「どう生きるか、誰と生きるか」ブラックバード 家族が家族であるうちに つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
どう生きるか、誰と生きるか
安楽死を扱った作品の中で本作がちょっと違っているところは、既に夫婦間での話し合いが終わっていて、いつどのように、というところまで決まっているところだ。
本当ならば、最初の決断のときが一番揉めたはずである。スーザン・サランドン演じるリリーだって、もう治らない病気なのね?はいじゃあ死にます。とはならないはずだ。
葛藤して悩んで夢をみたり絶望したりしたはずなのだ。
ではなぜそのパートが丸々ないのか。それは、この作品が安楽死をテーマにした作品というわけではないからなのだ。
安楽死ではないにしろ、身近な人が亡くなると何かについて多少考えたりするものだ。
回数を重ねていけばそれも薄れはするけれど、死にまつわる何かであったり、故人に関係することであったり。
なんにせよ、考え始める引き金は「死」だ。「死」と対になるものは「生」である。つまり、「死」を考えるとは「生」を考えることにほかならない。
昔の友達、親しいわけでもない会社の同僚、遠い親戚、こういった人に対してでも何かしら考えることもある。
ならばもっと近しい人だった場合はどうだろうか。
主に二人の娘は、母親の選択についてと、自分のことや残った家族のことを考えた。
それは、どう生きるか、誰と生きるか、である。
リリーは孫のジョナサンにろくでもない助言を繰り返すけれど、しっかり生きなさい、後悔なく生きなさいという助言でもある。
この「死」の直前の数日は、自分の生き方について見つめ直しなさいという時間だった。
いい作品だったと思うし、悪いことはないけれど、映画としては少々物足りない感じはある。
テーマである「生き方」がこの家族の中で完結してしまっていて、観ているこちら側に届きそうで届いていないせいかと思う。
現に安楽死の是非についてのレビューが多く、本来のテーマは届いていないように見える。