「戦争はつまらんですよ」a hope of NAGASAKI 優しい人たち 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
戦争はつまらんですよ
ナガサキの原爆被害を扱ったドキュメンタリー映画は初めて観た。ヒロシマを扱った作品とは少しニュアンスが違う気がする。監督の松本和巳さんの人柄のせいだろうか。インタビューに答えた10人の被災者からは、酷い目に遭った怒りや悲しみよりも、それを乗り越えて生きてきた余裕が感じられた。よく笑うし、ときには涙ぐんだりもするが、どの人も表情が豊かだ。
印象に残った言葉はふたつ。ひとつは「命に縁があったんですね」という言葉である。原爆で人がたくさん死んだ。自分の家族や浸漬、クラスメートも死んだ。しかし自分は生き残って長く生きている。そのことを淡々と語る。
もうひとつは「戦争はつまらんですよ」という言葉だ。「つまらん」という言葉は九州ではとても含蓄のある言葉で、面白くないときに使うのはもちろん、よくないとか駄目という意味でも使う。それに物足りないという意味でも使われる。彼女から「食事と映画だけのデートはつまらん」と言われたらかなり脈があるということだ。「つまらん男ばい」と言われたら、最悪の場合は面白くなくて人間的な深みもない上に日頃の行ないもよくないダメ男という意味になる。人格も人間性も全否定されるわけで、長崎の人から「あんたはつまらん」と言われたら、深く反省したほうがいい。
本作品で使われた「戦争はつまらんですよ」も同じ意味合いで、戦争は意味がない上に人を無駄に殺すだけの駄目な行ないだということである。世界の多くの人は戦争が「つまらん」ことを知っている。帝国主義の時代からふたつの世界大戦を経験して、更に言えばふたつの原爆被害も経験して、もう戦争は懲り懲りなのだ。にもかかわらずどの大国も軍隊を持ち、核兵器を持ち、場合によっては軍事衛星まで持っている。
通信が世界の隅々まで行き届いた今となっては、他の共同体の不利益が自己の共同体の利益となる時代は終わったのだ。戦争は割に合わない投資なのである。軍需産業が政治家を動かして国民の税金を無駄遣いするのは、国際社会にとっても地球環境にとっても、いいことは何もない。
ひとりの女性被爆者が次の意味合いのことを言っていた。「日本の兵隊さんも、個人と個人の交流ではとても優しい人がいる。でも軍となったら、それは酷いことをする」。組織の中で自分の立場や時には命を守るためには、良心に背く非人道的な行為もしなければならないときがあるという訳だ。
しかし今は選挙がある。そういう組織を選ばなければいい。と、言うのは簡単だが、近所のおじさんが出馬したら、どうしても応援してしまう。ニコニコと握手されたら、その人に投票してしまう。でもその人は戦争をしたい組織の政治家だ。問題は有権者が「戦争はつまらんですよ」という認識を貫けるかどうかである。情緒に流されずに投票行動を決められるかどうか。「つまらん政治家」に投票するのは「つまらん有権者」でなのである。