「浜辺美波愛と旧作へのノスタルジーの詰まった、庵野さんの「僕の考えた仮面ライダー」!」シン・仮面ライダー じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
浜辺美波愛と旧作へのノスタルジーの詰まった、庵野さんの「僕の考えた仮面ライダー」!
庵野さん、浜辺美波ちゃんのこと、好き過ぎ(笑)。
久々に封切り初日に映画を観てきた。
人より早く映画を観ることにはほとんど関心がないが、
あまりに出演者が番宣とかで「ネタバレ厳禁」みたいなことを言うので、
いちおうネタバレを踏む前に観ておこうかな、と。
僕自身はそれほど庵野ファンということはなくて、『シン・ゴジラ』には某映画サイトで3・5点、『シン・ウルトラマン』にはここで3点と星をつけているくらいで、とくに詰め込み過ぎの情報量と早回し感があまり性に合わない感じだったのだが、今回は「三部作」のなかでは一番素直に楽しめたと思う。
同時に「三部作」のなかでは一番破綻しているともいえるが、それはそれで庵野さんらしいと思った。
とはいえ、どこまでを「ネタバレ」と判断するかは、結構難しいな。
ラストに関しては、まあ完全なネタバレ禁止案件だろう。
てか蝶オーグが出てきて以降の展開は、「ネタバレ」表示にしない限りは触れていけない気がする。
じゃあ、バトル要素の新機軸とかは?
あれもたぶん完全に予備知識無しで観たら、俺みたいなタイプの観客はきっと腹を抱えて大爆笑すると思うので、あまりバラしてはいけない気がする。
三●●●の『●●●● 三●の●の●●●』みたいな(ヒント出しすぎか?)
でもライダーの基本性能考えたらまあ、ああなるよね。
ていうか、ずっと庵野さんが「ホントは仮面ライダーがバトルしたらこうなるよね??」って何十年も脳内で悶々と考え続けてきたかと思うと、ほほえましい。
大筋に関係ないことに関してなら、たぶん触れてもいいんだろう。
浜辺ちゃんが、一生懸命かっこよさそうに演じていてもどこか運動神経が悪そうで、決め顔で歩いているのに首が左右にずっと揺れちゃっているのが愛くるしくて死にそうとか、
池松くんがほぼずっとプルプルプルプル、チワワかポメラニアンみたいに震えてて、これが池松くんなりの演技プランなのかと思って観ていたら、彼の一人称視点のキャメラまでずっとフルフル震えてて、どうやら監督にやらされてたらしいと気づいて苦笑いとか、
顔出しで出てくる男の改造人間は全員どちらかというと「クセ顔メン」なのに対して、女性の怪人は全員すこぶるつきの美人ぞろい、人間サイドも二人とも超イケメンって意図的な配置のバランスが面白いとか。
ただし、誰がなんの役をやっているかは、予備知識無しで観に行ったほうがいっそう愉しめるかもしれない。
なかでもサソリオーグは、おそらく彼女の芸歴史上もっともぶっ飛んだファニーな演技を強いられていて、僕はエンドクレジットを見るまで、実は誰だかまったくわかっていなかった。
あと、言われないと誰だか絶対に認識できそうにない配役がニ、三人いて、とくに某「殿」はクレジットで出演を確認してなお誰の役か僕には見当がつかず、パンフを観てはじめて、なるほどアイツがそうだったのかと。
― ― ― ―
というわけで、話の大筋については、このあとも敢えて触れないようにしたい。
けっこうびっくりする人は多いと思うし、ぜひ早めに映画館でご自身の目で、庵野さんの考えた大ネタを確認されればよいと思う。
ただ、言っておきたいことがいくつかある。
まずは、この映画は何はともあれ「浜辺美波を愛でる」映画だということだ。
庵野監督は緑川ルリ子というキャラクターをとにかく偏愛していて、
それを演じている浜辺美波ちゃんのことも大好き。
映画の大半の部分は、もうそれでなんとなく出来上がっている。
それも彼女の内面ってよりは、彼女の容姿と、佇まいと、オーラをひたすら追い続けている感じ。どこか、フィギュア愛に近いような。
大昔に庵野さんが『キューティーハニー』で、サトエリに同じような感じで執着していたことを思い出す。
一方で、全体の雰囲気というのは、どこか70年代のフィルムで撮られた映画やドラマの生っぽい質感をなぞっているようなところがある。
特にハードボイルド系の青春もの、刑事もの、旅ものあたりのテイストがノスタルジックに再現されている印象。逆に「特撮」らしいチャチさやぺらっとした感じは希薄だ。
