茜色に焼かれるのレビュー・感想・評価
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石井裕也監督と尾野真千子の共犯関係で成り立った傑作
石井裕也監督、渾身の逸品。コロナ禍で撮ることにこそ意義を見出し、主演に尾野真千子を指名したこともうなずける。この作品の主人公・良子に息吹を注ぐことができるのは、やはり尾野しかいなかったと断言できる。理不尽極まりない事故で夫を失った良子が、最愛の息子の成長だけを心のよりどころとし、信念を曲げることなくたくましく生きる姿を力強く描いている。石井監督の社会に対する怒りを、全身で体感してもらいたい。最後にとんでもないものが用意されており、それも含めて乞うご期待。
生きながら殺される。コロナ時代の悲痛な叫びを可視化した超重要作
コロナ禍が日本で本格化してから1年半、しかもいまだその渦中。石井裕也監督がこの間にオリジナル脚本で今を生きる人々の物語を撮影して完成させ、公開までこぎつけるこのスピード感たるや。加えて、“上級国民”批判が世間に吹き荒れた、2019年4月の「東池袋自動車暴走死傷事故」とその後に着想を得たエピソードも組み込まれている。現代に起きている問題と社会の理不尽さに対する感情をすくい上げ、短い期間で劇映画に昇華させる機動力に脱帽するしかない。 夫を事故で失うも加害者が謝らないからという理由で賠償金を拒み、花屋と風俗店のダブルワークで稼いで中学生の息子を育てている良子役に尾野真千子。彼女の演技力は多くの映画ファンが認めるところで、本作での人物造形も完璧で見応え十分なのだが、尾野に一歩も引けを取らない名演を見せるのが風俗嬢仲間・ケイ役の片山友希だ。2017年のテレビドラマ「セトウツミ」で清原果耶と軽妙なやり取りをしていた関西弁が印象的な若手女優として認識して以来、ぼちぼち映画やドラマで目にしてきたが、今回ついに表現者として“覚醒”したのではないか。本作はシングルマザーと息子の家族物語であると同時に、いくつもの不幸と苦難を背負う女たちの哀しき友情の物語でもある。 コロナ禍で収入が減り、あるいは仕事を失い、生きながら殺されるような思いで苦境に耐えている人もいるだろう。いろいろとうまくいかず、生きる意味を見失って自殺する若者が増えているとも聞く。現代日本の理不尽、とりわけ格差社会の下層でもがく人々の苦しみを可視化した本作はしかし、愛と希望の力を信じさせてもくれる。ユーモアを要所に挟み込んで心をなごませてくれる石井監督のバランス感覚も好ましい。 良子が勝負の時にワンポイント差し込む赤。夕空に広がる茜色。鮮やかな色の記憶とともに、良子とケイ、2人の生き様を忘れてはならないと思うのだ。
田中良子 敗れざる者
悲しいスタートから、さらにどんどん不幸へ向かい、田中家の収支バランスが心配になるだけでなく、精神状態も心配になります。 絶望の中、神様が現れたかのように希望の光が見えたり、そう思っていたら違ったり、ルールを守ったり破ったりと飽きませんでした。 最近素晴らしい言葉を仕入れたので紹介しますが、“ルールは覚えて、破るもの”と、個人的に尊敬しているベーシストがYouTubeで言っていたのを思い出しました。 今作は、ルールに関することは曖昧にしていますが、まあ自分流でいいよねというメッセージがあると感じました。 劇中でも迫真の演技で魅せる田中良子(尾野真千子)、その息子の真っ直ぐで惚れやすい純平(和田庵)、田中良子に味方してくれる25歳のケイ(片山友希)、いざとなったら頼りになる店長(永瀬正敏)。 キャスティングや演技が抜群に良いです。 ちゃんと裏事情も下半身事情も描き、ロック魂に満ちていて、心揺さぶられる傑作でした。 なかなか長尺で、どのように決着させるのか楽しみにしながら視聴しました。 満足できる終わり方で良かったです。
最初は同情的に見てたけど途中から「ん?」ってなって、最終的に子供い...
