成れの果てのレビュー・感想・評価
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リアリティがない
ホラー
本気度マックスのドラマ
ネガティブな部分をクローズアップしているが、本当の人間というものを描いている。
加えて時系列に巡行している点がよかった。
過去の想い出そのものを描いていないのもいい。
この物語そのものの作りは若干古さを感じたが、あえてそれを最初に出しておいてのあの工場のシーンは見事だった。
あの復讐劇は小夜の心の澱の裏返しだが、その本気度が伺える。
そして、
その事があってのさらなる大どんでん返しは凄かった。
さて、
人の心の闇というのか深さというのか、この社会、世界の底に落ちないように、皆必死になってしがみついていることがわかる。
その底にいると皆が思っているマー君
彼の高校時代の話 4日学校を休んでも誰にも気づかれない。
皆、誰が最下位なのかを競うようにして生きている。
その事を、あれは妙義山だろうか? 群馬県のどこかさびれた街を舞台に描いている。
日本社会で未だ残る風習というのか、社会の構造というのか、それをこの作品が描いているのだろう。
この日本社会の描き方に古さを感じるのは、その考え方が古いからだろうか?
でもいまだにそれが残るという事実があるのだろう。
一切笑いのないシリアスな表現は、描かれている人たちの心の闇が本当に深いことを告げているようだ。
冒頭から、何があったのかを中心に徐々に核心へと迫っていく。
それが何だったのか? 割と早々に視聴者には想像できる。
冒頭
アスミが小夜にかけた電話によって、東京にいた小夜は意を決したことがわかる。
彼氏かと思った男性がなぜ一緒に群馬まで連れてきたのか?
この伏線は見事だった。
ユミエとマー君の存在はこの狭い世界を上手く表現している。
結婚したくてもできない世界がリアルにわかる。
そして、
何故フセノが毎晩酔って帰ってくるのか?
それはあの事件の詳細を取引先や上司たちの前で話をさせるためだったという設定も、空恐ろしさを感じさせる。
罪悪感を伴う過去の話は、話すことで幾分和らげられたのだろうか?
彼のプロポーズとアスミの気持ちが最後にとてもリアルに感じた。
それほどこの街は狭く寂れているのだろう。
コロナが始まったとき、県で誰が第1号か噂が広がったことを思い出した。
まさにこの事件のことは、あのコロナ罹患第1号のように、そして語り継がれるようにこの街の話題の頂点となったのだろう。
「あの人なら取られないと思ったのに」
アスミのこの言葉はまるで番町皿屋敷のお菊のように感じた。
それを助長するかのような最後のメイクシーン まるでお岩さんだ。
フセノはあの事件を出汁に生きるしかなかった。
この街を出ることもなかった。
その事件の姉アスミとの再会と恋愛への発展は、彼にとっての罪滅ぼしの要素もあったのだろう。
妹への謝罪は、避けて通ることはできなくなった。
姉との婚約は、おそらくそのための布石だったのだろう。
自らその道を選択してきたことを、あの工場跡地で思い知ることになる。
この時の小夜とフセノの会話は本気故に解釈が難しい。
小夜は最後に「本当に許さないよ、私」とくぎを刺すように言った。
この言葉の真意がうまくつかめない。
その前にはフセノに対し「私も安心した。フセノさんに会って、この人とならいつバレるかビクビクして生きる必要ないから」と言っている。
そして復讐しようとしたことを「ごめんなさい」を連呼して謝った。
フセノも「怖かった。あんな顔してたんだオレ」と、当時のことを肌で感じる。
事件のことを知る人物に会うのが怖くて東京へ行った小夜。
逃げるように生きている自分自身といつか対峙しなければならないことを芯ではわかっていたのだろう。
それを復讐という手段で果たそうとしたが、奇しくも自分自身の中の夜叉を知ることになる。
暴力に対する暴力では何も解決しないことがわかった。
同時に、お互いがお互いの気持ちを理解したのだろう。
そしてこの場合、小夜がフセノがしたことを「許さない」ことで、フセノはこの先もその事を忘れずにいることで人間味を保つことができるということなのだろう。
そしてフセノはもうこの街ですべきことを完了させたのだろうか。
アスミに何も言わずに立ち去ることを決めたのは、何も言えないからということもあるが、彼の中ですべてが「終わった」からだろうか。
アスミへの想いは、恋ではなく罪滅ぼしだったことがはっきりしたのだろう。
アスミと一緒に住まなかったことが、やはり答えとしてはっきりわかったからだろう。
彼が出張と言って家を出た時から、もう一つ何かあると思ったが、やはりマー君が登場した。
空恐ろしい。
「成れの果て」
