劇場公開日 2021年7月30日

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「意外に哲学的な会話とリアルなアクションシーン」ベイビーわるきゅーれ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0意外に哲学的な会話とリアルなアクションシーン

2022年4月25日
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鑑賞方法:映画館

 はじめて人を殺すには、超えなければならない壁がある。飛び越えなければならない障害と言ってもいい。それは人を殺してはいけないという心の中の禁忌だ。

 我々は子供の頃から、悪いことをすれば罰せられると繰り返し言われて、悪いこととされていることを行なうのに躊躇がある。悪いことの中でも一番悪いのが人を殺すことだ。その禁忌の気持ちを「良心」などと名づけているが、本当は単に恐怖心の裏返しに過ぎない。
 禁忌の気持ちは強く脳を支配していて、人を殴ることや物を壊すことさえ躊躇する。しかし習うより慣れろで、物を壊すことや人を殴ること、果ては人を殺すことでも、慣れれば抵抗がなくなる。中国人を虐殺しまくった関東軍の兵隊がいい例だ。映画「日本鬼子」によると、最初は銃剣で刺すこともできなかったが、慣れたら普通にチャンコロ(中国人)を殺すことができて、殺した直後に普通に飯も食えたそうだ。

 本作品のヒロインふたりも、人を殺すことに抵抗がない。警察に捕まることや罰を受けることも恐れていない。多分死ぬことも恐れていない。
 とにかく爽快に人を殺す。ゴミをゴミ箱に投げ捨てるように、銃弾を撃ち込む。そしてすぐに日常に戻る。というよりも、殺人を極限状況にしないところに、本作品の独自性がある。仕事が日常であるように、殺人という仕事も日常なのだ。

 知り合いの女子高生に、驚くほど哲学的な子がいた。難しい言葉を使うのではない。極めて日常的な言葉を使うのだ。いまの総理大臣が誰か知らないことを、常識がないと笑われると、人を馬鹿にするための常識なら、そんな常識なんかいらないと彼女は言った。笑った連中は一瞬にして黙ってしまった。
 本作品のちさともまひろも、社会のパラダイムを使って説教されるのが苦手だ。そんなところに真実はないと思っている。だから相対化して笑い飛ばす。そこが面白い。真実は彼女たちにある。

 殺しの仕事は他人を騙してスマートに殺すことを求められる。それに対して、一般社会での仕事は、作り笑顔や愛想のいい言葉遣いなどが求められる。つまり自分を騙すことだ。まひろはそれが苦手である。そしてコミュ障と呼ばれる。
 仕事は自分の人格がスポイルされることだ。しかし彼女たちの仕事は、相手の人格を究極的にスポイルすることである。殺すか殺されるかの極限状況が日常なら、一般の仕事は生ぬるくて気持ちが悪いだろう。

 ヒロインふたりの意外に哲学的な会話と、リアルなアクションシーンが本作品の見どころである。ギャップが大きいから、笑えるシーンがたくさんある。面白い映画を作ったものだと感心した。

耶馬英彦