「誰がために戦う?」シン・仮面ライダー pipiさんの映画レビュー(感想・評価)
誰がために戦う?
最初に言っておく。俺(このレビュー)はか〜な〜り長い。
(今回、めっちゃ短くするつもりだったけどやっぱり無理でした。ごめんなさい)
さて、本題!
石森章太郎のプラーナだけを受け継いだ。(敢えて石森と表記する。)
そんな印象を感じた。
マニアックなほど特撮愛に溢れた面子が集ってライダー話やウルトラマン話を創作しようとしたなら、それはもはや「自分自身の解釈」を展開するしかない。それは本当によくわかる。
けれども、これだけネームバリューのある人が東映の看板を背負って50周年記念作品を創るならば、もう少し観客に寄り添ったものにすべきではないかな?
「変えたくないもの」を守り抜いてくれた事は良い。
しかしながら「切り捨てたもの」の中に大多数の観客が望んでいたものも多く入っていたのではないかな?
シン・ウルトラマンは良かった。換骨奪胎の中にも往年のマニアックでコアなファンが望むものはすべて入っていた。しかしながらシン・仮面ライダーはどうだろう?
石森章太郎氏が作品に籠めたものについての庵野さん個人の解釈に過ぎないのではないか?
もちろん悪くはない。しかし、観客に寄り添う視点がそこにあったのだろうか?庵野さんの自慰に過ぎないんじゃないか?
そうなってくると、もしかしたらシン・ウルトラマンまでもがただ単に庵野さんの解釈がコアなファン目線と同一方向に向いていただけなんじゃないか?
本当は観客の観たいものの事なんか考えていなくて、偶然観客の希望と合致しただけだったんじゃないか?との疑念が湧いてくる。(観客の希望ったって往年のかなりマニアックなファンに限定されるしなぁ)
庵野さんはいったい「誰がために」戦って(作品撮りをして)いるのかなぁ?
息子が「規模のデカい同人誌じゃん」という感想を漏らしたがその通りなのかもしれない。
これなら、45周年記念作品の「藤岡弘解釈」の方がずっと良かった。
平成ライダーが忘れて(捨てて?)しまった昭和ライダーの熱き魂と人生訓の重要なテーマを若い世代へのバトンとして受け渡したい!という強い思いが胸を打った。
本作は単体としては面白かったが、「仮面ライダーファン」としては引っかかる点やモヤモヤする点も多々ある作品であった。以下に記す。
【良かった点】
・泥臭いまでにリアルな戦闘シーン。
(冒頭の畳み掛ける荒々しいアクションも、終盤重要シーンでの頭突きも説得力があって良かった。)
・2号の初の変身ポーズシーン(やっぱりこれしかないよね♪)
・奥多摩の小河内ダム(笑)&カットやアングル面で第1話再現度の高さは嬉しい。
・Iがイチロー、Jがジローかと思ったんだけど?そのあとKになったって事はJは「ジョー」だったの?
(でもJの造形はモロにキカイダーだったよね?あと、緑川兄が蝶ならイチローじゃなくてゴローでええやん?(笑))
と、まぁ、ツッコミどころは多いけど楽しかったのは間違いないので「良かった点」の方にしときます。
・「脚本単体」は良かった。「映画単体」としてなら良かった。
・2号の軽い雰囲気は、令和というフィルターをかけた再現度としては悪くないと思った。
・13人ライダーや(そのあと6人というこだわりもw)ラストの一文字に宿る本郷など原典or原点を重視する制作姿勢(71年の漫画はTV版の「原作」ではないけどね。)
・ニヤリorクスリと笑わせてくれる数々の小ネタ
【引っかかった点】
・こんなの「本郷さんじゃない!」
どうしてもここだけは譲れない。
本郷さんは知性・身体・精神のすべてを鍛え上げた「漢の中の漢」だ。
「コミュ障の無職」なんて本郷さんじゃないんだ!
