真夜中乙女戦争 : インタビュー
池田エライザが芝居で体現してみせた“ジャズ”な生き方
女優、歌手、モデル、映画監督など多ジャンルで活躍する池田エライザが、二宮健監督の最新作「真夜中乙女戦争」で好演を披露している。劇中では、ジャズのスタンダードナンバー「Misty」を情感豊かに熱唱。実母がジャズシンガーであることは周知の事実だが、池田本人の全身から滲み出るジャズな空気の源に迫った。(取材・文/大塚史貴、写真/間庭裕基)
若者を中心に圧倒的な支持を集める作家Fの同名小説を永瀬廉(King&Prince)主演で実写映画化した今作は、平凡で無気力な大学生の“私”(永瀬)が、「かくれんぼさーくる同好会」で凛々しく聡明な“先輩”(池田)に出会うところから始まる。先輩に惹かれながらも、人の心を一瞬で掌握する謎の男“黒服”(柄本佑)と運命的な出会いを果たす。やがて“私”の退屈な日々は一変し、「真夜中乙女戦争」という名の東京破壊計画に巻き込まれていく。
映画では、「コロナのなかった2020年」というパラレルワールドの世界が描かれているが、そこに至るまでには紆余曲折あった。クランクインを間近に控えた20年、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で撮影は延期に。そこから二宮監督が脚本の改稿を重ね、練りに練られた23稿で完成したという。
今作は私、先輩、黒服の3人の関係性が軸になっているが、本編も文字通り3人芝居の様相を呈している。それぞれの芝居場をじっくりと見入ることの出来る構成にもなっているが、なかでも池田は聡明で正義感の強い先輩をアンニュイな雰囲気を漂わせながら、独特の存在感を放っている。
「大学生である彼、彼女は圧倒的に未熟なので、心が折れるほどのことではないけれど演じるうえで苦心したことは結構あって、私の尺度で役を図れないというのは大変でしたね。どうしてそういう行動に至るのかというのを私が考えている時点で、先輩の行動とはイコールにならない。役の上で先輩に賛同、肯定して、言動のひとつひとつを自分の腑に落とす作業というか……。若くて無知で、勢いだけはあって、そうやって大人になっていく過程ですよね。先輩は成熟しているように見せているけれど、全く普通の大学生。それを私のエゴでは図らないという作業は難しかったですね」
■胸くそ悪いと思えることに、どれだけ救いがあるか…
今作を鑑賞した感想として、筆者は「新感覚の胸くそ悪さ」という言葉を池田に伝えたところ、「すごくホッとする言葉。胸くそ悪いと思えることに、どれだけ救いがあるか……。この作品に共感して、ときめいたりしたら危ういじゃないですか。胸くそ悪いと口に出して言えるって、心が生きているって感じるんですよね」と屈託なく笑う。
池田は本編中、永瀬との共演シーンが多かった。昨年12月に行われた完成披露イベントで、永瀬は池田と柄本に対して「兄貴と姉貴に囲まれながら楽しく撮影させていただいた」と謝意を示している。現場の近いところで永瀬の芝居、立ち居振る舞いに接して、どのような特筆すべき点を見出したのだろうか。
「弱音を吐かないというのが、非常に人間らしく感じました。プレッシャーとの向き合い方とか、ちょっとしたことなんですけどね。私は寒い時に寒いと言ってしまうのですが、彼がそういうことを言っているのをあまり聞かない。どんなにセリフが長くて大変だろうが、やってのける。座長然としているところは現場の士気を高めたりもしますから、リーダー感というかカリスマ性は持っていると思います」
そんな永瀬を見つめながら、劇中で先輩としてジャズのスタンダードナンバー「Misty」を歌い上げているが、これ以上ないというくらい効果的にふたりの揺れる心情を表現している。楽曲を起用した理由を、二宮監督は「“先輩”自身が惹かれつつある“私”に対する期待と不安。“私”は、自分の拠り所なのかそれとも最大の敵なのか。そして、“先輩”自身が引き返せない状況に来てしまい迷子になってしまっていること。引き裂かれそうなアンビバレントな気持ちを抱えつつも、今夜はロマンを魅せながら歌いたい。そんな瞬間を表現出来たら」と狙いを明かしている。
■曲に嘘がないから、私は何も考えていません
「Misty」は、1950年代に活躍したジャズピアニストのエロル・ガーナーが54年に発表した楽曲。飛行機でシカゴへ移動中だったガーナーが、霧中を飛行する機内から外を眺めているうちにメロディを着想したものの、独学で音楽を学んだため楽譜の読み書きが出来ず記録することが出来なかった。そのためシカゴ到着までメロディを反芻し続け、急行したホテルのピアノで演奏したものをテープレコーダーで録音して事なきを得たという。
