「「身勝手な天才」「ユダヤ人迫害」「ミステリー」の哀しき不協和音」天才ヴァイオリニストと消えた旋律 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
「身勝手な天才」「ユダヤ人迫害」「ミステリー」の哀しき不協和音
特別な才能に恵まれながらも身勝手で社会性に難のある天才と、そんな才人を支え時には振り回されてしまう善き凡人たちの対照性は、現実にもよくある。第二次大戦の緒戦でナチスドイツに侵攻され占領されたポーランドで起きたユダヤ人迫害と、ユダヤ教のラビがホロコーストで犠牲になった人々の名を詠唱する「名前たちの歌」を取り上げている点は、人種差別という負の歴史を伝える啓発的な意義が認められよう。青年になった天才バイオリニストのドヴィドルがデビューコンサートの直前に失踪した謎を35年後に追う、ミステリー仕立ての展開にも引き込まれる。音楽も素晴らしい。だが、これらの要素がまとまってひとつの作品になったとき、微妙な不協和音が生じているように感じた。
幼い頃のドヴィドルを大戦前のポーランドから受け入れた英国人家庭の子で、兄弟のように育ったマーティン。だがドヴィドルのデビューをお膳立てしたマーティンの父は、コンサートのドタキャンで借金を背負い失意のまま死んでしまう。それから35年後、中年になりピアノの指導などで生計を立てているマーティン(「海の上のピアニスト」で超絶演奏の熱演で魅せたティム・ロス、本作では演奏場面がなくて残念)が、ある審査会で手がかりを得て、ドヴィドルを探す旅に出る。
ドヴィドルの失踪をめぐる謎は主に2つ。第1に、リハーサル後に演奏会会場を出たドヴィドルはどこに行き、誰に会ったのか。第2に、なぜ会場に戻らず、そのまま姿を消してしまったのか。マーティンがようやく探し当てたドヴィドル(クライヴ・オーウェン)から、第2の謎の真相が明かされる。あの日、ドヴィドルはバスを乗り過ごして偶然ユダヤ人コミュニティに行きつき、そこで「名前たちの歌」の詠唱を聞いて家族の死を知ったのだった。確かに彼にとって衝撃的な事実であり、絶望するのも無理はない。しかしだからと言って、10年近くも養ってくれた家族に迷惑をかけるのを承知で、連絡もなしに消えることを正当化できるだろうか。
第1の謎については、ある人物からラスト近くでマーティンと観客である私たちに真相が明かされる。その内容もまた衝撃的ではある。だがしかし、ここでもドヴィドルというキャラクターの身勝手な印象を強める結果で終わってしまう。原作小説の書き手は著名なクラシック評論家だそうだが、ミステリーの謎解きのインパクトを優先するあまり、キャラクターを魅力的に描く点で妥協した気がする。
レビュー冒頭で「不協和音」とたとえたが、もちろん不協和音がすべて悪いわけではない。基本の協和音に非和声音を重ねて緊張感や陰影を生むテンションコードは、古くは現代音楽やジャズで、20世紀後半以降はポップミュージックにも当たり前のように使われている。本作の“不協和音”も、観る人によっては良いアクセントになるのかもしれない。だが評者には哀しいかな、マスターピースのようには響かなかった。