「インド映画の、らしさと、らしくなさの混ざったステキな映画」エンドロールのつづき 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
インド映画の、らしさと、らしくなさの混ざったステキな映画
変な言い方ですけれど、インド映画らしくなさ
それを強く感じた映画でした。
まずお母さんの料理、特にお弁当が【インスタ映え】していて、
ほとんど日本人がインスタに載せる写真のようなのです。
(またお母さんがメチャ美人。清楚系の楚々とした美人の立膝とか、
メチャ絵になる)
お父さんの【チャイ売り屋台】から【小学校】やガラス越しに見たり、
鏡に反射させるのが好きなサモイ少年の見る景色。
映像が、いちいちグラビア写真や写真雑誌に載る一枚一枚の写真のように
美しいのです。
そして多くの場面で汽車と線路がとても多く写されます。
これは多分、レールの先にあるサモイ少年の未来・・夢の先・・
・・それを暗示しているのでしょう。
そして主人公サモイの6人の悪ガキグループが自転車で走るところ、
これってハリウッド映画の子供時代の回想シーンで10回以上観る光景。
少年は自転車で青春を突っ走ります、いつの時代も。
時代背景は2010年。チャイ売りの少年が立派な映画監督になるお話で、
実在のパン・ナリン監督作品です。
彼の少年時代の多分数ヶ月~数年位の思い出、なんでしょうが
9歳とありますが少年サモイは外見の変化は殆どありません。
ラストでインドの子供には珍しい長髪を短くする・・・くらい。
家族でおめかしして初めて観た映画《カーリー女神様のなんたら?》
信心する宗教の布教のような映画で、インド映画の定番である
もちろん、歌って踊ります。
映画は嘘つきで害があると信じるお父さんは、
「映画鑑賞は、これっきり」と宣言するのだけど、
サモイは映画に取り憑かれてしまいます。
映写技師のファザルさんが、
サモイはお母さんのお弁当のチャパティ(クレープみたいなパン)を、
「うちのお母さんのチャバテイは世界一」とサモイが自慢して
一口分けたら、
ファザルさんと弁当と交換に映写室に入れて貰うことになり、
無料で映画見放題の身分となるのです。
色んなことが起こります。
学校をサボって、映画館に入り浸り、フィルムの継ぎ合わせを習ったり、
時代の波がだんだんウネリとなって変化をして行きます。
お父さんのチャイ売り屋台は、失職します。
なぜなら汽車が電車に代わって駅を通過して停まらなくなるのです。
そして何より大きな事件は、映画館の映写室から、
大量のフィルムの丸い缶が運び出されることに・・・。
これが廃棄されることに必死で抵抗するサモイの6人の仲間。
汽車をトロッコで追いかけたり、トラックを輪タクで追ったり、
ついに廃棄工場の大量のフィルムのプールに溺れるサモイ。
(この辺りはもう過去をデフォルメしたファンタジー映像です、
(この映画の映像は多分に過去が美化された思い出も多く、
(ファンタジー映像が含まれます、思い出は多分にノスタルジー・・・
・・・メランコリー・・・に美化されます)
そしてファザルさんも職を失います。
映画がデジタル化されたのです。
大きかった映写室の映写機やフィルム缶は運び出されスクラップされ、
一台のパソコンと小さなプリンター位の大きさの映写機(?)だけの
ガラーンとした空間の映写室。
「これからは英語が出来なければダメ。それと数学」
ファビルさんはそう言い残して去って行きます。
不思議と悲壮感はなく、あっさりと。
(お金持ちの家に嫁いで英語が出来ないと馬鹿にされるお嫁さんの映画、
「マダム・イン・ニューヨーク」をちょっと思い出しました。
インド人で英語を流暢に話すのは教育を受けた富裕層の証拠なのでしょう。
日本人は英語ダメでも生きていけてるので、幸せです。今のところは。
(閑話休題でした)
そしてついにお父さんから、
「そんなに映画が好きなら街に出て勉強して来い」と、
OKが出て、街に映画の勉強に出発するサモイ少年。
(なぜか赤い手荷物バッグは置き去り・・・)
ラストに真っ白いスクリーンが5秒くらい映り、
監督の尊敬する映画監督の大大監督群の中に、小津、黒澤そして
勅使河原宏の名が、
でも一番影響を受けたのは伊丹十三らしいですよ。
監督インタビューを聞くと、
伊丹十三の「タンポポ」でラーメンやオムライスに強く惹かれて
日本に食べに来たかったそうです。
対談相手の芸人さんから、
「飯テロムービー」なんて言われてます。
やはり監督は「お母さんの美味しい食事を表現したかった」と話す。
十分に伝わりました。
美しい盛り付けのセンスも抜群でした。
サモイの観る映画のアクションシーンは「RRR」みたいにカッコイイし
楽しくてワクワク感が伝わります。
そして定番の歌い踊るインド映画には14億人のエネルギーの一端が!!
確かに今までのインド映画とちょっと違ってスマートでお洒落。
でも一番に伝わるのは映画への尊敬と愛。
この映画はインド映画のひとつの流れなのかもしれません。