鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎のレビュー・感想・評価
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目玉おやじの過去!
鬼太郎誕生の秘話!
ゲゲゲの鬼太郎は、アニメで見たことある、、、くらいの感じで見に来た。(そこまで詳しくない)
ほぼほぼ、鬼太郎の父さん(目玉おやじ)の若かりし頃?の話。アニメとかあんま覚えていなくてなんとも言えないけれど、ここまで胸糞悪かったっけ?
悪役が惨く終わるのはなんとなく分かってたけど、なんか全滅してない?ある種、最悪の結果とも言えるんじゃない?さよちゃん少し推してたからマジで悲しい。
この作品見る度に人間の醜悪さが分かるよね。
とりあえず、こーやって鬼太郎が生まれたんだって分かったけど、敵が酷く死ぬ以外は全然ハッピーじゃない。あと、ラストがもう少し見たかった。鬼太郎が生まれた時どんなんか分からないけど、水木が育てたわけじゃないんかな?母親は?ゲゲ郎は?
ラストクレジットとかで何となくわかるがもう少し欲しかった感がある。
とりあえず、綺麗に纏まってたからよし!懐かしいし!
界隈で流行っていて
Xでゲ謎ファンアートがたくさん流れてきて、気になりすぎて映画館でみた。重低音体感上映
鬼太郎が爆誕した
墓場鬼太郎みといてよかった。
母、美人すぎると思ったけどそうやってあの顔になったのか
水木のイントネーションがちがった
みず↓き↑
みず↑きだと思ってた
おこもり?
おんねん?
きょうこつ?
幽霊族の血がМ
Мて覚醒剤かな?
こどもかわいそう
糸目よくわからなかった
てかさよ?
お嬢様すごいグイグイくるなぁと、
思ったら能力者でびっくり
マロと姉2人のほかにも殺してる?
桜がきれい
水木は忘れちゃってて残念
鬼太郎父親似だったのね
呪い返しとは
因習村
戦争の生き残り
ジジイが孫にとりついた
タマシイのすげかえ?
顔でかいな
音が後ろから聞こえてびっくり
赤ちゃんのときの鬼太郎の片目が潰れたのが、墓場鬼太郎のときみたきに、水木が突き飛ばして怪我したんじゃなくてよかった
また見に行きたい
子ども向け
連れられて鑑賞。
田舎の夏や屋敷の物々しさなどの描写はいい。
だが人物造形がどれも薄い。
さんざん横溝で観てきたような、いまやステロタイプの人々に
エロゲーの感受性が乗っかり、発明のひとつもなかった。
行動原理が愛か憎かだけかなんて、
人間ってそんな読み切れるものではない。
学生ばかりでなく、大人まで描こうとするならなおさら。
残虐さを押し出すなど比較的高年齢を狙ったのかもだが、
想像力の限界を見て、新海同様やはり子ども向けだと感じた。
曲がりなりにも大人に見せる気概でモノを作るなら
もう一歩踏み込まないと。
でもまあ終映後、席を立ち上がるお姉ちゃんたちが
口々に褒めていらしたので、
そのくらいのそこが対象なんだろう。
横溝がいまなお禍々しいのは、
数多の劇場型の凶行の背景に
旧家の陋習や複雑な人物関係の果ての確執、
つまり人の奥底から絞り出す情念があり、
その常軌の逸しぶりと掻き起こされる時代の記憶が
我ごとのように観客の想像力を刺すからであって、
「妖怪のせいなのねそうなのね」とやられると鼻白んでしまう。
鬼太郎と一見マッチしそうな雰囲気だけに残念ではあった。
あとは昭和のおっさんばかりということで
とりわけ前半に異常なほど喫煙シーンが多く、
劇場の中で吸いたくてたまらなくさせられる拷問映画だった。
んー後半で失速
世間の評価が高いのと鬼太郎の父親がカッコ良さそーなのと昭和怪奇感が気になり鑑賞。
Twitterで見た高評価のレビューが的を得つつも僕には少し残念だという印象に。物語の序盤は昭和怪奇モノで、妖怪が出てくる(この辺は全然良い)、最後は東映仮面ライダー映画みたいになる。倫理で悪をぶった斬るという文章が良すぎた。結局悪とされる側が魅力的な最期を迎えない、黒幕に至ってはガキ臭い、全体として面白くなりそうな雰囲気がずっと続いて結局離陸しない感じだった。鬼太郎の父はまぁ良かったよ。
それでも3.5付いてるのは原作を読みたくなったのと日本の怪奇に興味を持ったから。ここから色々なこと調べたりして触れていくのが楽しみであり、そのキッカケをくれたのが評価を上げた理由。とはいえ呪いや妖術といったものを愛とかのテーマに絡める作品ってまだまだ現代にいっぱいあるんだなぁと振り返る。呪術廻戦、鬼滅の刃など。ここに古くから根強い鬼太郎が殴り込んできたと思うとアツい。負けるな!
