コットンテールのレビュー・感想・評価
全25件中、1~20件目を表示
よく見れば、良い家族、良い映画
嫌味無く、とても良い家族の良い映画だったと思います。
実はあまり広告の説明を読まずに、丁度良い上映時間を選んだだけで映画館に飛び込みました。上映開始後、内容はすぐに理解。誰も居ない席のグラスにビールを注いで、万引きしたタコの寿司を食べる。それだけで、どんなお話は大体読める。とても判りやすい。思い出されるのは出逢った頃の妻の姿。とても愛らしい昭和美人。そして弔いのビールを飲み干して、息子に連れて行かれた、その妻の葬儀。
なんだか、うさんくさい駄目親父だと思ってたけど、出逢った頃の妻を未だに胸に抱くその姿。ぶつかり合いながらも、その父を見捨てない立派な息子。とても良い家族。とても良い話。悪い人は全く出てこない(電車で乱痴気騒ぎで絡んできたイギリス人も含めて)スムーズに理解出来る良い映画だったと思います。
誰にも任せられず、しっかりと胸に抱えた遺骨のバックも、散骨を終えれば、やっと肩の荷が下りたのでしょう。地面に下ろして息子夫婦や孫と一緒にウサギを追って駆けていくエンディングは素晴らしかったのですが、これは誰もが辿る物語。スタッフのエンドロールに強い重みを感じました。
ウィンダミア湖畔への旅‼️
妻を亡くした男が、妻の遺言でイギリスのウィンダミア湖への散骨に、疎遠になっていた息子夫婦と共に出かける・・・‼️要は家族再生の物語です‼️イギリスの美しい片田舎やウィンダミア湖を映し出した映像はホントに美しい‼️ただ少し人間ドラマというか、キャラ描写が雑に感じました‼️妻が「ピーター・ラビット」の大ファンで、かつて暮らしたことのあるウインダミア湖へのこだわりはイイとしても、直接の死因は何の病気だったのか⁉️主人公と息子はなぜ疎遠になってしまったのか⁉️そしてリリー・フランキーのキャラ‼️魚屋でタコの刺身を万引きするし、イギリスで明日の汽車を予約してるのに「今日出発しよう」と頑なに主張したり、夜遅い豪雨の中を息子夫婦の事などお構いなしに湖を探し続けたり・・・‼️めっちゃ自分勝手でイヤな奴、訳分からん奴‼️そう思わせるリリー・フランキーの演技はスゴいと思う‼️ただあまり主人公のキャラに感情移入出来ないまま映画も終わってしまった‼️上映時間も1時間30分と短いので、あと30分ぐらい時間をかけて、キャラの詳しい背景や人間関係を掘り下げたほうが良かったと思います‼️
ほのぼのロードムービーかと勘違い
いつも通り前情報なしでみましたら、完全に勘違いしておりましたが、勘違いして観に行ってよかったです。こんなにシリアスだと知っていたら観に行かなかった。
喪失感にまみれた兼三郎の表情に続き、明子とのみずみずしいはじまりの時が散りばめられ、子育てが終わり穏やかな二人の日々。明子の病気が発症し、病院の帰りに二人で入った喫茶店で見せる明子の不安。
「迷惑をかけるだけの存在になっても、生きていかなくちゃいけないのかなあ。」
残酷なことにその不安は現実となり、介護の日々は時に家族にとっては辛いものとなる。辛いを通り越して惨たらしいまでに感じられたのは、鬼気迫る演技のせいか。
怖かった。きっと当事者の家族と同じ、怖かった。
明子の最後の願いを、紆余曲折ありながらも家族で叶えたのちに見つけた「Rabitt」は、明子のありがとうだったのか。夕焼けはいつだって美しいけど、大雨の後の夕焼けは尚更美しい。
ロードムービーの形を取っているが…
出掛ける際、隣人に挨拶されても返事もしない兼三郎。電車では肩がぶつかった乗客に謝りもしないし、市場では店主の目を盗んで蛸を万引きする。こうした冒頭からのシーンで、主人公がかなり自分本位の偏屈な男だという事が伝わってくる。しかし馴染みの寿司屋に入ったあたりで、彼が妻を亡くしたばかりで平常心を失っていたことが分かる。ここまで台詞は少ないが、兼三郎の置かれた状況と明子への愛情の深さが窺い知れる良い導入だ。そしてイギリスで迷子になってしまっても、彼ならさもありなん、というエクスキューズにもなっている。
途中、何度か回想シーンも挿入されるが、過去は過去で出会いから死までが時系列に沿って語られるので、混乱することはない。ロードムービーの体をとっているが、本質的には避けていた息子といかに向き合い、妻の死をいかに受け入れるかという家族の再生の物語であり、特に後者の比重が大きい。
