「オマージュかパクりかで言うとパクり(劣化版)」真夜中乙女戦争 りのじさんの映画レビュー(感想・評価)
オマージュかパクりかで言うとパクり(劣化版)
オマージュかパクリかのライン引きは難しい
おそらくは、観た人の数だけその判断は分かれるだろう
先に結論から言うと筆者の感想、判断は[完全にデヴィッド・フィンチャーのファイト・クラブのパクリ]
導入から最期まで[私]の独白はコーネリアスの独白そのまま
[黒服]が私にしか視えておらず、二人同時に話す事が無いのもファイト・クラブの展開そのまま
[彼女]の友だちは[消され]てしまい(それが判明するのはもっと後だが)、その後[彼女]は黒服と私を同時に視る事はない
[私]を知るはずのオカンは電話のみで私しか話していない、これはタイラーとの公衆電話と一緒
同郷の友だちも、その友だちには私は見えず、虚空と話す様な視線を向けるのみ
黒服が車を盗み共に走り去るのもそのままファイト・クラブ
大学入学などの資金はそもそも黒服がオリジナルであれば満たせるし、それ以前に[私]が本当に大学生である証拠もまるでない
空虚さがあちこちの自助会を仮名で幾つも渡り歩くコーネリアスと一緒(黒服が数ある偽名であるのと同様に)
忘れられた様な廃墟にすみ、コンプレックスを刺激して組織をつくるのも、そのままファイト・クラブのスペースモンキー
最初はイタズラから始まり爆弾テロに帰結するのも一緒
ムダに長くテンポを悪くした私と彼女のホテルシーンは、タイラーではなくコーネリアスがマーラと過ごすかのように過ぎ、ラストの彼女からの電話で[君たちを許さない]ではなく[君を許さない]で確信させるのも、ファイト・クラブでコーネリアスがマーラに電話して判明するのと一緒
唯一ハッキリ違う可能性があるのは、マーラは存在したが、彼女、は彼女の友人が消された時に一緒に消されていて彼女も私の想像の中だけになっている可能性の点のみ
何故なら私、は電話をしないから
序盤の家庭教師バイト先との電話も一人芝居で理解可能なので架空の可能性も見出だせる
確実と言えるのは各処の爆発、だけ
ファイト・クラブから社会破壊の要素と暴力、セックス等を削って単純にしただけ
その分単調になってしまい、観賞中の中弛みが拷問のように苦痛な時間になっている
原作を読んでいない筆者自身、開始からかなり早い時期にファイト・クラブとの類似性に気が付き、それが覆る事は最期まで無かった
ほぼ思い付くネタ展開、起承転結がここまで一緒なのは、オマージュではなく粗悪なパクリという印象しかない
パクリ元のファイト・クラブを上回る面白さがある訳でもなく、パクリで2時間座席に拘束される映画に点を付けるのは筆者には困難
演技などは違和感なく良かったが、苦痛な2時間だった
ここまでパクリにしか観えない、かつパクリ元を酷く劣化させたストーリーは初めて