スーパーノヴァのレビュー・感想・評価
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長きにわたって親交のある名優どうしだからこそ表現できたもの
ぱっと見、このタイトルからSFスペクタクルを想像してしまったが、本作はその真逆にある愛に満ちたヒューマンドラマだった。20年間連れ添ったパートナーどうしが繰り出す旅路。窓を過ぎゆく湖水地方の景色は息を呑むほど美しく、二人が交わす会話もウィットに富み、互いを思い合う温もりに溢れている。初めから不治の病をちらつかせるのではなく、会話の中でごくナチュラルにその要素を浮かび上がらせていく語り口も非常に巧みだ。その上、劇中で語られる”超新星”をめぐる逸話がとても神秘的な印象を刻む。曰く、かつて爆発した星たちがもたらした物質によって人間の体は生成されているのだと。この辺りから本作のタイトルが人の生命を象徴するものであることがわかってくる。そして運命の決断。タスカーは、パートナーの記憶の中で永遠に輝き続けることを選んだのだろう。観る側に様々な賛否を呼び起こす結末だが、その点も含めて深い余韻を残す作品だ。
愛するがゆえはワガママなのか尊重なのか
たまたまゲイカップルなだけで、男女だろうがなんだろうが通じるテーマだろうと思う。
果たして自分が着実に終わりへ向かって行ってるという時に、相手の負担になりたくない、相手の中での自分はできれば出会った頃、少なくとも醜い終盤であってほしくない。そう思うのも自然なことで。
逆に立場であれば、相手が辛い時こそ共に居たい、最期の瞬間まで支えたいと思うのも自然なことだ。
どちらも愛情が深いからこそ生じる想い。
ただ、これ、どちらも主張を続けるならば双方ともワガママともなるのかもしれない。結局は去る側の考えを優先することにまあなりますよね…。
残される側は辛い。宇宙規模のエネルギー衝撃で細胞レベルにまで浸透してこの先も一緒だと、そう思っても、胸の内にしかいないのだから。
タイトルなし(ネタバレ)
積まれた石垣や湖水、建物、美しいロードムービーとして楽しめる。
認知症の描写はほぼ無い上に病人は苦しみはスルーすると既に決めてしまっているので全体に薄味で、映画として引っ掛かる所はなかった。
久しぶりの演奏会直前なのに緊迫感無いね…と思っていたらボタンを外したままのカジュアルスタイルでの演奏。悲嘆を胸に奏でるのだから襟元は留めておいた方が良いような。あまりにも甘やかな選曲にも納得できず。
まだ幼い義理の姪に「星は命を終える時爆発する。粉々に吹き飛んだ星の欠片は宇宙を旅し、辿り着いた先で姿を変え新しい命として生きる。君の耳も星のかけらだよ」と教えるシーンは良かった。彼女は今はまだ幼くてわからない。でも何年か何十年か生きた後に理解するだろう。
ゲイカップルなのでDNAを分けた子供は作れないけれど、自分を構成する元素を音楽や言葉の形で託し、未来へ運んでもらう事はできる。
すっかりおばあさんになった姪が耳に手をやりながら、(私が少女だった頃側でチカチカと光を送ってきた星がいたな)と思い出して微笑む一瞬もあるかもしれない。
オジサンズ・ラブ
ピアニストのサムと作家のタスカーは20年来の友と言うか同性愛カップル、愛犬ルビーを乗せてイギリスの田園地帯をキャンピングカーで旅します。病を抱えるタスカーはこれがサムとの別れを決意する最後の旅と考えているようです。
二人とも夜空の星を見るのが好き、スーパーノヴァと言うのは超新星、劇中でタスカーは子供に、年老いた星が爆発し散り散りになった元素、地球も私たちもその星のかけらでできていると語っていました。老人の物語なので最後は超新星のように光り輝いて終わるのかと思ったら、相変わらず、死ぬまで一緒と抱き合う二人。終盤になってようやくサムのピアノ演奏、エルガーの愛の挨拶(Salut d'amour)でした。
片時も離れたくない、絶対に
好きな俳優二人共演という事で楽しみにしていたが、うーん今一つかな?
