ブラックバード 家族が家族であるうちにのレビュー・感想・評価
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深いわー、
この母親の場合、
きちんと考えたし話し合ったし、逝く側の主体でいいと思うねん。
ええねん、自分の命やねんから。
ただ、遺される側も自分主体で考えちゃうのも致し方ないよな…。
でも、しゃーないねん。
生きてる側は時間が解決してくれるねん。
まだ見えない未来があんねん。
病気から自死を選んだ母親を中心にその家族のお話。
海辺のステキなお家での、ほんの数日間だけを描いているんだけど、良く出来ているなー。
また、役者の演技が、どの人も良いんだよね…。
母親が強くて、周りが出しゃばら過ぎずに、でも、きちんと主張しているバランスが素晴らしい。
これは、脚本と演出と役者の力が上手くハマってなし得た佳作だわ。
ジワジワと余韻で感動する。
家族の理解と和解への輪会
安楽死を決意した女性リリーがその家族と過ごす最後の週末ストーリー
波光る静かな海辺の家に集い、いつもの週末をあえて過ごす面々だが動揺は隠せない…
久々の再会…それぞれの秘密が明かされて行くがリリーはそれを全て寛大に受け止め、そして受け入れる…
精神的に不安定な娘達との距離や関係性も今まで伝えられなかった本音をお互いが吐き出す事により徐々に変わって行く
揺るがない決意に至るまでのリリーの葛藤や不安は想像を絶する…
決して彼女の選択が正しいとは言えませんが
リリーの人間力に「終わり」を決めた輝きと落ち着き…人生の深さをしみじみ感じました
重い安楽死がテーマではありますが
一息つける様な笑の場も時にあったり
とても丁寧に安楽死と向き合い、親子関係や人生の質に問いかける濃厚で意義あるヒューマンドラマでした
自身の「その日」まで「一日一生」…丁寧に毎日を過ごして行ければと…
最後の晩餐でドレスアップした貫禄の熟美は満点!主演のスーザン・サランドンをはじめ
ケイト・ウィンスレット、サム・ニールなど豪華キャストの並びだけでも見勝ち!
名優の演技合戦は見応え有り
尊厳死というシリアスなテーマを名優たちの安定の演技合戦で最後までじっくり見れました。
2014年製作のデンマーク映画のアメリカ版リメイク作品です。
日々症状が悪化する自覚症状から安楽死を自ら望む妻、看取る医者の夫、妻の親友、娘姉妹とその友人家族、
最後の晩餐に集められて穏やかな時間を過ごせると思いきや過去の想いや誤解が次々と・・・・。
「デッドマン・ウォーキング」のスーザン・サランドン、「愛を読むひと」のケイト・ウィンスレット、
「ジュラシック・パーク」シリーズのサム・ニール、名優競演で楽しめました。
致命的な状態になる前に自分の意志で眠るように人生を終わらせる。将来の我が身に置き換えて見るのも興味深かったです。
【リアリティについて】
2年以上前に、この作品を観ていたら、印象は全然違うものになっていたかもしれない。
なぜなら、約2年前の2019年6月、ある日本人女性の安楽死を取り上げたNHKスペシャルを観たからだ。
だから、この作品を観る前に、このレビューは読まないで欲しいし、もし観賞後であっても、ストーリーに心を揺さぶられた人も読まない方が良いように思う。
このレビューは、僕の備忘録だ。
そして、スコアも参考程度だ。
NHKスペシャルは、身体の自由や機能が失われる神経難病に犯され、耐え難い激痛はそのままに、いずれは胃瘻と人工呼吸器が必要になると医者に宣告され、自殺未遂を繰り返す日本人の女性が、スイスで安楽死を遂げるまでを追ったドキュメンタリーだ。
スイスは厳格な審査を通過すれば、外国人にも安楽死を認めている。
葛藤を重ねる家族は、自殺も厭わない彼女の願いを受け入れざるを得ないと決断する。
