エンドロールのつづきのレビュー・感想・評価
全24件中、1~20件目を表示
フィルムへの熱い愛と鎮魂歌
映画製作に憧れる少年の成長物語かと思いきや、フィルム時代への熱いラブレターだった。原題の「Last Film Show」がまさにぴったりくる物語。
家業のチャイ売りの仕事、映画館での体験、友だちとの光やフィルムを使った遊び、映写技師との出会いなどはどれもパン・ナリン監督の実体験。2010年に9歳の少年としてデジタル移行の場面に立ち会う、という時系列だけがフィクションだ。映画の原体験と、ファザルのモデルになった恩人の映写技師がデジタル移行時に仕事を失ったというエピソードの両方を描きたかったためそのような設定にしたと、インタビューで監督が答えている。
サマイは映写機が放つ光に興味を抱き、切り取ったフィルムを光に透かし、自作の映写機でリールを回した。どれもフィルムだったからこその体験だ。
そういった無邪気でまぶしい原体験の後だからこそ、映写機やフィルムが処分され別のものになってゆくシーンの喪失感が際立つ。
デジタルのよさだってもちろんたくさんある。フィルムのような運送コストがかからないし、劣化もしない。映画館でのライブ上映、舞台挨拶中継が出来るようになったのもデジタル化の恩恵だ。むしろメリットの方が多いから新しいテクノロジーに移り変わってゆくのだ。
それでも、表舞台を降りたちょっとめんどくさいローテクなツールには、独特の郷愁のようなものがある。カセットテープのリール穴に鉛筆を差し込んで調整したり凝ったラベルを作ったりといった作業は、今でも楽しく懐かしい記憶だ。
ナリン監督が抱くフィルムへの郷愁や、原体験をくれた技術が表舞台から去る時の切なさが、本作には凝縮されている。
もうひとつ印象的だったのは、サマイの母親が作るやたら美味しそうなお弁当だ。あまり見慣れないインドの郷土料理が多かったが、美味しいことだけは強烈に伝わってきた。ファザルがお弁当と引き換えにサマイを映写室に入れたことも、美味しそうな描写で納得だ。
サマイの父親は体罰過剰気味でずっと印象が悪かったが、その父がサマイの”映画上映”を陰から見て折檻棒を捨て、彼を学びのため外へ出す決心をしたのはじんと来てしまった。
サマイの家庭のような生活をしている家族は、基本的に日々の生活で精一杯だ。サマイたちが繰り返しフィルムを盗む行為を肯定はしないが、親の細々とした家業を手伝う彼らの生活の厳しさを思うと、軽々しく正論だけを押し付けるのも違う気がしてくる。可能な範囲の学業が終わったらすぐ、家計を支える働き手になってほしいと考える親の方が多いのではないだろうか。
サマイが父親に尋ねていたが、一生地元から出られないまま人生を送る可能性が高いのだ(自ら選択したならそれも悪いことではないが、それ以外選択肢がない状態は悲しい)。だからこそ、考えを改めた父親の決心が尊かった。
それにしてもやはり、「ニュー・シネマ・パラダイス」の存在感は大きい。田舎町、子供、映写技師、で既に「インド版ニュー・シネマ・パラダイスか?」と思ったし、デジタル導入の振りのシーンでは「映画館が火事になったか?」と思ってしまった(笑)。ただ、フィルム文化の終わる瞬間を映写機やフィルムの破壊という形で見せられたのは本作ならではのインパクトだ。
ちなみに近日公開の「フェイブルマンズ」とも、大雑把に見ればかぶる要素がありそうな気がしている。でも、似た設定でそれぞれの監督の映画観を比較するのもまた興味深い。
フィルム映画への愛
主人公の男の子が、フィルム映画に惹かれて惹かれて、父親の反対を押し切って、母のお弁当と引き換えに映画をみせてもらったり。友達と映写機を作ってお友達との音を当てたり。
純粋な映画愛が眩しい。
所々、無理のある設定だったり安っぽい描写もあるけれど、そんなこと許せてしまうくらいの、美しい光を捉える絵作りに、見惚れてしまった。
時代が変わり、映写機がスプーンに、フィルムがバングルに再生されていく様子は、なんとも皮肉だし、見ていて痛い。
デジタルで撮った映画の画像のキレイさに味気なさを感じてしまう年代の者としては、胸が締め付けられる思いがする。
主人公はきっと立派は映画監督になる。。。のだろう。そういう描写だったのかなぁ???
