Ribbonのレビュー・感想・評価
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自称・あーちすとに枠組みなんかない、創造を駆る独特なテイスト
作品そのものとしての完成度は決して高くはないとは思う。でも、見てきたことや感じたことを咀嚼しながら、芸術を題材にした映画として出来ていたと思う。そこに迷いもなく。 自称あーちすと。彼女の肩書きだ。女優としての活躍もあるし、音楽もする。そして今回、監督と脚本を務めた。その才能はやはりすごいと思うし、その中でもストレートな表現にスパイスが効いていて、分かりやすくも似て非なる作品に仕上がっていたと思う。自己満足感の強い作品とは違い、目指しているゴールに観客を連れてってくれる。だから、観ていて咀嚼しがいがある。 強いて言うなら、「あの頃な…」と言いたかった所。最初の緊急事態宣言からの葛藤を、美大生の視点から描く本作。それだけに、並々ならぬ感情を抱えているのは分かるのだが、他も一緒なわけで。なんとなく、笑い飛ばしたいシーンも笑いにくいのが悔しい。それでもそこはあーちすと。芸術家の視点と揺るがない芯による、思い切りのあるスイングが感じられる。今後も期待していいんじゃないかな。 のんさんと言えば、 その人脈の強さも1つ。岩井俊二さんが冒頭に登場し、特撮のクレジットには樋口真嗣さんの名前が入る。また、小野花梨さんや山下リオさん、渡辺大知さんといったキャストも魅力的。お金はかけられていないんだな…とは思うけど、凄く忠実で救いも感じられた。 まだまだ予断は許さない。けれど、分かったことが多いから、今なら少し動ける気がする。あの絶望とはもうオサラバ。「ゴミじゃない。」誰だって自分が分からなくなりそうだったあの時、抱いた感情は紛れもなく、今に生きる。清涼感もある、心地良い作品だった。
溢れる思いと才能
のんちゃんファンなので、ちょっと遠征して鑑賞させてもらいました。それにしても上映館が少なすぎますね。 正直そんなに期待してた訳じゃなかったけど、彼女の表現したいという思いと才能が溢れた良作で、あっという間の2時間でした。最初は特撮のRIBBONに違和感があったけど、徐々に目に馴染んできていい感じになったし、重苦しい暗い感じの映像もコミカルでポジティブな方向へ昇華され、大事件や派手なアクションなんて無縁の作品なのに、見るものを飽きさせない監督としての才能を感じさせる作品でした。自然に主人公に感情移入できたのは、やはり彼女の演技力に拠るものでしょうね。 やっぱり、この人凄いな!
コロナ禍の感情がしっかり描けているのはすごいです
女優ののんが監督をつとめた劇場映画デビュー作です。
実は『私をくいとめて』が良かったので、彼女には注目してたんですよね。ググったりYouTubeを見たりして。立ち位置的にも面白いじゃないですか。テレビ番組では見ないけど映画やCM、演劇では引っ張りだこ。実力も知名度もあるから仕事はコンスタントにあるけどテレビだけ干されているって、今の時代、本人にとっては最高なんじゃないですかね。時間とかにそこまで拘束されずに済むから自由だし、挑戦もできますからね。
実際、音楽ライブを配信したり、アート作品を制作したり、YouTubeで『おちをつけなんせ』を監督したりしてチャレンジを続けていますよね。そういうのを知っていくと、やっぱり応援したくなっちゃいました。以前は何となく「騒動起こしたりアートに手ぇ出したりして、何か変な子だよね」というイメージだったんですが、具体的な活動内容を知った今は「アーティストとしてどういうことを考えているのか知りたい」と思うようになりました。
映画って監督の思考とか思想とかが漏れて出てきますし、題材が美大生だからアートに対してどう考えているかが表現されているに違いないと思って『Ribbon』の公開を楽しみにしていたんです。
というわけで、せっかくなので監督の舞台挨拶がある回に、シネリーブル神戸まで観に行ってきました。