昭和の男性観には
「強くなければ生きていけない。
優しくなければ生きる資格がない。」
というものがあった。
「優しさ」の前に「強さ」がなければ、誰かを守る以前に自分自身が生きていけないのだ!
平成30年のあいだにすっかり「強さとは優しさの事である」とか「強さとは愛」だとかのすり替えが行われてきた。
令和の男性観として、先ず「優しさ」が強調されるのはなんとなく納得するが、結局改造される事で「強さ」を手に入れている。自分自身の努力によって、ではないんだなぁ、、、。
改造された悲哀とか「人間ではなくなってしまった凄まじいまでの慟哭」とかが「労せずして力を得た」というメリットに相殺されてしまって胸を打たないのよね。
仮面ライダーを始め、サイボーグ009やジャッカー電撃隊などに通底する「平和を守るために人外と化す苦悩」がどうにも感じられないのだ。
シン・ウルトラマンはハヤタではなく神永でありリピアであったから「別物」として面白く鑑賞出来た。
シン・仮面ライダーも、いっそ「本郷猛」でさえなければ!
そう思ってしまう本作であった。
・幹部怪人達5体がどーも雑魚感が強い。クモ先輩は結構良かったけど斃されるときはギャグだったし。
長澤まさみの無駄遣いは笑えたけどね。カマキリにゲルショッカー風味を加えてくれたのも面白かったけど。(死神カメレオン、どうしても使いたかったんだよね?(笑)蠍が女性なのはサソランジンを彷彿とさせるから違和感無し)
でも5人ともサイコパス過ぎる。悪役だって(描かれずとも)1人1人背景にはドラマがあるべきだが、ほんっと同情のカケラも抱けないただのサイコパス。これが令和ってコトなの?
不快感しかない。
・ルリ子がアヤナミ過ぎる。
(生体電算機は涼宮ハルヒ(長門有希)ではなくファイブスターストーリーズのファティマを連想して頂きたいものだ)
外見もそうだし、ルリ子の最後のメッセージもすでにアヤナミの二番煎じ。
ハチオーグはちょっとアスカが入ってたし。
そもそもショッカーの目的は人類補完計画なのか?もう勘弁してくれ。
・↑とゆーことは、シンジ=ゲンドウ=庵野=本郷 ?
でもって、ルリ子=アヤナミ=ユイ ?
結局、庵野さん自身が抱き続けた対人関係の悩みを投影した「他人と触れ合うことで対人関係を知り、人間的な感情表現を獲得していく」ってのが本作の最重要テーマってコト?
(それ(一般的な感情表現)をもっともよく教えてくれるのが一文字だから、本作の一文字はめちゃくちゃ好感度が高い!)
それなら、結局「TVシリーズや石森章太郎の魂」は継承してないじゃん!?
小ネタの踏襲(オマージュとは呼んでやらん)に見られる「外側の模倣」に過ぎないでしょ。そこに「魂」はないんだよ?庵野さん、、、。
う〜ん、映画単体の出来として星4をつけるつもりだったけど、これじゃ「仮面ライダー」としては減点せざるを得ない。
本郷さんじゃないのも当然。この本郷は庵野さん自身なんだ。
それじゃあ「往年の仮面ライダーファン」が観たかった映画にならないわけだよ。庵野を投影した本郷猛なんて誰も望んでいないよ。
これは「仮面ライダーの皮を被ったエヴァンゲリオン」だ。モヤモヤの正体はこれだ。
仮面ライダーじゃないんだよ、この映画は!
庵野さん、どうかそこに気が付いて欲しい、、、。
コブラオーグの匂わせからいって続編を作る可能性は充分にある。
もし作るなら誰もが待ち望む仮面ライダー像を描いてもらいたいものである。
p.s
ラストの「立花」と「滝」
私は漫画で本郷家のじいやである立花を知っているからさほど気にならなかったが、TVシリーズしか知らない息子は「あんなのは、おやっさんじゃない!」と非常に受け入れ難かったようだ。その気持ちもわからないでもない。
「ここでこの名前出しときゃファンは喜ぶだろ」って観客を舐めてる印象も受けるしな。
庵野監督よ。「独りよがり」はそろそろ卒業してみないか?
