「できるのにできない。しかし、いつかきっと。」クレッシェンド 音楽の架け橋 バリカタさんの映画レビュー(感想・評価)
できるのにできない。しかし、いつかきっと。
ウェスト=イースタン・ディバン管弦楽団が、モデルだそうですね。wiki情報ですが、練習時はワークショップも実施したそうですね。本作の中で描かれたさまざまな民族間の葛藤は少なからずあったのではないでしょうか?
音楽などの芸術やスポーツは「平和」というキーワードで括られることが多いです。共通言語ですからね。どんな民族も奏でるEは同じ音。赤色は赤色、サッカーのルールも万国共通。宗教も思想も政治も関係ないから。でも、それって、対岸の火事としてみている企画者の戯言、妄言なんだろうなぁ。。って思っちゃいます。「火事場の中の人達」の本音は「そんなの二の次」だからです。けど、僕が彼らだったらどうかな?憎しみの連鎖を断てるのだろうか?子守唄のように恨み節を聞かせられながら、実際に被害を受けながら生活していた人間は瞬間でも「赦す」ことができるのだろうか?
本作の「安易な感動仕立てではない作り方」に好感が持てます。決して容易な話じゃないんだとしっかりと提示してくれているスタンスはとても良いと思います。ゆえに、爽やかな涙が流れる作品ではないのです。ですが、それがリアルなのでは?
歴史が変わることはないし、それにより生まれた憎しみも消えないでしょう。しかし、「あの民族は憎いがお前は好きだ、お前だけは認める」ってあるんじゃないかな?親世代、祖父母世代はお前を知らないから嫌うかもしれない。でも俺はお前を認めるよ。ってのはあるんじゃないかな?なんて可能性を信じたくなります。しかし、それ以上に闇は深いのでしょう。あっという間に真っ暗になり、光の道は消えていくんでしょう。でも可能性があることは信じたいです。夢物語かもですが。
本作内の楽団員の活動は民族間の問題解決の「理想型のミニマム」として描かれているのではないでしょうか?彼らの合宿時の活動そのものが「こうやってみようよ!ここから始めてみない?」って訴えているかのようでした。(民族云々じゃなくて、人間関係の構築って面でも気づきがありますよ)そして彼らが迎える結末も、また「理想型のミニマム」として迎えるべきものだったのかもしれません。その結末をどう進めていくか?はこれからの世代に投げられた宿題のような気がします。
彼らの行動がクレッシェンド(次第に強く)になるための「はじまりの一歩」であって欲しい。
作内演出は両民族の隔たりや壁による分断を巧みに描いていたと思います。前編を通して描かれていたそれは、ラストに大きな意味を持って映し出されます。彼らの行動の動機、行動、視線、舞台(環境)、意図的なカメラワークにいつか叶うであろう民族間の和解を願わずにいられませんでした。最高のラストではないでしょうか?最後の曲の意味を知っていればもっと感慨深かったかもしれません。不勉強な自分を恨みました。
実在の楽団の活動が永続的に続きますように。