象徴的なシーンがある。明子の臨終の際、病室のドアは完全に閉まってはいない。医者や看護師に声を掛けようとすれば可能なのである。しかし、兼三郎はそうしなかった、と言うよりも部屋の外は関係なかった。彼にとって妻との関係が唯一無二の物であり、外界とは(たとえ、それが息子であっても)積極的に関わるつもりはなく、ましてや明子の死後は閉ざされた世界にひとり住んでいたに違いない。だから、言語が異なり意思の疎通が取りづらい異国において、初めて自分と向き合うことが出来たのだ。
他人に触られることを拒んでいたバッグは妻への執着を表しているのであり、見つかった写真の湖は過去のメタファー。そう考えると、その湖を見下ろし、あれほど手放さなかったバッグを置いて、家族の呼びかけに応じて丘を登った兼三郎は、新たな一歩を踏み出す勇気が持てたのだろう。切なくも愛おしいラストシーンだ。
確かに、別に舞台が湖水地方でなくても成立する物語ではある。しかし、よく見ると監督はイギリス人。おそらく、洋の東西を問わず共通な家族の和解というテーマ(高齢者大国日本を象徴する介護問題も含んでいるが)に、自分自身のアイデンティティでもあるイギリスの田園風景を盛り込んだのではないか。それも納得の美しい映像と、出演者の演技が心に沁みる作品だった。
タイトルなし
久しぶりの錦戸亮が出演するからと知り映画館で鑑賞。
わりと序盤のイギリスに着いて、
兼三郎が外の景色を見せようと明子の遺灰が入った紅茶缶を出したシーンからもう泣いてしまった。(早い)
明子との思い出や、病気の話、
さらに明子の約束を果たす為に1人でも行こうとする兼三郎の姿観ると泣いてしまう……
また、イギリスの風景があいまって良かった。
今年入っていくつか新しい映画観たけど、
コットンテールは劇場で観れて良かった映画。
音楽も良かったのでまた観たい。
亡き妻の遺言を叶えるためイギリスに旅立つ主人公の物語。シンプルな話かと思ったのですが実はそうでも無いような気がして鑑賞後悶々とする状態が続いています。
予告やサイトの作品紹介を見て気になった作品です。
イギリス湖水地方。湖に散骨を希望した妻の願いを
叶えるため男は旅に出る。ふむ。
好みの作品かも と気になり鑑賞しました。
…のですが ・_・アレ?
ストーリーの大筋はシンプルらしいので、ならば話自体も
シンプルかと思ったのですが、違ってました。@_@
鑑賞後の時間が経過するほど、そして理解しようとすれば
するほど、分からない点・理解しにくい点が増えてしまい
単純に楽しめる作品では無いかもと途中で気付いた次第です。
鑑賞中~
スクリーンの中で起きている事は、理解できます。
まとめてみると、大体こんな感じかと。
# 妻に先立たれた男が主人公。
# 葬儀の日、住職から妻の遺言状を渡される。
# 中には「イギリスの湖に散骨して欲しい」との希望が。
# しばらく疎遠だった息子夫婦とイギリスに。
# 妻の記憶の中の湖をなんとか探し出し、無事に散骨。
# 主人公と息子との絆が、再び紡がれ始める。
うん。ここだけ読むと良い話な感じかも。 …けれど
そんな単純な展開ではなかった気がしています。・_・;
実際のストーリー展開は
「何故ここでこんな行動に走るのかなぁ」 と、
登場する人物の行動の動機付けが分かり辛く、話が進む
につれて積み重なっていく感じがしました。
背景や動機が分からなかった点を挙げてみると
・この夫婦はどこで出会ったのか。
・何がきっかけで知り合ったのか。
・謙三郎の小説がきっかけなのか。
・奥さんのウサギへの思い入れの理由は何か。
・謙三郎は小説を書き続けていたのか。
etc
結婚後はどうやって生活していたものやら。ましてや
息子が生まれてからの生活となると想像できません。
あ、もうひとつ。・_・;
冒頭の、タコへの執着理由も振り返ると「?」でした。
後の伏線になっているのかと思ったのですが、終わってみれば
そういう訳でも無く。・_・; タコへのこだわりの謎。
(万引きしたのは、金に不自由しているからなのか?)
そして、日本パートから英国パートへの繋がり。
イギリスの湖に散骨して欲しいとの遺言なのですが
そこまでの英国へのこだわる理由が、どうにも理解できません。
奥さんの側には昔家族で旅をした思い出があるようですが
散骨となると、どういう気持ちから願ったものなのか。う~ん。
・自分のアイデンティティは英国にあるわ とか
・もはや日本に未練が無くなったのよ とか
・ラビットをみんなで探しに行ってね とか
もしかすると、タイトルに深い意味があるのだろうか。
なぜ「コットンテール」というタイトルなのか。
「綿のお話 」? いや、「話」じゃなくて「しっぽ」?