このタイトルが最後に傾いたのは実はアスミだったというのも面白かった。
この狭い町の底辺
決してそんな場所には落ちないと必死になって縁に掴まっている人々の姿が目に浮かぶようだ。
「私はまだマー君より全然上だから」
そう言ってメイクセットを取り出しメイクするアスミ
まさにお岩さん
この作品、ヒューマンドラマっぽく作ってあるホラーだと思った。
アベマにて視聴
とんでもない人たち
いやぁ、グロテスク。
こんなにも自己中心的な人ばかりが出てくる映画は久しぶり。人間の持つ醜悪さを詰め込んだような90分間。
まず、妹の気持ちに配慮しない姉。気を遣っている風に見えて自分の事しか考えていない。
その彼氏も同様にこの2人は何があろうと絶対に繋がってはいけない事を分かっているはずなのに、結局は自分の幸せを求める行動になっている。
居候する友人は分かりやすくクズだし、幼馴染の電気工事屋も同じく。みんな自分の為なら他人を犠牲にしても構わないという本音が露悪的に描かれている。
セカンドレイプという概念の無い世界線なの?と疑うくらいに配慮の無い人たち。みんな幸せを求めているけれど、そうなれない原因は自分にある。利己的に生きた人間の成れの果て。
と、偉そうに書いている自分にも、同じような部分が無いかと振り返ってしまう。
こんな風になってはダメだよという反面教師ばかり。
主人公の彼女だけは幸せになってほしいなぁと願うばかり…
舞台劇の映画化
脚本が良い、映画を見て気分が良くなりたい人には不向き
嫌な気分に浸りたいなら観てもいいかも
予告を見てなんだか嫌そうな作品だな、と却って興味を持ったので観てみたけれど、想像以上に嫌な作品だった。
田舎町に暮らす姉と、都会に出た妹。姉から結婚することになったと連絡があり祝福するが、その相手はかつて自分をレイプした男だった。
田舎町のことで、周囲の人間は皆そのことを知っており、かつその話で受けを取ったり盛り上がったりする醜悪な人間ばかり。妹は男と対峙し、男は姉の元を去る。かいつまむとそういうお話なんだけど、8人しかいない登場人物の誰にも感情移入ができない。そして最後に放たれるどす黒い瘴気のような感情の爆発が静止できないほどに酷い。
最初からそういう嫌な話だろうなと当たりをつけて観ているから、それはそれで見ていられるけれども、そうでなかったら相当きついのではないか。観てよかったとは思ったけれども、もう一度観たくはない。
あぶりだされてゆく。
レイプ事件の被害者、小夜。加害者、布施野。事もあろうに姉のあすみからその布施野と結婚するつもりだと連絡を受け、動揺と困惑と何もかも破壊してやりたいほどの憎しみを持って8年振りに疎遠になっていた実家へ帰省する小夜。
めちゃくちゃ狭いコミュニティの中で物語が進みます。田畑に囲まれた田舎町。あすみ一人で暮らすには広すぎる家。田舎特有の空気感が相まって更にどんよりした重たい雰囲気に包まれてゆきます。しかも不幸な事に登場人物がみんな自分勝手で胸焼けするほどタチが悪いです。事件を軽視する当事者達。面白おかしく茶化す外野。小夜の乱入でそれぞれの心の奥にある汚いものがあぶりだされてゆきます。醜悪で見るに堪えません。それなのに言葉の力が強くていつの間にか釘付けになっていました。
地味で物静かなあすみが化粧をする刹那。鏡に写し出されるその本性と向き合うのは他でもない自分自身。見事にタイトルが回収されるラストシーンは必見です。
凝縮された劇映画
ポスターは金髪に染めた主演女優の萩原みのりが強い目力でインパクトが強い。観てみると出てくる俳優は知らない人ばかりで(好演しているけれど)、地方が舞台でおそらく低予算、地味な印象を受ける。
もともとは10年以上前に話題になった劇をベースにしているというだけあって、90分程度の上映時間に無駄なく緊張感持った内容。主演の萩原みのり演じる小夜が東京から姉のいる実家に戻ったことで8年前のある事件が再び記憶を呼び起こす。小夜は有無を言わさぬ物言いで周囲の人物たちを追いつめかき回す。腫れ物のような存在であるがポスターそのままにインパクトが強い。姉も図書館に勤める堅実な女性だが、その姉が8年前の事件の加害者である男と婚約したことが物語の始まりで、一見して地味な彼女がその恐ろしい本性を顕わにするのがこの映画の真骨頂。その取り巻きたちも嫌らしい人間ばかりで救いのない閉鎖的な舞台。
でもおもしろいと思った。上映館数も少なくて埋もれてしまうのは惜しい。
この町の人々に思いやりという気持ちは無いようです
なかなかの熱演。
許されざる幸せ
姉の結婚、小夜は素直に喜べなかった。
何故なら相手は絶対に許せないあの男だったから。
小夜は久しぶりに帰郷し、忌まわしき過去と対峙する。
なんとも言えない映画だった。
小夜の過去に何があったのか?
