「……………」MINAMATA ミナマタ グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
……………
私が調べた資料では、1956年に熊本県水俣市保健所に、「脳症状を呈する原因不明の疾病が発生した」と報告があったのが、水俣病の初めての公式確認で、1965年には新潟でも有機水銀中毒と疑われる患者の発生が報告されたとのことです。
水俣市および新潟県の工場からの廃液に含まれたメチル水銀化合物が原因であるとする政府の統一見解が発表されたのは1968年で、この映画は1971年から描かれています。これまでの被認定者数は新潟の715名を含めて2,998名、2020年2月末の現存被認定者数は457人。
史実或いは起こった出来事に基づいていたとしても、作り手の捉え方や恣意性がゼロということはあり得ないし、人間が発信し人間が受け取ることの経緯について100%の真実なんてものはありません。真実というのはどこまで追求したとしても、〝その人にとっては真実〟なだけです。
ただ、起きた事象の経緯についての真実は人それぞれであったとしても、そこに苦しんでいる人がいるということは紛れもなく真実です。
自分ができることが何かあるのだろうか。
今苦しんでいる人がいることを忘れないこと、そのような立場の人と接する時には、少しでも寄り添える努力をすること、そしてどのような寄り添い方がその時その人にとって傷みが和らぐのかを考えること。
そもそも、このように考えること自体が何か勘違いしていることにはならないか。
そんなことしか今は思いつきません。
【追記】
気になっていたので、追加で調査。
多少なりとも当時の社会の雰囲気を窺い知る手掛かりにはなると思います。
1971年8月にニクソン・ショック(ドルと金の交換が停止)
それまで1ドル=360円だった固定相場制もこの年に廃止。
ということはチッソがユージーン・スミスを懐柔しようと用意した5万ドルは当時の日本円で1800万円。変動相場制移行で多少円高に振れていたとしても1500万円以上。
当時の大卒初任給は46,400円。年収100万円以上のサラリーマンなんて滅多にいなかった時代。
原田正純さんという地元大学の医学部の先生だった人がいます。岩波新書に「水俣病」という著書があります。Kindleでサンプルを読まれてみて、興味が出たら読まれてみるといいですよ。
それからユージン・スミスの写真集を見られるなら、最初の頃のものか最新のものがいいです。(一時期、載せてない写真があるため)
大抵の図書館には写真集がおいてあると思います。(が、案外そうでもないのかなあ・・・)
↑ネットで確認したら、その社長さんは1971年7月まで6年以上社長職を務めていたので、ドがつく当事者。日本興業銀行からの転籍なので、高度成長期を支える官民一体の構造だったのだと思います。
別の見方をすれば、国のほうが本当は見たくない現実なのに、ハレモノとして扱ってくれた方が目がそれていいかも、なんて思ってる人たちもいるかもしれませんね。
今晩は
私達が生まれる以前に起きた事にも、目を反らす事なく、何が有ったのか、行政は機能していたのか!を知る事は大切な事だと思います。今からパンフレットを読みます。では。