「【報道/報道写真家とは】」MINAMATA ミナマタ ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【報道/報道写真家とは】
報道や報道写真家というものは、本来こういうものだろう。
戦地に赴く報道写真家もそうだ。
仮に自身の身の危険があっても、世界に何か伝えなくてはならないとのモチベーションはもとより、黙っていては何も知る術がない僕たちにとっても、こうした信念は重要なことだと思う。
ユージーンからアイリーンに、被写体に対してエンパシーを持ってしまうことは、カメラを向ける方の精神や命も削ってしまうとの助言もが印象的だ。
考えさせられる。
しかし、結局、エンパシーが撮る側の強い原動力になっていることも確かだ。
こういう作品で、日本の暗い部分がテーマになると、どうしても日本の民族主義的な考え方の人から抵抗が示されたりするが、報道写真家は、国家主義や民族主義を基本としているのではなく、洋の東西を問わず、一部の全体主義国家を除けば、伝えることに主眼を置いているのだ。
長崎の原爆跡を撮影したアメリカの報道写真家ジョー・オダネルが、原爆の非人道的な部分に触れ、当初は、自国のために、多くの写真を表に出さなかったが、核兵器の悲惨さを目の当たりにした経験から、核開発競争や原発の危険性を世に問わなくてはならないと認識を改め、「焼き場に立つ少年」をはじめとする写真を公開したことをご存じの人も多いと思う。
原爆投下で亡くなった幼い妹を火葬するために、おぶって焼き場で順番待ちをしている姿を収めたものだ。
報道とはこういうものだと強く思う。
ユージーンが、1枚の写真が1000の言葉に匹敵すると言いながらも、多くの住民から賛同を得るために、言葉を尽くし話しているところも印象的だ。
これが、人間の持つ本来の力ではないのかとも思う。
この作品は、2013年、水俣を日本は克服したと当時の首相が言ったことに対して、辛辣な評価をしている。
何をもって、克服したと言っているのだ。
ところで、公害というと、大気や環境汚染など思いつくが、近年の大雨による盛り土の崩落も同じ類の問題だと僕は思っている。
長年、自治体による条例では効力が薄いとの強い訴えに対し、検討するポーズは見せながらも、建設会社の利潤への影響を考え、常に法制化を見送ってきた政府並びに行政の責任は大きい。
水俣病に対する政府や行政の対応の遅さも、問題を大きくしたことは間違いないのだ。
取り返しのつかないところまで来ないと理解できないのは、水俣病も、イタイイタイ病も、四日市や川崎の喘息も、原発事故も一緒なのだ。
これは、決して忘れてはならない。
この映画は、水俣病を巡る人々の戦いを通して、未だ解決されない世界中の公害問題への警鐘も鳴らしている。
エンドロールのテロップ付きの数々の写真がそうだ。
この作品はアメリカ映画だが、アメリカの水の汚染問題もエンドロールには複数示されている。
当時大統領だったオバマ氏が、水道水の汚染問題は解決されたと言いながらも、その水道水を飲むように促され、コップに入った水をなめる程度しかしなかったことが広く報じられて、支持率が急落したことも、それほど昔のことではない。
報道とは、リベラルも保守も関係なく、こういうものだ。
それが普通だと言えない方がおかしいのだ。
今や、世界を脅かすものは、戦争や紛争だけではない。
公害も温暖化も感染症も、これらを助長する企業も、放置する政府や行政もそうだ。
この作品を通じて、報道、或いは、報道写真家の重要性とは何か改めて考えさせられた。
写真1枚にどれだけ凄いインパクトがあるか!って本当に思います。「焼き場に立つ少年」。実は色々とあったことがわかったにせよキャパの「崩れ落ちる兵士」やパリのキスするカップルの写真。
写真、大好きです。