鬼太郎0的な
ゲゲゲの鬼太郎は野沢雅子さん、戸田恵子さんのは観た事あります。
びっくりしたのは猫娘が長身なギャルになってる事。
鬼太郎は妖怪、幽霊族の生き残りらしい。
日本が戦争で勝ててた理由を暴く展開は秀逸。
主人公 水木は水木しげるさん本人なんでしょう。
最後に鬼太郎を水木が抱き上げ、漫画ゲゲゲの鬼太郎の誕生を示唆しています。
鬼太郎誕生をゲゲゲの世界観でストーリー化した傑作アニメです。時間がらあったらもう一度観たい。
鬼太郎の誕生まで描いて欲しい
鬼太郎の父親の話しで、その後どのようにして目玉おやじになったのか、鬼太郎が墓場から生まれるまでの経緯を、きちんとストーリーにして欲しかったです。人間の強欲のほうが怖かったです。
見応えあり
戦闘シーンを期待して映画館へ足を運びましたが、後半はミズキさんにやられました。
最後のエンディングに繋がるシーンは鳥肌立ちました。エンドロールもなく(モノクロの昔見た漫画のシーンに気を取られて気付かなかっただけかも)、タイトルに戻るシーンは、原作を好きなんだろうなぁ、と感動しました
水木しげる生誕100年記念作品。
ビジュアル公開時の、座敷牢で煙草を燻らす男が気になってました。
劇場で鬼太郎を見るなんて、いつ以来だろうと思いながら、足を運びました。
とても良かったです。
戦後復興時の紫煙けむる描写に、製作陣の本気度を感じ、列車の子供の咳などの細かい描写で、観客をその時代に誘う所に感心しました。
戦後描写ってこうゆうのだよねー
本作の大筋である横溝ミステリーの様な、
相続者争いの展開や、その裏の秘密はどうでも良くて、只々狂言回しの水木とゲゲ郎の関係が良かったです。
下駄が飛び、ちゃんちゃんこが登場し、
ゲゲ郎が水木を相棒と呼んだ時、万感の思いで、いっぱいになりました。
水木先生は、私の幼少の頃から全く変わらず、この方は本当に幽冥の境に居られる方なのではと思ってました。
亡くなられた時は、ものすごい違和感と悲しみを覚えました。
著作を全て読んでるわけでもないですが、心の隅にずっと鬼太郎やネズミ男、一反木綿やぬりかべ、河童の三平や悪魔くんは、間違いなくありました。
見ている間に自分の中のその存在を再確認させられ、
ゲゲ郎の相棒と言うセリフが、水木先生に対する献杯のようで、心にグッときました。
本編が終わり中々良かったと思い、エンドクレジットが流れ出してから、画面左半分に夢中になりました。
墓場鬼太郎につながるーって、涙目になりました。
心憎い演出に感謝です。
マイナス点は、アニメ6期のキャラデザインが話に合ってないので、ちょっとだけ下げました。
ねこ娘は可愛いですけど。
後、すげー欲しいからパンフレット再販して下さい。
侮ってはいけません!!
個人的にはものすごく珍しいことに
前回(11/27)からわずか3日後の
11/30に再鑑賞してきました👻
「悔しい、10分くらい寝てしまった!!」
と言っていましたが、正味20分は寝てた🤣←
崇敬するTVプロデューサーの佐久間さんも
「これは傑作」とANN0で言ってたんだもの
やはり間違いなかったのです。
失われた20分をしっかり内にすると、前回の
「9」評価から「10」評価にUPせざるを得ませんでした。
血液銀行の水木は、まさに水木しげる本人
太平洋戦争中に行われた日本軍の愚行
戦後の混乱期に乗じて軍の財産を着服した将校たち、
上官たちのメンツのためだけに玉砕覚悟の突撃
まさに実際の水木しげるが体験した惨たらしく
あさましく、愚かな当時のことも語られています。
2015年11月30日に亡くなった水木しげるは
当然、本作には関わりがないのですが
水木プロ取締役でもある娘 原口(水木)尚子さんの
愛も深く深く感じる「愛」の物語でもあります。
ゲゲ郎(後の目玉おやじ)がこんなにもイケメンに
見えたのは、わたしだけじゃないと思いますよ👻
そこのあなた、ゲゲゲの鬼太郎に上質なミステリー要素が
加わると思っていないでしょう?
騙されたと思って、ぜひ劇場へ…〓〓
今年、最高品質の現代人が見るべきアニメ!
本当に、胸糞悪くて人が死んでいったりなどの、鬱要素が強く直接的ではないが、ヒロインがそう言う性的な行為をやらされていた、ヤバい話はあり見る上で要注意ではなある。
だが、それがあっても見るべきメッセージ性がある、素晴らしい作品だ!
特に、ラスボスのジジイが最低なゴミ野郎だけど、言ってることは日本の社会構造が危険なことが暗示される。
だから、絶対にこのゲゲゲの鬼太郎はむしろ、現代人は見て今の考えが変わる神作!