ultimo paradiso del cinema♥
少年は「映画はどうやって作るの?」と聞く。
答える「物語が全てだ。語り手にこそ、未来がある。何を語るかが、腕の見せどころ。ウソがうまいと良い」
すると、少年は
「僕、ウソなら大得意だ」
「なぜ?ここから出たい。」
「光を知りたい。光は物語を映してくれる。そして、物語から映画が出来る」
いろんな映画をリスペクトしている。後半の光のうねりを考えると、キューブリック監督のあの作品。
色々な映画をリスペクトしている。最後に色々な監督の名前が登場するが、タルコフスキーとキューブリックに心酔していると感じた。
右手の代わりに、お母さんのカリーを食べる道具に変身するとは、鳥肌ものだった。
インド版ニューシネマ・パラダイス
貧しいチャイ売りの少年が映画に魅せられて監督を志す旅立ちまでを綴った映画愛に満ちたパン・ナリン監督の半自伝的映画。
映画が大衆娯楽の花形だった時代から始まり、フィルムからデジタルに変わるまでを追っている、フィルム泥棒は頂けないが自転車やミシンを改造した映写機を子供たちが手造りしてしまうのだから、流石インド人は聡明だ。
お払い箱になった映写機が溶かされフィルムがプラスティックのアクセサリーに変ってゆく様は感慨深い。
子供の頃に初めて異世界を疑似体験した映画の感動は万国共通なのでしょう、ですから痛いほどサマイ少年の気持ちが伝わります。まさにインド版ニューシネマ・パラダイスでした。
『ニュー・シネマ・パラダイス』と共通するところと違うところ
インド版『ニュー・シネマ・パラダイス』という触れ込みであったが、主人公が映写技師と仲良くなって映画を観せてもらったり、『風をつかまえた少年』のようでもあるけれど親が映画を観るのに反対だったり、主人公が故郷を離れて学びに出たりするところは共通していたものの、仲間と力を合わせてフィルムを盗んで映写会を開いたり、火災はなく、原題の"Last film show"というのはデジタル化で、フィルムや映写機の廃棄とリサイクルが描かれたり、青年期の恋愛関係はなく、送り出す大人が教師や反対していた父親だったりする展開がかなり違っていた。結末で、様々な名監督の名が次々に提示され、本作の主人公もそのうちの一人に数えられるということなのだろうが、成功してからの具体的な本人の写真や言葉も添えてもらわないと、監督本人の現在の姿がよくわからない。
お手製映画。
インドのチャイ売りの少年が映画に魅了された話。
9歳の少年サマイ、ある日自宅に帰るといつも違った装いの両親に「何かあるの?」と、聞くと家族揃って映画を観に…、そこで映画の楽しさにハマリ、学校途中抜けしては劇場へ…そこで出会った劇場の映写機担当ファザルと出会った事で、映画の道へ進む事になったサマイのストーリー(作品監督の実話)。
気になってた作品だったけどスケジュールが合わなくて本日配信にて鑑賞。
作品を観てるサマイの目がキラキラしてて心から映画が好き!って姿が良かった!
仲間達と模索しながらも映像の映し方、映した後の自分達でのアフレコも手作り感あって暖かい。
劇場から何度か追い出されたけど、劇場へ戻れたある日、映写機にキスするサマイの姿に涙。
心から映画を好き愛するサマイの姿が刺さりました!ただラストで思ったのはあの9歳の少年に自立させるオヤジ早くない!?と思ってしまった。
エンドロールが終わってから、私たちの映画が始まる
『RRR』の大ヒットで最高潮の盛り上がりを見せるインド映画。
アクションあり、コメディあり、ラブあり、感動あり、歌って踊ってのスーパー・エンターテイメント。
でも、インド映画の全部がそうじゃない。インド映画を代表する巨匠サタジット・レイの作品はリアリズムとアート性として知られ、近年も『ガリーボーイ』などドラマ重視の作品も多い。
本作もその系統。派手なアクションやスペクタクル性や歌も踊りもナシ。が、映画を愛する者なら心に染み入る。
