競技場が白紙撤回されたにもかかわらず、都営霞ヶ丘アパートへの行政からの一方的な移転通知は翻らなかった。 ー 理由は明らかである。 そして、後期高齢者たちは、不自由な身体で、不安な心を抱えながら、次々にアパートを出ていく・・。この作品では、後期高齢者たちの戸惑いや、それでも行政の指示に従い、家を出て行く姿を淡々と映し出している・・。ー <いつから、日本は戦後の発展を支えて来た方々の終の棲家を、一方的に”移住せよ!”などというどこやらの共産圏と同じ国になってしまったのであろうか・・。 今回のオリンピックを否定する気は無いが、あの全国のTVの前の歓声の陰で、苦渋の選択を行政から一方的に強行された人たちがいたという事実は、忘れてはいけないと思った作品。 最後に流れるテロップも苦い想いで見ていた・・。> <2021年10月10日 刈谷日劇にて鑑賞>
例のイベントによって平穏な暮らしを奪われる人々の生活を優しく見つめる映像に宿る静かな怒りが印象的な80分
2020年に開催予定だった某イベントに向けて建て替えが決まった国立競技場に隣接する都営霞ヶ丘アパートに関するドキュメンタリー。解体途中のアパートを捉えたポスターイメージからもっとセンセーショナルな作風を勝手に想像していましたが、高齢の住民の皆さんが淡々と転居の準備をする様を一切のナレーションなしに見つめる80分。手持ちカメラの映像は見当たらず、しっかりと定められた構図を捉えて固定されたカメラで切り取られる日常にはそこにある生活の息吹が感じられるかのように繊細。都や政府に立ち退きので中止を訴えるも何も変わらない冷淡な対応に憤りを感じながらもお互いに声を掛け合いながら身辺整理をする皆さんはとても慎ましく知的で理性的。前の五輪でも老朽化した住居から立ち退きを迫られて転居した場所からまた同じイベントで立ち退きを迫られ、二度も五輪に生活を奪われる気持ちが解りますかと静かに怒りを吐露する様は胸に突き刺さります。敷地内にある商店、外苑マーケットを切り盛りする夫婦と買い物客の何気ない会話。小さな公園からジグザグに切り取られた夜空を見上げる外苑花火大会。町内会で保存されていた集会室での記録フィルム上映会。そこにあるのは息が苦しくなるほど懐かしい昭和の風景。先日老いた母が独り暮らす実家が立ち退きさせられたこともあってスクリーンに映っているいくつもの生活が二度と戻ってこない自身の郷愁と重なって涙が溢れました。終幕とともに現れるテロップに滲んだ静かな怒りを眺めながら、半世紀を経ても何ら変わらない行政の怠慢を正すために私達に何が出来るだろうかと深く考えさせられます。 登場する皆さんの誰もが素敵な人ばかりですが、特に印象深かったのは腕に障害を持ったおじいさん。LG製の液晶テレビの両脇に小さなスピーカーを配置しているご自宅が映り込んだ時にこれは拘りを持っている人だなと直感しましたが、カットが切り替わったところで映り込んだのがPearlのドラムセット。普段の服装もさりげなく洒落ていてダメージジーンズも粋に着こなしているし、狭い裏庭で農作業をする傍に退屈そうに寄り添う猫と絶妙な距離感で対峙する姿もスマート。このおじいさんの生活だけを見つめるスピンオフが観たいと思いました。
弱者を犠牲にする政治とは何か?