「綿のしっぽ」? …うーん。
ここで思い立ち「コットンテール」 で検索。 すると
ピーターラビットのお話に登場するウサギの名前がヒット。
ピーターの三つ子の妹の末っ娘の名前らしい。
へえ…
もしかすると、ピーターラビットのお話を知らないと
この作品の奥にある「深い何か」に気付けないのかも。 うん。
きっとそう 誰かそうだと言って下さい…
脳が活動停止。 ×∇× ヒィ
※なにせ ピーターラビットのお話を殆ど知りません。
数年前に映画になってた作品がありましたがこれも未鑑賞…
と、いうわけで
この作品、鑑賞直後はそれなりに分かった気がしたのに
時間がたつほどに納得感が薄れていくという
とても困ったちゃんな作品なのでした。(現在進行形…)
他の方のレビューを拝見しにいこうかと思います 。
◇あれこれ
■VFX
エンドロールにVFXの単語が出ていました。
この作品のどこにVFX映像が? と思っていたのですが
もしかしたら、最後の場面の「うさぎ」なのでしょうか。
(本物のウサギを使ったものと思っていましたが… はて)
■謙三郎
という名前について。
兄弟がいるような感じでは無かったと思うのですが
一般的には「三男」を意味する「三郎」。兄弟はいるの?
もしかしたら、大江健三郎から名前を引っ張ったのかなぁ
そんな事を想像しました。
(日英合作だったので、日本人の作家として有名かな? と)
■うさぎ
” ピーターラビット ”は、名前を知っている程度で、どんな内容
のお話なのかは分かっておりません。
(皿やカップの絵柄になっている印象くらいかなぁ)
うさぎ自体は、昔話や童話に良く登場する気がします。
・不思議の国のアリス
(パーティーに遅刻しそうなウサギ) 急げ急げ
・ウサギとカメ
(昼寝してしまい競争に負ける教訓ウサギ) ZZz
・カチカチ山
(お婆さんの敵討ちで狸に火をつけるウサギ) うーむ
・因幡の白ウサギ
(ワニを騙そうとして皮を剥がれるウサギ) きゃー
・セーラームーン
(月に代わってお仕置きするウサギ) お団子アタマ
※昔話でも童話でも無いけど まあいいか ・_・;
良い役も悪役も、どちらもありますね。
それだけ暮らしに身近な動物ということなのでしょうか。
◇最後に(妄想編)
英国と日本を舞台にしたこの作品。
イギリスの湖に帰りたい妻。
自己中心でタコを万引きする夫。
タイトルは「コットンテール」。
キーワードは「ピーターラビット」。
そうか このお話は
「コットンテール」が「ピーターラビット」の世界から日
本に異世界転生し、明子として生まれ変わる。
そこで出会った謙三郎と恋に落ちる話ではないのか。
謙三郎も「万引き家族」の世界から抜け出してこの世界に転生。
なぜか日本で出会った明子を愛してしまう。
前世の記憶が戻った明子。元の世界に帰るために英国の湖水地方
に散骨して欲しいと希望。(きっと違う)
哀しみと郷愁の余りに万引きせずにはいられない謙三郎。(涙)
って こんなのどうでしょう … うーん 怒られそうな気が…。
◇最後に(本物)
本人を知っている訳ではないので想像するしかないですが
実際に家族に謙三郎(リリー・フランキー)がいたら、かなり
鬱陶しい毎日だろうなぁ と。(褒めてます)
それくらい、リリー・フランキーに存在感がありました。
主人公は彼しか居ないだろうなという気がします。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
いい映画なんだけどね、一つひっかかることがあって、もやもや。
「ぐるりのこと」をみていないのですが、リリーさんと木村さんの夫婦役はとても、良い感じに見ることができました。二人の若い頃の二人、特に明子さんの若い頃を演じた恒松さんがとても天然というのか、可愛くて良かったです。
そして、ロードムービーとして兼三郎が和解していきます。息子さんというところなのでしょうが、その前に、彼は自分自身とまず和解しなきゃならなかった。こういうふうにしか生きてこれなかった、看取ってやれなかった彼自身と和解しなきゃならなかった。その描き方が時間をかけて、伝わってくる感じがして良かったと思います。
さて、ここからは僕のモヤモヤの部分です。この映画を良い余韻で終えたい方は読まないでください。
モヤモヤのこと、それは妻・明子さんの死因なんです。
彼女の死因はなんでしょうか。
認知症は死に至る病ではありません。
例えばアルツハイマー病罹患から死亡までの平均罹患期間は8〜10年と言われています。
若年認知症はあります。しかし、すぐには亡くならないのです。
しかも、痛みを伴うものではありません。
明子さんが亡くなるところの場面で医師がしようとしていたのは「疼痛コントロール」のように見えました。
そう、癌末期のように見えます。
もちろん、認知症と癌が併発することもあります。
しかし、もしそうなら、おそらく日本の医療ではああはならない。
明子さんの年齢であれば、認知症よりも癌治療をもっと積極的に行おうとします。
手術など外科的な治療に化学療法、放射線治療や免疫療法など。
フル装備で行っていきます。
夫の兼三郎も息子の関わり方ももっと変わってきます。
癌の告知であったり、手術の同意書であったり
映画の内容も変わってきてしまうでしょう。
明子さんは認知症でなくなったというより、癌で亡くなった、となります。