インドの田舎町。駅でチャイ売りをする父親を手伝う少年、サマイ。
ある日、家族で映画を観に。父親は映画はいかがわしいものと嫌っていたが、信仰する女神カーリーの映画だけは別。
サマイは初めて観る映画にすっかり虜になる。
学校をサボってまで映画を観に。が、見つかり追い出される。
そんな時、映写技師のファザルと知り合う。母親が作った弁当を食べさせるのと交換に、映写室で映画を見せて貰える事に。
映写機や映し出す光に興味を覚え、やがて映画を作る夢を持つようになる…。
もう言わずもながな。
映画と少年。映写技師のおじさんとの交流。
監督の自伝的要素を含めた、映画好きのきっかけ。
たっぷりの映画愛と、ノスタルジー。
これはもう、インドの『ニュー・シネマ・パラダイス』であり、『フェイブルマンズ』だ。
話も設定も題材も定番ちゃあ定番。だけどどうしても、こういう映画が愛おしい。
それを体現するは、サマイを演じるバヴィン・ラバリくん。
3000人の中からオーディションで選ばれ、これが演技初の素人。
映画あるある。素人の子供が見せる演技は、どんな名優も叶わない。
本作でも彼が魅せる素朴さ、純真さ、ナチュラルさ。
こういう原石を見るのも、映画の醍醐味の一つだ。
しかしサマイくん、とってもいい子って訳じゃない。
映画見たさに学校をサボる。こっそり映画館に忍び込む。
フィルムが保管されている荷物室からフィルムを盗む。
フィルムを勝手に切って、手作りの映写機で上映。
それがバレて鑑別所へ。
時々癇癪も起こす。
実は結構困ったちゃん。でも、あれもこれも全て、映画を見たいが為に。
手作りの映写機。友達らと映像に合わせて即興で音入れ。
皆に映画を見せたい。
そして自分で映画を作りたい。
その一途さには共感してしまう。
先に挙げた『ニュー・シネマ・パラダイス』や『フェイブルマンズ』もそうだが、映画と人生への讃歌だが、ただそれだけのハートフルなハッピー物語ではない。
本作も格差などインド社会の現状が描かれる。
サマイの家族の暮らしは貧しい。父親はかつては数百頭もの牛飼いだったが、今は駅で小さなチャイ売り店を。さらに駅拡張で廃業に追い込まれる。
映写技師のファザルも。学は無くとも映写機を回す事が出来たが、映画館がアナログなフィルム上映からコンピュータを用いたデジタル上映へ。それには学も英語も必要。ファザルには到底無理。お払い箱。
映画はただ好きってだけじゃ作れない。技術も知識も必要。“映画はエネルギーとテクノロジーで出来ている”…映画監督を目指しながらも断念した淀川長治氏の言葉を思い出した。
本気で映画監督になりたいなら、そう願って夢見るだけじゃダメ。学ぶ。この町から発たなくてはならない。今の僕にそれが出来るのかな…?
それを行動に移したからこそ、パン・ナリンは映画監督へ。私は初めましてだが、今やインド国内のみならず世界で活躍する注目株だという。
映画は物語から生まれる。自伝的要素を含めた本作がそれを物語る。
物語は光から生まれる。映写機から放たれる光に魅せられたサマイ。
その光や自然や風景、子供たちの瑞々しさなど、映像がとにかく美しい。
しかしその美しい映像が、時に残酷なものも映し出す。
運び出される映写機やフィルム。サマイはトラックに積まれたその後を必死で追っていくと、工場へ。
そこで映写機は分解され、溶かされ、スプーンに。
フィルムも。溶かされ、アクセサリーに。
あの監督の名作が…。あの大好きなスターの映画が…。
溶鉱炉を成す術も無く見つめるサマイにとってそれは、この世の終わりと等しい。
映画の楽しさ、面白さに触れ…。
家族の厳しさ、温かさに触れ…。
社会の不条理、理不尽に触れ…。
それでも僕は、映画が好きだ。映画を作りたい。
だけどそれには…。
そんな時…。
映画を嫌っていた父。厳しい父。
ある時息子の心底からの映画への愛を知り…。
これも言うまでもないド定番展開だが、感動せずにはいられない。
映画を作りたいか? 学びたいか?
