スーパーノヴァのレビュー・感想・評価
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君が僕を知ってる
芸術家同士(音楽家と作家)の中年のゲイカップル。作家のタスカーがアルツハイマー病となり、近い将来サムに迷惑をかけることや自分の哀れな姿を最愛の人に晒すこと案じていた。サムは薬で進行を抑えながら、最後の時までパートナーを支える心づもりでいる。二人の出会いの場でもあった湖水地方にキヤンピングカーで出かける。サムの演奏会の予定にあわせ、サムの姉夫婦の家に寄るなど、時間の余裕を持って出掛けた二人旅。旅の計画はタスカーが立て、運転はサム。
天文観測は二人の趣味。望遠鏡を出して新しい星を発見したいというサム。タスカーはサムの姪っ娘に恒星の最後の話をする。星のかけらはめぐりめぐって人の身体の一部になると。
映画の冒頭、星座(オリオン座?)と明るい大きな恒星が現れ、次第に無数の星が満天の空を埋め尽くすと、明るい大きな恒星はいつの間にか消えていた。
旅の出だしはドノヴァンやデヴィッドボウイの挿入曲にきれいな景色や森林のシーンで、大自然でのキャンプを二人で楽しむノリだったけど。コリン・ファースとスタンリー・トゥッチによるヒューマンドラマ。
最後はタスカーが好きだけど、なかなかサムは演奏してくれないと言ったクラシック曲をグランドピアノで演奏するサムの映像で終わる。うーん、どっちにしても、残される方がつらいのは確か。遺書がわりの録音テープを聞くのが早いか遅いかは問題ではない。でも、安楽死のための麻酔薬(バルビツール系)のバイアルを見てしまったら、ショックだね。
でも、このおじさんカップルはお互いをよく知り尽くしているので、ウソをついてもすぐわかるし、どんなことを考えるかも大体わかってしまうのが、つらいけど、何十年一緒に暮らしても肝腎のことはわかってない夫婦よりずっとしあわせなんじゃないだろうかとおもった。
決意の重み
20年来のパートナーであるピアニストのサムと作家のタスカー
タスカーは若年性認知症を患い、日常にもその影響を濃くし始めている
キャンピングカーでイギリスのハイランドを目指しながら、サムの家族や友人たちに会いつつ旅するふたり
愛するが故のそれぞれの想いが物語を紡いでいく
物語自体は淡々と進んでいくが、2人の俳優が見事に色を付けていく
ただ、LGBTQで描くことの意味は特に感じられなかった
異性愛者でも同性愛者でもこの物語の本質が大きく変わるようには思えなかったから
でも、この2人、と考えるとこの設定にも意味があるのかもしれない
自らのこの先を知り、自らを失っていくことに耐えられないと思うタスカーの決断
自分を分からなくなっても、支えていきたいと思うサムの決断
2人の想いは変わったわけではないのに、お互いを想っているのに、タスカーの病が2人を引き裂いてしまう
逝かせるのも愛なのだろうと思う
でもその時が来たら、それを受け入れるのは決して容易なことではない
そして、自分が自分でいられるうちに、自分で決められるうちに、自分で動けるうちに、そう願うかもしれない
たとえ愛する人を深く哀しませることになろうとも
2人の激しい衝突の翌朝
サムの一言、その決断が重く響く
let me go with you(字幕は「ずっと一緒だ」だったかな)
熟年夫婦
の様な二人が、片方の認知症悪化を目の前にしてお互いを思いやり、悩む。思い出を辿り、懐かしい人達に会って、思い出を残そうとする。最後は認知症を患ったタスカーが、自殺をする事を考えるが、もうサムに知られてしまう。最後に二人は…。
タイトルなし(ネタバレ)
スーパーノヴァとは、恒星の死による大規模爆発現象のことで、以前、SF映画でも同タイトルの映画がありましたね。
ピアニストのサム(コリン・ファース)と作家のタスカー(スタンリー・トゥッチ)は20年来のパートナー。
しかし、タスカーが認知症を患って執筆から遠ざかり、サムも演奏活動から遠ざかっていた。
そんなある日、サムのもとに演奏依頼が届く。
場所は、サムの実家の近く。
いい機会だからと、ふたりはキャンピングカーで旅に出ることにした・・・
といったところからはじまる物語で、ダブルベッドで眠っていたふたりの画から始まり、映画はすぐにキャンピングカーの運転席と助手席へと移ります。
