「黒服が現実にいたとしたら」真夜中乙女戦争 せきやまさんの映画レビュー(感想・評価)
黒服が現実にいたとしたら
原作を途中まで読み、結末知らないまま映画を鑑賞しました。
(読み切ってから見るつもりが、上映ラストが迫っていて間に合わなさそうだったため仕方なく笑)
結果、主人公の思考を読んで概ね理解できた上で、結末を知らずに見たので話に置いていかれず最後どうなるの?というドキドキを味わえたので結果オーライでした。
映画では黒服との出会いから悪戯、東京破壊計画まで序盤から早く進んでいきますが原作では前置き(私の考え方から先輩との交流、黒服との出会い、私設映画館を作るまでなど)の方が長く、2/3くらいまでは淡々と進んでいきます。
前置き、と書いてしまいましたがこの部分が大事で「私」の社会に対する不信感や絶望、やるせなさにいかに共感できるかで物語の捉え方は変わってくると思います。
生まれてから経済面や人間関係、進学などなにも問題なく不自由なく過ごしてこれた人にはわかりにくいかもしれません。
埋められない経済格差によって生じる劣等感、
何も変えられずただ社会の歯車になるしかなく、
大学を卒業して就職して結婚してしあわせな家庭を築く普通の幸せ、すら手に入れられないだろう不安、
手に入れたところでそれになんの意味があるのかわからないのに高い学費を借金してまで通う就職するための大学、その授業料に見合わない講義。
楽しいことも悲しいこともそれが結局なんになるの?どうせいつか死ぬのに。という絶望からなにも意味を見い出せず、自分の殻にこもるしかない。
ひとつの問題を解決したくても芋づる式に問題が次々繋がって結局臭いものにはフタをするしかない今の日本。
形式的な対策しかされないから根本的な問題解決にならず、もうどうしようもない日本の社会問題は、すべて壊すしかない。
突き詰めると全部ゼロにするしかないよね、というところが爆破に繋がるのかなと勝手に解釈しました。
(現実でこんなことになったらテロどころじゃないですけど)
黒服にとって世界は簡単すぎた。
頭が良すぎて全部手に入れられてしまってつまらないところに、「私」を見つけた。
すべてをぶっ壊したい「私」の願いを叶えることも黒服は可能だった。
ぶっ壊せるはずがないと思いながら自分にとって理不尽な世界をぶっ壊したい、と思いたくなるのは誰にでもあることと思いますがそれを実行できてしまう黒服と出会ったのが全ての始まり。ぶっ壊した後の世界はどうなるのか、黒服ももういない、常連達も生きているのかわからない。
先輩の池田エライザはサークルの面接のときやバーで歌う姿、ホテルで「私」と向き合う姿がとっても美しくて見とれてしまう。
でも、大学で友達と過ごす姿は本当にどこにでもいる大学生って感じ。
柄本佑さんは怪しい役がほんとに似合う。
主要人物の誰も名前が明かされずに進むところがこの作品のリアリティを生んでるような気がする。
「私」は自分のことかもしれない。
黒服の元に集まった常連はみんな「私」であり、社会のはじかれ者、いずれはじかれるだろう人たち。
理不尽さを壊したいけどどうしようもなかった、力がなかったのに黒服はそれを可能にする。
(例え、途中で怖くて逃げたくなっても)
私も、もし黒服が目の前に現れたら崇拝してしまうかもしれない。