最初は同情的に見てたけど途中から「ん?」ってなって、最終的に子供いるんだからしっかりしなよ…って思っちゃった。
賠償金受け取らないで風俗で働くのも愛人の子供に養育費払うのも意味不明。
自ら不幸を選んでるし、結婚相手選びからすでに不幸に片足突っ込んでる。
熊木は寄ってたかって殴られてヤクザに売られるほど悪いことした?
何がしたいんだかよくわからない。
共感と反感という新しさ
なぜ生きなければならないのか? 社会生活を強いられる人間だけが持つこのような普遍的問いかけが大昔から今まで問い続けられるのは、おそらくその答えを自分で見つけなければならないからだろう。 同じ人など存在したことはない。 それ故すべての人の人生と苦悩は異なり、だからこそすべての人が持ってしまうこのような問いかけには各々で答えを出す必要があるからこそ、このような作品は作られ続けるのだろう。 生きる理由 すべての歯車が狂っていたケイ 彼女の生い立ちから現在までのことを聞いたリョウコは「何でケイちゃんがいくつもいくつも…」と言葉を失う。 そこに見た強い共感 どん底の人生に加算された中絶手術と余命宣告 さて、 この作品に込められた普遍的テーマは、普遍的だが千差万別だ。 特にリョウコの生き方には共感とある種の嫌悪を感じてしまう。 彼女との考え方の違いは多くの視聴者に共通するように思う。 彼女の人生を作っているのは絶対的なものではなく、リョウコの独断的思考による。 そこに共感と反感が共存している。 ここがこの作品の新しさではないかと思った。 何もマイナス部分がないのであれば、夢とか志などが人生を最高のものにするだろう。 しかし、リョウコのようにマイナス面を抱えてしまうことで人生は一変し、生きるためにお金の必要性に迫られる。 そうして彼女特有の思考によって自分自身を苦しめていることさえわからない状態となる。それが問題かどうか考えることさえできない。 そもそも受け取りを拒否した汚いお金と生きるためのお金の差とは何だろう? それこそがリョウコの心の根源にあるモノだ。 小さなカフェを生活の基盤としていたが、夫の事故死と受け取りを拒否したお金 やがて始まったコロナ渦 カフェは潰れ、バイトに加え風俗にまで手を伸ばすしかなくなった。 誰にも理解できないリョウコの心情 彼女は夫の愛人の娘の養育費を支払い続ける。 夫の父の老人ホーム費用も。 その他の支出が事細かく作中に表示される。 いちいち計算はしなかったが、その額はケイが言ったように確かに赤字だろう。 この字幕はそれが「現実」であることを強調する。 では、 リョウコの考え方は間違ったものなのだろうか? 問題はリョウコの考え方なのだろうか? 夢や志という人生における鉄板的概念 しかしそれは生きる知恵ではあるが絶対に必要なものではないと思う。 それがなければならないということはないのだ。この作品の出発点でもある。 リョウコが信じた生き方には多々疑問が残るし、ジュンペイも母さんの考えがわからないと何度も言っている。 それでも自分で決めたことを掟のように頑なに守ることをポリシーとしている。 それでもそれは間違いではないのだということをこの作品は伝えている。 神様という概念 それは夫が新興宗教にハマったことにも関係するが、リョウコが息子のジュンペイに教育するように話すことでも表現されている。 それは最後の彼女のお芝居のタイトルであり、彼女が神に問いかけていることこそ彼女の本音なのだろう。 つまりリョウコは神の存在を信じながら、この苦境に人生の意義を問い続けているのだ。 「神様、それ以上に私に生きる意義を問うのか? これ以上私を試すのか?」 これこそが彼女が生きている間中問い続けようと決めたことなのかもしれない。 生きる理由がなくなったケイに対し、リョウコにはサチコの娘の養育費と義父のホーム費用と息子の養育費等を支払い続けることが自分自身の生きる意義にしているようだ。 そうでもしなければ足元から一気に崩れ落ちる。 負荷をかけることで生きる理由を作り続けている。 しかし、 ケイが言ったように「もうギリギリ」なのは間違いない。 偶然出会った幼馴染と当時抱いた恋心。 同時に限界生活からの解放を夢見たのは間違いない。 夫が死んで、初めてそんな気分になったのに… リョウコのただならぬ決心を、ジュンペイは気づく。 男に怒りをぶつけたことで落ち着きを取り戻す。 自宅でケイとジュンペイと3人で食べた牛丼はさぞ旨かっただろう。 さて、 この作品の主人公リョウコ 夫が死んで7年間酒を断ち、風俗店で働きながらも支払いを続け、少しの愚痴をケイに吐露する。 