※今、皆様のレビューを新しい方から300件くらい拝読させて頂いて気付いた事2つ。
・庵野さんは仮面ライダーにそれほど強い思い入れがないのではないか?
初期ウルトラマン制作陣に対するような深いリスペクトが無いんじゃないか?
・樋口さんがいないと、ここまで暴走するのね。
シン・ウルトラマンが面白くなったのは
「庵野さんの中でウルトラマンへの想いが強すぎて好き放題にぶっ壊すことが出来なかった」「樋口さんという良心回路の存在があった」
という見解に至りました。慧眼の皆様、良い観点をありがとう!
(さて、残り430レビュー、マラソンしてきまーすw)
漫画のビジュアルとは全然違ってましたが、ワイルドな濃い顔の学生本郷と、ちょっと得体の知れない、いい声の一文字、普通にかっこいいと思ってました。設定年齢よりどう見ても老けている、アダルティな感じも現在見られないですね。
WWW
スーパーファミコンが中学の人かな?笑でもアイドルってマイナス5~10の若い男の時によりキャーキャー♥️いってません?モテた同級生の女の子が「顔のタイプ?分からない。」って言ってたはずがマイナス10にキャーキャー♥️言ってるイメージ。
僕らのレジェンド孫悟空ですわw
え!ファミコン世代ってキムタク好きなの?
初耳www
私もファミコン世代だけど、ファミコン世代ってキムタクの少し上〜同世代だからさ。
アイドルって自分より少し年上に憧れるんじゃない?
だから、キムタク好きなのはファミコンのもう一つあとの世代かもー?(笑)
黒リネンさん
リアルタイム当時は、特に本郷猛と一文字隼人が特別カッコいいとはみんなあまり思ってなかったと思います。
仮面ライダーという番組が好きだっただけで。
ただ、特撮ヒーロー創世記であって他に子供向けのかっこいいヒーローはいなかったですからね。
それより上の世代だと月光仮面とかになっちゃうし。
で、幼少期のみならず、その後も仮面ライダーシリーズをずっと見続ける中で、やがて大人になって仮面ライダーやウルトラマンとは離れても、折に触れて藤岡弘さんが頑張っている事を知ったりね。
だから、当時の子供達が様々な人生の変遷を経て、ふと振り返ったり立ち止まったりした時に、子供の頃の宝物みたいに光っている。
そんなものが大多数の人にとっての「初期仮面ライダー」だと思います。
今のように、作品としてどうとか、映像としてどうとか、技術面が、、、とかではなく、何もない中で創意工夫を重ねて一生懸命「特撮」の分野を切り拓いてきた。
そして50年経った今ですら現役で活躍できる。
そういう「50年の時の流れ」が1号ライダーを「生きるレジェンド」にしているのだと思います。
へー!そーなんですねー!