そういった医療の現実がぼやけて使われている、そこがどうしても
見終わった後に気になってならなくなったのです。
そこのリアリティーが感じられないのです。
汚したおむつ取り外しなんて肉親として悲しいシーンを描きながらも
そこまでに辿り着く設定がファンタジーなんです。
私の知識が乏しく、違う医療の現実があるのであれば
そこを上手に挿入していただかないと
医療の端っこにいる者は「?」と湧いてきた疑問を解消できないままになってしまうのです。
ピーターラビットの妹はコットンテール
UPLINK吉祥寺で「コットンテール」を。
リリー・フランキーが登場して、いきなり万引き家族!?と思ったら寿司屋で妻の明子(木村多江)との初めての出逢いを思い出す。
二人は「始めまして」と挨拶を交わし名乗り合う。寿司屋で待ち合わせの時間に明子が遅れて来たようだ。場所と時間が決まっていて初めて会って挨拶するって、これお見合い?デートで、始めましてで名乗り合わないよね。気になってしまった。
明子は認知症に対する不安を持ち、認知症を発症し、寺の住職に手紙を託す。そこには明子の父親と行ったイギリスのウィンダミア湖に散骨して欲しいという最後の願いが書かれている。
妻の最後の願いを叶えるために謙三郎はトシとウィンダミア湖へ行き、彼女の願いどおり散骨する。
この旅で謙三郎とトシの関係性も変わって行く。
兼三郎(リリー・フランキー)と明子とトシ(錦戸亮)の親子関係が深く描かれておらず、少年時代のトシと両親の関係が不明で、何故明子はトシを評価し、トシと謙三郎の間に隔たりが存在するのかが判らない。明子が認知症を発症してからも誕生日にケーキを買って訪ねて来るなど、長い間トシと疎遠になっていた訳ではない。
だから、何故明子はトシや謙三郎との思い出の場所ではなく、父親との思い出のウィンダミア湖を選んだのか。そういう所を深く掘り下げてあれば、もっと余韻が残る作品になったのではないだろうか。
拝啓、謙三郎様
あなたの幸せを
家族の幸せを願っています。
クレジットでイギリスで世話になる親子が同じ姓だった。本当の親子かな?
我が道を行く兼三郎。今後もぶれずにあのまま行く。兼三郎にはイライラするし感動もしなかったが、スゴく面白かった。男の介護者は自分1人で頑張ろうとしてしまいがちなのが良くない。
以下は別に兼三郎の悪口のつもりではないし、欠点、短所のつもりでもない。兼三郎を非難、否定したいわけではない。コレが兼三郎だと言いたいだけだ。
「コレが俺だ」 by 兼三郎 (^^)
兼三郎は、ふてぶてしい、ずうずうしい、自己中心的。どれも否定的な言葉で、「よく言えば○○」と言い換える言葉さえ思い浮かばない。あえて言えば、動じない、堂々としてる、大胆不敵。
もっと協調性をとか、まわりの迷惑も考えろとか、気をつかえとかあなたは思うだろう(僕も思う)。しかし周りから何と言われようとも兼三郎は、我 関せず、馬耳東風、聞く耳持たずだ。兼三郎にしたら自分の気分にしたがって行動してるだけで何が悪い、余計なお世話だ。兼三郎とあなた(僕)の行動の基準が違うだけだ。兼三郎は当然自分の基準にしたがって行動する。それで失敗しても反省はしないし、ちょっと運が悪かったなと思うだけだ。
例えばタコと自転車を盗むが、バレなきゃいいと思ってる。バレたら謝ればいいと思ってるし、きっともしバレても後悔も反省もしない。運が悪かったと思うだけだ。
また、ロンドンで急に今日行こうと言い出して、結局ひとりでサッサと出かけてしまう。結果、逆方向の列車に乗り、途中下車で電車がなくなり、盗んだ自転車でやみくもに走り出して雨に降られ、木の下で雨宿り。スマホの電池切れで助けも呼べないからそこで一夜を過ごす。こんな時ももちろん、今度からは息子の言うことにも耳を傾けようなんて、これっぽっちも思わない。きっと後々思い出すときも、外国で面白い経験をしたぐらいの感じだ。
あーホントいい迷惑、いい年して何やってんだ、学習しろよ、自業自得、やれやれコレで少しは反省して態度を改めるだろう、とあなたは思うだろう。
だけど僕は、絶対 兼三郎は変わらないと確信して見ていた。
だから最後のほうの家族の再生みたいな場面でも僕は覚めた目で見ていて、思わずつい鼻でフッと笑ってしまった。何も変わっちゃいないよと思ったからだ。
最初にも書いたが兼三郎を非難して否定したい訳ではない、良くも悪くも、コレが兼三郎だと言いたいのだ。だけどヤッパシ周りにしたらホントにいい迷惑だ。「やれやれ」。
「文句あるか」 by 兼三郎。
イギリスの景色はよいけど
リリーフランキーと木村多江はいいけど脚本はやや疑問。愛する妻を手にかけた事を匂わすが、介護疲れをあまり感じない。義母を見送ったときは、もっと大変で、家でモルヒネを打ったし、家の中もメチャクチャで妻は激痩せ。毎日泣いて暮らしてた。本作では父子の関係が希薄だったけど、それでは在宅介護はできない。
若い時のシーンが入るが、イギリスの湖に散骨してほしい理由がやや不明。パーフェクトデイズのように、淡々とリリーと木村多江の演技を中心にした脚本にした方が、夫の深い悲しみや喪失感が描けたのではないか。或いはイギリスの湖に向かうロードムービーにすると良かったか。
死がふたりを分かつまで命の続く限り、これを愛し、敬い、貞操を守ることを誓い合う!
