Ribbonのレビュー・感想・評価
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芸術家にとってパンデミックは関係ない。
芸術家にとってパンデミックは関係ない。ましてや、形を残せる絵画等の芸術は、作品を創造できる時間が生まれるので、パンデミックは一切関係ない。『パンデミックで作品が残せない』は弁解でしかない。
映画はショートコントの寄せ集め。テーマを決めて、起承転結をはっきりさせるべきだ。評価できる出来ないはそれから。
我が亡父の一歳違いの弟が絵描きをやっていたのだが、僕がガキの頃、そのオジキと同居した事がある。そのオジキの為のアトリエがその家にはあって、そのオジキはそのアトリエを独り占めしていた。我が亡父が長男でその家の跡取りだったが、その一歳違いの弟がまだ独身でいたので、アトリエを親に(祖父に)作ってもらって、親の経済で貧乏絵かきを暫くの間続けていたのだ。さて、かわいそうなのは、なんの取り柄もない我が亡父とその配偶者の母。そして、僕だった。
さて、それは兎も角、アトリエは出入り禁止になっていた。しかし、大邸宅と言う訳でもないので、しばしば、遊び場を探して、そのアトリエへ忍び混んでいた。ある日、忍びこむと、デカいわけの分からない絵が飾ってあった。
ク◯ガキが忍び込んてやることと言えば、言うまでもなく1つだけ。しかも、その絵は上と下が分からない様な絵だ。
触った。
明らかに指紋位は残ったであろう。乾いていなかったのだ。さて、その後、どんな目にあったかは、実を言うとよく覚えていない。しかし、数日して我が亡父は跡取りの権利を放棄して、実家から出ることとなった。僕が絵を指で触って大事な作品を駄目にしたからだとは思えない。しかし、亡父は亡父になる迄、その理由に付いては話してはくれなかった。ただ『あんな絵は指で触ったくらいが丁度良い』って僕の告白を鼻で笑っていた。
かなりあとからそのオジキから聞いた話では、その絵で海外に留学出来たとか。
絵画芸術なんてそんな物と昔も今も思っている。でも、素晴らしいと思える絵は沢山ある。それは自分が素晴らしいと思えるからだと今では思っている。素晴らしいと思えないものは、残念ながら、僕にとっても素晴らしくない作品たのだ。
コロナ禍を生きる人たちへの素敵なエール。
作り手からのまっすぐなエールが伝わった気がして、エンドロールで流れるサンボマスターを聴きながら泣きそうになってしまった…。
この作品にサンボマスターの主題歌はずるいでしょ。
泣く。
冒頭、主人公の友人・美大生の平井がつぶやいた言葉「私が作ってきたものがゴミみたいになっちゃった感じ」(うろ覚えだけどこんな内容)。
この言葉に対するこの作品のアンサーでありメッセージが「ゴミじゃない」なのだ。
新型コロナウイルス禍でたくさんの人の活動や行動の根幹が揺らいだのを感じた。
音楽フェスなどイベント開催のために長いスパンで準備・調整を重ねてきた人。
同じく試合のために練習や調整を重ねてきたスポーツ選手たち。
舞台や演奏会などの公演のために稽古を重ねてきた俳優やスタッフたち。
展示会のために作品を作ってきた芸術家たち。
外食業に携わってきた人たち。
ライフライン関連以外の社会活動が自粛・中止を求められた新型コロナウイルス蔓延初期の頃。
本作の主人公・いつかや友人・平井のようにこういった方々は「自分たちのやってきたことは何だったんだろう」という無力感を少なからず感じていたんじゃないかと思う。
そんな人たちに向けた「あなたのしてきたことは無駄じゃないよ(=ごみじゃない)」というメッセージ。
自身も芸能活動やアート活動を展開し、またそれに携わる人たちに関わってきたのんちゃんだからこそ、この作品を作りたいと思ったのだろうなと思う。