ふたりの職業、タスカーの認知症、久々の演奏依頼、サムの実家への立ち寄りなどの事情は、道中でふたりの言葉や態度で少しずつ明かされることになります。
この道中芝居がややまだるっこしく感じられるかもしれません。
途中立ち寄ったダイナーでみせるタスカーのちょっとお茶目で意地悪な言動(ふたりを知らないウエイトレスに対して「(サムを指して)彼のファンで、声をかけづらいなら、僕からサインを頼んであげようか」という)のようなコミカルなシーンがもう少しあれば良かったのですが・・・
サムの実家への立ち寄りは、タスカーがサムの姉とかねてから計画していたもの。
サムの姉が実家を処分するので、その「さよならパーティ」。
サムには知らされておらず、びっくりパーティでもあります。
サムが少年時代に寝た狭いベッドで、ふたりが狭苦しく寝るあたり、もう少しコミカルでもよかったかも。
その後、サムはタスカーの秘密の計画を知ります。
うーむ、やっぱり、話はそっちの方に流れていくのか・・・
なにせ、タイトルがタイトルだけに、死については意識せざるを得ません。
新しく購入した森の中の別荘で、サムとタスカーがお互いの心情を吐露するのが映画のクライマックス。
ふたりの想い、切ない・・・
映画は、決着地点をあいまいに観客に委ねたまま、久しぶりに弾くサムのピアノの切ない旋律を残して終わりますが(曲は、エルガーの「愛の挨拶」)、エンドクレジットで確認すると、このピアノ、コリン・ファースが実際に弾いているのですね。
英国の地方ロケも美しく、名優ふたりの演技も見どころがあるのですが、映画としては少し食い足りない感じがしました。
短編小説か、舞台劇で観る方がいいような感じでした。
うーーん… 物足りなかった
愛するがゆえはワガママなのか尊重なのか
たまたまゲイカップルなだけで、男女だろうがなんだろうが通じるテーマだろうと思う。
果たして自分が着実に終わりへ向かって行ってるという時に、相手の負担になりたくない、相手の中での自分はできれば出会った頃、少なくとも醜い終盤であってほしくない。そう思うのも自然なことで。
逆に立場であれば、相手が辛い時こそ共に居たい、最期の瞬間まで支えたいと思うのも自然なことだ。
どちらも愛情が深いからこそ生じる想い。
ただ、これ、どちらも主張を続けるならば双方ともワガママともなるのかもしれない。結局は去る側の考えを優先することにまあなりますよね…。
残される側は辛い。宇宙規模のエネルギー衝撃で細胞レベルにまで浸透してこの先も一緒だと、そう思っても、胸の内にしかいないのだから。
どう最後を迎えるか。
老ゲイカップルの別れを切々と!
名優2人の演技を堪能する映画です。
長年(20年)のゲイカップル。
作家のタスカー(スタンリー・トウッチ=実年齢52歳)
パートナーでピアニストのサム(コリン・ファース=実年齢61歳)
2人は大きなキャンピングカーで旅しています。
イギリス北部のハイランドを北上して湖水地方へ。
木立、丘陵の木漏れ日。
湖水へ向かう一本道は、目を見張るほどに美しい。
途中で茶色の中型犬ルビーと散歩に出て、行方不明になるタッカー。
なにか変です。
血相を変えるサムも少し変です。
サムの実家へ寄る。
そこにはタスカーの企画した懐かしい知人たちとのパーティー。
(タスカーはこのパーティーを自らの「お別れの会」と決めているのです。)
(そっとお別れしようと決めているのです。)
しかし、サムはタスカーの決意に気付いてしまいます。
サムの絶望!!悲哀!!
実はこの映画で私が一番に感動したのは、
ラストでピアニストのサムが弾くエルガー作曲の
「愛の挨拶」でした。
本当に美しい演奏(編曲)でした。
(この曲は本来ヴァイオリンの独奏曲です)
ピアノの編曲で聴いたのは初めてですが、サムの万感が込められていた。
きっとサムのタスカーへの想い。
タスカーは崇高な美しさに満ちたかけがえない存在・・・
サムにとってタスカーの代わりはいないのですね。
監督は敢えてタスカーの認知症の進行を具体的には描きませんでした。
(正直言って物足りないです。)
普通に歩ける。
普通に会話出来る。
(皮肉も冗談も言える)
けれど彼の創作ノートを見ました。
細かく精緻に書き込まれていたノートの終わりは、ミミズの這ったようなくねった線・・・
そして千切れたページ。余白・・・。
そのページが痛ましい!