命は限りある。そして突然の別れ・・・
某有名な国民的漫画家と、長年国民から愛されたアニメ声優の突然の訃報。
これを知った時、私は言葉が出なかった。あ~ぁそうなんだと・・・
元気を沢山送り続けてくれる その源が消えて無くなる事ほど悲しいものはないな。そう思う。お二人のご冥福をお祈り致します。
そんな中、「コットンテール」を観に行った。(久々の遠征)
どうしても ”ぐるりのこと。”で夫婦役(翔子&カナオ)で共演していた 木村多江さんと、リリー・フランキーさんの夫婦役がもう一度観たかったからである。
------
この作品は、主人公(作家)兼三郎と明子夫婦の出会い(馴れ初め)から始まり、病で亡くなる妻の死後 彼女の遺言状に書かれていた”イギリス北部のウィンダミア湖に散骨して欲しい” この願いを叶える~ 頑なで寡黙な兼三郎と
疎遠であった一人息子の慧(役:錦戸亮さん)夫婦家族と一緒に散骨の旅をする話である。果たして 無事に遺言は叶えられるのであろうか・・・
-------
馴れ初めからして とっても良い雰囲気で二人の間が芽生える。見ているコッチにも幸せお裾分けな思いw。
若年期を演じた工藤孝生さんと恒松祐里さんが好演でしたね。
やがて二人は夫婦に。
息子も一人出来て 成長しやがて結婚し旅立って、また夫婦二人の生活に戻る。
ある時、妻が認知症の資料と施設パンフレットを取り出し夫に見せた。
ここから 病に転じてしまう妻明子。精一杯看病する夫兼三郎の姿。
認知症がもたらす悲しい症状。家族の途方に暮れる姿が本当に居た堪れない。
病室のベット上で最後を看取る夫。妻が言葉に成らない声を出している様で。でも観ているこっちには聞こえない。きっと二人の間だけで分かる会話(最後の別れの仕草) それがとっても 切なく胸を打ちます。
二人の間を死が分かした現実を受け入れられない 兼三郎。
寺の導師がなぜ遺言状を預かっていたのか その流れには大いに疑問であったが、
遺言状の願い(散骨)を疎遠の息子家族と執り行う事で きっと孤独に成りがちな兼三郎の事を思い、これからの残された人生を息子家族と一緒にやって行って欲しい願いがココに在ったのだろうと そう思います。
仲の良い熟年夫婦がいつかは迎える旅路の終焉、それを感じます。
寿司屋に持って行ったネタは何処で調達したの?とか、自転車は返さんでいいのとか? イギリスの散骨許可はいいの?とか 色々野暮な事は有りましたが この夫婦には聞きますまい。
お二人のファンの方、
仲良し熟年夫婦の方、
お時間許すならお二人劇場でどうぞ!
リリフランキーらしい作品
なんか、クセある人
奥さん亡くなっていて
タコを食べて 思い出が重なって事情が
わかってくる。
売れない作家希望の英語教師
錦戸が息子役、最近顔見るよね。
イギリスに行って湖を探して
淡々と
ラストは、明るい雰囲気で良かったよ。
普遍的な家族の物語
家族というのは、お互いの人生に『刻み込み合う関係』を持たせるものだと思います。
お互いの関係性において、
・好きか嫌いか
・愛するべきか憎しみあうべきか
・価値観を共有するべきか否か
・守るべきか守らざるべきか
・血が繋がっているか否か(里親でも受け入れられるかどうかを含む)
エトセトラ、エトセトラ…
それらいずれにせよ個人の人生に『刻み込まれ』ます。ただの経験の共有ではないのです。
なので『決して切ろうと思っても切れないもの』なのです。
良い思い出の時には人生の節目として幸があり、悪い思い出の時にはトラウマとして人生に深い傷跡がそれぞれ残ります。心に刻み込まれるわけですから、放っておいて癒せる傷ではありませんし、ましてや時間が解決するなんてことはありえません。
すべては自分の力にかかっています。
主人公の兼三郎も愛する人の心の救済ができなかったこと、息子との関係を修復できなかったことに対して心に傷が刻み込まれます。しかしながらそれらは自分自身で解決するより方法はありません、前に向かって…
イギリスに旅に出るのは妻の力を借りて前に進もうとする心のあらわれだと思いました。
兼三郎が旅する風景は、彼の心象風景のようでした。
そのなかで現地の人との交流などを経て、次第に生きる力を取り戻してゆきます。
そして最後には息子との和解、妻との約束を果たし、あらたなるスタートラインに立つことが出来ます。
妻の明子は「身近な人の記憶失くして生きていたくない」というような事を言います。しかし認知症方々は心のなかに記憶を残しておられます。それは心のなかにしっかりと思い出が刻みこまれているからに他なりません。
『刻み込む』という感覚は人生において決して消えることのない、そして忘れる事ができない事であると思いました。
リリー・フランキーの演技がすべて!
