スーパーノヴァのレビュー・感想・評価
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【失って悲しいと思うもの】
上映館は多くないみたいだけど、多くの人に観てほしいと思った。
「失って悲しいと思うものは、良いものということ」
もし、それさえも忘れてしまうのであれば、もっと悲しいだろう。
忘れることも、忘れられることも、怖いし、そして悲しいのだ。
この作品は、こうした状況を巡る、サムとタスカのやり取りが切なく、しかし、とても暖かい。
エンディングでサムが弾く「愛の挨拶」は、エルガーが妻に送った曲だ。
イギリスが舞台の作品であることもあって、エルガーがチョイスされたと思うが、エルガーと妻が、階級(エルガーが庶民)、宗教(カトリックとプロテスタント)、年齢(エルガーが相当年下)を乗り越えて結ばれたことも、サムとタスカに重なるところがあるのだと感じる。
ただ、この作品には、こうしたノン・バイナリーについてあれこれ考えるところは、ほとんどない。
2人の愛し、信頼し合う関係が、あまりにも自然に感じられるからだ。
記憶が無くなっていくというストーリーが、そうさせていると考える人もいると思う。
しかし、僕は、コリン・ファースとスタンリー・トゥッチの演技が、僕達を終始2人の心の揺らぎに釘付けにし、他の考えを寄せ付けないようしているのだと思う。
認知症という物語の背景はありつつも、ジェンダー云々のカテゴリーを超えた、人が人を愛するというところにフォーカスし、葛藤を深く表現した秀作だと思う。
コリン・ファレルが顔も含め全く違う感じで、さすが役者。二人の過去は...
スーパーノヴァ
2人の主人公の演技が自然でいいですね、
出来れば部屋で生活してる所からの映像で
キャンピングカーで出かける
そうして欲しかったです、編集と音楽
音楽は2人の思い出の音楽を
もっと流して欲しかったです、
最後は自分なりの解釈なんですが
亡くなった後
月日が流れて
コンサートを開いてる様に
ピアノを弾いている顔から
懐かしんで、あの頃を回想して
微笑んでいるように見えました、
テーマを重くさせないように
亡くなる部分を見せないで
コンサートでの終わり方に
頑固さと、賢さと、亡くなった方の
思いが表現されてるのかなと
思いました。
沢山泣く用意をして行きましたが
そんなには、泣けなかったです。
切ないけれど
泣き虫サムは赤ワイン、ユーモア好きのタスカーは白ワイン。愛し合う二人は譲らない
上は無限の星空、下は美しい木々に囲まれ川と湖が繋がる(奥入瀬渓流から十和田湖に急に視界が広がる風景のようだった)広々とした野原に抱かれた湖水地方。その上と下の間に沢山の人間達。サムとタスカー、二人を囲む家族と友人。時間は有限なのか?星空のもとでは有限も無限もないのか?
痛みの苦しさ、愛する相手と自分を徐々に忘却していく恐怖。私は両方とも怖い。忘れる側のタスカーがサムを思い決断しようとする気持ちが優しくも矜持あるタスカーらしかった。タスカー演じるスタンカー・トゥッチはダスティン・ホフマンのような雰囲気で素晴らしい演技だった。サム役はコリン・ファース以外には考えられない。立場が逆転して駄々をこねるかのようなサムは、タスカーが大好きな曲を演奏会で晴れ晴れと愛を込めて弾いた。タスカーは客席で聴いていたにちがいない。
20年傍にいたからこその2人の考え
自分が認知症になったら?
パートナーが認知症になったら?