このエピソードと、楽曲を聴いたガーナーの友人が「霧のようにぼんやりした曲だ」と評したことから「Misty」と命名されたというのは、有名な話だ。後に作詞家ジョニー・パークが歌詞をつけ、ジョニー・マティスが歌ったことで大ヒットして以降、多くのシンガーがカバーして現代でも世界中で愛されている。
飛行機からホテルへ急行した話は知っていた池田は、楽曲のそういった意図を完全に把握していたように筆者は感じた。「曲に嘘がないから、私は何も考えていません」と微笑む池田は、「歌っている人の意志を継いでいるというか……。オリジナルに嘘がなければ、歌い継いだ時に自分の言葉になるものなんですよね。見栄がないから」と控えめに補足してみせる。
池田が「ELAIZA」名義で音楽活動を行っていることはもちろん、実母がジャズシンガーであることも本人が公にしていることだが、それらのことに焦点を合わさずとも池田からはジャズのリズムが響いてくる。
■自由奔放でいることが格好いいんじゃない
「ふふふ、育ちがジャズですからね(笑)。ジャズっておっしゃってくださいましたけど、まさにその通りなんです。私もよくたとえるのですが、皆が一定のルールや秩序を保ちながら自由にセッションするのがジャズ。自由奔放でいることが格好いいんじゃなくて、秩序を知っていればいるほど、足並みが揃って集まった時に弾けるというか……。お芝居も自分の奔放さや本質はもちろん大事にすべきですが、芝居について学ぶ姿勢や貪欲さはもっと素敵ですよね。知ろうとしたり、学ぼう、考えようとすればするほど、本番が始まってセッションになった時に、ギュッと集中力が高まって、終わった後に拍手が生まれるようなラッキーが生まれる。それこそジャズですよね。だからこそ、私は芝居のことがずっとよく分からないんです」
分からないというのは、「何がいい芝居なのか」についてだという。「芝居が出来ている感覚は一切なくて、自分がいい芝居ができたとか、成長できたという実感もなくて、不得手だからこそ何年もやれているんでしょうね。ただただ楽しい」。
「Misty」に関しても、「英語だから良かったんだと思います。私、曲を作るときに一番恥ずかしい本音はいつも英語にしちゃうんですね。本音は言いたいんだけど、日本語だと恥ずかしいといういじらしい部分が私にもありまして(笑)、英語だからこそ先輩の一番情けない顔が歌っている時に出たなって感じています。歌詞の通りなので、ある意味ではセリフ感覚といえるかもしれません」と意外な思いを明かしてくれた。
池田が銀幕に初めて登場したのは「高校デビュー」。実に10年が経過し、これまでに20本の映画に出演してきたことになる。ジャズな生き方をする池田は、どのような映画体験を経て今に至ったのだろうか。
■音楽はディストピアが好きだけど、映像は救いがあるものを撮りたい
「親がシンガーということもあって、音楽は色々なジャンルを聴いて趣向も偏っていますけれど、映画はピクサー作品とかホッコリしたものが好きでした。世代的には『ハリー・ポッター』も。映画って自己投資に近いのかなって思うんです。予告編を見て『きっと面白いはず』と感じた自分の感性に従い、お金を払って映画館へ行くというアクションって素晴らしいこと。子どもの頃も、たくさんの映画があるなかで、どれが一番楽しめるかを一生懸命考えていた気がします。自分本位でいられるところが映画の面白いところかもしれません。作る側になると違うんですけどね。それに公開後、自分とは全く違う解釈をして人生の糧にしてくれたりもする。監督や作り手の意図とは違う解釈で大切にしてくれることもあるので、良いループを生んでいるのが映画なのかな。ただの娯楽じゃない。配信もいいけれど、映画館へ映画を観るために交通費を出して行く行為が、すごい財産だと思うんですよね」
池田が映画、そして映画館にそこはかとない愛情を抱いていることは、自らが原案・監督を務めて20年12月に封切られた「夏、至るころ」を見れば一目瞭然。福岡出身の池田が同県田川市でオールロケを敢行し、故郷への思いや自らの経験を織り交ぜたオリジナル作品を生み出した。2人の男子高校生が初めて自分の人生と向き合い、それぞれの一歩を選び取るまでを丁寧にすくい取っている。コロナ禍を経験して、いま描きたい題材、切り取りたい画はどのようなものか聞いてみた。
「撮りたいものが色々あるんですよね。ただ、田舎の方を撮りたいというのは変わらないかも。歌手のビョークも田舎の方に住んでスローライフを送っているそうなのですが、そういう思想云々ではなく色々なものに感謝しながら自己肯定感を高く持っている方たちについて、ポジティブに描きたいと思っています。音楽に関してはディストピアが好きだけど、映像は救いがあるものを撮りたい。何度だって自分の環境を整えるタイミングがあってもいいんじゃないかとか、子どもの頃に決めた夢に対して責任を取らないといけないわけじゃない、逃げてもいいんだよ……というようなことを書いてみたいと思っています」。