めちゃくちゃもったいない
とりあえず作画はめちゃくちゃ良かった。ストーリー設定の作り込みは凄いし、氏の半生を盛り込んだ水木の設定練り上げ具合も相当だと思う。ただ「やりたいことが多すぎておさまりきらなかった!」のような中途半端な感じ。
プロット書いたら見せたいシーンが選び切れなくていっぱいいっぱいになっちゃって、「キャラクターの見せ場ではないけれど、作品を見るにあたって根幹に関わる重要なシーン」が足りていない。私はそういうシーンが大好きだから特に残念に感じたのだと思います。
もっと掘り下げて欲しい発言、キャラクター、設定、たくさんあった。
そのわりに全体的に間延びした印象のシーンも多かった。まだここ写すんや……って何回か思った。
村の因習、それに巻き込まれるしか無かった村の若い子供たち、黒幕が行っていた凄惨な悪行、鬼太郎の父から奥さんへの愛情、水木の人間性や作中であったはずの後悔など、何もかも描ききれてない印象。
もっと時間をかけて見たい作品だった。TVアニメでも、劇場版前後編でもいい、脚本家や監督にはたかが1時間半少しでは描ききれない量の熱意があったのだと思う。その熱意を感じるから余計に悔しい作品です。
それから個人的な事情として、幼少期から水木しげる氏の妖怪図鑑のビデオや本を見て育ってしまったから、余計に期待値が高かったのだと思います。
やりたいこといっぱいあったんだね。
かっこいいシーン、凄惨なシーン、胸が痛むシーン、全部全部描きたかったんだね。
わかるわかる。
そう思いながら帰ってきました。
まあ水木とゲゲ郎のブロマンスという点では最高なんじゃないすか。エンドロール後のあのシーンが一番好きでした。
お子さまでも見れる、ギリギリを攻めたんだろう。
65点位かな。
アニメ映画として頑張ってたし、表現の仕方もお子さん連れでかつ親であり大人としても楽しめるよう見れるようにと、苦心したんだろうなと頑張ってるのは伝わった。
30年前の東映マンガ祭り映画とかの、子供だましの適当な話作りでは無いので安心して見てられたよ。
1本のちゃんとしたストーリーラインなのは、良いんだが、もう少し表現を工夫して分かりやすくまた怖くも出来ただろうなとも思った。
例えば、敵妖怪キョウコツの顔。
一般モブキョウコツが皆全く同じ顔なので。
元は一人の人間なんだぞと表現した方が分かりやすいし、キョウコツトキちゃんみたいに一瞬だけでもそれぞれ元の人間顔を映した方が表現は良かっただろうね。
あの数でそれをやるのは骨が折れるだろうが、そこは映画なので頑張って欲しかった。
後、ラスボスの爺顔のままにしておくより、トキちゃんの子供顔のままで、要所要所で爺顔にした方が怖さは増しただろう。
お子さんが見るのを考慮しての配慮か、監督の怠惰か…。
そこまでは分からんが、元のマンガはかなりエグい表現キツい表現はあったので、もう少し攻めても良かったかなと個人的には思う。
そこらの善し悪しは判断し辛いので見た人によるな。
まとめ。
悪く無いし大人でも楽しめる内容とストーリー。
多少ツッコミ所はあるが、許容範囲内だな。
アニメ映画としてのクオリティは持ってるし、声優の関俊彦さん好きなら、かなり楽しめるだろうね。
目玉の親父の元の姿、ゲゲ朗が純朴って感じでなかなか良かったぞ。
悪霊島
身勝手な一握りの人間の為に弱者が犠牲になっていくストーリー。
綺麗なアニメに騙される横溝正史風な展開でしたが筋はかなりおぞましい感じでした。
鬼太郎ファンに観てもらいたいゼロストーリーです。
エンドロールで埋められる原作との差異
「魂が揺さぶられる」名作。“子ども向け妖怪バトルアニメ”と侮るなかれ。間違いなく今年のベストワン。
「犬神家〜」のような和風ミステリテイストのよさ然り、若き鬼太郎父と水木とのバディムービー然り、水木の人間的な成長然り、救われない人物の悲劇然り…。これだけのストーリーを盛り込みつつ冗長さを感じさせることなくまとめられている点が素晴らしい。
何より、原作者・水木しげる先生の戦争体験をベースに、弱者が虐げられる人間社会に立ち向かっていく姿勢が見事に描かれている。だからこそ、鬼太郎は弱い人間の味方なんだということに説得力を感じさせる。過去と現在の6期アニメを繋ぐだけでなく、本作と原作をきれいに繋いでみせているところはホントに泣ける…。
(最初は、「鬼太郎父、やけにカッコいいなぁ、原作だとミイラ男みたいだったのに」と思っていたのだが、なんとそれすらもエンドロールで謎が解けるフォローまでされているとは!)
鬼太郎×犬神家かと思いきや『水木しげる漫画大全集』監修者との激熱コラボ映画だった!