さて、映画ですが、初監督作品としては及第点だと思います。卒展に向けて作品作りに励んでいたところ、コロナ禍がやってきて卒展が中止になり、目標を見失ってしまった美大生のやるせない気持ちや空虚な気持ち、どこにもぶつけることのできない怒りなどの感情がよく描かれていました。コロナ1年目のあの時期にしかない空気感を表現できるのは、稀有な才能だな〜と思いました。
ただその一方で、まだ未熟な故と思われる欠点も見られました。まず最初に気になったのは、少し冗長すぎる点です。複数のシーンによって構成される、ひとつのエピソードのまとまりをシークエンスと言いますが、シークエンスが長すぎるんですよね。
僕は始まってすぐのバス停のシーンで、既に冗長だなと思っていました。この辺で終わりかなと思ったら、そこからかなりの時間、会話が続いたんですよね。起承転結の後にもう一回、転結がくるようなイメージですかね。これが演劇なら一つのセットでドラマが展開していくので少しくらい会話が続いても場が持つのですが、映画は場所や視点がどんどん変わっていくメディアなので、基本ワンシーンに話題はひとつにすべきです。
長くなりそうならシーンを二つに分けて、別のシーンを挟むとかした方が良いと思います。例えば主人公・いつかの両親が、大学が休校になったのを心配して「様子を見に行ってよ」と話しているシーンを挟むとか。あるいは、シーンは一つのままで、異物を投入することで前後に分けても良いです。例えばバスが来ていつかと平井の姿が見えなくなり、ドアの開閉音がして走り去ってもまだ二人はそこにいて、続きの会話が始まるみたいな。セリフで「しばらく会えなくなるからもう少し話したい」とか言わせなくても、何だか別れづらいんだなと伝わるから一石二鳥です。
で、話を戻しますが、バス停のシーンだけでなく、その後の両親とのシーンとか妹とのやりとりとかも長いです。たぶん丁寧に描こうとしたのだと思いますが、もう少しコンパクトにまとめてほしかったです。
それともう一つの大きな欠点として、母、父、妹が、日を分けて順番に1人ずつ訪れるのがエピソードの羅列に見えました。しかもシークエンスが、いつかが目覚めるところから始まるのをスタイルとしているので余計にそう見えました。エピソードを順番に並べてしまっていて、しかも必ず目覚めるところから始まるので単調なんですよね。
日常って必ずしも予定した通りに進むわけじゃないじゃないですか。例えば妹が来てるところに平井から電話があるかもしれないし、母がいてもたってもいられず様子を見に来るかもしれない。もしかしたらそれらが全部、同時に発生するかもしれません。そのエピソードに決着がつかないまま次のエピソードが来ちゃって、2番目のエピソードに対処してたら1番目も決着がついていたとか、そういう工夫が欲しかったです。
脚本家は箱書きといって、場所、登場人物、何が起きるかをシーンごとに書いた表を作るんです。そしてその表を見ながらシーンの順番を入れ替えたり不要なシーンを削ったり、ひとつだけ長いシーンがあったらそのシーンを見直したり、時には構成自体を見直すことや登場人物を減らすこともあります。もしかするとその工程を踏んでいないんじゃないかなと思いました。
あと、そもそもいつかが目覚めるところからシークエンスが始まるというスタイル自体が弱いとも思いました。だって朝起きるところから一日が始まるのって、人間にとって当たり前じゃないですか。映画っていかにして端折るかが追求されてきたメディアで、朝起きるシーンがないけど翌日になっていることが分かるように描くものなんですよ。例えば「人間は規則正しく生きるべきだ」ということを描きたいから、あえて主人公が朝起きるところから始める、とかなら有効かもしれないですが、この映画はそういう作品ではないので。
この、朝起きるところから始まるスタイルが、単調の原因にもなっているのでもうひと捻り欲しかったですね。
ところでメインビジュアルで、リボンがたくさんついた衣装を着ているじゃないですか。あれ確か序盤で一回出てきただけで、その後一切出てこなかったと思うんですが何だったんですかね。僕はてっきり何かの伏線かと思っていたので回収してほしかったです。
あと、平井の絵は平井が自分で仕上げた方が良かったんじゃない?