「なめられてる」 有島から 彼の周囲の裕福な奴らから 世間から ジュンペイの学校から バイト先の店長から 風俗店に来る客から… そして、クマキからも。 ずっと抑えてきた怒りの爆発 この部分は共感する。 やったことはそれでよかったと思う。 しかしこうした原因は結局のところ彼女自身ではないのか? 傍から見た普通の感想だ。同時に感じる反感。 リョウコは、いったい何と何を天秤にかけているのだろう? 突然の夫の死 好きになってしまった男 その愛人と娘の存在 ジュンペイの存在 夫を虫けらのように殺した有島 一切なかった謝罪 その悔しさ 一瞬で消えた夫と彼の人生 夢 希望 これらが一塊となって片方の天秤の上にある。 それに釣り合うために必要だったのが「苦しみ」だったのではないだろうか? 愛や希望や夢と対局のもの 逆に言えばそれを失った苦しみ その苦しみは言葉で表現できないものの、愛人と隠し子よりも私(リョウコ)の方がもっともっと夫を愛しているという暗黙の叫びが、もう片方の天秤に乗っているのだと思う。 この交通事故は、実際に起きたあの上級国民による事故がモチーフだ。 あの事件でどうしても有罪判決を勝ち取りたかった夫の執念は、死んだ家族への愛の裏返しだろう。 この物語では、お咎めなしという判決の裏返しが、リョウコの生き方を決定した。 もう一つの現実の物語。 彼女は愛人に対する思いと、夫の娘の存在、それらすべてを引き受けることがでることが自分自身の在り方だと信じたのだろう。 それを間違っているとは思わない。 それはどうしようもないことのように思うが、どうしようもないようにしている彼女が実際にいるのだ。 「もうギリギリ」 そこから彼女は一縷の希望をクマキに託そうとした。 裏切り 単に遊びだった。離婚したというのも嘘。 リョウコの決心はよく理解できる。 さて、 この作品に頻繁に登場するルールという概念 それはそもそもリョウコが自分自身に課した掟 愛した夫を何が何でも受け入れるための手段だったのだろう。 この大前提の「決まり」が派生してどんなルールも守らなければならないという思考になるのか。 しかし、 リョウコはジュンペイにルールを強いるものの、自分はちょくちょく破っている。 おそらくそこにあるのが彼女の人生の「余裕」なのだろう。 ルールを破ることで生じる罪悪感はないとしている余裕が彼女にはあるのだ。 それが彼女を自殺へとは向かわせない。 ケイが託した全財産 リョウコの顔半分に差すオレンジ色の夕日 ここにタイトルの意味が隠されている。 朝日から夜までの間を、現状の人生の色に例える。 陽が差さなくなれば死を意味するとする。 リョウコもケイの人生も、それはずっとどす黒い茜色だった。 しかし最後の夕日のシーンも空はまだオレンジ色をしている。 それは、茜色だと思っていた自分の人生にもまだ余裕があることを意味する。 もしかしたらそれは、ケイの志によってどす黒かった赤がオレンジ色まで回復したということなのかもしれない。 「いつまで経っても夜にならない」 死ぬことができないほど暗い人生が茜色の象徴 その色に焼かれ続けていたと思ったが、色はもう少し明るくなった。 人生は死なない限り朝日から夕暮れまでの色がある。 タイトルに被る小火 人生は火の車 今までそう思いこんでいただけだったのかもしれない。 さて、 そんなことなど思ってもいない母子は、呑気に自転車を乗る。 人生に余裕がある。 この作品のナレーションは最初からジュンペイがしている。 つまり彼はかつてを振り返っているのだ。 そして、母ちゃんのよくわからない考えや行動があっても、自分自身を誇り高く生きようとしていることそのものを感じたのだろう。 だから「この人こそがオレの自慢の母ちゃんだ」と声高に謳ったのだ。 どんな人生にも間違いなどない。 そう決めて生きているという認識があれば、それは誇りだ。 それが誰にも理解されなくても、全く問題はない。 ただその生き方を生きるだけ。その生き方を模索するだけ。 この作品が伝えたかったことだろう。 美しく素晴らしい作品だった。
きつい…
まず… 腹たって!助けたくて!!悔しくて観てられないかと思うような 不公平な不幸な映画だと思った 理解不能なのに軽蔑したいくらいなのに 生きるとは運とは譲れない自身の物差しとは とか、深いまでもなく軽くもなく いやぁ、何故か面白かった! イジメてきたガキどもをぶん殴りたかった うーん 評価4は女優俳優の演技のうまさに! だって 共感はできたのかできなかったのかわからない
☆☆☆★★ 公開当時はコロナ禍でやむなく鑑賞を控える。 公開早々に...