と。
ゆっくりと流れる時間のなかで、
2人の気持ちが痛いほど感じられた。
ラスト、見た人に委ねられた気がするけど、
自分は、やはりサムはまだ乗り越えられてなく、
でも忘れないで欲しいという言葉を
守ってるようにも見えた。
愛することは寂しいこと
最初から最後まで愛に溢れていて、最初から最後までずっと寂しかった。
終始ティッシュが手放せない状態でしたが、ちょっとひねくれてるタスカーが目に涙を浮かべてるところにグッと来たかな。向き合ってお互いの気持ちを吐露し合うところも。
長年連れ添っているだけあって、お互いみなまで言わずともわかってしまう部分も多いだけに、直接話すことでそれが現実味を帯びていくのは少し怖いくらいでした。
ラストをどう読み取るのか……という感じですが、サムがピアノを弾いているのがリサイタルなのかどうか判断がつかない部分や、ラストとは反対にオープニングでの映像、そして「スーパーノヴァ」というタイトルから考えれば、二人が下した決断は理解できるのではないでしょうか。
それも観た人次第だと思いますが……
なぜこのタイトルを付けたのか。
《天文》超新星◆新星(nova)より大規模な激変星。大質量の恒星が一生の最後に一気に収縮して大爆発を起こす<中略>放出されるエネルギーはすさまじく、太陽が一生の間に放出するエネルギーに匹敵するとされる。また超新星爆発によって水素より重い元素が作られ、宇宙に放出される。
発音sùːpərnóuvə、カナ スーパーノウヴァ、分節super・no・va
だそうです。劇中でタスカ―が女の子にお話しするシーン。秀逸です。
冒頭の暗転から、静かなピアノの単音にストリングスが重なり、ほんの小さな白い点が表れる。
その白い点が少しずつ増えていき、天体だと分かる。真ん中にある小さな白い星が少しずつ少しずつ大きくなる。しかしそれは画面全体からすると、とても小さい。気づくか気づかないか。それがゆっくりと周りにある星より大きくなったかなと思ったところで消えてなくなる。
冒頭からここまで、約2分。
スーパーノヴァという言葉が持つ強さからみれば、
とてもとても静かで長い時間をかけたオープニング。
そして、この静かなスーパーノヴァこそがこの映画を
見事に表している。
ストーリーは実に地味。
ゲイのじいさん二人のロードムービー。
しかし、その地味な旅路の会話やしぐさ、エピソードなど
長い年月をかけ培ったであろう2人の絆が
なんとも素晴らしい。さすが名優。
病気を宣告されてから
君に迷惑をかけてまで生きていられない。
僕の看病のためにピアノを手放すなど耐えられない。
それならば僕は喜んで命を捨てる。
いや、
君といつまでもいることこそが僕の生きがい。
君がいない人生など耐えられない。
それならば僕は喜んでピアノの才能を捨てる。
慈愛に満ちた、激しい感情のぶつかりあい。
そしてラスト。
ピアノの演奏曲エルガーの「愛の挨拶」。
いま一緒にいる人を生涯大切にしたいと
とても強く胸に響いた。
【”ずっと一緒だ”と彼は言った。人はいつか必ず、地に戻り星になる。けれども、その時に愛した人が傍に居てくれたら、これ以上の幸せは無いと思った作品。観る側に深い余韻を残す、哀しくも美しき作品でもある。】
ー ピアニストのサム(コリン・ファース)と作家のタスカー(スタンリー・トゥッチ)は、ユーモアと文化をこよなく愛する20年来のパートナー。
だが、タスカーが抱えた病が、かけがえのない2人の思い出と、添い遂げるはずの未来を消し去ろうとしていた。
大切な愛のため、それぞれが決めた覚悟とは…。(フライヤーより)ー
◆感想
・フライヤーを読むと、コリン・ファースとスタンリー・トゥッチは、20年来の友だそうである。
ピアニストのサムと作家のタスカーが、キャンピングカーで旅に出た際の社内でのユニークで楽しそうな遣り取りからは実際に友人である事が、何となく伺える。
- 名優二人の最初は楽し気な、そして終盤に向けて哀しみ溢れる様に変化する二人の演技が、素晴らしい。-
・タスカーが抱えた病(認知症)が徐々に進行していく様が、ワンショットで描かれる。
それに気づくサムだが、彼は敢えてそれに触れない。
- サムが社内で見つけた“ペントバルビタール経口液”の瓶。鎮静睡眠剤だが、過剰摂取すると死に至るクスリである。あの量は、充分に致死量を越えている。驚きと悲しみの表情を浮かべるサム。
更に、別のシーンでは、サムは作家のタスカーの草稿を盗み読む。最初は整然と書かれていた文章が徐々に乱れて行き、最後は単語になっている草稿を読んだ時のサムの哀し気な表情。そして、サム、サム、サムと綴られた紙を見つめるサムの表情。ー
・サムの姉の家に寄ったサムとタスカー。サムの姉の家族から歓待され、翌日はサプライズパーティが行われるシーン。