事件については鑑賞以前から容易に想像出来るが、それだけで終わらないのがこの映画。
田舎の小さなコミュニティの中で“なんとなく”封じられてきた事件を、地元から追い出され幸せを奪われた小夜が、決して“なんとなく”では終わらせないと、関係者たちに思い出させ毒を流し込む。
前半は小夜の強い女性像に惹かれた。
彼女の強い憤りの籠った言葉の一つ一つには、論破や逆張りをしているかのような圧と絶対に揺るがないカッコ良さがあった。
ただし彼女の悲痛を美化してはいけない。
後半ではある程度張っていた予防線を壊し、復讐へと転じてしまう。やはり復讐は何も生まない。自分の復讐によって自分が傷つけられてしまう。
こういった場合の復讐的正義は罷り通るべきだと思うのだけど、なんとも切ない。
登場人物が本当に全員狂っている。
怒り、悲しみ、悪意、自衛。
終始ドロドロで重いテーマにも関わらず、そこまで引きずる重さではなかったが、やはり小夜の受けたことを考えると苦しく辛い。
それに対して、自分のことばかり考えて小夜を上手く利用するクズどもには、腹が立って仕方がない。
ただ、それだけ魅力的な演技だったということ。
作中では大嫌いだけど、役者はみんな良かった。
中でも萩原みのりさんは群を抜いて上手い。
流石、良い女優さんですわ。
また、カメラワークがなかなか凝っていて好きだった。
全く詳しくないので詳しいことはよく分からないが、やり過ぎとも言える構図や撮影方法は見ていてワクワクした。
また、化粧の扱い方も上手い。エイゴによる化粧を引き立たせるために、その前のシーンの化粧を落としてあるのには感心した。
清純そうな見た目でも〇〇○犯である。ふとした瞬間に化粧が剥がれ、本性が見える。
前半だけならば今年ベスト級だったが、ラストの展開の雑さが少し惜しい。
理解力が乏しいからかもしれないが、夫の出張〜まーくんの狂気〜姉の崩壊の流れが自分にはさっぱり。
結局小夜はどうなったの?あれは、どういう時系列での出来事なの?
妹主体としてやってきたことが、あそこで急に変わってしまったような気がした。
かなり非現実的ではあれど、このテーマはかなり現実的。どうか、この映画が“フィクション”であって欲しい。
そして、萩原さんには作品の中でも現実でも、是非幸せになって欲しい。
【化粧】
この作品、もっと注目されても良いように思う。
映画タイトル「成れの果て」の意味は、エンディングで明らかになる。
舞台がベースの物語の映画化と云うことだが、海外を中心に複数の賞を獲得してるだけあって、僕は、人物像…というか、人物の描き方を中心に見応えがある作品だと思った。
人物描写は、どちらかというとデフォルメされた感じで、舞台の良さが踏襲されているようにも思える。
この作品は、事件は題材のひとつであって、実は、事件そのものよりも、それによって明らかになる人の奥底に潜む醜さとか、嫉妬とか、身勝手さとか、そうしたものを考える作品なのではないのか。
(以下ネタバレ)
さて、ストーリーについては、途中、メイキャップ・アーティストの野本が、あすみに対して、化粧をしないで生きていくなんて辛いというようなことを言うのだが、どこか本音…というか、裏の顔をひた隠しにしている登場人物達と、実は、逆説的に重なっていると感じるようになる。
登場人物達が、いつ本音を曝(さらけ)け出すのか、曝け出した時に、人はどうなってしまうのか、或いは、その前には気が付かなかった溢れ出る感情や、奥底に潜む自分自身と向き合って、人はどうなってしまうのか。
ここにデフォルメされた登場人物達は、どこか僕たちに重なるところはないだろうか。
こうした作品では、観る側は、事件そのものをフォーカスしがちだと思うが、レイプも、そして、仮にレイプじゃなくても、人を傷つけることはあるだろう。
そんな時、ちゃんと向き合っているのか。
傍観して、責任逃れなどしていないか。
人の失敗につけ込んだりしていないか。
自分本位で他者を顧みないのではないのか。
嫉妬が募るばかりで、上手くいかないことを他人のせいにしていないか。
想像力の先に考えさせられることは多々あるように思う。
皆んな奥底に潜むどこか醜い自分自身を化粧して隠して生きているのだ。
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