MINAMATA ミナマタのレビュー・感想・評価
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美波さん素敵でした。
みたい映画ではあるが重いのでは?とやや気持ちのタイミングを考え本日いきました。いやいや水俣を知らない沢山の若者に観て知ってほしい。ジョニーデップが好きなだけのファンの若者も是非。
見応えあり。衝撃を受けました。これは本来は日本が作るべき映画かと。
【MINAMATA】2020年 米 ジョニー・デップとてもいいです。 渾身の一作と言ってもいいのでは。 こんな役も難なくなりきり演じ切るジョニー・デップは、やっぱり素晴らしい俳優です。 写真家ユージーン・スミスが聖人君子などではなく人間臭いところも良かった。 水俣病を写真で世界に知らしめることで、企業を・国を動かす一助となったのは間違いない。 信念を持って生きることの尊さ。これもこの映画のメッセージの一つかな。 水俣病に今も苦しめられている熊本の方々に敬意を払います。 エンドロールには世界中の産業公害が。 少し衝撃です。 色んな人に観てほしいし、こういう映画がアメリカにより作られ、日本人によって作られないことに憤りを感じます。
フォトジャーナリズムの信義を観る、水俣病を題材とした意義はそこまで感じられず
水質汚染による水俣病を題材としたフォトジャーナリストの映画、という方がしっくり来る。彼の生き方がレンズを通して真実を映すとき、この現実に心を打たれる。 最初に感じたのは、これはジャーナリズムの映画だと言うことである。彼は過去の栄光の対価として深い傷を負ったカメラマン。導かれるように撮ることになったのが水俣病で苦しむ人たちだった…。そこに居る人たちは何を持って戦い、何をゴールとするのか…また、それに対して声を上げることに意味があるのか…その葛藤。しかし、それを抱えるには大きすぎるからこそ、世界に知ってもらわなければいけない。ppmで例えられた小さな声はメディアによって大きくなることで、当事者以外こそ考えなくてはいけない問題へと変わる。その視点を軸に進むこの作品は、実にジャーナリズムを問うている。また、エンドロール前の結びで、きちんと水俣病について、日本の解釈が間違っていると叩きつけている。そうした点からも感じることが大きい。 ジョニー・デップも素晴らしいのだが、そこまでして水俣病に拘る理由を感じにくかった。人との交流をしながらも、昔の悲劇がチラつき、弱音ばかり吐いてしまう。それでも立ち向かわせる何かを実は蔑ろにしている気がしてならない。とはいえ、被害者や会社、子どもたちの視点から問題の根源とあるべき姿を炙り出し、導く強さは静かに感じる。いい意味で静かな映画だと思った。しんみりとしたドラマはそこになく、寧ろ起きているリアルを焼き付けてほしいという熱を感じる。これは今もなお変わらず、忘れてはならない意志なのだから。 SDGsだと言っている今の世界から、公害や汚染に対しての反省が滲んでいるとは思えない。こうして苦しんだ人達の犠牲を孕んでいると思えないからだ。しかし、こうしてレンズを覗かないと我々は問題を見ることができない。在るべきジャーナリズムが今も続いていることを願うばかりだ。
意義のある作品だけど
水俣病を世界に知らしめた カメラマンの話 70年代に起こった 大規模な公害問題は 50年以上経っても終結しておらず 現在進行形の問題であることを 人気俳優ジョニー・デップを要して 改めて世界に発信できたことは 日本にとって 世界の弱き者にとって 大変意義深い作品となったが 本作の作りが、とてもお粗末で 見てられないレベルだった 日本で撮影していないせいで リアリティがないというような ありきたりな感想じゃなく ロケの一つ一つがチープずぎて 低予算の極みみたいな撮影だった 主演のギャラが高すぎて こんな作品になったなら 別にこんな大スターを起用しなくても良かったし 公害問題は終わっていないことを 伝えたくて こんな貧相な映画にしたのか それとも1人にカメラマンの勇姿を題材にしたかったのか どっちがテーマでもいいけど こんな作り方じゃ 全てが台無しですよ ジョニーもギャラを貰えれば 作品の質はこれでいいのか!? 理解に苦しみます