男二人キャンピングカーに乗って旅行中、イングランドの情緒ある風景が映しだされるが二人の間には重い空気が漂う。段々と二人の置かれている状況が分かってくるが、直接的に話をするわけでは無いのでこちらが推測するだけだが、作家はアルツハイマーの様な進行性認知機能障害に陥り自殺を考えている模様。ピアニストはその恋人を最後まで看取ると決心した所でその事実を知り戸惑う。作家の難しい態度になんだ?だったがそういう病気で気難しくもなる訳だ。それでも温かく見守り理解してくれる家族があり二人の支えとなっていたと思う。
どうしても自分に置き換えて考えてしまうが、自分の愛する人の負担になるなら死を選んでしまうのは分からないでも無い。しかし実際最近身近に40代半ばでその様な道を辿った人がいて、本当にそれは家族が居た堪れない気がした。もうちょっと何か足りない気がした。
愛することは寂しいこと
最初から最後まで愛に溢れていて、最初から最後までずっと寂しかった。
終始ティッシュが手放せない状態でしたが、ちょっとひねくれてるタスカーが目に涙を浮かべてるところにグッと来たかな。向き合ってお互いの気持ちを吐露し合うところも。
長年連れ添っているだけあって、お互いみなまで言わずともわかってしまう部分も多いだけに、直接話すことでそれが現実味を帯びていくのは少し怖いくらいでした。
ラストをどう読み取るのか……という感じですが、サムがピアノを弾いているのがリサイタルなのかどうか判断がつかない部分や、ラストとは反対にオープニングでの映像、そして「スーパーノヴァ」というタイトルから考えれば、二人が下した決断は理解できるのではないでしょうか。
それも観た人次第だと思いますが……
【”ずっと一緒だ”と彼は言った。人はいつか必ず、地に戻り星になる。けれども、その時に愛した人が傍に居てくれたら、これ以上の幸せは無いと思った作品。観る側に深い余韻を残す、哀しくも美しき作品でもある。】
ー ピアニストのサム(コリン・ファース)と作家のタスカー(スタンリー・トゥッチ)は、ユーモアと文化をこよなく愛する20年来のパートナー。
だが、タスカーが抱えた病が、かけがえのない2人の思い出と、添い遂げるはずの未来を消し去ろうとしていた。
大切な愛のため、それぞれが決めた覚悟とは…。(フライヤーより)ー
◆感想
・フライヤーを読むと、コリン・ファースとスタンリー・トゥッチは、20年来の友だそうである。
ピアニストのサムと作家のタスカーが、キャンピングカーで旅に出た際の社内でのユニークで楽しそうな遣り取りからは実際に友人である事が、何となく伺える。
- 名優二人の最初は楽し気な、そして終盤に向けて哀しみ溢れる様に変化する二人の演技が、素晴らしい。-
・タスカーが抱えた病(認知症)が徐々に進行していく様が、ワンショットで描かれる。
それに気づくサムだが、彼は敢えてそれに触れない。
- サムが社内で見つけた“ペントバルビタール経口液”の瓶。鎮静睡眠剤だが、過剰摂取すると死に至るクスリである。あの量は、充分に致死量を越えている。驚きと悲しみの表情を浮かべるサム。
更に、別のシーンでは、サムは作家のタスカーの草稿を盗み読む。最初は整然と書かれていた文章が徐々に乱れて行き、最後は単語になっている草稿を読んだ時のサムの哀し気な表情。そして、サム、サム、サムと綴られた紙を見つめるサムの表情。ー
・サムの姉の家に寄ったサムとタスカー。サムの姉の家族から歓待され、翌日はサプライズパーティが行われるシーン。
タスカーが書いたスピーチ。彼が病ゆえに読めなくなり、サムが変わって原稿を読む。そこに掛かれていたタスカ―が皆への感謝を伝える言葉。そして、サムへの深い感謝の言葉。
- 外に出て、美しい星空を見上げながらタスカ―がサムの姉の娘に語り掛ける言葉。
”星は死ぬ前に、最も光るんだよ・・”-
<イギリスの湖水地方の美しき風景も趣を与える作品。
ラスト、新居のベッドで寝ているタスカー。階下から聞こえて来るピアノ曲。
階段の手すりを掴みながら降りていくタスカーが見たピアノを奏でる、サムの姿。
木製の机の上にある木箱がクローズアップされる・・。
そして、画は暗転し、盛装したサムがピアノを独り弾くシーンが描かれ、終幕する。
観る側に余韻を残す、哀しくも美しき作品である。>