そしてその想いは最初からラストまでぶれることなく作品にこめられていたように感じた。
そこがとても、良かった。
それだけでなく本作は新型コロナウイルス禍のドキュメントとしても見れそうだなと思った。
専門知識を持たない大衆は何がどうなっているのかわからぬまま、外出自粛を求められ、対面で人を会うことへも自粛を求められ、自宅の中で戸惑い、いつ戻るのかすらわからない、奪われた日常へのモヤモヤを抱えながら過ごした。
いつかが自宅で過ごすシーンを見ながら、私自身も感じていた当時の空気や戸惑いが蘇って、なんともいえない気持ちになった。
家族と会うにも距離を取り、また同じ家族でもウイルスに対する想いや姿勢もバラバラ(いつかと妹・まいのように)。誰かを出迎える時は毎回マスクをつけ、久しぶりに再開した同級生もマスクで顔が隠れているから本人なのか確信が持てない。
こんな日常の細かいシーンがコロナ禍を経験した私たちにはとてもリアルだった。
そう、リアルと言えば、いつかと妹・まいの会話や空気感。2人が家で過ごしたり、豚肉の生姜焼き食べたり、帰り際のやり取りがリアルで2人のシーンは印象的だったな。
あといつかと平井が学校にしのびこんで平井の作品を壊して持ち帰るシーンも良かった。
平井の作品がいつかの作品と一緒に「卒業制作展」に並んだのもじーんときた。
少ない登場人物、限られた生活圏で起こったドラマながら良い作品だったな…。
これからの期待と応援をこめて
初の監督作品とのことで、粗削りな部分はあると思いますが、描きたいことを丁寧に作ろうという気持ちが伝わってきて良かったと思います。
価値観の相違から親心で何気なく作品を捨ててしまう母親とか、除菌しまくり&完全防備な妹とか、人によっては理解できないかもしれませんが、私的にはめちゃくちゃわかります。あるあるです。
ただなぜ数ある美術作品の中で『リボン』をテーマに選んだのか(根本の映画のテーマとの繋がりは何だったのか)はあまりよくわかりませんでした。(すみません)
最近は映画業界の闇について色々ニュースになったりもしていますが、のんさんにはこれからもご自分が伝えたいこと、撮りたいものを純粋に見つめて形にしていっていただきたいです。
のんちゃん流、社会と芸術の向き合い方
感染症が蔓延し、人々が自分のことで手一杯なときに芸術はどう扱われるのか。
感染症の初期にはクリエーターたちが社会に翻弄されていたのは記憶に新しい。
「芸術はゴミ」なのか?
感染せずに生命さえ維持できればそれでいいのか?
表現者の葛藤が、リボンの形を借りて、画面に表現されていると感じた。
監督も脚本も主演も編集もやっているのならば、これはすごいことと思う。
より沢山の作品を生み出していってほしい。
もうちょっと話題になって欲しい。
作り手の伝えたいことがちゃんと分かる良作です
のんは才能あるだろうな〜と思いつつも「まあ初作品だから黒歴史っぽいイタイ作品になるだろうな」とたかをくくっていましたが、予想外に良く出来ています。
卒業を迎える美大生。コロナ禍で卒業制作展が中止となり、自粛期間中の主人公のんのお話。思いのほか、ストーリーもしっかりしています。最後に親友の平井の作品とで、お部屋で卒展、という伏線回収の仕方なども見事ですね。
それよりも、これちゃんと「映画」になっている、という点に感心しました。何が「映画」か、っていうと、作り手であるのんが、伝えたいことが分かるな、と。モチーフはコロナですが、要は「観てもらえない、評価されない苦しさ」というクリエイターが持つ本源的なものがテーマになっている。