人生はインプロビゼーション
借金を抱え、酒に溺れている写真家ユージン・スミスは、ある日アイリーンと名乗る女性から依頼を受けて熊本県へと旅立つ。そこで見た現実は想像を絶する水俣患者の姿であり、意欲をなくしていたユージンを奮い立たせた。 一枚の写真は100の声に匹敵する。妥協を知らない暗室作業によって彼の作り出される作品にはまさしく魂が込められているもので、陰影が織りなす被写体には彼の心が映し出されるのです。「真っ暗闇のような黒とまっさらな白のメリハリ」という言葉がピタリと当てはまる。劇中ではアキコという胎児性水俣病の少女の写真がそれを物語っている。実際には「入浴する智子と母」公開の議論があったようだが・・・ 写真に写った人は魂を抜き取られる・・・実は写真家も魂を吸い取られているのだ。と語るユージン。また、言葉が通じないのに足の不自由な青年と心を通わせ、カメラ指導もする。ユージンが人生を掛けていることがひしひしと伝わってくる中、気に入ったのが「人生はJAZZ」であり、即興(improvization)なのだ!バーのシーンではアート・ブレイキーの「モーニン」が掛かってるあたりでもジャズ好きなんだと伝わってくるのです。坂本龍一の音楽ももちろん素晴らしい♪ ユージン・スミスと後の妻となるアイリーン美緒子スミスの生き方についての伝記映画に水俣病についての物語。チッソに対する抗議運動意外にも、賠償金を受け取った人や認められない人との分断も描かれており、大企業の隠蔽体質をも告発している。エンドロールでは人為的な事件の数々も足早に紹介されていたり、現在もまだ続く訴訟問題が提起されている。2013年には日本の首相が「水俣病は克服した」と発言されたが、とんでもない。全く終わってないのだ!単に過去の公害問題ではなく、強者による弱者イジメという普遍的な問題提起をしている映画なのです。 ※現時点で1500人が認定審査結果待ち、1800人が損害賠償を求めている。 今も未認定患者は大勢いて、当時3歳や4歳だった方に対してまで「汚染された魚を食べた証拠を出せ」と国は言う。福島第一原発事故にしてもコロナワクチンにしても患者と関連付ける医学的根拠はないと逃げる政府。これからも多くの人が犠牲となるであろう公害や薬害や原発事故。真実を突きつける勇気を持とうと魂を揺さぶられた思いになった。2021年度暫定1位。
日本のわが事として
1970年代の公務災害への人々の怒りや苦しみは、計り知れない。当時のアメリカ人報道カメラマンがいなかったら、もしかしたら、違う展開だったかもしれない。それだけ、外圧がなければ、日本では、救済を求める声を挙げづらいと言うこと。今の日本では、さらに難しいだろうと思うと、弱い人が救われない。
見えないものに光を当て、隠されたものを浮かび上がらせるという、写真家の使命が伝わる一作。
写真家ユージン・スミスが遺した作品群は、間違いなく写真史上に刻まれる業績の一つですが、中でもとりわけ胸を打つのは、やはり水俣病患者とその家族を写した写真です。 本作はほぼ全編、ユージン・スミス(ジョニー・デップ)の視点から、後に写真集『MINAMATA』につながる取材の過程を描いています。フィルムを模したような独特の色調と風景の美しさが印象的ですが、圧巻は映画の一場面がまさに彼の作品へと変化していく瞬間です。 構図、表情、光の当たり方など、元の作品を再現した映像の完成度は非常に高く、この時は映画の観客ではなく写真作品に入り込んだようにも感じました。 もう一つの本作の白眉は、フィルムを現像し、印画紙に焼き付けていく暗室作業を捉えた場面です。