最後まで反対する妹もいたが、スイスに駆けつけた他の姉妹に見守られ、医師が最終意思確認をした後、自ら点滴に薬物を注入するボタンを押し、眠るように一瞬で逝くところまで放送されたのだ。
生と死の境目なんて、こんなものだったのかと感じるほどの、呆気なさでもあった。
NHKには、多くの批判が寄せられたらしいが、医療技術が大きく発達して、なかには激痛や心痛を伴いながら、死はもうそこにあるのに、無理矢理生き続けなくてはならないという、矛盾があるのだと改めて認識させられる。
見守る姉妹に丁寧に感謝を伝え、最後に自ら点滴に薬物を流し込む場面は、今でも僕の脳裏に焼き付いている。
答えは出ないままだが、厳格なルール管理が行えるのであれば、安楽死は選択肢としてあっても良いのではないかと思わせられる。
もし、NHKのオンデマンドと契約があって、興味があったら、一度観て欲しいテーマだ。
日本の法律で、こうした最後を遂げた人の遺骨の持ち込みは認められていないらしく、スイスの川に散骨されていた。
さて、映画の方は、葛藤する家族の問題も明らかになり、安楽死そのものもそうだが、家族の物語でもあることが判る。
また、社会として、家族として、安楽死を考える機会にはなるかもしれない。
だが、あの圧倒的リアリティを見せつけられると、複数の場面で、どうしても迫るものなど物足りなさを感じてしまうのも現実だ。
そんな特殊な理由があって、こうしたレビューになりました。
僕は映画ファンだが、映画にも描ききれないリアリティが厳然とあるのだと改めて感じてしまったところが、少し寂しかった…かな。
死を選択する権利
劇中では語られないものの、ALSと思われる病が進行し、動けなくなる前に自死を選んだ母親。その夫と、週末にその家に集まり死を見届ける娘二人、長女の夫と息子、次女とそのパートナーの女性、母親の長年の親友。映画はこの8人の登場人物だけで描かれる。
あらかじめ聞かされて同意していたとはいえ、死の前夜に行われたクリスマスパーティから各人の葛藤が少しずつ見え始めていく。だが、死を選んだ当人の決意は揺らぐことがない。そこに、決して仲が良かったとは見えない姉妹の葛藤と対立や、ある疑惑が絡み、当日を迎えることになる。
わたしだったらどうだろうか。
わたしがもし難病でいずれ苦しみの果てに死を迎えると分かったのなら、そして今ならさほど苦しまずに死ぬことができるのなら、たしかに今、自らの意思で死を選ぶかもしれない。今なら大切な人たちに囲まれて、幸福な思い出だけを胸に逝くことができる。
けれども、わたしが自死を選んだ身内の死を看取る側だったら、はたしてなんの蟠りもなく送ることができるだろうか。最後には納得するしかないにしても、逡巡せずにいられるとは到底考えられないように思う。
自らの死を選ぶ権利が認められている国は少ない。劇中でも、その扱いは州によって異なり舞台となる州では認められていないことが語られる。
ただし自死を選ぶというのは幸福の追求でもあり、自己決定の権利とともに人権の一部と考えることもできる。仮に身内が病苦の果てに、自分で死ぬことができず殺してほしいと望んだ場合、手を下すことができるだろうか、という問いにも繋がる。
実際にそのシチュエーションが訪れた時にどう考えるか。立場が逆ならどう思うか。軽々しく答えの出せない問いを突きつけられるような作品だった。
なお、タイトルの「ブラックバード」については、劇中特に言及がない。夢占いでは(自分もしくは身内に)大きな不幸が訪れる暗示と解釈されるようだが、それだろうか。
死ぬ日を決めたら、死が怖くなくなった。
死を目の前にした祖母の元にあつまった、久しぶりに会う家族。取り乱していないリリーを映すことで、夫と友にこの決断に至るまで、どれだけの葛藤を繰り返し、落ち着きを得たのかが、画面からヒシヒシと伝わってくる。当の本人が(表面上だけでも)一番明るく振る舞う光景の、痛々しさとすがすがしさの共存する空気のやるせなさ。家族に囲まれて死ぬ幸せ、自分の死に時を選ぶ勇気。ここにあるのは倫理でも法でもなく、一人の人間の死ぬ権利なのだ。