☆☆☆★★ 公開当時はコロナ禍でやむなく鑑賞を控える。 公開早々に1日1回の上映になってしまった、シネコンの悪しき公開状況もあったのは否めないところ。 時々利用する劇場で突如上映が決定。多少は電車賃が掛かるので、纏めて数本は鑑賞しないとちょっと辛い。 それにしても何故に今?…と思っていたら、、、 キネマ旬報邦画第2位 なるほど!それで急遽上映が決定したのか。 主演の尾野真千子は主演女優賞を獲得。 まあ、元々演技力には定評があったし。まだ無名に近い頃から観ていたこちらとすると【今更感】が少しはあるのだが、、、 風俗嬢の設定なので体当たりの演技が求められ、◯ッパイもほんの一瞬見えるっちゃあ見えるが。その昔には、◯ッパイ見せながらの◯ナニーシーンまでこなしていた人だから、別に全然驚きはしない。 ところで、肝心の映画の内容ですが。 冒頭の場面から察するに、「嗚呼!これは池袋で起こった《飯塚事件》を模倣する内容なんだな!」…と思いながら観ていた。 社会のルールは弱者に寄り添う…かの様に見えて、実際にはそうではなく。 〝 悪の踏み絵を踏んだ者に有利に働く事の方が多い 〟 そんな問題定義を示していたのかも知れない。 …知れないって言って良いのかどうか?この良子とゆう人物の考えている事が、今ひとつこちら側には伝わりにくかったって言うのが本音だった。 芯の強い女性であったのは間違いない。それでいて、ほんの些細な事でメンタルをやられてしまう。周囲の人達の心の傷を癒す接着剤になる時もあれば、逆に周りから支えてもらう弱い女性の面も隠さない。 監督石井裕也にしても力が入った演出だったのは分かる。分かるのだがどうなんだろう。これオリジナルの脚本ですかね?あちらこちらに枝葉が広がり過ぎていて、流石に144分も要するのはどうなのだろう?って感じでしたけども。 少なくとも息子関係でのイジメ問題は、全然投げっぱなしで終わってしまっていた。 永瀬がちょっとだけ関わって、イジメ少年達と映るカットを3〜4っだけ加えれば済みそうな気もするし。良子が長年送り続けている養育費の問題も、この主人公の心の強さを表しているとは言え。その後の展開は「これ要るのか?」…としか思えず。 そう言えば、映画冒頭の《飯塚事件》っぽい模倣の設定も何の解決も見ないで終了していたのだが、、、 2022年2月5日 キネマ旬報シアター/スクリーン3
母ちゃんは強い
世の中は暴力と怒りと
とてつもない愛で溢れてる。
6歳のときに父ちゃんが亡くなってから7年
自転車に乗れない13歳。
その時系列と描写に意味があるのが良かった。
ケイちゃんは生きる理由がなくなったというよりは、死ぬ理由が出来ちゃった気がするんだよな…
全体的な雰囲気はシリアスだけど、クスッと出来るとこもあって観やすかった
女性の経済的な立場の弱さ
これだけ「雇用の分野における男女の平等」が言われても、厚生労働省などが取りまとめる賃金の統計などを見ると、まだまだ女性の方が、平均的な賃金は低いようです。 それは、女性であることを理由として、男性よりも低い賃金が支払われているということでは必ずしもなくて、男性に比べて女性の方が、より賃金水準の低い、臨時的・補助的な仕事に就いている割合が高いということでしょう。 そして、何かの時には、まずいちばん最初に雇止めになるのも、そういう臨時的・補助的な仕事に就いている方々であることも、想像に難くありません。 今回のコロナ禍では、飲食・宿泊関係を始めとして、関係業種の方々への影響は少なくなかったものと思いますが、上記のような理由から、女性への影響の方が、より大きかったものと考えます。