僕の世代にとってはゲームのキャラ。
ガンダムもライダーもウルトラマンもゴジラも見たことないんですよね~。
漫画とストーリー似ていたから・・・
なるほど~。
黒リネンさん。
ご存じかもしれませんが石森章太郎の漫画はね、「原作」ではないんですよー。
先に「TV番組」があって、石森章太郎はそのヒーロー造形や脚本段階から関わっているから原作者となってます。
そして、TV番組とほぼ同時に雑誌連載されたのが件の漫画です。
漫画自体が原作ではなくて、今でもよくあるような「TVのヒーローを使った漫画」ですね。
今なら新人漫画家などが描くものですが、当時は石森本人が描いていた。
だから、当時TVシリーズに憧れた全国のちびっ子達の99.99%は漫画作品なんて知らないし、漫画はTVの原作じゃないんだからそれで構わなかったんです。
エヴァのメッセージは25年前もハマったし、黒リネンさんの仰る通り現在は益々時代にフィットしてきています。
でもそのメッセージは「仮面ライダー50周年記念作品」でやるべきじゃない。
50年前から仮面ライダーを大好きなかつてのちびっ子達を落胆させるのがわかりきってますからね。
「本郷猛」というレジェンドのキーワードを使うべきじゃなかった。
そう思うわけなんですよ。
50周年作品でやるなら、せめて「本郷猛・一文字隼人」にはせずに、シン・ウルトラマンのような別主人公にすべきでしたね。
エヴァのメッセージは25年前より現代こそハマるかと。今の子、外で遊べない世代ですし、社会問題も違う。15年前、5年前でもかなり違う。年齢=彼女いない歴なんていくらでもいる。今こそハマる監督のはずだった・・・かな?
石ノ森章太郎の仮面ライダー少し読みました。社会風刺漫画なんですね。
漫画読んだ後だと、僕はシン・仮面ライダーあり。現代社会風刺にするならアレで正解かも・・・続編あるなら。
pipiさん、石森作品について語りたいですね!
たとえば「009 RE:CYBORG」は、押井守が降板して神山健治が引き継いで良かった…っていう作品でした。
では、石森作品を語れる場でまた!
…もちろん、他の系統作品でもよろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
私の住んでいた地方では、TV版仮面ライダーの放送はなかったので、
本作、仰る様に、映画版というよりは、映画単体の作品として観ることができました。
TV版を観た方は、映画版と比較して云々というレビューになりますね。TV版を尊重しても、TV版とは違う解釈をしても。
そろそろ、
シン・シリーズではなく、令和に相応しい新ヒーロー誕生物語を観たいです。
では、また共感作で。
ー以上ー
庵野秀明は基本イジケ少年なんです。
だから、オタクとして生きてきたのでしょう。
アニメ好きには、そこに共鳴する層もいるでしょう。私は苦手ですが。
そうそう、押井守も似たような感じかな。
一方で、生涯人類補完計画を追い続けるというのも凄いことだと、私は思います。好きな世界ではないですけど、そこに彼の力を認めます。
彼が自分で乗り越えて解決すべきカルマだとしても、そんな内向的かつ病的なエネルギーが多くの天才芸術家を産んだりしてますから、侮れませんよ。
友達にはなりたくないですけどね。
「シン・仮面ライダー」の続編があるなら観たいし、別の「シン」を作るならそれにも期待します。
人類補完計画で、他人が生んだ世界をどう塗り替えて見せるのか、興味あります。
そう、エヴァ以外で。
ムンクは世に出ているだけで5枚の「叫び」を描いてます。消失したものを含めると一体何枚描いたのか。
庵野にはその域を目指してもらいたいと思います。
pipiさん、コメント有難うございます。
庵野秀明は、観客のことをもの凄く意識してこの映画を撮ってるんですよ。
ところが、その感覚が一般大衆と解離してる部分があるんでしょうね。
本郷猛のキャラクターは象徴的です。
藤岡弘の真逆を求める意味が解りません。
シン・ウルトラマンもそうでしたが、pipiさんのレビューで、あれはハヤタではなかったから納得したのかと、今更思いました。
エヴァの世界とよく言われますが、エヴァの前から彼の世界観は同じで、エヴァで完成し、あざとい程に計算された方法論に行き着いたように見えます。