予備知識なしで観に行って、ひっくり返った。
なんだよこれ、超★超★傑作じゃないか!!!
ヤバいぜ。今年の新作ナンバーワンかもしれん……。
(以下、パンフ売り切れ未入手の状態なので、的外れなこと書いてたらすみません)
開幕早々から、ふだんの鬼太郎とはまるで違う空気にビビる。
トンネル? 廃村? おいおいそれ『犬鳴村』じゃん(笑)。
過去篇が始まって、さらにびっくり。
たしかに水木は血液銀行の社員として出てくるのだが、なんだか自分の知っている「鬼太郎誕生秘話」(売血された「妙な血」の持ち主を探して水木が訪ねる話。いわゆる漫画版の第一話)とはまるで異なるストーリーラインらしい。
で、「哭倉村」編に入ってまたまた仰天。
なに? 今回の鬼太郎って、
『犬神家の一族』と『八つ墓村』のパスティーシュなのかよ!?
ちなみに、村のまんなかに湖があるのは『犬神家の一族』。
家の地下に鍾乳洞があって鎧武者が置かれてるのは『八つ墓村』。
『犬神家の一族』の原作では、犬神家は製糸業で成り上がった財閥だが、市川崑の映画版(76)では製薬会社に変更されており、隆盛の背後には戦争と麻薬製造があったことになっている。まさにそのあたりも本歌取りされているわけですね。
次々に起こる猟奇殺人。
跡目争いで醜く反目する家人たち。
三姉妹の設定や性豪の老人など、あちこちに『犬神家』の残滓がみられるが、変な神主が出てくるとか(『悪霊島』)病弱な子供が出てくるとか(『本陣殺人事件』)温泉場があるとか(『悪魔の手毬唄』)、全体に渡って「横溝リスペクト」の要素が散りばめられているのは見逃せない。
ヒロイン・沙代さんのキャラクターは、一見すると『犬神家の一族』の珠世さんを意識しているかのように見えるが、しきりに水木に東京へ連れ去ってくれるよう頼むあたりは『獄門島』の早苗さんにむしろ近いところがある。あとは詳細は避けるが『仮面舞踏会』の美沙さんとか。
ところが事件が進展するにつれて、お話は単なるミステリを超えた『陰陽師』や『幻魔大戦』のような様相を呈してくる。
まずは、ゲゲゲの鬼太郎のオヤジがついに村に登場。いよいよ物語に「妖怪」が絡んでくる(立ち位置はまさに「風来坊」に近く、金田一や椿三十郎のようなヒーロー感がある)。
一方、オヤジと敵対する村の連中は、しばらくすると「裏高野」か「根来衆」みたいな呪法集団としての本性を表わすことに(ふだんはうだつの上がらない農民や使用人が、揃いの仮面を装着した瞬間に「村の意志を遂行する禍々しい集団」に変貌するのは、『犬神の悪霊(たたり)』(78)とか『ウィッカーマン』(73)とか、大量の夜這いものの18禁コミックで散々観て来たクリシェだ)。
この両者のバトルが、キレッキレで、とにかくもう素晴らしいのだ。
なんだよ、鬼太郎映画のくせに、最高級の超能力アクションものになってるじゃないか。
この異次元妖怪バトルのなかで、意外と水木もしっかり戦えているのだが、それが「兵隊上がり」だからというのがまた良い。実際にラバウル戦線の生き残りである「戦争漫画家」としての水木しげるの一面をうまく拾って、作中の重要な要素として消化してみせている。
で、奮戦虚しく、捕われの奥さんの命を人質にとられて自らもつかまってしまうオヤジ。
地下の広大な「工場」で繰り広げられていた、龍賀家(このネーミングって、島田荘司の『龍臥亭事件』を思い出させるよね)の恐るべき秘密とは?
昔、『デイブレイカー』(10)っていうイーサン・ホークが出ているSFホラーがあって、ほぼほぼ同じネタをやっていたのを思い出す。まあ『デイブレイカー』が元ネタというよりは、「水木→血液銀行→血液製剤で財を成した龍賀家→何をつくってた?」という連想ゲームなのだろうけど。
その場でおもむろに始まる、謎解き。
その前に「狂骨」ってネーミングが出て来た時点で「ああああ!」と思ってたけど。
これ……、まんま京極夏彦じゃねえか!!
ていうか、それがやりたくてわざわざ見え透いた横溝正史パロから入ったんだな!
パッと見て、「ああ鬼太郎×京極夏彦だ」ってバレないようにするために!