評論子は。 そして、そういうことの余波というものは、得てしてより弱い立場の方々にしわ寄せされがちなのが現実と思いますし、今なお続いている「女性の経済的な立場の弱さ」ということもあるのだろうと思います。 本作の主人公が、理不尽な交通事故でシングルマザーとなった女性(良子)というのも、その意味で受け取りました。評論子は。 一家の大黒柱を失うこととで、その生活基盤の脆弱さが、一気に噴出してしまったということでしょうか。 一方で、良子の「筋の通し方」には、レビュアー諸氏の間でも賛否の両論があるようですけれども。 確かに、夕焼け空のように「茜色に焼かれて」も、なお曲げないという彼女のその信念については、それはそれとして受け取るべきなのでしょう。彼女の考え、人となりとして。 しかし、評論子としては、もう少し肩のチカラを抜いて生きても良いのではないかと、思わないわけでもありません。 そんなことにも思いが至ると、本作の題名の「茜色」は、良子の決意・覚悟の堅さを意味すると解釈することもできそうではありますけれども。 むしろ、評論子としては、この色が(朝焼けではなく)夕焼けを想起されるものであることから、これから本格的な夜を迎えるということで、「まぁ、頑張りましょう」が口癖の良子の気概の高さとは裏腹に、彼女の前途の多難を暗示しているようにも、評論子には思えてなりません。 それやこれやで、本当に、胸が痛む一本ではありました。 別作品『夜明けまでバス停で』と同様に、コロナ禍に苦しむ人々(とくに、まだまだ経済的には男性よりも苦境に立たされがちな女性)を描いた一本ということで、観終わりはしたものの、なかなかまとまらない同作のレビュー起案の参考という意味も兼ねて、観ることにした一本でした。 上記の別作品ともども、充分な佳作であったと思います。
出てくる男がみんなクズ
コロナなどで理不尽かつしんどい状況に置かれている女性を描いているのはわかるが、その女性も妻子ある男に騙されてうつつをぬかしたり、やたら風俗のシーンをねちっこく描いて脱がせたりと、かわいそうでそんなに頭の良くない女性を男性目線からポルノ的に消費している感が否めない。
そして理不尽な目に追い込んでいる男達は何のおとがめも無し。いや現実はそんなものかもしれないがフィクションの世界でくらいちょっとは痛い目見せろよ。監督はかわいそうな女性を消費したいだけに見える。不倫相手以外にも、車で轢き殺しておいて謝罪もしない上級国民とか、解雇通知もまともに出さない雇用主とか、風俗のクソ客とか、とにかくダメな男満載。
お金も稼がずよそで子供まで作ってたクズの父親に似ず、息子が比較的まともで成績がいいのが救いか。しかし息子がいじめに遭って殴られて何の対策もとらない教師を問い詰めてるのに、息子の成績がトップと聞いてコロッと忘れたように上機嫌になる母親はどうなんだよ。問題そこじゃないだろ。
どんなに成績が良くても、金がなければ大学にも専門学校にも行けないので(奨学金という名の借金を背負って苦しむのは本人だ)金の心配はするなと言っても、現実的に子供を安心させられるだけのまともな仕事に就けないのはこの母親にも責任があるだろう。売れ残りの花を捨てられなくて買い取ってる場合じゃない。変な意地張ってないで福祉を頼れ。
古典的な純ヒューマンドラマ
日本の経済を反映した安い制作費で作り込まれた映画。 ストーリーがしっかりしているので、とても面白い。 現代社会の世知辛い地味な裏側を反映しているかの様…。 それでも想いと希望を胸に生きて行く人間模様。 何かいいね👍️