タスカーが書いたスピーチ。彼が病ゆえに読めなくなり、サムが変わって原稿を読む。そこに掛かれていたタスカ―が皆への感謝を伝える言葉。そして、サムへの深い感謝の言葉。
- 外に出て、美しい星空を見上げながらタスカ―がサムの姉の娘に語り掛ける言葉。
”星は死ぬ前に、最も光るんだよ・・”-
<イギリスの湖水地方の美しき風景も趣を与える作品。
ラスト、新居のベッドで寝ているタスカー。階下から聞こえて来るピアノ曲。
階段の手すりを掴みながら降りていくタスカーが見たピアノを奏でる、サムの姿。
木製の机の上にある木箱がクローズアップされる・・。
そして、画は暗転し、盛装したサムがピアノを独り弾くシーンが描かれ、終幕する。
観る側に余韻を残す、哀しくも美しき作品である。>
パートナーを襲った予期せぬ病(超新星爆発)が二人の関係に新しい光(超新星=supernova)を灯らせる愛の物語。幾つになっても新しい星は輝くのだ。
①コリン・ファースは『シングルマン』で、パートナーを突然失くした中年のゲイの喪失感・絶望感とそこからの蘇生を見事に演じ上げて見せた。本作では認知症を発症した長年のパートナーに最後まで寄り添いたいと願いつつ本当にやり遂げられるのか自信を持てない葛藤を内に秘めたまま(もしかしたら最後になるかも知れない)二人だけの旅に出た初老のゲイの苦悩をほぼ内面演技だけで表現する。接写(流石に老けてきた。私と同い年だが、やはり西洋人は老けるのが早いのか)が多いが目の表情、顔の表情のみで内面の感情が手に取るように伝わってくる。②スタンリー・トィッチのスターキーも難役だ。いずれ近いうちに自分のことは勿論愛するサムの顔も名前も忘れてしまうことになる恐怖を抱えながら軽口を叩き明るく振る舞う。しかし心の奥では、自分がまだ自分であるうちに、サムに変わり果てた自分を見せる前に、この旅の間に全てを終わりにしようと、命を断つことを密かに考えている。③相手を愛するがゆえにすれ違う二人のやがてくる未来への選択の違い。そして長い付き合いだからこそ二人とも相手の考えは口には出さずとも察している。サムの姉の家でのパーティーの間にスターキーが考えていたことの確たる証拠を見つけてしまったサム。翌日二人は初めてお互いの考え・想い・選択をぶつけ合い大喧嘩する(超新星爆発だ)。④
差別や偏見のない理想の世界、幸せな終末。
主演二人の静かな眼差し、ウィットに富んだ会話、心吸い込まれるような湖水地方の風景、どこまでも広がる星空の中、一瞬の煌めきを放ち消えてゆく星。繊細で静謐な描写に浸る幸せを感じさせてくれる良作です。
最も心打たれるのは、ゲイカップルである主人公達をごくごく自然に受け入れ、包み込み、愛し労る周囲の人々の態度。
サムの姪がタスカーから「スーパーノヴァ」の話を聴く場面では、物語の核心とも言える話の内容はもとより、「叔父の男の恋人」という(少なくとも今の日本では)特殊な存在に懐き、尊敬の念すら抱いているような姪っ子ちゃんの眼差しにやられました。
差別や偏見のない、理想の世界がここにあります。
基本的には異性カップルでも成り立つ愛の物語ですが、「子ども」という未来に繋がる存在が介在しない分、今という刹那を慈しみながら生きる二人の姿が心に沁みます。
サムと周囲の人々の愛に包まれて旅立ったタスカーも、彼との愛を胸に生きてゆくサムも、満ち足りた幸せな人生と言えるでしょう。
独り者としては羨ましい限りですが、コリンのお尻を冒頭で拝めた眼福を反芻しつつ(美しい風景より結局これか 笑)生きていきたいと思います。
自分ならどうするか
終始ドラマって感じで多少の効果音以外は湖水地方の美しい風景と渋い男性俳優2人の演技しかない。
長年連れ添ったパートナーが認知症で徐々に自分自身を失っていくのに直面し、彼からの提案でキャンピングカーで旅に出る。認知症に罹っているのは作家タッカー、そのパートナーのサムはピアニスト。お互いこの旅行に思惑を持っていそうな雰囲気が漂う。夫がアルツハイマー、妻が末期ガンのロードムービー「ロング、ロングバケーション」に少し似てるが、こちらは片方は見送るだけの立場でかつ、同性カップル。同性カップルならではの要素はないが、同性だからこその悲しみが伝わってくる。
最後、薬の入った箱を前に、サムが「ずっと一緒だ」と言ったので、こっちも2人で逝っちゃうのかと思ったが、ラストはピアノのリサイタルで終わったので、その選択は取られなかったのだろう。お姉さんの家であれだけ多くの友人に囲まれたのだから、その選択で良かった。
観た人みんなが、自分がサムなら、タスカーならどうするか、考えさせられる作品。
コリン・ファース、最初に見た「アナザーカントリー」は1985年頃?35年以上前か、美青年だったけど今回は優しいクマさんみたいだった。
難しいなぁ...