その道へ開かせてくれた。
あまりにも突然急な事。知人に頼んであっちでの暮らしの手配や、町を出る列車は後14分後に出発。
まだ心の準備が…。皆に別れも…。
が、少年よ、本当になりたい夢があるのなら、躊躇するな。
発て。学べ。
これはエンドロールじゃない。
エンドロールが終わって、私たちの映画が始まる。
ラストシーンにて、サマイがインドの名匠やスターの名を挙げる。
続いて、古今東西の映画監督の名。
その中に日本から、勅使河原宏、小津、黒澤の名が呼ばれたのが誇らしい。
インドの映画少年は知っているのに、日本の若者たちは果たして知っているのかな…。
インド映画の、らしさと、らしくなさの混ざったステキな映画
変な言い方ですけれど、インド映画らしくなさ
それを強く感じた映画でした。
まずお母さんの料理、特にお弁当が【インスタ映え】していて、
ほとんど日本人がインスタに載せる写真のようなのです。
(またお母さんがメチャ美人。清楚系の楚々とした美人の立膝とか、
メチャ絵になる)
お父さんの【チャイ売り屋台】から【小学校】やガラス越しに見たり、
鏡に反射させるのが好きなサモイ少年の見る景色。
映像が、いちいちグラビア写真や写真雑誌に載る一枚一枚の写真のように
美しいのです。
そして多くの場面で汽車と線路がとても多く写されます。
これは多分、レールの先にあるサモイ少年の未来・・夢の先・・
・・それを暗示しているのでしょう。
そして主人公サモイの6人の悪ガキグループが自転車で走るところ、
これってハリウッド映画の子供時代の回想シーンで10回以上観る光景。
少年は自転車で青春を突っ走ります、いつの時代も。
時代背景は2010年。チャイ売りの少年が立派な映画監督になるお話で、
実在のパン・ナリン監督作品です。
彼の少年時代の多分数ヶ月~数年位の思い出、なんでしょうが
9歳とありますが少年サモイは外見の変化は殆どありません。
ラストでインドの子供には珍しい長髪を短くする・・・くらい。
家族でおめかしして初めて観た映画《カーリー女神様のなんたら?》
信心する宗教の布教のような映画で、インド映画の定番である
もちろん、歌って踊ります。
映画は嘘つきで害があると信じるお父さんは、
「映画鑑賞は、これっきり」と宣言するのだけど、
サモイは映画に取り憑かれてしまいます。
映写技師のファザルさんが、
サモイはお母さんのお弁当のチャパティ(クレープみたいなパン)を、
「うちのお母さんのチャバテイは世界一」とサモイが自慢して
一口分けたら、
ファザルさんと弁当と交換に映写室に入れて貰うことになり、
無料で映画見放題の身分となるのです。
色んなことが起こります。
学校をサボって、映画館に入り浸り、フィルムの継ぎ合わせを習ったり、
時代の波がだんだんウネリとなって変化をして行きます。
お父さんのチャイ売り屋台は、失職します。
なぜなら汽車が電車に代わって駅を通過して停まらなくなるのです。
そして何より大きな事件は、映画館の映写室から、
大量のフィルムの丸い缶が運び出されることに・・・。
これが廃棄されることに必死で抵抗するサモイの6人の仲間。
汽車をトロッコで追いかけたり、トラックを輪タクで追ったり、
ついに廃棄工場の大量のフィルムのプールに溺れるサモイ。
(この辺りはもう過去をデフォルメしたファンタジー映像です、
(この映画の映像は多分に過去が美化された思い出も多く、
(ファンタジー映像が含まれます、思い出は多分にノスタルジー・・・
・・・メランコリー・・・に美化されます)
そしてファザルさんも職を失います。
映画がデジタル化されたのです。
大きかった映写室の映写機やフィルム缶は運び出されスクラップされ、
一台のパソコンと小さなプリンター位の大きさの映写機(?)だけの
ガラーンとした空間の映写室。
「これからは英語が出来なければダメ。それと数学」
ファビルさんはそう言い残して去って行きます。
不思議と悲壮感はなく、あっさりと。
(お金持ちの家に嫁いで英語が出来ないと馬鹿にされるお嫁さんの映画、
「マダム・イン・ニューヨーク」をちょっと思い出しました。
インド人で英語を流暢に話すのは教育を受けた富裕層の証拠なのでしょう。
日本人は英語ダメでも生きていけてるので、幸せです。今のところは。
(閑話休題でした)
そしてついにお父さんから、
「そんなに映画が好きなら街に出て勉強して来い」と、
OKが出て、街に映画の勉強に出発するサモイ少年。
(なぜか赤い手荷物バッグは置き去り・・・)
ラストに真っ白いスクリーンが5秒くらい映り、
監督の尊敬する映画監督の大大監督群の中に、小津、黒澤そして
勅使河原宏の名が、
でも一番影響を受けたのは伊丹十三らしいですよ。
監督インタビューを聞くと、
伊丹十三の「タンポポ」でラーメンやオムライスに強く惹かれて
日本に食べに来たかったそうです。
対談相手の芸人さんから、
「飯テロムービー」なんて言われてます。
やはり監督は「お母さんの美味しい食事を表現したかった」と話す。
十分に伝わりました。
美しい盛り付けのセンスも抜群でした。
サモイの観る映画のアクションシーンは「RRR」みたいにカッコイイし
楽しくてワクワク感が伝わります。
そして定番の歌い踊るインド映画には14億人のエネルギーの一端が!!