ずっと"人間の尊厳とは何か"、を問いかけてくる。
果たして自分が自分の死期を知った時、どうなるのか。
リリーのように、気高く逝くことができるのか。
少しでも生を永らえたいと縋るのか。
自分の家族は許すのか。
そもそも自分の家族は、みな自分の味方なのか。
まるで生前葬のようなお別れの会をすべきなのか、黙って逝くべきなのか。
この家族が、正解、なのか。
ずっと、ずっと問いかけくる。自問し、自責が襲い、困惑がこびりつき、羨ましさや、懐疑や、あきらめの感情が錯綜する。そして、この家族の混乱と行く末を見守りながら、自分の終活のサンプルを見届けたような気分になった。
単なる家族賛歌じゃないかと思ったが、個人的に、制作にイギリス人が混じってる(米英合作)時点で信用し、その期待通りだった。「くっついたり離れたりは、本気で愛してないか、本気で愛しているか」とか、「自ら安楽死を選ぶ人は、鬱などではなく、知的で明快で分析的である。」とか。
TO WONDERFUL LIFE
もうすぐ死ぬことを覚悟した母親とその旦那の家に集められた、それを知る娘達家族と母親の親友が過ごす週末の話。
医者である夫と病気を抱えた妻という夫婦に長女とその家族、次女とそのパートナーが心の内に抱えたものがありながら交流していく。
死生観は人それぞれ、倫理がどうとかいうのかも知れないけれど、自分には非常に共感出来るその選択。
そして、それを受け入れる、受け入れようとして共に過ごす家族達。
悲しく温かい展開だけど、それだけでドラマとしてこの尺をどう埋めるのか…と思っていたら、気持ちを読み過ぎ主張をし過ぎ、少し揉めたり、引っ掛かっていたものが顕著になったり、議論をしたり。
既視感のある部分もあったけれど、悲しい中にも下ネタや悪ふざけの様なやり取りがあり面白かったし、色々と考えさせられた。
よくできてると思ったらリメイクなんだね
原作映画は観てないです
ただリメイクという事を考えたらこれだけいいキャストでやっってるのがわかるね
全員とても演技が自然に入ってきて
物語の世界の中にすんなり入れた感じ
家族が集まる様子とか、どこか新年の挨拶とかで集まる感じに似てて
よそよそしくも無いけどどこかぎこちない雰囲気も出てて
とても家族の雰囲気が出てて良かった
それぞれのキャラクターが抱える問題なども
全てぶちまけて最後は家族ひとつになって
みんなで見送るのも良かったね
尊厳死がひとつのテーマになってるけど
大病を患ってる人が尊厳死を選べるように法整備がされるといいな
生きていくのが辛いのに生かされてるのは可愛そうだよね
映画として内容に特に文句もなくいい映画だった
原作も気になるね
キャストみんな良かったけど
メガネのケイト・ウィンスレット結構好みでしたわw
感動とともに考え込むあまりに深い物語
テーマは安楽死。生死を彷徨う最中の決断ではなく、侵された病魔に迫りくる五体不満足な日々を超えたその先の死という人生ではなく、自ら旅立ちの日を決断し、親族を集め最期の濃密な3日間を過ごすという選択肢。受け入れたその瞬間を愛する家族がどう迎え入れるのか。感動とともに考え込むあまりに深い物語
すべては、愛ゆえに。
難しい題材。
死を扱うのは。
死んだ後のことを考えて、準備する。
死を選ぶのは自分の決断だけれど、残された人の人生まで決めてしまうのはどうなんだろう?
家族の了解が必要なのだろうか?
自分で、死を選ぶことを認めて欲しいというエゴにはならないのか?
身体が麻痺して、食事が採れなくなり、呼吸もできなくなる。
それがわかってしまったら、自分ならどうする?
自死と安楽死の境目がわからなくなる。
でも。
娘を残しては、死ねない!
