「オリジナルはAlexander Weinsteinの短編「Saying Goodbye to Yang」だが・・・」アフター・ヤン jollyjokerさんの映画レビュー(感想・評価)
オリジナルはAlexander Weinsteinの短編「Saying Goodbye to Yang」だが・・・
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こちらは修復不可能になったヤンを埋葬して別れを告げるという結末で、偏見や命についてを主題にしていたが、本作はヤンの記憶を覗くことで人とロボットとの関係性や生き方を表現している。
まずその家族関係の未来的な在り方。 昨今の差別的問題を排除するハリウッドの意向もあるのだろうが、
夫は白人。 妻はアフリカ系。 子どもはアジア系。 AIは子どものためのアジア系。
さらにダンスバトルシーンでの家族状況が面白い。 性別・年齢・人種など多種多様な在り方がすでに確立しているという設定である一方、隣人たちとの関係もつかず離れずうわべの関係を維持している。
何より、ジェイク【コリン・ファレル】の店にクレームをつけに来る女性客のシーンが印象的だ。 本来「お茶」は適温のお湯を茶葉にそそぎ、茶葉が開き旨味が浸出するものがおいしいとされているが、女性客は粉末状のものを欲している。「手軽さ」である。
監督はこれをAIと比較して本末転倒であるということを揶揄しているのではないか。「養女」、「教育のための兄弟の購入」、「代替品」。短いシーンではなるが、ジェイクの落胆、その後のストーリーの軸となる「生き方」のヒントになるのだろう。記憶とは時間である。その流れをたどることが生きることにつながるのではないか。
監督コゴナダは前作でも親子関係を描いていたし、小津や野田高梧の影響を感じる撮影も落ち着いており、今後ますます期待したい。
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