なんて巧緻なミスディレクション(笑)。見事にひっかかってしまった。
この仕掛けの経緯は、きっと未読のパンフレットにも触れられているのだろうが、想像をたくましくすると、京極サイドから入知恵があったパターンもありうるし、逆に水木プロないしは東映アニメーション側からの気の利いた「御礼」という可能性もある。
なにせ、京極夏彦はあの114巻にのぼる『水木しげる漫画大全集』(2013~2019)の監修者であり、原稿集めから校訂、あとがきの執筆依頼まで、ほぼ手弁当で10年の歳月を捧げてくれた「鬼太郎」の大恩人なのだ(そのせいで新作が出なかったとのうわさも)。
ウソだと思うなら、ネットに転がってる「『水木しげる漫画大全集』制作秘話」を読んでみればいい。マジで頭が下がりますよ。
京極夏彦と「鬼太郎」の関係性はそれにとどまらない。僕は知らなかったのだが、調べてみると鬼太郎4期では自ら1話、脚本を書いているだけでなく、出演まで果たしているようだし(京極堂そのまんまの悪役が出て来るらしい)、本作の監督・古賀豪が2008年に監督した5期のラストを飾る『劇場版ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』(TVアニメ化40周年)でも脚本監修を務めている。間違いなく、京極夏彦はもはや水木しげるワールドの一部を成す存在であると言っていい。
こうして水木しげる生誕100周年記念の栄えある作品で、鬼太郎世界と京極堂世界がふたたびオーバーラップするのは、考えてみれば「当然の帰結」だったわけだ。
犯人当てに関しては比較的さらっとしたものだし、犯行方法も超常的な要素が強くてミステリ味は薄いものの、「水木には最初から見えていた」という話は、まさに京極夏彦の輝かしきデビュー作のネタを彷彿させるし、あらためて観直したわけじゃないけど、実は結構気を遣ったカメラワークになっているんじゃないだろうか?(要するに水木の一人称視点で沙代さんをあからさまにとらえたショットは敢えて避けて構成されているのでは?)
作中で水木が沙代に見せるとまどったしぐさや、困惑したような立ち居振る舞いも、ダブルミーニングになっていたわけで、観直してみるといろいろ気づかされることがありそう。
あと、沙代さんとお母さんの関係性と最期に引き起こされる大スペクタクルは、そのまんま『キャリー』(76)だよね。抑圧され、虐待され、性的に搾取されてきた少女が、怨念と憤怒と呪いを力学的エネルギーに換えて解き放つカタルシス。悪が虫けらのように踏みつぶされてゆく快感。まさに『キャリー』だ。
終幕に展開される、巨大な「霊樹」と封印というネタは、たとえばアニメでいえば『ロミオ×ジュリエット』とか『ケムリクサ』とか『Rewrite』とか、それこそ類例には事欠かないが、そこからまさか「鬼太郎のオヤジの身体が破壊される」ネタにつなげてくるとは思いもしなかった。
それでエンドロールに至って、何度目かの驚きに撃ち抜かれることに。
あああ、この話って、僕らがみんな知ってる「鬼太郎誕生秘話」の「前日譚」にあたる話だったのか!!!
別に好き放題、魔改造してたわけじゃなかったんだ。
いったん、ここで記憶がリセットされてから、ふたたびオヤジと水木は邂逅するってことなのか……いやあ、そりゃ胸アツすぎるぜ!!
あんだけ「血を抜く」という拷問によって酷い目にあった人間(人間じゃないけど)が、ふたたび「売血」に手を染めるというのは、ちょっとあり得ない気もするけど、逆に言うとそれは、記憶を喪った水木をふたたび呼び寄せて縁(えにし)を結ぶための「呪法」のようなものだったのかもしれない。この哀れな夫婦は、最後の最後は水木を頼るしか手がなかったわけだから。
こうして見てくると、「妖怪」「ホラー」「アクション」「ミステリ」といった界隈でやれる面白そうなことは、全部ひっくるめてぶちこんである、ほんとうに稀有な究極のエンタメ映画だったことがわかる。しかもその諸要素の按分、塩梅が驚くほどうまくいっている。要するに素材はありものやパロディでも、発想と組み合わせとバランスが抜群にいいのだ。
そのうえ、水木の兵役時代と、今まで知られている「鬼太郎誕生」のあいだにぴたっと収まる前日譚、という美しい構成。いや、マジ傑作です。
しかも、本作は『墓場鬼太郎』(2008)のダークで大人向けのテイストをベースにしつつも、『ゲゲゲの鬼太郎』(6期)の独自色――政治批評性と社会風刺性の部分を強く打ち出すことで、沢城版鬼太郎の「延長上」にあることをしっかり主張している(監督の古賀豪も脚本の吉野弘幸も、6期からの続投だ)。