親友の平井は自粛中もコッソリ大学に忍び込んで作品を作っているが、観てもらえなければ意味がなく、最後はぶっ壊してでも持ち帰る。のんも自身の作品の最初の(多分、現時点では唯一の)ファンからの「カッコいい」の言葉があって、モチベーションがあがる。
平井がクリエイターの闇の部分。常に向上心を持ちつつも、一歩間違えればルールを犯してしまう。主人公は世間に折り合いを保ちながら創作するクリエイター、でもモチベの維持が難しい。田中のようなファンがほしいものの、距離感が掴めない。
主題のリボンは「想い」「感情」の象徴ですね。だから最初のシーンでリボンのお化けみたいな服を着て大学から出るのんが「重い〜、重い〜」って。卒制が出来ない美大生の想いが重いって、ダジャレですよね。それが色んな場面で効果的に登場する。
女優のんは、やっぱこの子はパッとした表情で場面を支配してしまう、根っから演者何でしょうね。普通のシーンやセリフ回しが上手いとは思えないけど、主役やるために役者になったような存在感を出せる子です。
のんが描く等身大の青春ファンタジー
正直言って、それほど期待していなかったのだけど、彼女の持つ不思議なバイタリティと、絶対的な存在感に惹かれて劇場に足を運んだ。作品はもちろん未熟なところがたくさんあったけれど、観て良かった。処女作でよくこれだけの映画が作れたものだと驚いてしまった。
のんは、コロナ禍という未知のパンデミックの中で、自分が感じていること、思っていること、興味があること、好きなこと、嫌いなことなど、まさに等身大で表現する。けれど、重々しい雰囲気は一切ない。中盤は思わず吹き出すようなコミカルなシーン満載で今を生きる若者たちの日常を描く。
でも、心の中では、アートへの探求が止まらない。それが苦しい。美しくも物悲しいファンタジックな映像は、タイトルである「リボン」を巧みに使いながら、ラストシーンへと我々を誘う。
オープニング、身体中にまとったリボンを引きずりながら「重い」というセリフ。それがどこに繋がっていくのか。僕はきっと内面との対峙なのだろうと思っていた。けれど主人公の気持ちは、外へと向かっていく。重さとなっていた全てのリボンが身体から抜け出し、作品へと昇華する。
「ゴミじゃない」というラストシーンのセリフは、コロナで全てを諦めざるを得なかった、同世代の若者たちへのエールだ。風に舞うリボンは、まさにその気持ちの表れだ。
「あなたは一人じゃない。あなたを見ている人が必ずいる。あなたの努力は無駄なんかじゃない。」伝えたいことがしっかり表現できているじゃないか。ああ、やはりのんは只者じゃなかった。次世代を担うアーティストなんだ。
このレビューは、これからの活躍に期待を込めた僕から監督へのエールにしたい。
モラトリアム期って大切だね
新型コロナウィルス感染拡大による社会活動の自粛の影響は、さまざまなところで発生しています。
学生、生徒、児童、といった学校生活でもその影響は少なからずあるようです。
学生期って、社会人になるためのモラトリアム期だと思うんです。このコロナ禍での社会活動の自粛は、学生たちからこの期間をすっぽりと奪い取ってしまいました。
この映画ではそんな中で、いつかや平井たちがどうやって奪い取られたモラトリアム期を埋めていくのか?といった心情を描いていきます。
その試みは成功しているとおもいました。
未完成の卒業作品を「壊して」持ち帰ってくるくだりは、とても良かったです(このシーンはこの映画の肝だと思ってます)。
リボンが何のメタファなのかはよくわかりませんでした。
ボクだけのもの
のんさんの長編映画初監督作品ということでどのような作品なのか?とワクワクしながら観に行きました。
