「量子世界の描写」アントマン&ワスプ クアントマニア SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
量子世界の描写
期待値が高すぎてしまったのか、ややいまいちだったかなと思う。
映像には文句ないし、アントマンの設定やキャラも好きなんだけど。
期待してたポイントは、
・「クアントマニア」というタイトルの意味
・量子世界をどう描くか
・今回の悪役「カーン」の魅力
だったのだけど、すべてなんか思ってたのと違った感じ。
「クアントマニア」というのは、直訳すると「量子狂」みたいな感じか。「ビブリオマニア」が強迫的な書籍収集家のことだから、量子の研究に取りつかれた人が出てくるのかと思ったけど、タイトルは内容に関係なかったようだ…。
未知の世界である量子世界に豊かな生態系が存在していた、というアイデアは非常に面白く魅力的だと思う。だけど、この映画では量子世界の現実の常識を超越した不思議さ奇妙さ面白さ(不思議の国のアリス的な)などはほとんど語られない。
重力も時間も光も物理法則も大気すらも地球の地上となんら変わらない。生き物を思い切り奇妙にすることで、「奇妙な世界」を演出して見せたというところだろうけど、せめてヒト型の生物がたくさんいることに対してはなんらかのフォローがほしい。
穴の数にこだわる生物はたぶんトポロジーと関係するといいたいのだろうけど、意味不明で終わっている。これではちょっとした地球外惑星の話と変わらない。せっかくの量子世界という面白い舞台設定が活かせていない。
量子世界に来る→豊かな生態系が広がっていることに驚く(単なる驚きではなく、それがありえないことだから、という驚き)→量子世界の奇妙なルールに翻弄される→徐々に量子世界のルールを理解し、それを逆手に取った行動ができるようになる
このようなストーリーの流れを(まあ勝手に)期待していた。
量子世界の不思議さを表現した場面が皆無というわけではない。主人公が分岐してどんどん数を増やしていく、というシーンがあった。ただこれも、なぜそこでだけそういう現象が起こったのかとか、なぜ急に収束したのかとか、説明されていない(ようにみえた)ので、「ちゃんと量子世界の不思議描いてますよ」といういいわけのために挿入されたシーンのように思えてしまう。
似たシーンで思い出すのは、「岸和田博士の科学的愛情」で安川くんが急に動くたびに可能性が分岐して無数に安川くんが増えてしまう、という話。うその科学でも、ちゃんとそれらしい理屈をつけて、「ありうるかも…」と信じさせてくれれば、ありえないシーンであればあるほど、面白い。映像的なインパクトだけ求めて、「なぜそうなるのか?」ということをちゃんと納得させてくれないと、「わあびっくりした」というだけの、表面的な面白さで終わってしまう。
「カーン」は、設定としてはすごく面白い。ちゃんと理解してないかもしれないけど、「未来の量子研究者(?)で、その研究の産物として、マルチバースを移動したり時間を超えたりする技術を手にいれた。それでマルチバースの自分たちにも知識を広めて、いろいろな時代の支配者とか神とかになった。ファラオのかっこうしてたカーンは、古代エジプトの王になったってことだろう。だけど、今回の映画の悪役のカーンは何か罪(?)を犯して、ほかのカーンたちに量子世界に追放された。
なんか、神のような能力をもった軍団の中の一個人が、仲間たちから追放された、みたいな話って、ぐっとくるものがある。これってなんなのかな、って思ったら、「失楽園」のルシファーのイメージだ。
「失楽園」のルシファーは、単なる子悪党じゃなくて、見ようによっては善悪が逆転するかも、ってところが魅力なのだよね。
今回の映画の「カーン」は、あまり悪役としての魅力を感じなかった。単なる暴君という以上に彼を形容する何かが思い浮かばない。彼の思想だとか、どんな罪を犯して量子世界に追放されたのかとか、量子世界の豊かな生態系とカーンはどんな関係なのか、とかもっと掘り下げてくれれば良かったと思うのだが…。
共感ありがとうございます。
コメントを付け忘れていたようです。カーンの魅力が無いのは皆認める所ですね。このシリーズは今後、量子世界に言及せずに済む訳ないのでもう少し整理して、行っちゃ駄目な世界で片付けないでほしいですね。