本作は、むしろ現場で撮影している場面よりもこちらを重視しているのでは、と思うほどでした。 例えば冒頭でカメラはユージン・スミスが行う、露光時の焼き込み、覆い焼きの技法を写し撮ります。おそらくこの場面は、見えないもの、隠されたものを明瞭に浮かび上がらせるという、写真家としての彼の姿勢を象徴的に示しています。また現実の作業では独りで行うことの多い暗室作業を、本作では彼と、もう一人の別の誰かとの共同作業として行っています。本作は全体的に、ユージン・スミスの内面をあまり説明してはいませんが(電話での愚痴は除く)、その代わりこの暗室での共同作業の描写を通じて、酒浸りでそっけなく、憎まれ口も叩く彼が、実は人との繋がりを求めているという内面を豊かに描いていました。 本作は熊本県が支援したことを除いて撮影の許可や支援がなかなか得られず、いくつかの場面は日本国外で撮影したとのことです。時々石造りの建物が出てくるのはそれが理由のようです。だがそれを除いて漁村である水俣の風景描写には違和感がほとんど感じられないところは見事でした。 ジョニー・デップ演じるユージン・スミス像は、身近にいたらなかなか気苦労が絶えなさそうな人物として描かれていますが、実際の彼の言動と比較したら、これでもかなり抑えた描写となっているようです。どんなだったんだろう…。 日本でなかなか支援が得られなかった理由の一つとして、水俣病の実態が忠実に得られていない、という批判もあったようですが、エンドロールまで観ると、本作の制作陣は少なくともこの問題を軽々に扱っているわけではないことが理解できました。
よかった
カメラや写真が重要なテーマとして物語の中心に描かれていてすごくいい。現像の手作業の場面もいい。しかし、現像などしていないで、フィルムの状態で撮った先からアメリカに送っていた方がよかったのではないだろうか。
『テムジンカンパニー』を最近見たので、同じテーマでも表現が全然違って面白い。ジョニーデップはつまらない映画が多かったのであまり期待していなかっただけど、とてもよかった。
強者と弱者
1971年アメリカLIFE誌に掲載されたに水俣病とチッソ㈱の取材の話。 引退を決め機材を売り払ったアメリカ人落ちぶれアル中カメラマンが翌週行われるチッソの株主総会の取材を依頼され巻き起こっていくストーリー。 家族の死や自分と家族の病気に苦しみ、不安を抱えると共に、取材にやった来たアメリカ人を受け入れてはいるけれど、自分や家族が撮られること、晒し者になることは敬遠する住民達。 人として親として写真家として接し近づく主人公。 輩を飼い脅しを掛けたり開き直ったり、外国から来た記者を懐柔させようとしたりする不誠実なチッソ。 小学校でも習ったしTVでも幾度となく特集されているのを見たし、水俣病に関する知識はいくらかはあったけれど、この様なカメラマンがいたことや、そのエピソードはまるで知らず、とても勉強になったし、非常に興味深かったし、ドラマとしても良かった。 そして、映画として彼をフィーチャーしているとはいえメチャクチャ抗議活動や訴訟に至る関係者の意識に影響を与えており驚いた。 ただ、あくまでも取材した主人公とその時の様子がメイン、というかほぼそれだけで、水俣病そのものの発生経緯やここまでの住民の苦しみ、それまでの国やチッソとの訴訟のことが殆ど描かれておらず、そこはもう少し欲しかった。
……………