というわけで欠点をつらつら書いてきましたが、基本的には及第点だと思っています。コロナがもたらした様々な感情や、コロナ一年目の空気感が感じられたのは本当にすごいです。キャラクターも描けていたし、構成も悪くないです。
そして何よりコロナ禍に卒展の中止という素材を見つけ、すぐに映画化に動き出した行動力は素晴らしいと思います。次回作も期待してます。
ちょっと自分にはハマらなかった。
のんさん。初の監督・脚本と言うことで期待しながらの鑑賞。 ご祝儀で0.5点を加点(笑) コロナ禍の中、美大生が行動が制限され苦悩する作品。 のんさんが美しいのは良かったけど、何を表現したかったのか? あまり共感出来ず。 喜怒哀楽の表情がとても良かった。 CGのリボンは何を表現したかった のか? 田中君の本人確認のシーンは面白かったけど、ちょっとしつこかった感じ。 ラストシーンは良かったけど全体的に 満足度は高くは無かった感じ。 エンドロールに岩井俊二さんの名前を確認。 調べたら本作の予告編の監督をしていたんですね( ´∀`)
もはやコロナ禍は終わった❗️と言える日はいつ来るのだろう
のんさんが頑張ってる。応援したい。 そういう思いはあります。 でも、その気持ちの部分を除くと、映画としてはあまり面白くはないと思います。スローテンポの多用で全体としてかなりまったり感に覆われますが、それがさして効果を発揮しているようには感じられませんでした。 ただ、コロナ禍による時間と機会の喪失、はけ口のない停滞、出口の見えない焦燥感、そういった社会の変化の実害をモロに受けてしまった若者たちの心情は痛いほど伝わってきます。 そしてもうひとつ、自分の思い違いかもしれない、と知らされたこと。 それは、コロナ禍による変化をコロナ前とコロナ後で分けて考えることが増えてきましたが、実はまだコロナ後というのがまったく見通せず、戦前、戦時中、戦後という概念と同様、コロナ(禍)中という区分も考えなくてはいけないということ。 もはや戦後ではない、と1956年の経済白書が宣言し所得倍増計画が始まったたように、もはやコロナ禍ではない、と宣言して、所得2割増計画(いや、この際1割増でも良しとします)がスタートすることを切に願います。 いつか、という名前…いつかは報われる日が来るということでしょうか。 大丈夫‼️ 必ず来ます。
コロナ禍
で鬱積したものが溜まるし、卒業制作の展示までも中止となりフラストレーションを抱えて悶々とした主人公。最後はそれでも前向きになります。のんちゃんは興奮して喋る時の台詞は何故あんなにキーが高く、がなるのでしょう?
