「あみ子と私の間に、理解し得ない壁を感じた」こちらあみ子 ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
あみ子と私の間に、理解し得ない壁を感じた
主人公のあみ子とは、真逆の世界観で、
子供時代を過ごした自分には、
理解し得ない壁みたいなものを終始感じ、
鑑賞がとてつもなく辛かった。
おそらくあみ子は、今でいう発達障害であり、
それに対して社会的認知が低い時代背景の頃の子供。
自分の思った事、感じた事、欲求に対して、
素直に出せる、
いや、素直に出してしまう性格の子。
発達障害ゆえに、自分以外の人間に対して、
感情を推し量る能力が欠如し、
こう言ったら他者が傷つく、嫌がる、という事すら理解できない。
むしろ、好意の一部として嫌がるような行動を取ったり、
傷つく事も良かれと思って言ってしまう。
だから、それらの行動や発言が重なるに連れ、周囲の人々は離れていき、
身内の家族までも、あみ子を遠ざけるようになる。
自分とは真逆な子供時代だなと思った。
私は自分の思った事や感じた事を出さない、
いや出せない人間であったし、両親が共働きで、
他人の家に幼少期から預けられていたせいもあって、
自分以外の人間に対して、感情を四六時中、推し量って行きてきたフシがあり、
推し量り過ぎて、自分の本音や欲求すら、
よくわからない子供になっていた。
ただ不思議なのは、そういう屈折した子供時代を過ごしていくと、
ストレスの反動のせいなのか、そういう性格を保ちつつも、
同時に、ある部分では確信的に人を傷つけたり、悪意を意図的に向けたりする、
嫌な子供になっていった。
だから、帰結的には、あみ子と同じで、
周囲の人が自分から離れていった感覚があり、子供時代を終える頃には、
孤独に苛まれていたように思う。
あみ子と私とで決定的違うのは、
ラストのクライマックスで、あみ子は「大丈夫じゃ!」と叫べたが、
私は「助けてくれ!」としか叫べない事だ。
あみ子は、あれだけ理解者がいなくとも大丈夫な人間なのに、
私は大丈夫ではない人間だった。
なので、あみ子は私から見ると、とてつもなく幸せな人間に見えるし、
理解し得ない壁みたいなものを、終始感じて仕方がないのである。
嫉妬しか感じない作品で、辛くて途中で観るのを止めようかと思ったほどだ。
あみ子に対してはそういう感情で満たされていたのに対し、
別のキャラクターに助けを求めたくなったが、あみ子の一番近くにいた兄貴に対しても、
グレられるだけ羨ましいなと。
私はグレる事すら許されないような家庭環境、経済環境にいたので、
兄貴の不良グループ入りすら甘えに見える。唯一の救いはノリ君ぐらいか。
彼とだったら友達になれそうだ。
作品に関しては、間が異様に無駄に長かったり、睡眠を誘う場面もあり、
脱落はしなかったが、やはり辛い場面は多々あった。
個人的にはあまり評価したくない、刺さる前に目を逸らしたい作品になった。