シンプルな話だが、
リリー・フランキーの一つ一つの表情によって成り立った映画であり、
それらがすべてを言う、ような感動作。
妻と同じ世界を共有する時の表情、妻を思い出す表情、喪失感あって心のどっかが空っぽになった表情、イギリスの家庭でちょっとした楽しいことがあったときの表情...自然なのに人間性が分かるような重みのある演技だった。
それに加えてイギリスのきれいな景色も見れるロードムービーにもなり、旅の終点に兼三郎が探した湖があった。
と思わせつつ、
家族みんなで絶景を目にしたり、ラビットを追ったりするシーンから、まだ旅も人生も終わりなく、すぐそこに存在する今を手放してはいけないような気分になった。
リリーフランキーさんが、最高!
兼三郎と明子の夫婦の絆が、わかりました
病気に怯えて、不安な明子と
それを受け止めたくない、兼三郎
兼三郎と息子を愛する、明子と
明子に愛情を注ぐ、兼三郎
兼三郎の息子への思いは、迷惑かけたくないという
空回りの思い
息子としは、父親兼三郎ときちんと親子になりたいという
あせり
2人は空回りしながら、母親の気持ちをしり
母親の最後の願いによって、新しい親子になっていく
最後には、握りしめていた紅茶の缶を手放して
新しい親子のあり方を受け止めていく
兼三郎の旅?の部分は、人に触れ温かい気持ちになりました
私も、困った人はたすけなきゃ!って
でも、実際は介護って、ほんとに大変!
する方も、される方も、心のメンテナンスが絶対に必要だ!と、常々思っています…
雰囲気映画=映画内リアルの欠除
役者もいいし、雰囲気はいいと思います。
ただ、なんだかとっても都合の良い展開で、白けてしまいました。
ウインダミア湖を探して旅をするんですが、唯一の手がかりの写真の場所じゃなかったとか言い出して車でウロウロするときに、全く別の湖のカットが無い。イギリス特有の風景なのかな、草原というか、丘の一本道を車で走ってるような感じばかり。大きな湖の別の場所を探すシーンとかなんで入れないんだろ。
挙句に、聞き込みで別の湖だったことが判明。いやいや、もう40年くらい経ってんだから、写真1枚だけで場所わかるかな?。
ま、わかるとして、「じゃ、ここから俺一人で」って車降りてから、まあまあの距離。ほんとにそこが写真の場所かどうか確定してるわけじゃ無いのに、見送る息子夫婦。
なんだかなあ。
もっと前の、逆方向の電車に乗るエピソードとか、予告編に入れるならいい材料だけど、実際、反対方向に行ったのに、歩いてとか、自転車盗んで、地図もないのに、行きますかね。ロンドン?に戻った方がいいんでは。子供でもわかりそう。
牧場の親娘も、あんな胡散臭い東洋人をあっさり信用しすぎ。ファンタジーか。
母親の認知症はいいとして、死因は別の病気だよね。それを明かす必要はないけど、モニターが付いてたら、ナースステーションにも無線で繋がってるはずだから、看護師が訪室して初めて気づくなんてありえない。
色々、エピソードを入れたけど、料理の仕方が、あんまりだなあと思いました。
そうそう、この映画に限らないんだけど、普通の靴でどんどん湖に入っていくのって、普通なのかな。私的にはありえないんですけど。
雰囲気は悪くないが、兼三郎の行動が無茶苦茶なので感情移入しづらい作品
2024.3.6 一部字幕 MOVIX京都
2023年のイギリス&日本合作の映画(94分、G)
妻の遺言を叶えるために旅に出る作家家族を描いたロードムービー&ヒューマンドラマ
監督&脚本はパトリック・ディキンソン
原題の『Cottontail』は劇中に登場するウサギの別名
東京在住の作家の兼三郎(リリー・フランキー、若年期:工藤孝生)は、妻・明子(木村多江、若年期:恒松祐里)を亡くし、途方に暮れていた
認知症から全介助状態になり、自宅で面倒を見てきたが、それも限界に達し、施設への入所を余儀なくされていた
息子・慧(錦戸亮)との折り合いも悪く、そんな二人を見ている慧の妻・さつき(高梨臨)も心を痛めていた
明子が亡くなり、寺の住職から遺書を渡されて困惑する兼三郎と慧
そこには「遺灰をイギリスのウィンダミア湖に撒いて欲しい」と書かれていて、彼女は生前から「ピーターラビット」をこよなく愛していたことを思い出す
兼三郎は一人で行こうと考えていたが、慧の計らいもあって、慧の娘・エミ(橋本羽仁衣)も連れて、4人で向かうことになった
1秒でも早くその湖に行きたい兼三郎は、イギリスに着いても気が休まらない