弱者を犠牲にしながら、素晴らしいことがなされていると、声高に言って憚らない政治とは、何だろう?政治とは、人を遍く幸福にするための道具、手段、仕組みであるべきなのに、そんな根本的なことを無視して、弱者に犠牲を強いて憚らないとは、「強きを助け弱きを挫く」新自由主義の本性と弊害をここにも見たり、という感を得ました。公営住宅は、弱者にとっての「住」のフェイル・セーフ・システムの筈なのに…。あのお年寄りたちは、いまどうしているのだろうかと、気掛かりでなりません。アップリンク吉祥寺での上映最終日に、観られて良かったです。
100%の実録映画
一切の説明を削ぎ落とした実録映画。そのため登場人物たちの会話からその背景や現状を推し量るしかない。見る側の想像力はもちろん、予備知識もかなり必要だと感じた。一切演技はない、素のまま。セリフもない、日々の会話。住処を追い出され、否応なく、数々の思い出を片付け、引越しをさせられていく年寄りたち。
この国は本当に弱者切り捨て社会なんだなあ、、と感じた。
もし自分が同じ立場でも、どうしようもないのだろう。戦争こそないが、安心して老後を過ごせる国ではないことは確か。
戦後日本の高度成長のシンボルだった東京オリンピックと都営住宅、その老朽化は、そこに住んだ人々の老化そのもの。
彼らは身寄りもほとんどないかまたはいても疎遠になってしまっているのだろうか、誰にも頼らずひとりでリヤカーをひく片腕の老人、、、エアコン室外機を自分たちで取り外す老夫婦、、、。
ところで、ラジオ体操は引っ越し後なのか引っ越し前なのか、疑問が残った。
東京2020オリンピックという一大国家イベントの下支えをなったこのような人たちのことは決して忘れてはいけない。
公営住宅ってそういうものなんじゃないかな。
住人の視点では、引越しが大変だったりコミュニティが壊されるとかあって大変なんだろうと思う。 でも、公営住宅ってそういうものなんだと思う。開発等で土地が必要になれば、都にとって有効な使い方に変更される。 住人からすれば、終の住処になってほしかった気持ちも分かる。でも、「高齢化が進んで、住人が減って、最後の1人がいなくなるまで巨大な建物を維持される」と約束されてはいないはず。未来永劫残る建物ではないし。いつか取壊し、立退があるものと分かってるはず。気持ちの面でも経済面でも影響があるのは理解できる。 冷たい言い方だけど、そうやって発展していくのだろうと思う。 都が経済的に弱い人を一方的にいじめていいなんて思わない。誰かホームレスになってしまってるなら住宅の手配や、必要なら生活保護の申請をサポートしてあげてほしい。 もし、次の住宅の提案等をしてるなら、都はちゃんと仕事してると思う。 開発の裏でこの様な問題が出るのは当然。 コミュニティ等全てを保ったまま何かを変更することはできない。全ての希望を叶えるのは難しいので、お互いが歩み寄って納得していくほかないのだろうと思う。 この映画で霞ヶ丘アパートの存在を知れたのでありがたいです。
いま、観ることに、向き合うことに意味があるドキュメンタリー映画
165億円がかけられたのだと言われる開会式の翌日に、先行上映で鑑賞して来ました。 見終わってふと思い出したのは、かつて昭和50年代から平成前半頃のNHK特集(ないしはNHKスペシャル)が描いてきたようなテーマと覚悟のようなものです。骨太で真実を突く力作でした。安定感のある考え抜かれたカメラポジションからの固定画。私の好みでは、多くの人々に届かせるためには、美意識を廃してでももう少し俯瞰情報(文字、映像ともに、或いは冒頭にはナレーション的な言葉が少しあっても、より入り込みやすくなったかもしれません)が有っても良かったかと鑑賞中は感じましたが、監督の狙いと美学なのだとも思います。 目の前で起こる壮絶な現実に、監督は、撮影クルーはどう動いていたのか?どう声をかけたのか(かけなかったのか)?、声をかけたとしたらそこは構成上カットしたのだろうか?と自分がもしその場にいた人間だったならどうするだろうか、と自問しながら鑑賞しました。 長期に渡る制作期間。きっと現場に行かれなかった日々や、惜しくも撮り逃してしまった入れたかった、或いは入っているべきカットやシーンも沢山あった事だろうと邪推します。けれども残されたこの記録映像からは、現代の日本人の、そして社会や政策の、愚かで人の心を大切にしなくなってしまった姿がこれでもかと浮かび上がってきます。 映画のヘソとなる壮絶な引越のシーンが胸を打ちますが、実は監督の狙いはそれらの過激な現状よりも、ところどころ、そして冒頭からも挿入される場当たり的にも見えた各社マスコミの取材姿勢のような気がしました。 マスコミだけを批判しているのではなく、我々ふつうの人々の目を覚まさせようとするかのようでもあり。いずれにしても、これらの問題はこの映画だけでなく、NHKスペシャルや大手新聞のトップ記事として連日のように世に問われるべき問題だったはずです。 復興五輪という名の不幸五輪が始まってしまったタイミングで先行上映に踏み切ったアップリンク吉祥寺の英断にも拍手。終映後に登壇された 青山真也監督は若く見え、喋りは流暢ではなかったけれども静かで熱い思いを少しずつ言葉を選んで語られる人でした。次回作も観に行くと思います。 今、観ることに、向き合うことに意味がある映画だと思いました。劇場のコロナ対策は厳重でした。ソフト化、オンライン視聴可まで待たずに今、見るべきドキュメンタリー映画なのではないかと感じました。
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