確かに今までのインド映画とちょっと違ってスマートでお洒落。
でも一番に伝わるのは映画への尊敬と愛。
この映画はインド映画のひとつの流れなのかもしれません。
ゆったり社会派
バラモン階級の生まれなのに兄弟に騙されて駅でチャイを売りをしているお父さん。
映画が大好きで、学校をさぼり映画館に行き、映写機のお兄さんをママンの弁当で取引(買収)し、フィルムを盗み、それがバレると友達を庇って刑務所?に行き、また懲りずに盗み溜めたフィルムで映画上映の再現をみんなで頑張る。
ママンは終始美しいし応援してくれるけど、パパは階級に囚われている。
今のインドは2つの階級しかない、英語ができるかできないか、だっていうのが衝撃的だった。
ゆっくり進むのでちょい眠くなるけど、最後のパパの決断に涙よ…,
何かに夢中になったあの頃を追体験
映写技師がフィルムを扱うときの手仕事と母親が弁当を作るときの手作業の暖かみが、後半の工場の無機質さと対比となり、より一層心の通ったものに感じさせる。
映写技師との交流、少年らのエピソードなど色々ちりばめられているのだが、編集が散漫なイメージは拭えない。
映画館に通っていたのはサマイだけだったのに、いつのまにか仲間も巻き込んでいて、その過程がみえにくい。
GALAXY座が閉館したのかと思いきや少年等が盗んだフィルムは別の映画館に配給される物だったし、父親のチャイ屋も立ち退き宣告されたが、まだ先のことであるのか、ラストまで営業している。
宝物が壊され別の物に変貌していく過程は少年の心に深い傷となる大事なエピソードだが、フィルムが腕輪となる場面が少し長いかな。それだったら仲間がGALAXY座にペンキを塗る場面などもう少し丁寧に描いて欲しかった。あそこはGALAXY座のリニューアル断念直後に挿入すればちょうど良かったのでは。
サマイが魅入られる光の描写、コノハズクやリスやライオン(生息してるの?)などインドの自然の美しさと対比して、カーストの格差と差別の闇も垣間見える。
今まではカーストが格差を生んでいたが、現代では英語が話せるのかどうかが格差を生むという現状も伝わった。
またインドの映画の役割が、宗教のプロパガンダのようなものが主流だったこともよくわかった。なるほど、踊りが多いのは盆踊りや祭りを映像化しているようなものと思えばいいのか。
監督がインタビューで語っていたが、現代は与えられるものが多すぎる。無からこそら、創造力がうまれるのでは、と。好きという情熱が、無から創造を生む。サマイを通して、忘れかけていた子供の時のキラキラを思い出させてくれました。ラストは泣ける。
「今、万感の想いを込めて汽笛が鳴る」…訳ではありませんが、映画を愛する少年が映画監督を目指して故郷を旅立つまでのお話です。
映画サイトの作品紹介を見て気になった作品。
RRRを観てから、インド映画への関心が増した気が
(少しだけ)するので、鑑賞です。
舞台はインドの田舎町。鉄道が通り、駅がある。
駅の構内でチャイ売りの手伝いをする少年が主人公。
少年の名は=サマイ。 9才。
映画を観るのが大好き。 …なのだが
父親が 「映画は低俗なモノ」 であり
バラモン階級の自分たちが見るものではない という…。
カーリー女神の映画だけは特別 …と
家族4人で映画を観に来たサマイ一家。
やはり楽しいし、ワクワクする。
映画って、素晴らしい。 ブラボー
と、次の日以降もサマイは映画を見たくて
学校をサボり映画館にやってくる。
お金が無くなると、こっそり劇場内に
忍び込んで観ていたのだが …追い出される。 ぽいっ
追い出されて凹んでいたサマイに、一人の男が声をかける。
食欲の無いサマイが自分の弁当を分けてあげると
「ついてこい」
その男は映写技士。 着いた先は、劇場の映写室。 わぉ
「そこの窓から観られるぞ」
母親の手作り弁当と引き換えに
映写室に入れてもらう交渉成立。
こうして毎日映画館(の映写室)に通うサマイ。