慧とさつきが買い物に出かけた際にも部屋にいておられず、エミを連れて、街を散策し始める
兼三郎は何事もなかったかのように帰ってくると、慧は激怒し、それが原因で兼三郎は別行動を取ることになってしまう
兼三郎は右往左往しながら列車に乗るものの、乗客からは反対方向に乗っていると言われ、降りた駅で途方に暮れてしまう
そこからは、適当な道を歩いていくものの、どこにいるかもわからずに、仕方なく牧場を訪ねることになってしまう
そこにはオーナーのジョン(キアラン・ハインズ)と娘のメアリー(イーファ・ハインズ)がいて、少しの暖に預かりながら、彼らの車でウィンダミア湖を目指すことになったのである
映画は、湖に向かう道中で過去のエピソードを思い出すという構成になっていて、現在パートと過去パートで同じ寿司屋が登場したりする
そこでの悪事はお粗末なものだが、兼三郎はイギリスでもチャリをパクったりするので、結構行動に問題がある人物のように描かれている
慧との喧嘩になっている原因が物語のキーシークエンスになっているが、それを言い出せないことが心にわだかまりを作っているように見える
慧は聞きたくないというものの、本心では「そうではない」と願っていて、それが確認できたことで、次のステップに進めるような感じになっていた
映画は、日英合作ということで、パンフレットやエンドロールは洋画のようなつくりになっている
ポートレイト的な感じに仕上がっているパンフレットは悪くなく、映画を気に入った人ならば、その世界観を崩さずに想起できる感じになっていた
エンドロールにて、真矢みきと光石研が登場して「どこに?」と思っていたが、どうやら「写真」で登場していたようで、繰り返し観る人は確認してみても良いかもしれません
いずれにせよ、雰囲気映画っぽさは否めず、ロードムービーという割にはイギリスっぽい場所があまり登場しない
親子の諍いがテーマになっているが、その軋轢の正体もスッと入ってこない部分があり、死生観も少し違うのかなと感じた
アルツハイマー型認知症になったようだが、その後の経緯というものがほぼ語られず亡くなっているので、結局何がどうなったのかわからないままだったりする
そのあたりは雰囲気で察する感じになっているので、細かいことが気になる人には向いていないのではないだろうか
映画「コットンテール」はリリーフランキーが光る愛と喪失の物語だった
# 感想
喪失について考えさせられたというか、感じるものがあった。
# 男 (リリーフランキー)
ものすごく柔和な雰囲気で話す男。リリーフランキーの良さがものすごく出ている。
こんな柔和で独特の間を持ちながら話す人は、世間でも見かけることがある。
一体どうやったらそんな話し方になるんだろうか。天然で身についたものなのか、それとも複雑に鍛え上げられた社交術としての喋り方なのか。
兎にも角にも序盤の彼はなんとも言えずやさしげでふわっとした雰囲気を纏っている。だがその裏側には別の感情が渦巻いていたのだ。
男は行きつけの寿司屋に行き、妻の分もグラスをもらって、今はもう存在しない妻と酌を交わす。
# 若い頃の女
かつて男と出会ったばかりの頃の女。
めちゃくちゃ可愛い。
目がぱっちりしていて、髪型もばっちりてわ、表情は明るく、男好きのする感じの甘えた声で、八重歯で、色っぽさもある。
「私かわいいでしょ?かわいいでしょ?」みたいな心の声が聞こえてきそうだった。
そんな女と男はやがて一緒になる。
# 遺骨を撒きにイギリスへ
妻が死に、彼女の遺言で遺骨をイギリスまで巻きに行く男と、その息子家族の旅が始まる。
# 多くを語らない男
役所広司の「PERFECT DAYS」もそうだったが、この映画の主人公も多くを語らない。
「私は妻をこれだけ愛していた」「あの時こんな気持ちだった」とかいうことをほとんど語らないのだ。
ただ彼の表情や行動だけが僕らに「どんな気持ちなのだろう?」と推察させる。そう喪失というものはたやすい言葉ではとても語りきれないものなのだろう。たぶん、きっと。
# 認知症
妻は認知症だった。
おそらく年齢設定的には60歳を超えてそうな気がするのだが、映画なので容姿端麗で綺麗なままだ。
なので決して見苦しい絵にはならないのだが、認知症で子供にかえり、自分ではなくなってしまうこと、愛する人が当人でなくなってしむうことの悲劇が表されていた。