私が調べた資料では、1956年に熊本県水俣市保健所に、「脳症状を呈する原因不明の疾病が発生した」と報告があったのが、水俣病の初めての公式確認で、1965年には新潟でも有機水銀中毒と疑われる患者の発生が報告されたとのことです。 水俣市および新潟県の工場からの廃液に含まれたメチル水銀化合物が原因であるとする政府の統一見解が発表されたのは1968年で、この映画は1971年から描かれています。これまでの被認定者数は新潟の715名を含めて2,998名、2020年2月末の現存被認定者数は457人。 史実或いは起こった出来事に基づいていたとしても、作り手の捉え方や恣意性がゼロということはあり得ないし、人間が発信し人間が受け取ることの経緯について100%の真実なんてものはありません。真実というのはどこまで追求したとしても、〝その人にとっては真実〟なだけです。 ただ、起きた事象の経緯についての真実は人それぞれであったとしても、そこに苦しんでいる人がいるということは紛れもなく真実です。 自分ができることが何かあるのだろうか。 今苦しんでいる人がいることを忘れないこと、そのような立場の人と接する時には、少しでも寄り添える努力をすること、そしてどのような寄り添い方がその時その人にとって傷みが和らぐのかを考えること。 そもそも、このように考えること自体が何か勘違いしていることにはならないか。 そんなことしか今は思いつきません。 【追記】 気になっていたので、追加で調査。 多少なりとも当時の社会の雰囲気を窺い知る手掛かりにはなると思います。 1971年8月にニクソン・ショック(ドルと金の交換が停止) それまで1ドル=360円だった固定相場制もこの年に廃止。 ということはチッソがユージーン・スミスを懐柔しようと用意した5万ドルは当時の日本円で1800万円。変動相場制移行で多少円高に振れていたとしても1500万円以上。 当時の大卒初任給は46,400円。年収100万円以上のサラリーマンなんて滅多にいなかった時代。
写真家としての矜持の変化
写真家ユージン・スミスは、最初は何の断りもなしに写真を撮っている。 アイリーンに「写真撮って良いか訊かないの?」と問われ、 「は? キスと同じで、いちいち訊いてからやるもんじゃないよ(笑)」的な返答。 そう言えば、ジュリエット・ビノシュが写真家を演じる映画(タイトル失念)でも、 アフリカの子供たち?を何の許可もなくバシャバシャ接写しているシーンがあった。 失礼すぎませんか?まるでモノ扱い。 ジャーナリストは何しても良いんだ、だってジャーナリストだもん!的傲慢さが感じられて、 そのワンシーンだけで大嫌いな映画になった。 そしてこの映画でも、勝手にバシャバシャ撮ってやがる…嫌がって顔を隠す人たち…。 この野郎めえ!…と井森美幸なみに拳をふりあげていたら、変化が訪れる。 現地の人たちと心を通わせるうち、「写真を撮らせてもらえないですか?」とちゃんと訊くようになるのだ! そうやって被写体に対してのリスペクトが生まれた瞬間が、とても良かった。 モノではなく、人間を撮ってくれて、ありがとうと言いたい。 その後アイリーンと離婚したり、チッソ社員の暴行の後遺症で大変だったと調べたら書いてあったので、そこまで含めて見たかった気も…。
最初から最後まで、涙が止まりませんでした。水俣地方の方言も違和感あ...
最初から最後まで、涙が止まりませんでした。水俣地方の方言も違和感ありませんでした。ジョニーデップが、写真家を好演してました。水俣病をよく知らない若い人にも見てもらいたいです。大衆受けする映画ではないと思うけど、映画だからこそ表現できうる世界と作品であったと思う。水俣尿問題は、今も終わっていない。
日本の公害は現在進行形だ‼️❓ばかやろー環境省‼️
まず、驚いた、水俣病は半世紀以上経過しても、賠償は不完全らしい。 エンドロールで、福島原発事故が人災である、放射能公害だと紹介される。 なんと、環境アセスメントしてないから、汚染状況すら不明なのだ。 レジ袋有料してる場合かよポエム環境大臣のあほんだら。 水俣病の悲惨な姿は最近の福島原発被害者の未来の姿だ‼️ 尚のこと、コロナ禍の捏造と隠蔽が、示唆されている。 他山の石では無い、いもそこにある危機なのだ。 公害にせよ、コロナ禍にせよ、虫けらのように殺されるな、権力に抵抗して生き抜け、そう、この映画は教えてくれる。 政府も、テレビも、新聞も疑え、戦え、生きるために、改めて生きるために、この映画を是非🎞🎟🎬!
