「マーベル的間テクスト性の極み」ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 屠殺100%さんの映画レビュー(感想・評価)
マーベル的間テクスト性の極み
マーベルの作品は、過去のマーベル映画をある程度フォローしてないと分からない作りになっているものがあり、特にディズニーのドラマシリーズはサノス後の話であるため、フォローできてないと、サノスって誰?とか、なんでキャプテン・アメリカがいないの?ってことなる。せめて、サノスは知ってないとヤバい。
それぞれ個別のヒーロー映画やドラマに共通の背景があって話が連続性を維持し続けているという壮大なMCUの世界であり、MCU映画が公開されればされるほど、後に公開される映画は、前作たちの内容をいくつか引きずって来ることになる。
今回は、『スパイダーマン ノーウェイ・ホーム』でドクター・ストレンジが、ピーター・パーカーのワガママによって無理やりマルチバースを出現させたことの後始末の映画だと思っていた。沢山の人がそういう流れだと思っていたと思う。
ところが、全然違っていた。映画だけフォローしていたのでは、わからない話がついに出てきた。マーベルのドラマシリーズ『ワンダヴィジョン』を観てないとわからない内容だった。これは、驚いた。
『ワンダヴィジョン』を知らなくても映像の凄さで全然楽しませてくれるから問題ないが、マーベル好きには、話についてこれないのは屈辱だ。『ワンダヴィジョン』を観てないだけで、マーベル映画だけは全部フォローしている根強いファンを置き去りにすることで、ディズニー・プラスへの加入を自然に促すことにもつながる。素晴らしい戦略だ。
ワンダがなぜスカーレット・ウィッチとしてドクター・ストレンジに対抗するのか?『ワンダヴィジョン』を観てないと意味がわからないかもしれない。観てないとワンダが単純に頭が狂ったということで(間違いではないが)スルーしてしまう可能性が高い。
しかも、予告を観る限り、まさか敵になるとは思いもよらない。善のドクター・ストレンジと一緒にマルチバースから現れた悪のドクター・ストレンジと戦ってくれるのかと思っていたらそれは妄想だった。ゾンビ化したストレンジが悪霊を味方にして強敵になるのだと思っていたらそれも違った。多くの人が予告に騙されたと思う。
沢山のストレンジが本質的には、ダークホールド(サム・ライミが起用されたのは、こうした死霊を呼び出す本の専門家だからだろう)に頼ってしまう運命はどこのバースでも変わらないのが面白い。ダークホールドのパワーによってサノスを倒したバースもあり、そこでは、ブラック・ボルト、ミスター・ファンタスティック、プロフェッサーXまで出てきてしまう。この3者はアベンジャーズ以外のマーベルを代表するヒーローチームのリーダーたちだ。これはMCU映画だけをフォローしてきたファンには見知らぬキャラ、とくにブラック・ボルトは全く知らないという人が多いと思われる。他のヒーローチーム、Xメン、ファンタスティック・フォー、イルミナティを知らないとこの人たち誰?となって訳がわからないという作りになっている。
つまり、MCUの映画だけを観ていてもダメ、ディズニー・プラスのドラマシリーズを観ていてもまだダメ、もっとマーベル予備知識を求められる映画となっている。
それは、『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』が、サム・ライミ版、アメイジングシリーズを観てないとよくわからない作りになっていたように、マルチバースをテーマにしたマーベル映画は、いよいよ間テクスト性が満載で全開の世界に突入したということだ。
次作『ソー ラブ&サンダー』もマルチバース的な間テクスト性満載になっているに違いない。