日本らしい錦秋のパノラマや凍てつく冬景色のなかで、パワードスーツの強化人間同士が血みどろの闘いを繰り広げる違和の感覚は、おそらく庵野さんがわざと狙ったものだ。
『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』では、あまり映像上で旧作へのノスタルジーを感じさせる部分がなかったことを考えると、これは新機軸といってもいい。
庵野にとって『仮面ライダー』は、リファインしきってしまうと大切な何かが喪われるコンテンツだったのかもしれないし、彼にとって最もノスタルジックな感情と結びついた特撮だったのかもしれない。前二作ではやらなかった、エンドクレジットで●●●三連発ってのも今回やってるくらいだし。
でも、この「浜辺美波ちゃんのプロモーションビデオ」みたいな側面と「70年代フィルムっぽい質感とテイスト」という側面は、意外に途中から食い合わせが悪くなる。
まだ前半の、浜辺ちゃんが無表情でクールな演技を強いられていたあいだは統一感もあったのだが、中盤でルリ子が若干「デレ」てきてからは、なんかすげえ妙な空気感が漂ってくるんだよね……。
「70年代ドラマ」に、部分的に「ラノベ」が混ぜてあるかのような……(笑)。
とくにレターのシーンはもうこそばゆくて、ついくねくね身もだえしてしまった。
それここでやったらかなりきっついぞ。って庵野さんもわかってるだろうに。
でも、やりたくてやりたくて仕方なかったんだろうな。
なので最初に書いたとおり、「三部作」のなかではこれが一番、劇映画として破綻しているという気もする。浜辺ちゃんに執着しすぎて、作品のテイストとか全体の割り振りとかのバランスを少なからず逸してしまっているのだ。
でも、僕はそのことに対して否定的かというと、実はそんなこともない。
むしろ、これでいいと思う。
『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』での庵野は、少し他人行儀というか、一歩引いたところから知的に映画を構築していて、どこか低体温で冷徹な印象があった。樋口監督が間に入っていることももちろんあるだろうけど、血肉の通った劇映画というよりは、壮大な「俺の考えるゴジラ/ウルトラマン」の研究発表を延々見せられているような感じがした。
その点、監督自身の妄執や偏愛が色濃く反映されている本作には、まさに「庵野」の個人的嗜好や臭気が刻印されているといっていい。
そして僕は、そういう映画がきらいではない。
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もう一点、強調しておきたいことがある。
それは、本作が徹頭徹尾、「バディムーヴィー」だということだ。
とにかく2人がセットで出てくる。
いつも前から後ろから、2人が並んで歩くショットばかり。
最初、本郷猛のバディは緑川ルリ子だが、
話の展開にしたがって、バディの構成はいろいろにすげ変えられてゆく。
(お話の都合上、2号ライダーをどこかで出すわけだから当然だが)
サポート役の特殊機関の2人も、『メン・イン・ブラック』よろしく常にコンビだ。
常にツーマンセルで動くヒーローサイドに対して、ショッカー怪人は基本、単独行動だ。
だからこそ、能力は高くとも皆、一敗地に塗れるわけなんだけど……。
とはいえ、カメレオンはクモに半ば同性愛的な忠誠心をいだいているし、「ヒロミとルリ子」「緑川兄妹」といった、「過去の旧バディ」という要素も存在する。
それに合わせて、ショッカーの秘密基地もたいていはシンメトリーで構築され、真ん中で待ち構える敵に対してバックショットの二人が並んで向かってゆくショットが多用される。
徹底したシンメトリーへのこだわりで出来ている映画としては、グリーナウェイの『ZOO』やクローネンバーグの『戦慄の絆』、オゾンの『2重螺旋の恋人』、キューブリックやウェス・アンダーソンの諸作品あたりが有名かと思うが、本作も(とくにバトルシーンの始まりは)左右対称構図を強く意識している。パンフでスティールカットを確認するとちょっとびっくりするくらい。
これは、本作が何よりもまず「バディムーヴィー」であることを、視覚的にも強調したいがための仕掛けだ。
人がこの世の悪に立ち向かう時。
人が自分の弱さに立ち向かう時。