TVシリーズに関しては、あまりに反権力・反保守のノリが逆にきつすぎて、僕は途中で観るのを辞めてしまったくちなのだが、今回の映画に関しては「巨悪」のふてぶてしい存在感と見苦しいほどの卑小さはインパクト絶大で、観ていてそこまで左翼くさい幼稚さは感じなかった。『ヘレディタリー/継承』(18)や『ゲット・アウト』(17)を思わせるラストのネタもなかなか見ごたえがあった。
腐属性の女性客にとっては、オヤジと水木がカップリングされたバリバリに濃密なブロマンスとしてもこたえられない内容だったろう。なにせ、『ジリオン』や『シュラト』で鳴らした関俊彦と、『テニプリ』『DTB』の木内秀信なんだから、そりゃあはかどるよね。ご飯三杯はいけそう。ちなみに木内秀信は、京極夏彦原作アニメの『魍魎の匣』(08)で関口をやってたのが、たぶん今回のキャスティングの決め手だったんじゃないかと思う。
主役ふたり以外の声優陣も、実力派をつぎ込んでいて本当に素晴らしかった。とくに皆口裕子と釘宮理恵の役どころは、意外ながらも妙にはまってて笑ってしまった。
ただ、キャスト表に「謎の少年」とある古川登志夫は、家に帰ってHPを初めて開けてみるまで一ミクロンも疑うことなく、「ただのねずみ男」だと思って観てました。あれはさすがに少年だとは思わなかったなあ……(笑)。
以下、ふと思ったことを箇条書きで列挙しておく。
●とにかくこの作品は、空間を埋める「大気」「空気」の表現が上手い。タバコの煙(昭和感)や湿潤な霧、靄、湯気。光と影。吹く風、飛ぶ虫。つねに「キャラ絵」と「背景絵」のあいだを埋めるなんらかの三次元的な情景演出がなされていて、おかげでつねに「臨場感」がある。
●鬼太郎のオヤジが鬼太郎に似ているのは遺伝子の必然として、ベタ惚れの奥さんがちょっと猫娘に似ていたのにはまあまあほっこりした。夫婦ふたりの生き生きとした風貌が、僕たちが鬼太郎誕生秘話で知る、包帯男と亡霊女のおぞましい風貌に変化する理由も一応しつらえてあって感心しきり。
●鬼太郎のオヤジが監視の目をかいくぐってまで、野湯に入りに行くのって、目玉のオヤジの風呂好きとひっかけてるのか。
●鬼太郎のチャンチャンコが誕生する瞬間は、結構ぐっときたし、猛烈にあがった。あれが「祖先の霊毛で編まれている」というのは鬼太郎界隈ではほぼ常識かと思うが、こうやって家族の一大事にグルグルポンで生み出されたってわけだ……なんて良いシーン! あと、リモコン下駄もパパ譲りなのね。
●鬼太郎のなかで「子供向け」の要素を担う「ゲゲゲの歌」(学校・試験・運動会)を敢えてかけない、流さないというのは見識だと思いながら観ていた。
●鬼太郎のオヤジって、元気だったときはあんなに黒目が小さかったのに、眼球だけになったら黒目でかくなるのなw
●「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いたのは梶井基次郎。「桜」は日本の象徴でもあるから、人々の犠牲の上に生き血をすすって、紅い華を咲かせて花吹雪を散らせてたって比喩でもあるのかもしれない。
●でも、東映がこうやって公開してしまった以上は、ガチでこれが「正史」ってことでよいんでしょうね。一応「横溝」つながりでしめてみました(笑)。
大人向けのゲゲゲ
まず、こんな作品を作ってくださった制作スタッフの方々に感謝します。本当に映像が美しく、ストーリー共に魅入られました。
日本のアニメはやはり素晴らしい。
本作、ゲゲゲは大人向けに仕上がっていると思う。小さなお子様と一緒にと考えておられた親御さまには不評かもしれない。
冒頭から、最初思い出したのが「犬神家の一族」をはじめとする横溝正史の世界観だった。
気味悪いトンネルに、福岡県の心霊スポット
である旧犬鳴トンネルを思い出した。
そしてやはり胸糞悪い輩が、世界が登場するのは想像に難くない。まさに生きてる人間が一番怖い。私も人間ではあるが。
しかし、それを凌駕するのが、ゲゲ郎の真摯な愛だ。水木とのバディだ。
ゲゲ郎を演じるのが、映画館の宣伝で声を聴いて関俊彦さんと知ったときから、もともと観に行く予定だったが、更に楽しみだった。
最近では「鬼滅」の鬼舞辻無惨を演じておられるが、「YAWARA!」の松田記者や「仮面ライダー電王」のモモタロスみたいな熱血キャラから冷血な役まで幅広い声優さんだ。
静かな穏やかな、けれど燃えるような愛を持ったゲゲ郎を俊彦さんは見事に演じておられた。
関俊彦さん、素晴らしかった!!!