同じ世界観に別の素材を当てはめていくのは、天才の成せる業なのか、ワンパターンなのか、紙一重な気がします。
私の拙いレビューにコメントいただき、ありがとうございました。(マラソンとは大変でしたねww)
旧作を現代的に再現した技術には感嘆しますが、おっしゃるように、観る側の気持ちに寄り添っていないのが残念ですね。言わば、「そこじゃない」感。仮面ライダーは長寿番組でしたから、全体で醸し出した雰囲気をうまく再現しないと、断片的な小ネタだけでは、何とも言えない違和感が残ります。
長文のレビュー、ありがとうございました。もやもやをうまく語っていただけて、納得です。
今晩は。
今作は、私は初日の出演者が登場する回に観ましたが(確か、金曜日の18:00だったかと思います。”俺は一時抜ける!”と言った事を思い出します。)俳優の皆さんが観たのは一週間前と言っていたので、庵野監督がまーた、ギリギリまで拘ったのだろうなと思いましたね。
pipiさん、庵野監督には厳しいですね。オイラはとっても優しい観客なので、【フーンという感じで】観てました。(ここ強調)
実は仮面ライダーは年代的に良く知らず。
前も書きましたが、仮面ライダー電王を息子は佐藤健氏のなよなよした演技を(あんなに凄い俳優になるとは・・。)、私は超絶美人の松本若菜さんに魅入られて毎週日曜日の朝に観ていました。(背後から、元超絶美人だった’過去形”の家人の冷ややかな目線を感じつつ・・。)では。
何かの本の中で、庵野カントクは「ライダー最初の10話? 位しか見返さない」との言がありました。さすがにイマ現在そこだけじゃ・・石森要素を入れたり、自分なりのショッカー解釈を入れたりしていく内に、訳分からない話に落ち着いてしまったんじゃ? せめてショッカーは訳分からん秘密結社のままが良かったと思います。
はじめまして
私が思ってた違和感をpipiさんが上手くコメントされてます。
仮面ライダーは一番期待してたのですが何故にエヴァ要素が必要なのか理解に苦しみました。
庵野さんは本郷猛の苦悩とシンジくんの苦悩を重ねたのでしょうけど。
エヴァの時に"シンジくんは自分だ"と言われてましたから、ライダーになりたい庵野さんの自慰作品なってしまったんですかね?結果的に。
「まわせ!ふかせ!エンジンふかせ!スピード全開!サイクロン!」いいですよねぇ…
レビューの方も激しく同感です!
蜘蛛センパイのとこまではかろうじて石森イズム継承していたと思いますが、
その後はエヴァに搭乗してしまいました(笑)
おはようございます。
「ザ・ホエール」のレビュー、楽しみにしています。
少しづつ、回復されているようですね。良かったです。
ダーレン・アロノフスキー監督の難解作をどう解釈されたのか、知りたいです。(あ、でも強制ではないですよ。)
折角のGWなのに、雨でチャリンコで渥美半島一周を予定していたのに中止。全くもう!では。
黒リネンさん。
そうですね♪
ただ、知性は令和のみならず昭和の象徴でもあると思います。昔のインテリゲンチャは哲学も当たり前に慣れ親しんでいたものですからね。
本作のレビュー書く前に5年前の「仮面ライダー1号」を見返しましたら、なんと「ザ・ホエール」との共通点を見出しました(笑)
ぼちぼち、レビュー上げていきますねw
pipiさん、コメントありがとうございます♪
自分は完全なるライダー弱者ですので、作中のあれやこれやを「なるほど!仮面ライダーってそういうものなのね!」と素直に受け取っていたのですが、やはりライダー愛の強い方からすると違和感があるものなのですね🤔
確かに、庵野監督は独りよがりな作品を作りがちなので、もう少し大衆を意識したものを作って欲しいですよね…( ´_ゝ`)
ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです。
私は別に監督なりのキャラクター造形に対してオリジナル(テレビ版)とイメージが違うことにはそんなにこだわらないのですが、新造形のキャラを作るなら作るで、せめて感情移入させてくれと思いましたね。
映像のチープさと共にその辺が残念でした。シンウルトラマンは脳内補正(補完?)により楽しめましたが、本作は補正しようがありませんでしたね。
それではお身体お気をつけて。