のんは、自分をわかってる
のんが監督、脚本、編集、主演を務めた「ribbon」を観る。大ファンの私も、大ファンだからこそ、ちょっとというか、かなり不安はあった。何だか学園祭や自主制作映画のような「自我」がダダ漏れな感じになってないかなと。 120分の上映時間。見終わった後、迷わずパンフレットを買った。何というか、最高の自主制作映画という感じだった。 コロナで大学が閉鎖された美大生の話。脚本や台詞には「いや流石にそれは」というものもあった。 でも、のんの存在感と感情を揺さぶるシーンが帳消しにしていく。 本人が脚本を書き、絵コンテを描いたという映像の中で、のんは剥き出しの表情で地団駄を踏むように苛立ちを表し、次の瞬間、世界が明るくなるような笑顔でキュートに笑う。 のんを表舞台に戻す事になった「この世界の片隅に」 戦火の困難にもいつでも笑顔の「すずさん」が、クライマックスで叫び声をあげる。 その叫びは戦争を含むこの世の無情への叫び声であり、能年玲奈がその頃被っていた様々な理不尽な状況への叫びでもあった。 <ゔわぁぁ〜!> 芸能界で過去例をみないほどに干されていたのん。 テレビで彼女を見ることはなく、正に「いないこと」にされていた。 その状況が彼女に与えたものは、大きな力に抑圧されるものたちの象徴としての存在。 それは抑圧的な時代に生きる私たちにもどこか似ていて、彼女が叫ぶ時、僕らも叫んでいるように思えた。 「ribbon」でもそんなシーンはあった。 自分の作品を理解されなかった時、芸術を要らないものとされた時、友人に自分の気持ちを伝えられない時、のんは大声で叫ぶ。小動物のように怒りをあらわにする。言葉にできない苛立ちを、全身で表現する。 彼女自身の脚本の中で。 発見があった。 彼女は十分に自分自身を客観視できているということ。 それまで僕は、のんの俳優としての才能は、彼女の特異なキャラクターにふれた脚本家や監督が「当て書き」のようにセリフや台本を書く事で実現されてきたのではないかと考えていた。 彼女自身は、それほど「演技」をしていないのではないかと。 映画を見る前の心配もそこからきていた。 彼女が、自分の好きなようにやったら、ちょっと痛い感じになるんじゃないかと。 でも、そんな事はなかった。映画では、計算と計算外が相半ばする。例えば、無数のリボンを心象風景として映像に浮遊させる演出。そんなに斬新ではないし、PVを初めて作るバンドのような稚拙さを最初は感じた。 でも映画が進むにつれて、その稚拙さもある種の味に変わっていく。 ぎこちない脚本や台詞回しも、どこまでが意図したものかそうでないかわからなくなり、またどうでもよく思えてくる。 きっとこういうことだ。 のんは、自分自身の魅力をある程度理解していて、どこまでが自分で、どこまでが役なのかわからない、その「区別のつかなさ」が自分の本質であることもつかんでいる。 僕はちょっと驚いて、少し安心した。 彼女の才能には、まだまだ先がある。 予告編を作ったのは岩井俊二(!) 彼はパンフレットでこう書いた。 「皆様、2時間近い劇場映画をあなたは作れると思えます?普通思えないですよ。作れるかどうか以前に、作れると思えるかどうか、というハードルが立ち塞がることを僕は見逃しません、のんさんは思えてしまった」 ある種のアイドル映画、ではある。 でも、その映画はアイドルその人が作っていて、その人は時代と共振するシャーマンのような資質を持っている。 その自分自身の資質を把握する力と、その自分自身の枠さえも突き抜けていく可能性がある。 テアトル新宿。かなり大きなスクリーンで上映している。 彼女が苦手な人にはお薦めしないけど (そう思う人がいても仕方ないっす) 気になっている人は、絶対見ておいた方がいいと思う。
リボンの象徴はデオキシリボ核酸?