私の涙腺は、ゲゲ郎が妻を探すところあたりから崩壊してしまったのはいうまでもない。
「俺の相棒」のセリフで、鼻水と涙がダラダラになった。
ゲゲ郎と妻がもう一度一緒に暮らせなかったのが
本当に悔しくて切なくて。
目玉親父が鬼太郎と一緒にラストに出てきたのがちょっとだけほっこりさせてくれた。
親父はもうお茶碗風呂で、ゆっくり幸せに鬼太郎と過ごしてほしい。
鬼太郎は、親父を守り、時に人間に反吐が出そうになるかもしれないが、悪い妖怪とも戦って、
チャンチャンコ柄の蒲鉾にならないように頑張ってもらいたい。
幸せな明日を、未来を我が子に生きてほしくて戦ったゲゲ郎。
水木しげる先生が生きておられたら、今の世界の紛争をどう思っておられるだろうと思う。
もう一回は足を運んで、若き日の親父に会いに行きたいと思う。
某「ゴジラ」との表と裏
たまたま先に鑑賞した某「ゴジラ」との対比レビューになりますが
特に、「敗戦」というものが日本人のアイデンティティに与えた影響がね。
この二作、当然、連作でもなければ、関連性もない二作なのですが
モチーフとテーマが裏表なのですね。
先に述べましたが「敗戦」というものが、日本人に与えた大きな文化的、精神性の影響が大きくて
この屈辱とコンプレックスをどう飲み下し、納得し、反芻するか。それが各々の、この国の隠れたテーマだった訳なんですね。
昭和後期の高度経済成長もそうですし、それが行き過ぎたバブルが弾けたとて、
平成の30年は再び失いたくなかったほどに安定し、平和だったのです。失われた30年とはよく言ったもので、
失いたくなかった30年間だったのですよ。実はね。こんなに平和で良い時代はなかった。
飢える事もなく、弾圧されることもなかった。だから文句が自由に言えたのですよね。
そしてこれらの作品が、この令和の世の中に生まれたタイミングが重なったことは
不安定になり、時が動き始めた(失われた30年がようやく終わった)社会情勢を鑑みて、
未だ尾を引く(どころか、現代日本の根底にある)先の敗戦と、科学技術と社会の発展と
そしてそれが崩れ始めた現代令和の価値観に、訴えかけるには、丁度良いタイミングが重なったのだろうなあと
結果論的に思いを馳せる機会に恵まれ、たいへん感謝しております。良作とも、観られて良かった。
戦中派は、自分たちで勝つも負けるも、可能性があったのですね。
結果、国家という単位で負けてしまった結果は、ある種の自己責任として、抗い、結果、受け容れることができるのですね。
(この受け「容れ方」こそが今回の「ゴジラ」のテーマでもありますね)
ゴジラにおける敷島も、鬼太郎における水木も、この立ち位置ですよね。
ひどい時代だったし、ひどい体験も、己の意志でリベンジすることも、克服する機会もあったのですね。
ところが、戦後生まれ世代は(私も含め)全員が負け犬としてのレッテルが貼られたところからの人生スタートなのですね。
ここが大きな価値観の立脚点の違いを感じるところです。諸説異論ありますでしょうが、必ずここが現代史としてのターニングポイントです。
鬼太郎における沙代も含め、我々戦後生まれは「犠牲者」だという捉え方もあります。
その一方、ゲゲや敷島や秋津のいう「貧乏くじ」は、自分で選択できる価値観なのですね。
おそらく、今現在もウクライナや中東で行われている戦争(生きるか(=殺すか)死ぬかの極限状態)で失われることは、
社会性、道徳性、人間性であると同時に
人間としての誇り、尊厳。それはおそらく、「自らの意思決定の権利」という事なのですよね。おそらく。
どちらの作品も、そこを取り扱っています。
それが表層では、選択できないという事はないのだけれども、根底に、選択できないという戦後派の下敷きがあるのですね。
そしてまた同時に、その根底にある「日本人ならではの国民性」として、「社会やコミュニティへの自己犠牲が美化されて描かれる」という事は
我々が逃れられない種族としての価値観を、描かざるを得ないのではないかと思われます。
「ゴジラ」はそこからの脱却を描いていますし、「鬼太郎」もそこを踏まえた上での戦後や悲惨な状況を描いています。
ゲゲがその選択を自らの意思で選び、そして水木(ああ、左耳の欠損こそは、水木先生(左腕ですよね)そのものですね)が墓場から鬼太郎を取り上げた
鬼太郎こそが、その可能性、未来そのものと描いています。
エンドロールの止め絵アニメーションは素晴らしかったですね。
ちなみに、そのあたりの整合性のとれない謎(私はアニメ第三世代ですので、鬼太郎の母は雪女との認識もありましてw)も含め、
どちらの作品も、ああ、敗戦と科学という、光と闇を描いた作品として、(個々の作品レビューとして、ルール違反であありますが)
非常に高く、評価させていただきたいと思います。
面白いのが「戦後の銀座」というワードが、どちらの作品にも登場しまして、その光と闇の対比が、とても良いですよね。
最後に各作品の美点を述べますが
特筆すべきは「鬼太郎」の仕事の良さで、前半は凡庸な作画と謎脚本と演出に辟易するものの
アクションシーンからの、メリハリのある作画と演出に、現場の負担を減らしつつ、作品のクオリティは落とさないという