これが処女作なのか…!という思わぬ衝撃にやられました。多少拙い部分はありますが、作家性も抜群に発揮されており、主演・企画・監督・脚本・編集を一手に担う手腕にも驚かされました。
コロナ禍という今もまだ扱うのに難しいテーマも物語にビシッとハマっており、学生達の苦悩もしっかりと描き切っています。強いていうならばせめて去年に公開されていたらもう少しテーマがしっかり伝わったかなと思いました。
時間を無駄にしてしまっている消費の感覚も映像的に表されていましたし、マスクのせいで互いの顔がわからないというのもコロナあるあるを体現しているかのようでした。
主人公いつかの両親や妹のコロナ対策も独特すぎて面白かったです。母親はひたすらの厚着、父親はさすまた持って突撃、妹は完全不審者と似た者同士だなーといつかと一緒に観客の自分も思ってしまいました。母親は罪悪感の無い人間なので好きではありません(なんだかコーダの母親を思い出すようです。)
どこかイライラしてしまっている登場人物の心情もしっかり伝わってきますし、夢への熱を再燃させる再起動の物語としても面白く仕上がっていました。サンボマスターの主題歌も最高でしたし、リボンアートの美しさは惚れ惚れしてしまいますし、今から次回作が楽しみです。その前に「さかなのこ」ですね。ギョギョギョ。
鑑賞日 3/8
鑑賞時間 11:55〜13:55
座席 D-10
コロナ禍の感情がしっかり描けているのはすごいです
女優ののんが監督をつとめた劇場映画デビュー作です。
実は『私をくいとめて』が良かったので、彼女には注目してたんですよね。ググったりYouTubeを見たりして。立ち位置的にも面白いじゃないですか。テレビ番組では見ないけど映画やCM、演劇では引っ張りだこ。実力も知名度もあるから仕事はコンスタントにあるけどテレビだけ干されているって、今の時代、本人にとっては最高なんじゃないですかね。時間とかにそこまで拘束されずに済むから自由だし、挑戦もできますからね。
実際、音楽ライブを配信したり、アート作品を制作したり、YouTubeで『おちをつけなんせ』を監督したりしてチャレンジを続けていますよね。そういうのを知っていくと、やっぱり応援したくなっちゃいました。以前は何となく「騒動起こしたりアートに手ぇ出したりして、何か変な子だよね」というイメージだったんですが、具体的な活動内容を知った今は「アーティストとしてどういうことを考えているのか知りたい」と思うようになりました。
映画って監督の思考とか思想とかが漏れて出てきますし、題材が美大生だからアートに対してどう考えているかが表現されているに違いないと思って『Ribbon』の公開を楽しみにしていたんです。
というわけで、せっかくなので監督の舞台挨拶がある回に、シネリーブル神戸まで観に行ってきました。
さて、映画ですが、初監督作品としては及第点だと思います。卒展に向けて作品作りに励んでいたところ、コロナ禍がやってきて卒展が中止になり、目標を見失ってしまった美大生のやるせない気持ちや空虚な気持ち、どこにもぶつけることのできない怒りなどの感情がよく描かれていました。コロナ1年目のあの時期にしかない空気感を表現できるのは、稀有な才能だな〜と思いました。
ただその一方で、まだ未熟な故と思われる欠点も見られました。まず最初に気になったのは、少し冗長すぎる点です。複数のシーンによって構成される、ひとつのエピソードのまとまりをシークエンスと言いますが、シークエンスが長すぎるんですよね。
僕は始まってすぐのバス停のシーンで、既に冗長だなと思っていました。この辺で終わりかなと思ったら、そこからかなりの時間、会話が続いたんですよね。起承転結の後にもう一回、転結がくるようなイメージですかね。これが演劇なら一つのセットでドラマが展開していくので少しくらい会話が続いても場が持つのですが、映画は場所や視点がどんどん変わっていくメディアなので、基本ワンシーンに話題はひとつにすべきです。