そのときまで、覚悟ができるまで、一緒にいたいと思うかなあ~
自然に任せようとおもうかなぁ~
重い題材と裏腹に、景色が美しくて。
こんな場所に家を建てたら、死ぬまで この景色を見ていたいと思うかだろうな。
時代に問いかけるエポックメイキングな作品
夕暮れの空を鳥が飛んでいく。あの鳥は何という鳥だろうか。影になって黒い鳥にしか見えない。何処へ飛んでいくのだろう。リリーの目にはどのように見えていたのだろうか。
本作品は達者な役者陣による会話劇である。シチュエーションがユニークで、家族の誰もがそれを受け入れなければならないが、ひとりひとり人生観が異なる以上、受け止め方も納得の仕方も異なる。その位置エネルギーの差がそのまま正のベクトルとなってストーリーを力強く推し進めていく。
儀礼的な態度や発言は、次第に綻びはじめ、家族はそれぞれに押し殺していた気持ちや人生観がそこかしこで漏れるようになる。ダムの決壊みたいで、最初はチョロチョロとこぼれていたのが、気がつけば激流となって流れ出す。しかしそれらが合流して大きな本流と慣れば流れは落ち着き、ゆったりとした大河になる。
安楽死を決意した母親の気持ちをどのように捉えるかによって立ち位置が決まる。ケイト・ウィンスレットが演じた長女ジェニファーは、本人が決めたのならそれでいいのではないかという立場だ。常識人であり、昔ながらの倫理観の持ち主であるジェニファーだが、母親の破天荒な人格に接して、常識や倫理では測れない人間関係があることを知る。相変わらず素晴らしい演技で、登場人物の考え方を図る基準となっていた。
アナを演じたミア・ワシコウスカは本作品ではじめて見たが、なかなか存在感のある演技で、平穏なはずの家族に風雲を巻き起こす。この人が空気をかき回さなければ最後の大団円はなかった。
安楽死や尊厳死を扱った作品は多いが、大抵は病院のベッドに縛り付けられているか、または在宅医療でやはりベッドに寝たきりの患者である。本作品のように歩ける人を安楽死させるというのは新しい。スーザン・サランドンの名演もあって、アメリカ映画にしては珍しく、時代に問いかけるエポックメイキングな作品だと思う。
自分の人生の決断、関わる家族や友人の決断
その決断の過程ではなく、決断したことを実行する前の週末の話
だから、本人や家族や友人がその決意をどのように考え、どのように決断したのかはわからない
ただ、観ているこちら側には、ある程度、みながその決断を支える決意をしたことがわかる
それほどに穏やかで優しい、でもどこかに緊張と不安が潜んだ時間が流れる
自分の人生という視点からの、妻、母、祖母、義母、友人であるリリー
そうではなく、リリーというひとりの人という視点
視点の違いで、この決断への感情は揺れ動く
目の前で笑って、自分と話しているこの人が、明日の夜には確実にいなくて、もう話をすることはないと言う事実
その事実に向かっていく時間
登場人物たちのその感情の波が、静かに心に響く作品だった
何もできずわからなくなって生き続けるのは嫌だけれど、あれほど周到な準備をすることにも抵抗を感じる。
自分の母親がこのような決断をしたら、ということは考えなかった。母は80代後半で元気でリリーのようなタイプではないからだ。
安楽死を考えるとは生死全般と人間の尊厳を考えることだ。日本は堕胎に緩くピルの使用が一向に広まらない。養子制度も精子バンクを使っての妊娠も、LGBTQの人達の結婚どころか親として子どもを生み育てる仕組みもない。尊厳死・安楽死は認められず死刑制度はある。ちょっと挙げるだけでもこれらについての徹底的な思考と議論が政治レベルは勿論のこと、家庭でも教育の場でもし難い国だ。若い女性の自死がとても多いのも日本だ。差別、格差、貧しさ、弱さ、「異なる」に対する想像力がなさすぎる。とりあえずの権力とお金がある愚かな人間の発言は耳を覆うほど醜悪で無知だ。でもZ世代から40代位までの人達には希望を持っている。
映画の最後の点については、気持ち悪くて嫌だな、が半分。あと半分は昔からそうだったことも織り込み済みで許可(か依頼か)したんだろうが、親友に対して上から目線のような気がした。最初から公にして二人で一人を共有する関係にすればよかったのに。ツェッペリンのTシャツ着て、ウッドストックがなんたらかんたらと言ってたけど、カッコ付きのリベラル。