映画を作りたい 最初はそう思い
マッチ箱の絵柄を並べてはストーリーを作り
それを友人たちに語っていたサマイ。
映画を作るのは、難しい… けれど
フィルムや映写機を見せてもらっているうちに
映画を映すのならできるかも
と思うようになるサマイなのだが…。
と、こんな感じに、サマイ少年の
映画に向き合う姿が描かれていくのですが
時には映画フィルムを切って一コマくすねたり …おーい
新作映画のフィルムを荷物室から盗み出したり …まてまて
ちょいと犯罪行為にも手を染めながら
学校仲間と一緒に映画の上映ができる場所や装置を
手作りし始めるサマイと仲間たち。
はたして無事に映画は上映できるのか(映せるのか)
と、いうお話です。
◇
この作品、この作品のカントクの
自伝的なお話がベースらしいのですが
今から何年前の話なのだろう と思いながら観ました。
日本なら昭和の40年代~50年代の雰囲気。
シネコンのできる前、地方の映画館ならば
こんな感じだったかもしれませんね (…遠い目)
その後
サマイの通い詰めた映画館にも変化の波。
最新式の映写システムが導入され
映写技士のオジさんはクビになってしまいます。 あれー
更に、鉄道に広軌の線路が引かれることになり
この駅も通過駅になってしまうため、サマイの父も
チャイ売りの免許が更新されなくなってしまう… あれー
そんな中で開かれた、サマイの「自主上映会(?)」
母親や妹、友人たちや女子の子供たちが
手作りの音響効果( ! )を入れながら映画を楽しむ姿。
それを見た父親が、息子のしたい事(=映画作り)の道へと
進ませようと密かに心に決める。
そしてエンディング。
少年には、旅立ちの時が。
※「14分後の急行に乗れ」 にはびっくり @_@
心の準備も何もあったもんじゃないですよ >お父さん
ともあれ、駅でみんなが見送るシーンには
じーんと来るモノがありました。
主人公のその後は一切描かれておらず
どうやって映画監督になったのかは不明 です。
ですが、この作品の監督を勤めたということは
一つの結果を出したということなのでしょうね たぶん。
◇あれこれ
登場人物が良い感じ
サマイ。 美形の少年。居るだけでも画になります。
母親。 美人さんです。 作ってくれるお弁当が美味しそう。
友人達。 親から何か言われても、結局つるんでいます。
映写技士。 サマイの最大の協力者。再就職できて良かった。
あと、父。 結局サマイが夢を叶えられるようにしてくれました。
ライオンさん。 草むらで集会(?)中の姿がなんとも可愛い。
※ インドにライオンって普通にいるのでしょうか…。
数頭のライオンと、6名の子供たちが互いの様子を
伺いあうような絵面が何ともシュールな可笑しさ。
作品のタイトル
原題 「 Last Film Show 」
邦題 「 エンドロールのつづき」
少年の旅立ちの物語のタイトルとしては
邦題のほうが良い印象を受けました。 (珍しく …あっ)
未来へと続いていくイメージを、より強く感じます。
◇最後に
この作品、「光」と「構図」が上手いなぁという印象で
観ていて「美しい」と感じる作品でした。
次の作品があれば、観てみたいです。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
美しい映像と少年の夢と冒険に感動。その一方で…
映画に魅せられた9歳の少年。光を捕まえたい学びたい、と映画を光と捉えるのが面白く、光と色彩が本当に美しい作品だった。映画が大好きという気持ちを再認識させてもらえた。映写師ファザルとの年齢を超えた友情もよかったな。そして夢のためにも教育の重要さを改めて感じた。先生の言葉、「発て、そして学べ」が重い。英語さえ読めれば、ファザルさんもクビにならずに済んだかもしれない。