大人が赤ん坊に帰るのは何故ダメなのだろう。やはり体格が大きいから大変だというのはあると思う。他にも複雑な感情が起こりそうだ。
# 息子
残念ながら男の息子だけはセリフを棒読みしているような感じだった。リリーフランキーの縁起が良いだけにそれが悪いコントラストになってしまっていた。
# エンディング
一番良いところで終わった。まったく蛇足でなく終わるべき場所で終わるのだ。綺麗な映画だった。
家族の思いを感じる物語
明子は、病そのものよりも自分がいなくなった後の夫や、息子との関係が心配でたまらなかったようだ。
その夫、大切な日に息子が連絡をとるのにひと苦労させる。魚屋のバカにした態度が気にくわなければ頭にきて蛸をくすねる。それを持って妻と出会った馴染みの寿司屋の開店前なのに入れてもらう。弔事の前にどうしても(エアー明子と)乾杯したい。
なるほど…兼三郎はなかなかのマイペースで頑固でプライドがあって、不器用なさみしがりときた。
知り尽くす妻としては、そんな夫の自分の亡き後の様子が手に取るように想像できていたのだろう。
だから夫にも息子にも最期についての意志をそれぞれに話しておいたのだと思う。
そして、そのどちらも兼三郎の心の負担を軽くするための支度であり、家族への深い愛情で。
息子からみれば父は献身的に母を介護してくれたものの息子を頼らなかったし、案の定、弔事、旅先でも勝手な行動や発言を繰り返す。
以前から2人にはすれ違いによる距離があったようだが、息子はこんな時に及んでまで父が自分だけでなんとかしようとするところ、その割にうまく立ち回れない様子に苛立ち、嫁に気を遣わせてるのもわからないような姿に呆れてしまう。
嫁も健気に義父をフォローしていたが、慣れない地で長時間勝手に娘を連れ出した時にはさすがに心配が度を越え怒りの態度をみせた。
挙句の果てにはどうしてもとひとりで予定を繰り上げ迷子になる父である。
明子はほらやっぱりと空の上で眉をしかめていた事だろう。
いよいよピンチ?!と思ったがそうなったあとでも、結局息子夫婦は兼三郎を見放すことはなかった。
それは生前の母・明子の在り方のおかげだったのだろうなと思う。
明子亡き後もその思いは生き続け、そんな兼三郎と息子家族の繋がりが弱る度に何度も修復し続けてくれているようにみえた。
兼三郎が迷ったとき助けてくれたイギリス人父娘も大きなひと役をかってくれた。
もともと口数も少ないので会話も充分ではないが兼三郎の状況を察してある事情を話してくれた。それをきっかけに境遇を重ねあわせた兼三郎がはたと気付いた瞬間がある。
それがなかったら結末はもう少し変わっていたかも知れない。
いつもの兼三郎のふるまいにより珍道中になりながらも、みんなの助けを得て明子の念願はようやく叶った。
兼三郎は自分の役目を遂げそれまでの肩の力を抜くように、あれだけがっちり身につけていたカバンを丘の草原にふわりと置くことができた。
生前の明子が兼三郎とカフェの席で、リサイクルショップに出しちゃうわよ〜みたいなことを冗談めかして言っていたが、いろんな意味を込めほんのりお灸をすえておきたかったんだろうな。
そんな手の焼ける夫が、息子の家族と幼少期の思い出の場所にいる。あの時の自分みたいに家族とうさぎを追いかけ無邪気にはしゃいでる。
その光景に明子はようやくにっこり微笑んだと思う。
そしてもしかしたら、自分のことで家族に迷惑をかけたくないと言っていた明子の気持ちを汲むあまり兼三郎は自分1人で役目を果たそうとしたのかも。
だから息子とイギリス行きの話をしたときあんな言い方をしていたのだろう。(小さく付け足した言葉に本音は漏れちゃっていたけれど。)
それに普段から誰かを頼れないタイプの性格だと頼むことほど頑張らないといけない事はない。(私の父がそうであり、何を隠そう私も引き継いでいる。)
だからわかるのだが、父に対しては明子や息子のような思いをする割に、自分のことは〝兼三郎〟路線に近い。
でもこれを観てちょっとは反省😅
この物語はどこにでもありそうな家族の思いが溢れている。
みんなが本当は優しく向き合っているのだ。
だけど、家族だからこそ近い人だからこそしまい込んだり、出しすぎたりする本音。
その匙加減が難しいのだろう。
余白の部分を察して寄り添ったあのイギリス人父娘を見習い、ちょうどよい具合で手をさしのべれる人、そしてそれをありがたく受け入れる人になりたいなぁと思ったりした。
誤字訂正済み
⭐︎更新済み
全25件中、1~20件目を表示