長くなりそうならシーンを二つに分けて、別のシーンを挟むとかした方が良いと思います。例えば主人公・いつかの両親が、大学が休校になったのを心配して「様子を見に行ってよ」と話しているシーンを挟むとか。あるいは、シーンは一つのままで、異物を投入することで前後に分けても良いです。例えばバスが来ていつかと平井の姿が見えなくなり、ドアの開閉音がして走り去ってもまだ二人はそこにいて、続きの会話が始まるみたいな。セリフで「しばらく会えなくなるからもう少し話したい」とか言わせなくても、何だか別れづらいんだなと伝わるから一石二鳥です。
で、話を戻しますが、バス停のシーンだけでなく、その後の両親とのシーンとか妹とのやりとりとかも長いです。たぶん丁寧に描こうとしたのだと思いますが、もう少しコンパクトにまとめてほしかったです。
それともう一つの大きな欠点として、母、父、妹が、日を分けて順番に1人ずつ訪れるのがエピソードの羅列に見えました。しかもシークエンスが、いつかが目覚めるところから始まるのをスタイルとしているので余計にそう見えました。エピソードを順番に並べてしまっていて、しかも必ず目覚めるところから始まるので単調なんですよね。
日常って必ずしも予定した通りに進むわけじゃないじゃないですか。例えば妹が来てるところに平井から電話があるかもしれないし、母がいてもたってもいられず様子を見に来るかもしれない。もしかしたらそれらが全部、同時に発生するかもしれません。そのエピソードに決着がつかないまま次のエピソードが来ちゃって、2番目のエピソードに対処してたら1番目も決着がついていたとか、そういう工夫が欲しかったです。
脚本家は箱書きといって、場所、登場人物、何が起きるかをシーンごとに書いた表を作るんです。そしてその表を見ながらシーンの順番を入れ替えたり不要なシーンを削ったり、ひとつだけ長いシーンがあったらそのシーンを見直したり、時には構成自体を見直すことや登場人物を減らすこともあります。もしかするとその工程を踏んでいないんじゃないかなと思いました。
あと、そもそもいつかが目覚めるところからシークエンスが始まるというスタイル自体が弱いとも思いました。だって朝起きるところから一日が始まるのって、人間にとって当たり前じゃないですか。映画っていかにして端折るかが追求されてきたメディアで、朝起きるシーンがないけど翌日になっていることが分かるように描くものなんですよ。例えば「人間は規則正しく生きるべきだ」ということを描きたいから、あえて主人公が朝起きるところから始める、とかなら有効かもしれないですが、この映画はそういう作品ではないので。
この、朝起きるところから始まるスタイルが、単調の原因にもなっているのでもうひと捻り欲しかったですね。
ところでメインビジュアルで、リボンがたくさんついた衣装を着ているじゃないですか。あれ確か序盤で一回出てきただけで、その後一切出てこなかったと思うんですが何だったんですかね。僕はてっきり何かの伏線かと思っていたので回収してほしかったです。
あと、平井の絵は平井が自分で仕上げた方が良かったんじゃない?
というわけで欠点をつらつら書いてきましたが、基本的には及第点だと思っています。コロナがもたらした様々な感情や、コロナ一年目の空気感が感じられたのは本当にすごいです。キャラクターも描けていたし、構成も悪くないです。
そして何よりコロナ禍に卒展の中止という素材を見つけ、すぐに映画化に動き出した行動力は素晴らしいと思います。次回作も期待してます。
リボンの象徴はデオキシリボ核酸?