パートナーを襲った予期せぬ病(超新星爆発)が二人の関係に新しい光(超新星=supernova)を灯らせる愛の物語。幾つになっても新しい星は輝くのだ。
①コリン・ファースは『シングルマン』で、パートナーを突然失くした中年のゲイの喪失感・絶望感とそこからの蘇生を見事に演じ上げて見せた。本作では認知症を発症した長年のパートナーに最後まで寄り添いたいと願いつつ本当にやり遂げられるのか自信を持てない葛藤を内に秘めたまま(もしかしたら最後になるかも知れない)二人だけの旅に出た初老のゲイの苦悩をほぼ内面演技だけで表現する。接写(流石に老けてきた。私と同い年だが、やはり西洋人は老けるのが早いのか)が多いが目の表情、顔の表情のみで内面の感情が手に取るように伝わってくる。②スタンリー・トィッチのスターキーも難役だ。いずれ近いうちに自分のことは勿論愛するサムの顔も名前も忘れてしまうことになる恐怖を抱えながら軽口を叩き明るく振る舞う。しかし心の奥では、自分がまだ自分であるうちに、サムに変わり果てた自分を見せる前に、この旅の間に全てを終わりにしようと、命を断つことを密かに考えている。③相手を愛するがゆえにすれ違う二人のやがてくる未来への選択の違い。そして長い付き合いだからこそ二人とも相手の考えは口には出さずとも察している。サムの姉の家でのパーティーの間にスターキーが考えていたことの確たる証拠を見つけてしまったサム。翌日二人は初めてお互いの考え・想い・選択をぶつけ合い大喧嘩する(超新星爆発だ)。④
スーパーノヴァ
2人の主人公の演技が自然でいいですね、
出来れば部屋で生活してる所からの映像で
キャンピングカーで出かける
そうして欲しかったです、編集と音楽
音楽は2人の思い出の音楽を
もっと流して欲しかったです、
最後は自分なりの解釈なんですが
亡くなった後
月日が流れて
コンサートを開いてる様に
ピアノを弾いている顔から
懐かしんで、あの頃を回想して
微笑んでいるように見えました、
テーマを重くさせないように
亡くなる部分を見せないで
コンサートでの終わり方に
頑固さと、賢さと、亡くなった方の
思いが表現されてるのかなと
思いました。
沢山泣く用意をして行きましたが
そんなには、泣けなかったです。
スッキリせず
まさかあんなエンディングだとは。意味が理解できず、どうなったのかが消化不良。どっちだったのだろう?それまで、切なさにしみじみとしながら観てきたのに。各人、自分なりの解釈で、というのはやめて欲しい。死んじゃったのだと解釈することにするけど。
ところで、あれがコリン・ファースだとは最後まで思わなかった。年齢のせいなのか、ヒゲのせいなのか。
相手のことを思いやる方法は人それぞれ。
軽度の認知症を患う作家のタスカ―とピアニストのサムの熟年ゲイカップルの話。
旅行中にタスカ―が認知症を患い周りやサムに迷惑がかかることを心配し、尊厳死(自死)を選ぼうとするが、それに気づいたサムが一緒に生きていきたいと人生を見直す作品。
これはゲイカップルであるが、どの夫婦・カップルにもあり得る光景である。認知症になると、本人も介護する側も大変である。どんな選択をするかはそれぞれであるにしても、ともに生きていける最善の選択をしていきたい。
大自然のシーンが多いので雄大な自然がその葛藤するカップルを包み込む。
答えはないけれど
この物語は、観るこちら側の「認知症患者への介護経験の有無」で感想が大きく変わる作品だろう。たとえ病状が進行しても、すべては忘れない、忘れることはできない。想像を絶する生命の波紋に共に揺るがされる激動の日々を経て、そしてそれがいつか穏やかな慈しみの時間へと変わる。死はその終着点。私の経験ではそんな想いに至った。
コンサートを終えてサムがあの家に帰ると、何気ない顔をしたタスカーが「おかえり」と微笑む。幾度となくあったこれまでの様に夕飯の準備をしながら、でも少しばかりの失敗もしながら(例えばシチューの塩味が強過ぎたり?)。
昨日の続きの今日にはいろんな今日がある。すっかり病人になってしまったかと思う日もあれば、まったくもって真っ当な意見でこちらに注意勧告してくる頼もしい日だってある。決して世界のすべてが変わってしまう訳ではない、いつだって昨日の続きの今日なのだ。病気であろうとなんであろうとそれは決して変わらない。