映画に魅せられた少年の物語なんだけど、お母さんのお弁当がキーアイテムにもなっていて。お弁当を始め、丁寧に描写されるお料理の美味しそうなこと!!…一方で、この聡明そうで美しくて優しくて口数の少ないお母さんは一日中食事を作ってるんだろうな…と複雑な気持ちにもなったな。
妹ちゃんはどうなったかな。どうか夢や希望や冒険がインドの女の子にも在りますように、と願わずにはいられない。インド映画大好きなので、どうか映画やアートからの働きかけでもいいからインド女性の地位や立場を良くして欲しいと毎回思う。主題からは外れるけどね。いや外れないかな
母と共にサマイを見送る妹の姿が心に残った。
でもお母さんはとてもしあわせそうだったしなあ。
専業主婦になりたい人だって尊重されるべきだし、「女性もそれぞれが選びたい道を選べますように」がいちばんいいんだろうなあ🤔
でも環境や慣習で「女性がそれを選ぶ(選ばない)のが自然」と思ってしまっている部分もあるかも。
とにかく感動して、泣いて、あったかい気持ちと同時にめちゃくちゃインド料理が食べたくなってしまった作品でした。
映画好きの少年の成長を通して描かれるインド社会の変容
何もない田舎に住む映画好きの少年がなんとかして映画に関わり、工夫を重ねて、自分なりの映画を作成し、映画作りを学ぶために旅立つまでを描いた作品。そして、その裏で描かれるインド社会の変容は映写機がスプーンになり、フィルムがバングルに姿を変えるという象徴なラストで幕を閉じる。古き良き時代は終わりつつも、若い才能を適切に導くことで多くの可能性を花開かせていくインド社会の勢いの良さを感じるばかり。
光と色の世界に魅了
映画の歴史そのものへのオマージュをもって、映画が光と色と音と物語に分解され、再構成されたかのような印象だった。ピンホールカメラやシャッター、トーキーを発見していく様が楽しい。
フィルム映画の死と再生も興味深い。映写機はスクラップされ日用品に、フィルムは溶解されて安いプラ装飾品になる。…だがラスト!フォーマットは変わっても映画は生き続けるというメッセージと受け取った。(でもなぜスプーン?旧世代(チャイ売り)の象徴だろうか)
主人公はじめ子供たちの存在感が素晴らしい。父親、映写技師、教師…大人の演技もいい。ストーリーは複雑ではないが、インド社会の実情を描いてもいる(少し昔の話と思っていたが、デジタルシネマ導入で現代と知れた)。英語を学び、町を出よ。この言葉が切実に響いた。
特に色が鮮烈だった。フィルム映写独特のくすんだザラつき、幻想のような色ガラスの戯れ、インドの自然と町並み。父のチャイ小屋の色も素敵に見えた。
そして何よりも弁当!俯瞰で撮る食材の数々と調理する手の所作の美しさにほれぼれした。(「土を喰らう十二ヵ月」を思い出す。あれもベジタリアンだった)
"サマイ"があるからこそ情熱を注げる
光や影の入り方が美しかった
内容は、ちょっと長いなぁって思うところもあり
途中でだらけてみてしまった
サマイの名前の由来がとても素敵だった。
"お金も○○(忘れてしまった…)もないけど、
時間はある。"
時間があるからこそ、自分たちでスクリーンを作り試行錯誤し、より感動を味わえたんじゃないかな。
パッと買えるよりも、自分の映画に対する情熱が本物だと自分でも気づくことができたんじゃないかな。
パパが、
サマイの映画に対する情熱が本物だと分かり、
手にしていた棒をすて、夢を応援することを決心したシーンはよかったし、
まっすぐのびる線路を歩いていく姿が印象的だった。
パパはカーストてっぺんのバラモンなのに、
裏切られ自分の夢すらもつことを諦めている感じがした。
だからこそ、社会の苦しさを知らない希望をもつ子どもに、自分を重ねてみている感じもした。
パパのチャイ屋さんどうなっちゃったんだろう…
サマイが監督する映画館でチャイ売ってたら幸せだなぁ
ママのつくる愛たっぷりのインド料理、食べたいなぁ。
レシピ公開されてるし、作ってみようかなぁ!