「愛しているなら許して欲しい…」って
いちばん難しいやつ。
「ブラックバード」だったり、「痛くない死に方」だったり…
自分の選択肢がそうなのか、
それとも映画業界に尊厳死的なテーマが多くなっているのか、
世の中の風潮なのか…
とにかく難しい問題。
逝く側、遺される側、どちらの気持ちも、現実にそこに在るから。
でも、もし、自分が生きる側なら、やはり、心の辛さを我慢して、
逝く側の思いを尊重するようにしたい。
逆なら自分の気持ちを優先させて欲しい。
日本の法律が許すならだけど…。
盛り上がりは然程ないが、淡々と描くことにより、リアルさが増しているし、
二人の心の繋がりの強さを余白で感じ取れる。
風景も美しく、二人の押さえた演技も素晴らしく、深く心に染みました。
長きにわたって親交のある名優どうしだからこそ表現できたもの
ぱっと見、このタイトルからSFスペクタクルを想像してしまったが、本作はその真逆にある愛に満ちたヒューマンドラマだった。20年間連れ添ったパートナーどうしが繰り出す旅路。窓を過ぎゆく湖水地方の景色は息を呑むほど美しく、二人が交わす会話もウィットに富み、互いを思い合う温もりに溢れている。初めから不治の病をちらつかせるのではなく、会話の中でごくナチュラルにその要素を浮かび上がらせていく語り口も非常に巧みだ。その上、劇中で語られる”超新星”をめぐる逸話がとても神秘的な印象を刻む。曰く、かつて爆発した星たちがもたらした物質によって人間の体は生成されているのだと。この辺りから本作のタイトルが人の生命を象徴するものであることがわかってくる。そして運命の決断。タスカーは、パートナーの記憶の中で永遠に輝き続けることを選んだのだろう。観る側に様々な賛否を呼び起こす結末だが、その点も含めて深い余韻を残す作品だ。
答えはないけれど
この物語は、観るこちら側の「認知症患者への介護経験の有無」で感想が大きく変わる作品だろう。たとえ病状が進行しても、すべては忘れない、忘れることはできない。想像を絶する生命の波紋に共に揺るがされる激動の日々を経て、そしてそれがいつか穏やかな慈しみの時間へと変わる。死はその終着点。私の経験ではそんな想いに至った。
コンサートを終えてサムがあの家に帰ると、何気ない顔をしたタスカーが「おかえり」と微笑む。幾度となくあったこれまでの様に夕飯の準備をしながら、でも少しばかりの失敗もしながら(例えばシチューの塩味が強過ぎたり?)。
昨日の続きの今日にはいろんな今日がある。すっかり病人になってしまったかと思う日もあれば、まったくもって真っ当な意見でこちらに注意勧告してくる頼もしい日だってある。決して世界のすべてが変わってしまう訳ではない、いつだって昨日の続きの今日なのだ。病気であろうとなんであろうとそれは決して変わらない。
サムとタスカーの思い出を巡る旅は終わっても、ふたりの生きる日々はこれからも続いてゆくだろう。いろんな今日を越えて、まだ見ぬ明日を夢見つつ、今夜も狭いベッドの中でふたりは眠る。今までにない新しい素敵と決意と覚悟を抱えながら、いつかたどり着くその先の終着点まで。
と、そんなエピローグだったらいいなあ、なんて思ったり。その答えは観る人それぞれ、ですね。
愛情の深さは一緒
監督は異性、同性関係なく愛情の深さに変わりはない、ってことを描きたく本作を作ったそうです。
はい、それは静かで美しい映像と共に、十分に描いていたと思います。
主人公のカップルは旅にでています。その道中は、彼らの起伏ありつつも豊かであろう人生をなぞるかのようです。この演出とてもよいです。二人の会話を始め、作る空気感も見事です。さすがの演技力です。
全体的にセリフ少なめ、少ない描写で的確に説明してくれますから、ゆったり静かにクライマックスに向けて、物語が厚く厚くなっていきます。
愛するが故の言葉の数々に、想いの大きさに見てる方はホントに辛いです。頭だけの理解ではどうにもならないことだらけですよね、この世は。
ラストのまとめ方は余韻を楽しめ、、、いや、楽しむではないな。ずっと僕はこのエンディングの解釈について考えてしまってました。作中の二人がとても好きになってしまい、幸せになってほしいなぁって思ったからではないでしょうか?ワンコのルビーも可愛い。
答えは一つじゃない。愛の形の数だけあるんだろうな。
秀作です。
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