非常に職人芸的な、カロリーの配分にとても特化した采配には、脱帽致しました。
デフォルメという江戸時代の浮世絵にもある現代絵巻であるアニメーションの特性を良く活かした演出だと感じました。
一方「ゴジラ」の、監督の得意技だけを練り上げたような、いわゆる商業的には成功が約束された
このような職人技のようなゴジラが描かれたのは、とても良かったと感じました。個人的には、機雷戦と、伊福部昭の使いどころが、とても良かったですね。
(おかしなところも沢山ある映画でしたが。監督が了承済みならば、観客も了承するのがマナーでしょうね)
最後になりますが、両作品とも、必見の映画です。そこに浮かびあがる、令和現代における「日本」そして「科学」というものの両面性、
ゴジラも妖怪も、しょせん、人間が生み出した価値観であり、概念です。
そして結局は、「人間(が生み出したもの)こそがいちばん恐ろしいのだ」というのは、
すべてのホラー、ドキュメント、サスペンス、ミステリー、SFなどに共通した真理ですね。
それをどう描き、どう捉えるのか。そこに映し出されるものは、常に「人間」(日本人)そのものなのですね。
過去を踏まえ、どう未来を築いてゆけるのか。その人間の可能性を見出したいと思います。
昭和は生きるのにも苦しく、生き抜いてゆくには意地悪になるしかなかった時代だったと思います。
令和は優しい時代になれますでしょうか。なりますよね。なりつつありますよね。
私はこれらの作品を通じ、未来を信じたいと思います。
鬼太郎誕生を6期ベースで新訳
前提として比較的鬼太郎ファンでアニメ3期がメインの年齢です。(3期は鬼太郎は人間とのハーフ設定)
『鬼太郎誕生』をやるという話を聞き「最初の墓場から産まれる辺りをしっかりやるのか?」と映画館に向かいました。
面食らったのは登場したのが6期の鬼太郎と猫娘だったので「あ、違う話か」とそこで認識。
なので、一部の方が言っている原作「墓場鬼太郎」とは真っ直ぐ繋がらないのでご注意。(そうすると目玉のおやじと鬼太郎母は幽霊族の血が人間に取っては有害であるのに売血したことに……)
鬼太郎の誕生する話は数パターンあり、その1パターンを原作ベースに6期で新訳し、それ以前の話を書いたという話。
話としては、準主役として「目玉のおやじ」の昔の姿とその戦いが見られたのは熱かった。幽霊族の強さや霊毛チャンチャンコならぬ元となる霊毛ミサンガ? など見どころは沢山。
主人公の水木もパターンにより性格が違うが今回はストーリーを牽引する野心的でトラウマを抱えたThe・主人公という設定。しかし、これよりより人間くさい人物になっているので魅力は増したと思う。
妖怪・狂骨も鬼太郎設定でかなり凶悪なものに。
鳥山石燕画の狂骨はけっこう可愛いです。
ストーリー的には正統派ミステリーの起承転結、因果応報。霊能力を持った金田一耕助を見てる気分。
ただ何故ここまで絶賛されているのかがわからない。
PG12だから絵描けたという意見も見かけましたが血液銀行などの設定を出すためでしょうし、墓場 or 原作クラスのグロさまでは達していません。
鬼太郎の腹の中に蛇飼ってるとか本当に第一関節から先がちゃんと飛んでいく指鉄砲とかやったら今のファンは離れてしまうと思いますが(笑)
エログロという文化を経てよりマイルドに大衆向け・子供向けにされたものに対する「抵抗」を6期と今回のゲゲゲの謎から感じました。
ただこの作品はどこに対して何を狙ったものだったのかがハッキリせず、それが全て尾を引いた印象もあります。
6期が終了してから4年、その頃小学生だった子供に向けているのか、近年の仮面ライダーなどと同じで大きいお友達向けコンテンツを狙いなのか、そうするとPG12は果たして正しかったのか、R15やR18でもっと激しくしたほうが良かったのかなど疑問は尽きません。
個人的には総合的に見ると、どっちつかずで歯痒く感じました。
期待してたベクトルとは違いましたが、映画館でも楽しめました。
ただここまで大絶賛されるレベルのものではないです。
娯楽作品としては楽しめるアニメでした。
父「たち」ってそういうことね!
ストーリーも雰囲気も全然子供向けでは無かった。完全に大人向け。閉鎖的で陰湿な戦後の日本の空気感は横溝正史や松本清張、江戸川乱歩あたりが好きなら刺さりそう。
私がテレビで観ていた鬼太郎(おそらく第3期〜4期、再放送で第2期も)もジメッとしてたし、同年代以上の世代向けアニメかなあ。
水木しげるの凄惨な戦争体験をベースに人間のエゴ、胸糞悪い因習、それとは対称的な幽霊族の家族の絆、、、と、とにかくテーマが重かった。戦後80年経とうとしてるのに人間の本質は変わってないよ、と絶望的な気持ちにもなるけど僅かに希望の光も見せてくれるのが憎いなあと思う。
とにかくゲゲ郎と水木のバディが素敵だった。父たちってそういうことなのね、とやっと理解したし、鬼太郎が身に付けているアイテムのことも理解した。予備知識無くても楽しめる。そうか、鬼太郎父は根っからの風呂好きなんだねえ。その後の3人を想像したら切ないなあ。
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