「憲法論的な解釈ができるアニメ映画は採点対象。ほぼおすすめ枠。」鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
憲法論的な解釈ができるアニメ映画は採点対象。ほぼおすすめ枠。
今年387本目(合計1,037本目/今月(2023年11月度)19本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
基本的にアニメ枠は見ても、公法(憲法、行政法)的な観点から何か書きうるものは法律系資格持ちの立場からはレビューはしますが、そうでない映画は本数にはカウントしてレビューは飛ばしています。ただこの映画、かなり憲法論を強く意識できる映画です。
映画の内容そのものについては、タイトルからもはや明らかなので省略です。
特に日本に適法に在住している外国人の方など、古典文化(や、令和のこの日本で、昭和発祥のアニメほか)に触れる機会がない現状、そうした方にもおすすめで、日本語の表現についても一定程度配慮があります(中学3年レベルまでに抑えられている)。
当時を懐かしんでみるという立場もありましょうが、映画の作品としてどうしても、やはり「一定程度」憲法・行政法論を意識していたのではなかろうか…と思える部分もあります。
もちろん作品としてみた場合、アニメそのものとしても楽しめるし、アニメの「ご当地枠」(ただ、具体的な地名は出ない)といった観点もありますが、同時に「日清・日露戦争」「先の大戦」といった語は出てくる上、以下に述べる点は、映画に出てくるだけで説明が不足している一方、リアル日本のある意味「触ることがはばかられる分野」に踏み込んでいる部分もあり、「何らかの意味で法律系資格持ちが気にする」映画ではあります。
さっそく採点いきましょう。
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(減点なし/参考/「血液銀行」から「輸血」へとたどった道のりほか)
・ 映画はこのような憲法論や行政法論を論じるものではないので、単語だけちらほらと登場するだけでこれらの問題提起は完全カットされていますが、「血液銀行」といった語は明示的に出ます。このあたり、少し説明が不足していたのでは…とは思うものの、それを徹底的に論じる映画でないのも明らかで採点幅が微妙です。
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(参考/売血、血液銀行から献血への道のり、献血制度に取り残された人たち)
・ 日本は戦中から「売血」という行為が行われていたのは史実としては事実です。戦後になるとGHQ主導で(もともと血液を「売る」「買う」というのはアメリカの文化だった)「血液銀行」というものができました。GHQが関与していたので日本政府も「そうですね」で首を縦にひたすら振るしかなくできてしまったものです。「血液銀行」とは言いますが、血液を売りたいと思った人がある値段で(相場は地方や時期によって異なっていた)売り、買いたい人がそれを「買う」というものであり、「銀行」かどうかすら怪しい一方、当時はまだGHQが幅をきかせていたので「銀行」という名称使用に問題なしという通達すら発出されています。
ただ、戦中もそうですが(映画内でもこれを彷彿とさせる描写がある)、戦中、戦後では医薬品が適当に使われており、中には「百発百中になり戦意があがる」などとして愛用され、戦後は「仕事の少なさ」から薬に依存するものもあらわれるようになりました(映画内ではこれらの描写はあっても固有名詞は出ないが、リアル日本では依存性が問題になった、カタカナ4文字の固有名詞)。こうした薬は戦後の厭戦気分から乱用されるようになり、「血液銀行」においても不潔な血液が売り買いされるなど不衛生な状況になりました。「血液銀行」の成立から翌年、日本赤十字(当時。現在も同じ)が「無償による血液のやり取り(今の献血にほぼ相当)」を発足させましたが、当時は何にせよ「お金がないと暮らしていけない」世界であり、日本赤十字社のそれはあまり利用されなかったのです。
一方、日本が戦後から立ち直るようになると、やはり不衛生な血液のやり取りというのは問題視され、ある一つの事件が起きます(ライシャワー事件)。これをきっかけに「売血」や「血液銀行」といった考え方から「完全にボランティアの献血」に代わるようになり、今に至ります。
しかし、この切り替わりのころはまだそうした制度の切り替えの混乱期でもあり、また完全ボランティアをうたった「献血」に対して抵抗のある国民も多く、図書券等「ある程度換金性のあるもの」が配布されることは当然のごとく行われていました。一方、当時(現在、令和5年度も)の医療水準では「血液が本当に品質上問題がないか」確かめる手段がなかったため(今もない)、「輸血経験がある方は献血にはご参加できません」という扱いになり、今にいたります。私もその「献血ができない一人」です。
もっともこの「換金性が高いものの配布」については問題視されるようになり、今ではせいぜい「献血の間のジュースの飲み放題」程度になり、換金性の高いものは駆逐されるようになりましたが、日本がこのような特殊な「血液の歴史」をたどったがために、「献血に協力したくてもできない人」がいるのも事実で(また、換金性の高いものが配布されていた当時は、本人に帰責性のない(本人の知らないところで勝手に輸血)事情に対して経済的な有利不利が多少なりとも存在した。たいていは「良心的な金額」だったが、「報酬の豪華さ」を競うようにしたた時期もあった)、またリアル日本でも11月、12月の冬の寒い時期になると「献血のお願い」という献血カー(献血車)は良く見ますが、それを見て心がちくりとする人も一定数いる(献血、献血というあまり、献血したくでもできない人も一定数存在します)のもまた事実ではあります。