二年前、コロナ禍初期において何が正解か分からない中での過剰過ぎる反応を的確にコントで表現してくれてました(笑)
なんであんなに感染に対して敏感やのに、部屋に入ってすぐ手洗いうがいをせえへんねや?(笑)
思春期における母親の愛情溢れる娘への世話焼きに対してイラッとする気持ち、ニタニタしました。
後になって感謝するし、あんなにキツく当たった事に後悔するんですけどね…(;^_^A
のんちゃんの魅力はもちろん、リオちゃんの美しさにもトリコになりました♪
のんさん すごいなぁ けど
のんさん 企画 脚本 監督 主演ということで是非とも観たいと思い観てきました。
コロナのなかでの大学生しかも美術系で発表する場もなくなり、就職活動もままならず 4年間の費やした時間が無駄であったのではないか?との思い。
いい題材ですよね。しかも友人や家族との軋轢やふれあいをコミカルに描いていたのでとても面白かったですね。
けど どうもあのリボン🎀が気になって気になって、そこに意味を持たせたのでしょうけど私にとってはなんか邪魔でしかなかった。
ユルさが心地良くて、その中でもしっかりと伝わってくる映画
いきなり辛いシーンが来るの。
努力は無駄になる事も有るけれど、努力自体がまるで無かったかの様にされるのは辛いですよね。
若い人には、良くても悪くても、努力に対する結果を出さしてあげたいな。
そんな感じで始まるんだけど、そこから先はユルい感じで映画は進んで行くんです。
家族が笑いの刺客の様に送り込まれて来る。
コロナ禍の厳しい状況なのに、なんかほのぼのとした感じが有って、観ていて心地良いんですよね。
話は進んで、二人が大学に忍び込んだ時に登場する平井の絵が、凄く良いんです。
なので、映画の撮影の為だと分かっていても、叩き割られる所は、観ていて嫌な気持ちになるんですよね。
だけど、形を変えても素敵な作品として再び登場するから、その嫌な気持ちも消え去るの。
形を変えても輝き続ける物って有るんですね。
ほのぼのした温かい感じが有りつつ、しっかり伝えたい事が込められた良い映画だと思います。
のんちゃんの生きざまにふさわしい、のんちゃんそのもののような作品
家族や仕事を別にすれば、自分もスポーツ、演劇、映画、ドラマ、美術、音楽などを大きな支えとして生きてきた人間だ。コロナがまん延し、こうしたものが「不要不急」として軽んじられたこと、それらを生業として日々闘っている人たちが批判の対象とされた状況には怒りを覚えたし、何とも耐え難かった。
そうした意味では、自分ものんちゃんの悔しさや怒りにすごく共感する人間なのである。
のんちゃんが脚本、監督、主演、編集などを担ったこの作品は、そんなコロナの状況を美大生の姿を通じて表現したものだ。テーマは深刻ではあるのだが、コメディーの要素をふんだんに盛り込むことで、シリアスになり過ぎない描き方をしている。このあたりは、コメディー好きののんちゃんらしい。特に前半は、コロナへの対応をめぐって家族4人が戸惑うさまをちょっと滑稽に描きだす。登場人物たちは、どこか愛嬌のあるタイプで、お互いのやりとりを見ていると、笑いがこぼれる。この部分は好き嫌いが分かれるかもしれないが、笑いの要素が嫌いじゃない人は、のん監督の持ち味として十分に楽しめるはずだ。
シリアスな要素が深まる後半も、のんちゃんのいたずら心が随所に発揮されている。夜、学友と大学に忍び込む。警備員に追いかけられても談笑しながら2人が駆けて逃げていく姿を後方からだけで映しだしたシーンには、逆境に負けないことを誓った2人のエネルギーと若さがほとばしっている。真剣なテーマを扱いつつ、そこに笑いやいたずら心、前向きなチャレンジ精神をうまく盛り込み、のんちゃんの生きざまにふさわしい、のんちゃんそのもののような作品に仕上がった。
もちろん、主人公に感情移入し切れないところもある。見方によっては突っ込みどころもあるでしょう。ただ、これが劇場公開1作目であることを考えれば、大いなる可能性を感じさせる映画監督が、しっかりと名乗りをあげたと言い切っても構わないはずだ。