でも、スーザン・サランドンは好きでいつも安心して見ていられる。ケイト・ウィンスレットは外見も言動も最高に説得力ある長女役だった。メガネ効いてた!ウィンスレットますます好きになりました。
みんなで朝食モリモリのテーブル場面とても好き。
多少わかりにくい点もあるが、今週では1~2番手。
今年61本目(合計127本目)。 ※まだ書いていないのが大量にあるので実質的には70本目くらい。ぼちぼち書いていきます。
いわゆる安楽死をテーマにした映画です。日本ではきわめて特殊なケースで起訴が見送られる程度(医師が、倫理的に許される範囲で行ったもの)で、日本では基本的に、自分1人でやるならまだしも、今回のように家族まで巻き込むと、家族まで事情聴取を食らう内容です。
それだけなら話は簡単なのですが、この家庭には色々隠れた事情があり、話を複雑にしています。もっとも、単純に安楽死を扱う「のみ」では120分近く持ちませんから、そこはひねりを入れても良いかな…と思います。
PG12ですが、多少なりとも不穏当な表現(薬物乱用を惹起させる表現)はありますが、意味のよくわからない「大人の営み」が突然あるようなシーンはなく、PG12の中では比較的穏やかなほうで、日本でも安楽死を認めるか否か、色々議論が交わされているところですが(もっとも、今現在はコロナ事情なのでそれどころではない)、「安楽死の是非」だけでなく「本人の決定権」といった内容も裏に隠れているので、(お話自体は架空のものであるようですが)この1週間迷ったら推せる内容かな…と思います。
ちなみに、タイトル名「ブラックバード」は blackbird(s) で、そのままの意味しかないようです。大英和を引くと「((やや差別的表現)として)黒人」という意味が掲載されていますが、それではないはずです(文化的な伝承の言い伝えなどかなと思って調べたのですが、結局出てきませんでした)。
さて、さっそく評価に入りましょう。下記の通りで、4.7を4.5まで切り下げています。
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(減点0.3) 文法的に無頓着な点が結構目立ちました。ここは残念…。
「私には誇りに思える娘が(2人)いる」という部分が I have two kids that I'm proud of. となっていますが、英文では「前置詞で終わる文は標準英文法からは外れる」扱いです(句動詞などは別)。
この場合、あくまで標準英文法は I have two kids of whom I'm proud. で(関係代名詞thatの前にはいかなる前置詞も置けない。ここでは(人を先行詞にする)目的格の関係代名詞が来るので、whomが正しい(whoでもダメ))、このミスが結構目立ちます。まぁ、意味は理解できるのですが、この語法は標準英文法からは外れており、ちょっと…とは思いました。
(減点0.1) PG12の映画で、上記のように薬物乱用を惹起する内容が出ますが、PG12である故に表現も中途半端になっており、何がどうか微妙にぼかされていて、ちょっと消化不良かな…という気はします。もっとも、あまりに過激に描きすぎるとR15以上になるので仕方なしともいえますが、ちょっとわかりにくいです(楽物乱用、精神疾患などに関する基礎的知識はないと、それ前提の字幕になっているし、それが「単なる安楽死を扱った内容ではない」という「ひねりの部分」にかかってくるので、置いてけぼりにされるところがあります(上記の通り、PG12どまりなので、表現が中途半端。かつ、大人の営みなども出ないので、前提知識(薬物乱用、精神疾患など)がないと、なぜPG12なのかわかりづらいところが結構あります(字幕も巧妙にぼかしている))。
(加点0.1) このストーリー、登場人物は、その家族の一家と関係者くらいで、あわせても10人もいません(俗にいうエキストラとかという人は誰一人登場しない)。そのため、「誰が何かわからない」という類型はおよそ存在せず、「理解のしやすさ」(登場人物が多すぎて混乱する)類型は存在せず、この点は「わかりやすい」という点で(薬物乱用を扱った内容で、その説明が少ない、という指摘とは別)、加点対象にしました。