必ず支え合う友、頼りになる相棒が必要なのだ。
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その他、観ていて適当に考えたことなどを箇条書きでつらつらと。
●本作の「怪人」たちは、旧作のテイストを引き継ぎつつも、明らかにアメコミ及びアメコミ映画の「ヴィラン」の影響を色濃く受けている。軽口の叩き方や妙に気取った感じ、ぶっ飛んだファンキーさなど、いかにもって感じだ。
●一方「正義」のサイドは昭和感を強く遺しているが、旧作の藤岡弘のようなマッチョな強さではなく、むしろショーケンと水谷豊の『傷天』コンビみたいな、弱さを包含する若者(タートルのセーター着た学生運動くずれの反抗期青年みたいな)をイメージさせる。
●語り口については、徹底した早回しと膨大な説明台詞で全編を押し切っていた『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』と違って、妥当なテンポと適度の情報量に抑制されていて、こちらのほうが僕は断然好きだ。
●ただその分、移動したと思ったら敵アジトの深奥に、といったワープっぽい展開が多く、テンポ感はふつうになったかわりに、「徹底的に余分な要素を排した」「ひたすら重要シーンばかりが続いていく」省エネ進行が顕著である。ちょっとRPGの、廊下を歩いてたら敵遭遇でいきなり部屋で対峙してバトル開始、みたいなノリ。
●登場人物に関しても、本当に物語を回すのに必要なキーパーソンしか出てこない。さらにいえば、この映画には某オーグの力で操られる街の人々以外、一般大衆がほとんど登場しない。そのおかげで「余分なシーン」は一切カットできているが、「世界を悪から守る」ために戦っているはずの話で、「世界の実体が見えない」不思議な感覚がある。何を守って戦っているのかの部分に、ぽっかり虚ろな闇がひろがっているかのような。
●本作には、2人がバイクで関東一円をずっと移動していく「ロードムーヴィー」としての側面もある。単にロケ地があちこちにバラけているだけとも言えるが、富士山が山梨側からも富士宮側からも撮られているし、木更津の海岸でシギ・チドリが集まる夕景とか、あと瀬戸内と思しき海上の道やコンビナートも出てきて、旅情をさそう。
●設定で印象的なのは、仮面ライダーの仮面が、自分で着脱するヘルメット状のもので、首筋からおくれ毛が出ていたりすることだ。バトル同様、リアル路線の行きつく先ということなのだろうが、けっこう生々しい。あと、赤いマフラーにもきちんとした理由付けが出てくるが、子分に籠絡するたびにルリ子がいそいそと巻くので、ちょっと奴隷につける首輪(社畜のネクタイ)みたいにも思えた(笑)。
●音楽では、商店街だかのシーンで唐突にかかった『阿修羅のごとく』のテーマ曲(トルコの軍楽らしい)に大爆笑。あれ、インパクト只事じゃないな。
●冒頭の「暴力談義」はウクライナを意識しているだろうし、コウモリの話は間違いなくコロナ禍と関係があるし、感情操作系の話は昨今の新興宗教ネタと関連があるだろう。何十年も前から庵野さんは「撮りたい仮面ライダー」を温めていたはずだが、ここ3年くらいの世界と日本の激動は、さらに監督のなかの「正義と悪」の概念を深化させたに違いない。
●サポートメンバーのふたりが役名を口にしていないことにはずっと気づいていて、きっとアレだぞ、アレが来るぞ(前作のやつ)と思って観てたんだけど、全然そんなことはなかった(笑)。
●ラストの趣向については、とにかく一文字の決めぜりふどおり、こうすれば「スッキリ」いくのにってずっと思ってたんだろうなあ、庵野さん。
柄本佑くん『シン・ゴジラ』を観て「これだけいろんな人が出てるのになんで僕はいないんだろう」って思ったって言ってたけど、すっげえいい役もらえたじゃない。なんか、本当におめでとう!
凄いレビューですねー!
るり子へのフィギュア愛にも似た偏愛、なるほどー。
どのトピックも、じゃいさんの慧眼と博識に一つ一つ頷きながら(唸りながらw)拝読させて頂きました。
まさか、本作のレビューで「戦慄の絆」や「傷天」(ショーケンと韻踏んでるしw」の文字を目にするとは思いもしませんでした(笑)
いやはや感服致しました。
ご迷惑でなければ、またリプライ寄せさせて下さい。
素晴らしいレビューをありがとうございました。