15歳で単身東京に出てきて10数年。おそらく彼女は多くの監督・スタッフ、役者さんや作品をじっくり観察して、その中からいろいろな技術や精神を濃密に盗み取ってきたのだと思う。一方で彼女はいろいろな点で相変わらずのハンディを背負っている。例えば、この作品もイオンがかかわっているはずなのに、イオンの映画館ではほとんど上映されていない。裏には独特の事情があるのだろう。彼女の前には高い壁が立ちはだかっている。
ただ、ハンディがない状況なら、果たして20代半ばで自ら映画をつくるようなことを考えただろうか。いろんな仕事が殺到し、テレビドラマにも引っ張りだこであったかもしれない。それはそれで居心地のいい場所だったかもしれないが、不自由な環境に置かれたからこそ、自ら考え、自分と向き合い、作品を生み出す方向へと意欲を燃やすことができた。自らの思いをぶつけて脚本を書き、先達たちの意見にも耳を傾けながら芝居を指揮し、編集も自分で行った。サンボマスターに自ら手紙を書いてテーマ曲を依頼。世間に広く名前を知られた女優さんが、20代でそんな難しい作業に粘り強く立ち向かい、2時間の作品に仕上げた。そこで得た経験やノウハウはかけがえのないもの。そう簡単には揺るがないだろう。人間、何が幸せかは分からない。
サンボマスターの力強い応援ソングとともに流れる映画のエンドロールに、「脚本・監督 のん」という文字が浮かび上がった。15歳で夢を抱いて田舎から上京した少女のその後の10数年の歩み、真摯な成長ぶりを思うと、あまりに感慨深くて自然に涙がこぼれてきた。
日本の芸能界の「ドン」の皆さんの何人かは、上映映画館の少なさや映画の出来映えに皮肉な笑いを飛ばしているかもしれない。所詮は徒労感を伴う努力だと。そんな「ドン」たちの傘下には、立派な役者さんも、CMやテレビ出演で多額な利益をもたらす役者さんやタレントさんもいらっしゃるでしょう。それでも、自ら訴えたい題材を胸に脚本を書き、面倒な作業を貫徹して粘り強く作品を完成させる志の高さや技術・ノウハウを備えた若い才能は、そうそういないはずだ。エンターテインメントは夢を売る世界。若い情熱や才能を嘲笑するような人間たちは、本来エンタメの世界にはいらない。
転換からエンディングへ向けてが圧巻
オープニングで、自分の作品を壊す芸大生を観て泣ける。そんな悲しい瞬間があるだろうか。
そこからは、だらけるよね。新型コロナ下の日常描写に近い。出てくる役者さんがみんな芸達者で、小ネタも効いてるから面白いけど、このまま続くのはしんどいなと思って観てたの。
小野花梨はすごいね。のん とやって引けを取らない。のん はこの主人公みたいな少しぶっ飛んだ役がメチャクチャうまいけど、それとやって大丈夫なのはすごい。
平井ちゃんが再び出てきて一気に話が進むね。
あの喧嘩のシーンは唐突感あるんだよね。なんでいきなり いつか はそんなに怒ってるんだっていう。でも のん の演技で持っていってしまう。
だらけたと思った前半でのネタフリも効いてるね。平井ちゃんは才能が認められていて、大学院に進むことになっていて、いつか はそんなでもなくて就職するんだね。
そして、自宅に作品を持って帰ったのに製作に手が付かない いつか と、大学に残した作品に規則を破ってまで手を入れに行く平井ちゃん。これが才能の違いなんだね。どんな障壁があったって、平井ちゃんは創らずにはいられない。
翌日 いつか の家に押し掛けた平井ちゃんが「作品持って帰りたい。いちか、なんとかして」と丸投げするところも天才っぽい。自分の欲求だけをストレートに出してくる。
そして忍び込んだ大学で目にする平井ちゃんの作品は確かにいい。取材協力が多摩美になってたけど、この作品は実際の学生さんの結構良い作品なのかな。いつか の作品は「小道具さんが描きました」っていう感じで、そこまで良くないんだよね。
そして、いつか の作品を認める田中。「卒業式の日に渡した作品はまだ持ってる?」と聞く いつか に「あの作品の飾り方がいまだに分からない」と返すのも良い。自分の創ったもので心を動かす人が一人でもいるなら、それで十分だよね。
そして、その一人は、作者自身でも良いんじゃないのか。最後の二人卒展を観て思ったよ。
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