タッカーの絶望感が迫るシーンでした。
サムにとってのスーパーノヴァ(超新星)は、タスカー。
永遠に彼に照らしてほしい。
彼に生きていてほしい!!
彼のいない世界は闇。
この映画は結論ではありません。
2人の人生のロードムービー。
道順を変えながら、立ち止まりながら、
旅を続ける・・・。
行けるところまで、行く・・・。
いつの日か、初めて会ったように、「挨拶」するでしょうか?
誰にも分からないのです。
人生の最後のページは!
相手のことを思いやる方法は人それぞれ。
軽度の認知症を患う作家のタスカ―とピアニストのサムの熟年ゲイカップルの話。
旅行中にタスカ―が認知症を患い周りやサムに迷惑がかかることを心配し、尊厳死(自死)を選ぼうとするが、それに気づいたサムが一緒に生きていきたいと人生を見直す作品。
これはゲイカップルであるが、どの夫婦・カップルにもあり得る光景である。認知症になると、本人も介護する側も大変である。どんな選択をするかはそれぞれであるにしても、ともに生きていける最善の選択をしていきたい。
大自然のシーンが多いので雄大な自然がその葛藤するカップルを包み込む。
結末
コリン・ファースの映画を観るのは「英国王のスピーチ」以来と思っていたら、「1917」にも出ていたのね。
さて、この映画の結末は、自分はコンサート会場にタスカーがいるものと思っており、一緒に観ていた妻は、自殺を許したのだろうという解釈。
いずれにしても、アルツハイマーという、自分にもおそってくるかもしれない病で、考えさせられました。良作。
人生のしまい方
ロードムービーのスタイルで、パートナーとの繋がりを深めていくスタイル。
セリフのニュアンス・表情・仕草などから、会話に潜む裏の意味を読みとっていく必要があり、観客にとっては少々ハードルの高い作り。
ゲイについては自然なこととして、誰も咎めない姿勢が貫かれていてよかった。
つまりこれは性別に関係ない、パートナーとの人生のしまい方の話だ。
相手を思う故に、片や病気が進行して意識あるうちに自死を選びたがり、片や意識のない生ける屍となったパートナーを死ぬまで面倒みるという決意を選ぶと主張する。
映画の中に、どちらが正しいという答えはなく。
何を選んでも愛なのだというメッセージが詰まっていた。
タイトルは、身や心が塵になっても、「超新星(スーパーノヴァ)」のように、最後の瞬間に輝きを放つ鮮烈な愛のある生き様(死に様)でいたい、という意味なのだろう。と思った。
ロケ地、音楽、名演技
泣き虫サムは赤ワイン、ユーモア好きのタスカーは白ワイン。愛し合う二人は譲らない
上は無限の星空、下は美しい木々に囲まれ川と湖が繋がる(奥入瀬渓流から十和田湖に急に視界が広がる風景のようだった)広々とした野原に抱かれた湖水地方。その上と下の間に沢山の人間達。サムとタスカー、二人を囲む家族と友人。時間は有限なのか?星空のもとでは有限も無限もないのか?
痛みの苦しさ、愛する相手と自分を徐々に忘却していく恐怖。私は両方とも怖い。忘れる側のタスカーがサムを思い決断しようとする気持ちが優しくも矜持あるタスカーらしかった。タスカー演じるスタンカー・トゥッチはダスティン・ホフマンのような雰囲気で素晴らしい演技だった。サム役はコリン・ファース以外には考えられない。立場が逆転して駄々をこねるかのようなサムは、タスカーが大好きな曲を演奏会で晴れ晴れと愛を込めて弾いた。タスカーは客席で聴いていたにちがいない。
20年傍にいたからこその2人の考え
自分が認知症になったら?
パートナーが認知症になったら?
と。
ゆっくりと流れる時間のなかで、
2人の気持ちが痛いほど感じられた。
ラスト、見た人に委ねられた気がするけど、
自分は、やはりサムはまだ乗り越えられてなく、
でも忘れないで欲しいという言葉を
守ってるようにも見えた。
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