何度でも凡ゆる角度から語られるべき水俣
水俣病を描く映画はこれが最初ではないかもしれない。私も以前、水俣病資料館を訪ね、映画にもできないくらいの辛い現実があることも多少は知っている。それでも、よく映画にしてくれたと思う。やはり新しい世代には新しい映画で伝えないといけない。今回は写真家の視点から描かれたわけだが、まだまだ色々な角度から語られるべきだ。今日でもチッソの後継企業は水俣にあるし、埋め立てなどで景観も変わったなか、当時の再現は難しかったと思う。このような社会派の映画に出演したジョニー・デップの心意気に敬意を評したい。水俣には残された問題がまだあり、エンドロールのキャプションで2013年に日本の首相がこの問題を克服したと語ったという発言を引いた字幕が流れるが、もちろんこれは安倍晋三のことである。
「MINAMATA」を見て感じたこと
1 水俣病を世に問うた写真家・ユ−ジンスミスの活動を描くとともに、ジャ−ナリストとしての矜持と信念を示す。 2 水俣に到着直後、スミスはカメラを手に外に出て、傍らの人にカメラを向けると、誰もが顔を隠す。スミスは著名な写真家であったが、地元民からすれば、しょせん「お客さん」にすぎなかった。そんな彼は、拠点を設け、患者・家族との交流や抗議集会への参加を続けた。企業は、影響力のあるスミスの本気度を感じとり、妨害工作や暴行を加えた。こうしたことで、患者家族は、スミスを「戦友」として受け入れ、患者と家族が慈しむ場面や壮絶な障害のある姿をカメラにさらけ出してくれることとなる。母と患者が沐浴する所を撮影している場面では静かな感動をもたらした。 3 スミスは、子の親としては失格、自分勝手、アル中、金欠と模範的な人間ではないが、弱者への温かな目を持ち、金に魂を売り渡さない矜持と信念の持ち主である。演じたジョニ-ディップは、その人物造形と演技ともに出色の出来であった。そしてアイリ−ンは、スミスの大事なパ−トナ-でありとても魅力的な人物であった。美波は好演。スミスとライフ社のボブとの長い付き合いは社会人としては羨ましい限り。 4 冒頭はカット割りがちょっとうるさかったが、次第に落ち着いてきた。画面の構図や赤や青の色合いが印象的でとても良かった。 5 水俣市は、原因企業の城下町故に住民に分断と対立があることも示していた。無くなったと思った写真のネガをスミスに届けたのは、恐らく社員でもある地元住民だったのであろうと思う。そして、水俣病での患者と家族の苦しみは今もなお続いていることを忘れてはいけないと思う。ただ、エンドロールで世界で発生した企業による公害が紹介されていたが、この映画との関わりを考えるとなくても良かったと思う。
俳優さんたちが魅力的
ユージン・スミスの、プライドと弱さ、その中でも何か結果を残したい、というプロ意識、そういったものが混ざった人物像をジョニーデップが本当にその人がそこにいるように演じていた。さすがだと思った。 美波、真田広之、加瀬亮、國村隼がそれぞれ魅力的。 國村さん、加瀬さんの英語が上手いのに驚いた(すみません)。 撮影場所が日本でなかったことが残念。
迷惑なんて知らないから自分よければ全てよし!"結局他人事"な世界で
日本人キャストは中心的な登場人物たちをハリウッド映画など世界的に活躍している安心安全の面子で固める。それ以外の人々には演技力のバラつきはあるものの、それによって本作の真実味が損なわれることはない。照明などと相まってそのまま写真になりそうな画もあって、実際それが写真になるという演出も。坂本龍一さんの音楽はじめ、監督が題材となった"日本"にこだわって製作したのが伝わってくる。 無論坂本龍一さんはそういうこと抜きに素晴らしい音楽家であり、他の本作に関わっている日本人たちもきっと本作のメッセージ、発信すべきことに共感したからこそ集ったはず。そうした実話として題材と丁寧に向き合いながら、最後には世界各地で今尚起こっている、そして被害の続く他の公害に目を向ける。1枚の写真が1000の言葉より伝えるもの。同日に見た『空白』と両作で、奇しくもメディアの危険性と可能性という表裏一体的なものを考えさせられた。 ファミリーマン的イメージで誰もが羨む夫婦だったヴァネッサ・パラディと離婚した辺りからか、天下無敵モードからキャリア低迷の著しかった印象(次の元妻アンバー・ハードに指切り落とされかけたり)のジョニー・デップが製作も務めた入魂作で久しぶりの好演か。 …なんて書いてみたものの、1席空いた隣のおじいさんクソ客すぎて内容頭に入ってこなかった!怒りに震えた話。 P.S. 映画館の民度低下ももう放っておけない、見過ごすわけにはいかないところまで来ている。ずっとビニールシャカシャカシャカシャカ鳴らして、まんじゅうかおにぎりか何か知らないけど、カバン一杯持ち込んだものペチャクチャ食べる。断固としてクチャクチャクチャクチャ食べ続ける。もはやピクニック気分かってくらいにガッツリ食事しに来ていた。クソジジイ! 見た目としてはおじいさんに多い感じのベスト着ていて、映画館に入り浸っては新作のフライヤー片っ端から全部取っていくタイプの雰囲気。注意されても頑として最後まで食べ切る挑戦でもしているのか。注意しないからって気付いていないわけじゃないから。他の人だってそう。特に日本人は元来、人との衝突を避けるはずだし、知らない人に注意するなんてすごくエネルギーを使うから誰だってしたくない。かと言って、それイコール、気にしていないわけじゃない(続く)。 本当に厄日だった。(日頃から割とクソ客引く率高いけど)今日はとことんツイていなくて、他の作品でも着信音だかバイブだか何度も何度も鳴らしている人がいたり、エンドロールに入るなり前のカップル2人ともスマホ触り始めたり…。一度お祓い行こうかな。前日深夜まで働いていたのにこの仕打ち、今日は本当に疲れた。頭に血上りすぎてかボーッとクラクラしている。
ジョニー・デップ ありがとう!