サムとタスカーの思い出を巡る旅は終わっても、ふたりの生きる日々はこれからも続いてゆくだろう。いろんな今日を越えて、まだ見ぬ明日を夢見つつ、今夜も狭いベッドの中でふたりは眠る。今までにない新しい素敵と決意と覚悟を抱えながら、いつかたどり着くその先の終着点まで。
と、そんなエピローグだったらいいなあ、なんて思ったり。その答えは観る人それぞれ、ですね。
辛い
これは恋人ではなくても、介護している親にも当てはまる映画。だんだん何もかも忘れて、世話をしてくれる人が誰なのかも分からなくなる。まさに実母の介護がそうだった。でも死ぬまで介護はやめられなかったし、彼のように自分で選択する意思すらなかった。彼の小説のネタ帳の文字がだんだん意味不明になっていくシーンが特に泣けた。
普通
普通な作品
それ以上でもそれ以下でもない
良くなるチャンスはいくつかあったと思う
例えばイギリスの湖水地方(?)の風景の美しさとか
印象的な音楽を使って場面を盛り上げるとか
なんかそうゆうのがなかったかな
悪くはないんだけど月並みで良くもない印象
まぁ、ドラマを盛り上げる為には他の要素が邪魔になる時もあるだろうから
別になくてもいいんだけど
それにしては今度は話が弱い
今時ゲイカップルなんて珍しくもないので特に意識せずただカップルとだけ思ってた
男女でもあるようなすれ違い、やってくる離別に対して打つ手がない様子など
演技もよく、話が盛り上がっていくのだが
結果を出さない感じだったね
それはいいんだけど一回仕切り直してまで入れる必要のあるピアノだったかな?
何て言うか、もうひと山来ないとちょっと月並みで終わってしまうよね
ま、それも悪くはないんだけど
俺は何か新しいものを付け加えて欲しかったかな
個人的には最後の旅行としてもっと旅で引っ張っても良かったんじゃないか?
って思ったな
ロードムービー好きだからかも知れないけどw
前半観てどこかに旅行行きたくなっちゃった
結果的にはそんな感情を呼び起こしてくれた作品でした
結末
コリン・ファースの映画を観るのは「英国王のスピーチ」以来と思っていたら、「1917」にも出ていたのね。
さて、この映画の結末は、自分はコンサート会場にタスカーがいるものと思っており、一緒に観ていた妻は、自殺を許したのだろうという解釈。
いずれにしても、アルツハイマーという、自分にもおそってくるかもしれない病で、考えさせられました。良作。
君が僕を知ってる
芸術家同士(音楽家と作家)の中年のゲイカップル。作家のタスカーがアルツハイマー病となり、近い将来サムに迷惑をかけることや自分の哀れな姿を最愛の人に晒すこと案じていた。サムは薬で進行を抑えながら、最後の時までパートナーを支える心づもりでいる。二人の出会いの場でもあった湖水地方にキヤンピングカーで出かける。サムの演奏会の予定にあわせ、サムの姉夫婦の家に寄るなど、時間の余裕を持って出掛けた二人旅。旅の計画はタスカーが立て、運転はサム。
天文観測は二人の趣味。望遠鏡を出して新しい星を発見したいというサム。タスカーはサムの姪っ娘に恒星の最後の話をする。星のかけらはめぐりめぐって人の身体の一部になると。
映画の冒頭、星座(オリオン座?)と明るい大きな恒星が現れ、次第に無数の星が満天の空を埋め尽くすと、明るい大きな恒星はいつの間にか消えていた。
旅の出だしはドノヴァンやデヴィッドボウイの挿入曲にきれいな景色や森林のシーンで、大自然でのキャンプを二人で楽しむノリだったけど。コリン・ファースとスタンリー・トゥッチによるヒューマンドラマ。
最後はタスカーが好きだけど、なかなかサムは演奏してくれないと言ったクラシック曲をグランドピアノで演奏するサムの映像で終わる。うーん、どっちにしても、残される方がつらいのは確か。遺書がわりの録音テープを聞くのが早いか遅いかは問題ではない。でも、安楽死のための麻酔薬(バルビツール系)のバイアルを見てしまったら、ショックだね。
でも、このおじさんカップルはお互いをよく知り尽くしているので、ウソをついてもすぐわかるし、どんなことを考えるかも大体わかってしまうのが、つらいけど、何十年一緒に暮らしても肝腎のことはわかってない夫婦よりずっとしあわせなんじゃないだろうかとおもった。
