「父と子の物語に終止符。(3月31日再見:イオンシネマ千葉ニュータウン)」シン・仮面ライダー mark108helloさんの映画レビュー(感想・評価)
父と子の物語に終止符。(3月31日再見:イオンシネマ千葉ニュータウン)
父と子の物語がここに完結・・。シン・シリーズの総括。「シン」シリーズがゴジラとウルトラマンを挟んでエヴァとこの仮面ライダーで、庵野の自分史を総括したとみるべきであろう。
庵野の父はよく知られた話だが、16歳の時に製材所でノコギリを使っていた時に事故に遭い、左足の膝から下を失っため、義足になった。その後製作所をやめて、洋服の仕立て屋を奥様で庵野の母と共に営んでいたが、父は、事故のせいで世の中を恨んでいたと言う。その恨みが庵野自身にも向けられおり、1999年8月30日の朝日新聞のインタビューでは、よく殴られたりけられたりしたと回想している。4、5歳のころ、見かねた母親に抱えられて逃げたこともあると言う。きつい言葉で怒られた覚えもあるとも・・・。また、母からも、ツライ言葉をかけられていたようで、「産まなきゃよかった」みたいな意味合いを口にされた記憶について回想している。こういった家庭環境は庵野の内向性を高め、当時の日本の高度成長期に歪の表現として多くの漫画家や映像作家たちが「疎外感」や「悩めるヒロイズム」をテーマに作品を制作し、勿論その先頭を走るのは手塚治虫その人であったが、そう言った多くの子供たちを虜にしていった作品に庵野も取り込まれていった事であろうことは容易に想像できる。庵野の全作品にわたって言える父権への憎悪と戸惑い、母性の欠落、身内への戸惑った関係性や言葉遣い・・・これは遺伝子だけ繋がったクローンの登場が多い事でも伺われる。今回の作品でも緑川ルリ子はクローン設定。庵野には妹さんがいるというが普段交流はないとの事。希薄な家族関係に庵野の世界観が良く反映している様が見て取れる。
この作品ではファッションもロケ地も初めて放送された70年代への数々のオマージュがある。庵野が小学生高学年の頃である。数多くの空き地や資材置き場、工場跡地や工業地帯や港湾地域がその背景となり、まさにそこは世を儚んだ異形のもの、アウトサイダーの集う場所となった。ショッカーはそんな念の集まった場所の象徴となる。今回のロケでも使われた小河内ダムは📺仮面ライダー初回放送時のロケ地としてもマニアの間で有名な場所。そこをきちんと踏襲してくるあたりが、庵野にとって、この作品が如何にプライベートフィルムとなっているかを示すポイントのひとつである。
他にも🎦シン・エヴァのラストシーンを継承したように山口県宇部市のUBE三菱セメントの工場敷地と宇部新川駅。仮面ライダー1号の足の骨折は父親の義足と同じ左足。守りたい人を思うように守れない苛立ちが描かれている。次に東映やくざ映画へのオマージュ。日本の戦後漫画は敗戦による理不尽な立場を色濃く反映したストーリー漫画とそれをベースにしたアニメによって彩られる。特撮もしかり。ヒーローと呼ばれる者たちはみな虐げられし者たちが主人公であった。それはその敵である者たちと立場は大差なく、時にはヒーローたちはその敵たたる者たちとの立場の共鳴で苦しむ事となる。まさにやくざは今でこそ反社などと言うレッテルで完全封印されこの世からなかったもののように追いやられているが、当時は明らかにもう一つのある一定層の受け皿としての社会構成のひとつであった。
今回の漆喰の暗闇でのトンネルバトルはまさにその反社の戦いの象徴である。白地に赤は日本国旗でその際の赤は太陽と博愛を意味するとされているが、まず赤を太陽とする国は少なく、基本主流は金もしくは黄がそれである。太陽に見立てる単には周りに赤や緑などの補色を持って来て太陽を表す。事実朝廷側に着いていた当時の平家の御旗は赤地に黄であり、それに対して源氏が白地に赤で対抗した。結果源平合戦を制覇した源氏の白地に赤が朝廷の御旗隣国旗を表す基礎が出来る。その際の源氏の日の丸の赤は闘争を意味していたという。赤が闘争を象徴する色である事は多くの色彩心理学者が指摘している。
農耕民族をその祖とする大和朝廷の基礎であるアマテラスの大神は女性神で太陽神。多くの民を照らすことから太陽が博愛を示すことはこれまたケルトやゲルマンでも同じ。しかし太陽が赤となると極めて珍しく、事実平家は先に記したように赤地に黄の太陽であった。これは中東から南方系に多く見られる。どちらに転んでもおかしくない太陽は源平合戦で決まったお云って良い。黒地に赤を闘争と反社のイメージとして使った70年代のやくざ映画、特に鈴木清順が多用する。また東北の出身である寺山も黒地に赤をベースにした舞台を好んだ。
また唐十郎やつかこうへいなど朝鮮系の劇作家たちも虐げられしものとして黒地に赤を好んだ。ウルトラマンのデザインはやはり青森出身の成田亨であり、ウルトラマンのシナリオは沖縄出身の金城哲夫。即ち虐げられしものたちの挽歌としてあの暗闇に赤のみが輝く演出が取られたとみるべきであろう。やくざ映画のシリーズやエヴァの子等、ゴジラ、ウルトラマン、宇宙人、仮面ライダー、ショッカーそして庵野とその父の物語がこの「シン」シリーズであると解釈される。
予算が無かったのかとか陳腐な仮面ライダーに失望したという批判は今回の「シン」シリーズの本質が見えてないことになる。徹底したPOV手法と自主映画感は明らかに意図して演出されたものである。実は庵野高校時代に作った特撮オマージュは仮面ライダーものである。ウルトラマンの自主映画は大阪芸大時代である。
70年代回帰と日本サブカルチャーの総括。『仁義なきシリーズ』へのこれ以上ない映像的リスペクト。日本映画と赤(鈴木清順・寺山修司・唐十郎)、への答えはこうして整えられた。さらに赤いマフラーとヒーロー伝説の系譜へのオマージュ、これも「少年ジェット」に始まるヒーローと赤のマフラーの系譜は正に戦いと博愛の象徴であった。
全てがこの一作「シン仮面ライダー」に凝縮。
もう徹底した自主映画テイストで演劇志向でPOVの多様で・・もう、内向き内向きのやりたい放題。庵野ワールドキーキャスの総出演でシン・シリーズの狂言回し。これこそが「自伝・庵野秀明」の完結編、🎦シン・仮面ライダーの正体である。
◆2023年3月31日再見
出ていると思ったキカイダーが見当たらなかったショックと仮面ライダー0号の緑川イチローがイナズマンだったのでは、という発見があって楽しい。それにしても返す返すも庵野自身の父との関係を繰り返し繰り返し作品の中で反芻し、自問自答している一連の作品を見るたびに深い憐憫の念に襲われる。それが創作のエネルギーになっているのだからいいのかもしれないが、インせヴァに始まりゴジラ、ウルトラマンと経てこの仮面ライダーに至る60年代から70年代の庵野の見てきたまなざしの先は幸せであって欲しいと願うだけだが、本作の最後のセリフに「もうひとりではない」という言葉に漸く少年期、青年期と続いた孤独が癒えて来たのかなぁと少しホッとしてまた涙ぐむ。