インド版ニューシネマパラダイスかと思ったら…
インド映画にしては珍しく、本編では歌や踊りのシーンはでなかったが、それはそれ、舞台となる映画館で上映されている映画の中でちゃんと踊っていた。
見ていて気づいたのが、RRRやムリダンガルだとクレジットなどが、インドの言語(ヒンズー文字、タミル文字?)で書かれていたが、この映画では全部英語で書かれいたこと。ということは最初から海外向けとして作成されたのかな?ただしセリフは全部現地語であった。
ニューシネマパラダイスというよりは、「ずっこけ三人組」とか「スタンドバイミー」のような、子供たちが秘密基地(実は廃駅)で映画フィルムを使って遊んだり、映写機の危機を聞きつけて隣町まで自転車を走らせたり(ここのところはETを彷彿とさせる)する、還暦を過ぎた自分からしたらかなりな懐かしい光景が広がっていた。
後半、お役御免になった映写機やフィルムが、ただ捨てられるのではなく再資源化されて新しい物になって世の中に出ていくのを主人公の少年の目を通して描くシーンは、良かったな。
そこに字幕として描かれる、スピルバーグや黒沢やサタジット・レイなどの映画人の名前、形は変わっても心の中に生き残っていくんだと言うことを表していたのかもしれない。
Right of Light
評判の良さも相まって、映画作りの映画、しかも監督の実話、そして勢いのあるインド映画と期待要素多めで、期待値も高めでの鑑賞。レイトで観たので人数は少なめ、これくらいがいいんですけどね。
思ってたのと違う…というのが率直な感想です。
まず監督の実体験とはいえど、内容を詰め込みすぎなのが気になりました。主人公の映画へののめり込み、フィルムへの想い、光へのこだわり、とどこか一つに絞れば良かったのに、話をどんどん広げていったがために、後半はかなりダレてしまっていたと思いました。
主人公がまぁまぁの悪ガキなのものめり込めなかった一つの要因です。犯罪行為は並べればキリがないくらいですし、破壊衝動に駆られまくりなのも見ててキツかったです。父親もすぐ手を出すタイプなので、そんなイザコザをわざわざ映画でやらんでも…と思ってしまいました。父親の葛藤も触れたり触れなかったりとモヤモヤしました。
フィルムがどのように生まれ変わるのかという工程も見せられますが、映画を作ることに憧れた少年を見にきたのに、フィルムが女性の飾り物になった映像に少年が飛び込んでいく謎の映像を見せられたのもよく分かりませんでした。
映画館にいたフィルムを回すおっちゃんはとても良い人だったので、この作品の中で数少ない好感の持てる人物です。
旅立ちのスピードも尋常じゃないですし、体感長かったのに、ラストがあっさりなのもいただけなかったです。映像が神秘的なのが数少ない救いですが、そこまで楽しめなかったのは事実です。
鑑賞日 1/21
鑑賞時間 20:35〜22:35
座席 H-4
Respect for film
映写機からスクリーンに映し出される映画の神秘的な部分が表現されていて良かったです😊
少年と友達が頭が良く、自分たちでなんとか映画を再生できるように努力する部分も良かったです!
個人的には、あらすじでヒューマンドラマという表現をしていますが、フィルムが中心になっている作品という印象でした…
フィルムを捨てるだけではなく、装飾品として生まれ変わる表現は映画のラストとしてまとまっているかなと思いました!
映画中の料理が美味しそうでインドカレーを食べたくなりました笑
映画を観たって感じです。 主役の少年の母が手料理を何回も作るんだけ...
映画を観たって感じです。
主役の少年の母が手料理を何回も作るんだけど、色んな家庭料理が映るから、それが良かったかな〜。包丁はなくて、まな板みたいな板に刃が付いている器具で調理していた。
インド人はこうやって生活してるのかなと勉強になった。
映画好きな少年が仲間たちと盗んだ映画フィルムを使って映像を建物の壁に映すが、何故かうまく映像が動かない。映写技師の話だとどうも昔ながらのフィルムの場合はコマとコマの間に闇を挿れる必要があるそうだ。私は館内で瞬きしてしまった。
昔を懐かしむような映画だった。少年の通う映画館も昔ながらの映写機やフィルムは廃棄され、映写室にはコンピューターが設置された。
映写機は溶けてスプーンになり、フィルムは女性たちの腕輪に変った。スプーンというのが面白く、インドでは素手で食事するようだが、その食文化についても変わるんだなぁと。
まぁ、面白かったのではないでしょうか。何か訴えるようなものがあった気がする(笑)。そう思わせれる映画は凄いんじゃないか。
映画を愛する人に捧ぐ、インドからのラブレター
とにかく、素人三千人から選ばれた子供達が輝いている。
インド映画専門家の高倉先生のガイド付上映でみました。
インド映画には固定のファンがいるなあ、と改めて動員数が多いのを見て納得しました。
上映後も先生に熱心に質問されている様子から熱を感じました。
名古屋で月一上映会を催しておられる松岡ひとみさんもご登壇で楽しい時間でした。
映画はフィルム上映が終わる姿を描くのでちょっと悲しいですが
デジタルで地方にも都会にそれほど遅れず上映ができるようになった事実もあるので
このような歴史があったことを見に行くと勉強になります。
子供から大人まで楽しめるので素敵な時間が過ごせる映画です。
クリエイティブが刺激も受けます。子供達はゴミから映写機を作ってしまうので、子供の力はすごいです!
全24件中、1~20件目を表示