二年前、コロナ禍初期において何が正解か分からない中での過剰過ぎる反応を的確にコントで表現してくれてました(笑)
なんであんなに感染に対して敏感やのに、部屋に入ってすぐ手洗いうがいをせえへんねや?(笑)
思春期における母親の愛情溢れる娘への世話焼きに対してイラッとする気持ち、ニタニタしました。
後になって感謝するし、あんなにキツく当たった事に後悔するんですけどね…(;^_^A
のんちゃんの魅力はもちろん、リオちゃんの美しさにもトリコになりました♪
「弱いつながり」の強さと重さと
自分には2020年のコロナ禍での自宅待機の頃の記憶がほとんどない。自宅には家族がいて、普段通りの会話をしていたし、仕事はリモートワークで確りと支障なく繋がっていた。 ただその間、友人や知人とのたわいの無い会話は完全に閉ざされ、街や公園は人がいない無機的な環境になってしまっていた。 家族は大切な存在だけど、その繋がりが強すぎて、時に煩わしく時に息苦しさも感じてしまう。「弱いつながり」の大切さはコロナ禍で失って初めて気がつくもの。 それはSNSやビデオチャットのようなもので満たされるものではなく、リアルの質感や重みを感じさせるものでなくてはならない。あのRibbonのように。 コロナ禍での息苦しさや繋がりの重みに真正面から向き合っていて、10年後にこの作品を観た時、私たちはどう感じるのだろうか。 予想以上ののん監督のリテラシーに脱帽。 セリフのひとつひとつが繊細で丁寧で自然なところがとても心地良い。
中盤以降のコメディタッチandウェルメイドはいい
予告編(作・岩井俊二)がしんねりしていたので観るのをためらっていたけど、確かに立ち上がりはそんな感じなのだけど中盤から、そう、小野花梨(超絶いい)が出てきたあたりから完全にコメディ色が強くなり、女の子の友人をやらせたらこの人の右に出る者はいないという山下リオに繋がると本当に元気が出て、泣ける青春映画にまとまってとても良い気持ちで劇場を後にできます。 脚本も書いてるのんちゃんのメッセージではなく、自分を見ててくれている人、たったひとりでもそれが勇気になる感じがちゃんと伝わっていて。 なので、振り返ってみると予告編がこの映画の良さを伝えきれてないのでは、という気もしてくる。予告編もこの際若い勢いでやっちゃってもよかったのではないかと。でも将来、日本のブックスマートみたいなもの作れそうな人だと思いました、のんちゃん。
真面目で一生懸命だが、ずっと空回りしている
真面目に一生懸命に作った作品という印象だ。監督、脚本、主演ののんは真面目で一生懸命な性格なのだろう。それがそのまま作品に出ている。 若い女性の心模様を描きたかったのだと思うが、それにしては本作品のヒロインは幼稚すぎる感がある。精神的に安定しない小学生か中学生みたいな言動が目につくのだ。二十歳過ぎの女性は脳内にセロトニンが豊富で、怒鳴ったり喚いたりすることはない。 母親が勝手に絵を捨てたシーンも、子供じみた対応をする。二十歳すぎの女性なら、簡単に怒るのではなく、例えば自分の絵が如何に駄目な絵かを思い知らされて絶望した振りをする。お母さんにさえ解ってもらえない絵しか描けないなら、もう絵をやめて死ぬしかないと大袈裟に嘆く。計算高い現代っ子なら、それくらいは簡単にできそうだ。涙だって流せるだろう。その方が怒鳴るよりもずっと母親を追い詰めることができる。しかし、のんの想像の中にはそんなひねくれた女子はいなかったのだろう。 絵を描く美大生としても、いくつか疑問のシーンがあった。 芸術家は寝ても覚めても作品のことで頭がいっぱいだ。だから目が覚めたらすぐに作品に取り掛かる。しかしいつかは朝起きてすぐに絵を描かない。このことだけでも絵描き失格である。絵描きは自分が描きたいから描くのだ。他人が褒めてくれたらやる気が出るとか、やはり小学生のレベルである。 いつかは気持ちが高ぶって洗い物を途中でやめてしまう。芸術家の才能で最も大きな割合を占めるのが持続力だ。どんなに絵が上手くても、作品を完成できなければ絵描きとは呼ばれない。絵を描きたい情熱がすべての感情を凌駕するのが絵描きなのだ。泣いて洗い物を途中でやめるのは、絵描きの精神性ではあり得ないことである。 ヒロインには、せめて絵描きとしての才能があってほしかった。才能は情熱であり、持続力である。持続する情熱と言ってもいい。いつかにはそれがない。才能のなさが透けて見えるから、観客はヒロインに感情移入できず、小学生の学芸会を観ているかのような気になる。真面目で一生懸命なのんがずっと空回りしているような作品だ。
ゴミじゃないけど、カツオノエボシ?
