「人が生きていくのに欠かせない映画、なのかもしれません」Mr.ノーバディ グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
人が生きていくのに欠かせない映画、なのかもしれません
キャー‼️(妻)
我が家では今シーズン初のデカくて黒光りするGKBRです。しかも、隅っこ暮らしに飽きたのか地上2メートルを飛来しての登場。
反射的に近くの雑誌を丸めてカーテンに止まったGKBRを叩いてました。
長い触覚がゆっくり半円を描いているところをティッシュを5枚重ねて恐る恐る拾いあげて生ゴミ専用のゴミ箱に。
あー気持ち悪いと思いつつも、小さな達成感がありました。
日頃、暴力に訴えるのはやめようよ、などとキレイゴトを言ってますが、罪悪感を覚えないで済むような暴力(GKBRの場合は殺生です)については、正直ある種の爽快感を感じることがあるのは事実で、私は否定できません。
アメリカ映画には、コイツらなら殺してもいいんだ、と思わせるように描かれたロシア系や中南米系の悪党がよく出てきます。扱いはといえば『ロード・オブ・ザ・リング』のオークのように有象無象、次から次へと殺されていきます。
ヒューマンドラマと違い、〝同じ人間〟としては描かれません。だから、一定程度は痛快とか爽快という気分を味わうことができてしまいます。
こういう映画のおかげで、鬱屈した気分を解消したり、リフレッシュできたりもするんです。
もしかしたら、現実社会で起るかもしれないストレス発散という動機からくる暴力犯罪をある程度、未然防止できているのかもしれません。
人は映画が無ければ生きていけない。
最近、どこかのフランスの女優さんがそんなようなことを言ったらしい、と聞きました。
この発言の趣旨は、文学や音楽に比肩し得るものとしての映画について語ってるのだと思いますが、人間の暴力的な性向を現実社会で発揮させない役割という意味ではこのタイプの映画も、人が生きていくのに欠かせない映画なのだと思います。
グレシャムの法則さんへ
ヨダレはマスクしてたので垂れませんでしたが、ニヤニヤは止まりませんでした。やっぱり、ジョン・ウィックのコンビは分かってるよなぁ.....
それが、この映画の感想の全てですw
おはようございます。
”人は映画が無ければ生きていけない。”
コロナ禍になってから、カトリーヌ・ドヌーブさんの発言だった気がします。フロさんだったかな・・。
”不要不急の定義は人によって違う”と、「裏ゾッキ」で、山田孝之さんが怒りを堪えつつ、語っていましたよ。
では、又。