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リリー一家の一員となって
主人公のリリーは末期症状であり片腕も動かず医者の夫曰く残り数週間が山となる状態である。そんな中リリーと夫ポールは違法だが薬によるリリーの安楽死を決断し残り数日を家族と過ごす事を決断する。
この最後の数日2人の娘夫婦の家庭とリリーの親友達で過ごす事となる。
もちろん安楽死の決断を誰もが100%の気持ちで納得している訳ではない。
元気なリリーの姿を見ればまだまだ十分生きられると信じ安楽死を回避すべきだと意見もでる。
また死が直前に迫ると娘2人は取り乱しまだ生きるべき理由を探す。
結果としてはどんな理由を探し出してもその問題への理解を含めて安楽死を決断した背景を伝えられ最後は皆が納得しリリーの最後を見送る事となる。
この作品は安楽死をテーマとした作品である。もちろんこの主人公一家が住む土地も法律では認められていない。もちろん安楽死の是非についても考えさせられるが僕自身はもう少しハードルを下げ家族の決断とその周囲の対応、心構えに重きを置き鑑賞させてもらった。
家族といえど意見の違いはどの家庭でもあるだろう。時にはぶつかり妥協し合いながら事を進める事もある。時にはこの作品の様に納得がいかなくても相手の強い意志を尊重し事を進める事もあるだろう。
この辺りの掛け合いが非常に臨場感があり、気づいたら作品に没頭しリリー一家の一員となって自分なりのリリーに対する考えなんかを持ちながら鑑賞できるとても個人的には面白い作品であった。
自分に置き換えた場合実際どうだろう。リリーの存在が義母なのか実母なのかでももしかしたら意見が変わるかもしれない。
突発的なものは除き、数ヶ月悩んだ末に死を決断した両親に対して、この先待っている闘病を頑張ってほしいとも軽々しくは言えないのも事実だ。ましてや治る事はなく激しい治療が待っている中簡単な事は言えない。
ただ誰であれ人が自ら下す死は到底理解できないのもまた事実である。
この作品を見て思うのは安楽死の是非についての答えは見つからない。
ただ一つ言えるなら家族とのコミニュケーションの大切さだ。
コミニュケーションが取れているから全ての意見意思決断が同一とはいかないが、少なくともズレ幅は狭くなる気がする。
この作品の娘達の様に互いに誤解が生じたまま今回の様な大きな決断をされた時の理解は家族といえど相当苦しいものである。
この見方が正しいかどうかは分からないが、少なくとも僕はこの作品を見て家族への思いが強く湧き久しぶりに連絡を取りたくなってしまった。
どんな事があっても家族は家族。家族の決断は自分の意思決断でもあるような関係でありたい。
死生観と愛の意味を問う作品
安楽死をテーマに纏う“家族の愛“や“真実の愛”
ある程度想像できるストーリー、非常に分かり易いんだけど、後半からまさかのどんでん返しが。
後半の長女ジェニファーの行動には激しく同意、しかし愛とは何かを考えた時にこの展開も、母のリリーの言葉も正解なのかもしれないが、観る人の価値観によって本作の評価は大きく分かれる作品である。この後半の展開には多くの人が嫌悪感を示すんじゃないだろうか(モラルの問題で)。
舞台となる一家が集う素敵なお家はインテリアなども美しく参考になる(こんな大きな家と庭に住みたいわぁ〜)。
安楽死については積極的安楽死はスイスをはじめ、アメリカの一部の州をはじめとする一部の欧米諸国は合法化されており、スペインやニュージーランドも今年から施行される。
出産の“産まれる”事に関しては日時などを決めて計画的に行われる場合もあるのに、“死”に関して計画的行うのは日本は禁じられている。ただもし、自分自身が寝たきりになり話すことも出来ない食べることもできない、そんな状況になれば安楽死を選択するだろう。
改めて難しいテーマであることを再認識した。
全56件中、41~56件目を表示