うーん😔 いくらコロナ禍で卒業制作展が中止されたからといって、作品を自分で壊す行為には違和感。 お父さん役の菅原大吉さんは「星屑の町」から継続しての出演でした。 サスマタという武器を初めて知ったのは永井豪のハレンチ学園だったと記憶しております。
イライラしてしまった
主人公含め、ほとんどの登場人物に感情移入できなさった。(唯一、あの男の子だけが救いだった) 行動や言葉に対する違和感が多くて、「え、なんでそんなこと言うの?」と思考がぐるぐるしてしまい、話に没入できなかった。特にお母さんの言葉・行動への不快感がすごい。(もちろん狙っているのだとは思うのだけど) 今は、コロナが日常になって終わりが見えてきているので、「あー、そういえばコロナはじめの頃ってこんなにピリピリしてたな」って思い出す作業が多かった。あの頃の自分と重なる部分もあったのかもしれないけど、あまり刺さらなかった。 途中、登場人物みんなにイライラしてきて、すこし苦痛だった。これが狙いだったのなら大成功。 のんの魅力満載で、泣きの演技は刺さった!!不審者感満載の家族とか、笑える場面も多かった!! 最後の作品はとても好きだったし、伝えたかったメッセージ自体は伝わったと思う。 ただやっぱり、不快感が強かった!! ある意味、私の中にしばらく残る映画かも。
のんさん すごいなぁ けど
のんさん 企画 脚本 監督 主演ということで是非とも観たいと思い観てきました。
コロナのなかでの大学生しかも美術系で発表する場もなくなり、就職活動もままならず 4年間の費やした時間が無駄であったのではないか?との思い。
いい題材ですよね。しかも友人や家族との軋轢やふれあいをコミカルに描いていたのでとても面白かったですね。
けど どうもあのリボン🎀が気になって気になって、そこに意味を持たせたのでしょうけど私にとってはなんか邪魔でしかなかった。
作りたいエネルギーがほとばしっていた
コロナ禍でいろいろ諦めざるを得なかった、クリエイターたちの悲しみや苛立ちを「ぎゅっ」っと詰め込んだようなフィルム。 初監督らしいフレッシュさと、作りたかったものがブレなかった信念みたいなものが合わさって不思議な雰囲気を醸し出していました。 そして、のん監督に対しては「この人は演じるのと同じかそれ以上に作りたい人、表現したい人」なんだなと感じました。
スマホはインフラ!
とてつもなく久しぶりにテアトル新宿。かつては名画座、インディ邦画(ダンカン初監督作品みたいな微妙な面々)、アニメの聖地を目指したり、様々なポジションを模索しつつ、とりあえず現在の姿か。中学の頃からの付き合いなので、愛着ある同志のような劇場だ。 企画、脚本、監督、主演がのん。という一見独りよがりの珍作に遭遇する恐怖もあったが、なんとも爽やかなオンナノコ青春映画だった。スマホが無いと生きていけないコロナ下ならではの、いまこの瞬間の日常で無ければ、描けない秀作。数年後にコロナが収束してからでは、ここまでヴィヴィッドに「現在進行系」の、【想像もしなかった日常】を表現できないだろう。まったくもう、今年の掘り出し物作品であった。
あのとき感じた苦しさ
どうしたって色目で見られてしまうのは仕方がないのだろうし、コレに限らず自分もそう見ている事がしばしばあって「良くないなぁ…」とは思っていたのだが、鑑賞後は更に思いを強くした。良かった、とても。また何かを感じたら監督をやってみて欲しいと素直に思える作品。でも、脚本はお願いするか共同が良いかもね(失礼)。 完成してから公開まで時間が経ってしまったのが何よりも惜しまれる。この映画の中に渦巻いている「憤り」や「哀しみ」を皆もリアルに感じていた頃に公開されていたら、評価3割増しだったのではないだろうか。映画の端々で出てくるチグハグギクシャク癇癪も一年位前には皆が持っていただろうからね。 初監督で二時間弱。しかも編集も自らなんて、ともすれば美学の押し売りみたいになりかねないのに、むしろ落ち着いた雰囲気のある華美に過ぎない優しいトーン。助けてくれた人達のバランスを取るのが上手いのでしょうね。お見事でしたし、結構心に響きました。
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