決意の重み
20年来のパートナーであるピアニストのサムと作家のタスカー
タスカーは若年性認知症を患い、日常にもその影響を濃くし始めている
キャンピングカーでイギリスのハイランドを目指しながら、サムの家族や友人たちに会いつつ旅するふたり
愛するが故のそれぞれの想いが物語を紡いでいく
物語自体は淡々と進んでいくが、2人の俳優が見事に色を付けていく
ただ、LGBTQで描くことの意味は特に感じられなかった
異性愛者でも同性愛者でもこの物語の本質が大きく変わるようには思えなかったから
でも、この2人、と考えるとこの設定にも意味があるのかもしれない
自らのこの先を知り、自らを失っていくことに耐えられないと思うタスカーの決断
自分を分からなくなっても、支えていきたいと思うサムの決断
2人の想いは変わったわけではないのに、お互いを想っているのに、タスカーの病が2人を引き裂いてしまう
逝かせるのも愛なのだろうと思う
でもその時が来たら、それを受け入れるのは決して容易なことではない
そして、自分が自分でいられるうちに、自分で決められるうちに、自分で動けるうちに、そう願うかもしれない
たとえ愛する人を深く哀しませることになろうとも
2人の激しい衝突の翌朝
サムの一言、その決断が重く響く
let me go with you(字幕は「ずっと一緒だ」だったかな)
熟年夫婦
の様な二人が、片方の認知症悪化を目の前にしてお互いを思いやり、悩む。思い出を辿り、懐かしい人達に会って、思い出を残そうとする。最後は認知症を患ったタスカーが、自殺をする事を考えるが、もうサムに知られてしまう。最後に二人は…。
タイトルなし(ネタバレ)
スーパーノヴァとは、恒星の死による大規模爆発現象のことで、以前、SF映画でも同タイトルの映画がありましたね。
ピアニストのサム(コリン・ファース)と作家のタスカー(スタンリー・トゥッチ)は20年来のパートナー。
しかし、タスカーが認知症を患って執筆から遠ざかり、サムも演奏活動から遠ざかっていた。
そんなある日、サムのもとに演奏依頼が届く。
場所は、サムの実家の近く。
いい機会だからと、ふたりはキャンピングカーで旅に出ることにした・・・
といったところからはじまる物語で、ダブルベッドで眠っていたふたりの画から始まり、映画はすぐにキャンピングカーの運転席と助手席へと移ります。
ふたりの職業、タスカーの認知症、久々の演奏依頼、サムの実家への立ち寄りなどの事情は、道中でふたりの言葉や態度で少しずつ明かされることになります。
この道中芝居がややまだるっこしく感じられるかもしれません。
途中立ち寄ったダイナーでみせるタスカーのちょっとお茶目で意地悪な言動(ふたりを知らないウエイトレスに対して「(サムを指して)彼のファンで、声をかけづらいなら、僕からサインを頼んであげようか」という)のようなコミカルなシーンがもう少しあれば良かったのですが・・・
サムの実家への立ち寄りは、タスカーがサムの姉とかねてから計画していたもの。
サムの姉が実家を処分するので、その「さよならパーティ」。
サムには知らされておらず、びっくりパーティでもあります。
サムが少年時代に寝た狭いベッドで、ふたりが狭苦しく寝るあたり、もう少しコミカルでもよかったかも。
その後、サムはタスカーの秘密の計画を知ります。
うーむ、やっぱり、話はそっちの方に流れていくのか・・・
なにせ、タイトルがタイトルだけに、死については意識せざるを得ません。
新しく購入した森の中の別荘で、サムとタスカーがお互いの心情を吐露するのが映画のクライマックス。
ふたりの想い、切ない・・・
映画は、決着地点をあいまいに観客に委ねたまま、久しぶりに弾くサムのピアノの切ない旋律を残して終わりますが(曲は、エルガーの「愛の挨拶」)、エンドクレジットで確認すると、このピアノ、コリン・ファースが実際に弾いているのですね。
英国の地方ロケも美しく、名優ふたりの演技も見どころがあるのですが、映画としては少し食い足りない感じがしました。
短編小説か、舞台劇で観る方がいいような感じでした。
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