ユージン・スミス 水俣… 知ってはいたが、深くは知らなかった… エンドロールで流れる、世界の環境被害… 先ずは知ることからだろう。 そして、今も水俣の被害は続いている。 坂本龍一の音楽も美しい。 ジョニー・デップの社会的な関心と情熱が、この作品を生んだ。 実際の妻、アイリーンは、今でも、人権問題と関わりあっている。 映画として、実際のユージンの写真や当時のフィルムなどは抑え目に挿入されて、全体的な構成のバランスが素晴らしい。 必見の拡散運動をしないと❗
【忘れ去られつつある、近代日本の負の遺産をテーマにしたこの作品が、シネコンで上映される意義は大きい。エンドロールで流れる恐ろしい事実に、私達が出来る事は何かを問いかけてくる作品でもある。】
ー 近代日本の負の遺産。それは、今作で取り上げられた水俣病だけではなく、ジョニー・デップが演じたユージン・スミスが経験した苛烈な沖縄戦や、福島第一原発事故など多数ある。
エンドロールでも流れた、現在でも世界各地で起きている環境破壊を憂い、未来の地球の行く末を案じ、この作品を制作したジョニー・デップには、謝意と敬意を表します。ー
・だが、この作品はアメリカでは未だに未公開である。ジョニー・デップのDV疑惑が理由だそうである。一日も早い公開を祈念する。
DVは到底許されるものではないが、この作品が世界に発信するメッセージは、崇高且つ重要なモノだと思うからである。
・ユージン・スミスが、アイリーン(美波)に無理やり、NYから水俣に連れて来られるシーンや、彼とライフ誌との関係性の描き方は、ハッキリ言って粗い。
だが、ライフ誌の編集長を演じるビル・ナイとジョニー・デップの会話などから、推察出来る。
・ユージン・スミスが、アイリーンに頭が上がらない数シーンは少しオカシイ。
水俣の貧しい家(浅野忠信)が一生懸命に出してくれた食事に手を伸ばさないユージンに対し、アイリーンが一睨みすると”ア、オナカガヘッテキマシタ・・”
□チッソの社長を演じた國村隼(良く、引き受けたなあ・・。だって、あの役はやりたくないでしょう。役者の気骨を感じたし、立派であると思う。ジョニー・デップに決して負けていない、悩める社長を演じる姿にも。)とジョニー・デップの高所でのツーショットの駆け引きは、見応えがあった。
・水俣病に苦しみながらも、認定を受けられない男を演じた加瀬亮や、リーダー役を演じた真田広之の演技も見事であったと思う。
ー 特に、団交シーンの加瀬亮の迫力、目力は、凄かった。ー
<政府は、水俣病については、和解金を支払ったという事で、安倍首相の時代にケリがついたと思っている。
だが、現在でも水俣病に苦しんでいる方々は、多数いる。
今作でも描かれているような、見えざる差別や偏見。
最も恐ろしかったのは、現在も世界各地で発生している、エンドロールで流れた余りにも多い、「人為的な事件」の数々である。
だからこそ、現在でも世界各地で起きている環境破壊を憂い、未来の地球の行く末を案じるが故に、このエンタメ性の薄い作品を制作し、主演したジョニー・デップには、謝意と敬意を表するのである。>
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