盛りだくさん
惜しい事をしました。先週の10日(木)に尾野真千子さんの舞台挨拶があったそうです。気づいたのは一昨日、まぁ時間的に無理と思う事にします。しかし、‥‥奈良県出身の凱旋上映、やはり惜しかった。ーおめでとうございます。ー‥‥冒頭の事故を見ているので車道の際をフラフラ自転車に乗っていてまた父親の二の舞いにならないか、とか、悪ガキに放火された時焼け死なないか、とか、かあちゃんが怒り狂って同級生に包丁を向けた時、取り合いになったはずみに刺されないか、とか、息子の身をだいぶ案じて観ていました。幸い、かあちゃんの一番生きがいを無くす事は無くホッとしました。だから、強いんだ。しかし、世の中は厳しいというか、エゲツないというか、コロナは平等とも言えず、苦しむところへはとことんだし、あの冒頭の事故なんて日本に住んでいるのが怖いくらいで、汚いヤツらからもらいたくないというのはわかるけど、生活状況見たらどうなんだろう?拘りはわかるけど、花がわからない。自分達とオーバーラップするから?とにかくエネルギッシュなかあちゃん、いえ、田中良子さんでした。
なんかね、、、
尾野真千子が主演だし期待してみたんだけど、 他の方も言ってたけど、セックスワーカーの描写は凄く丁寧に描くのに 他はなんだか良く分からなくて、最後も突然息子の お母さん大好き宣言で終わる。 主人公も芯があるんだか、ないんだか、 優しいんだか、強いんだか分かんない。 その全部なのかな? そういう人の運命ってこうなるの? 何が言いたかったん?ってなる。 大抵、冴えない女性の末路は風俗で描かれるけど 冴えなくて自我が弱くて不器用な女性は どこか諦めていて性にだらしなくて、だから下等に扱われる っていうのをただ描いて何になるんだろ? 男性の監督がそういう女性を描いて 何が伝えたかったのかその先が見えない。 ただ現状を描いて脱がせるシーン。 またか、、って感じで なんか男の監督って女優脱がせたいんだなくらいにしか印象がない。
テーマを盛りすぎですこの映画は。
東池袋自動車暴走死傷事故を連想するスタートでしたが主人公の女性と一人息子が、性風俗、学校でのイジメ、パート先のパワハラ、老人介護施設、近年のテーマをてんこ盛りすぎのうえ、ご丁寧に金の物差しまで表示されています。
「横道世之介」と正反対に位置する映画だなと。これだけの賞をもらってますから、世の中がそういう世の中なんだなと残念に思います。
夫を亡くし、数年後にはコロナ禍で 経営していたカフェもなくし 風俗...
夫を亡くし、数年後にはコロナ禍で 経営していたカフェもなくし 風俗で働いて息子を育て 自分の事となるとうまく怒る事もできず 苦笑いでやりすごす良子 だけど 母として息子の為ならモンスターペアレントにもなれる 母として妻として強く生きるも 女となると急に馬鹿になってしまう。 その辺の滑稽であり重くなりすぎず リアルであるところがうまい 尾野真千子よいなー
観ていて辛い。
主人公(尾野真千子)は上級国民に大黒柱を交通事故で殺され、金銭的に困窮しているのに賠償金を受け取らず、夫の愛人の子供の養育費も義理の父親の介護費用まで負担している。そこをコロナが襲った。おまけに周囲を嫌な連中ばかりに囲まれている。日本社会はここまで弱者に冷たいのだろうか?出てくる男は皆揃いも揃ってクズばかりだが、いくらなんでも誇張して描かれていないか?とにかく観ていて辛い。尾野真千子は適役、彼女の演技力はいつ
もながら安定しているが、脇を固める2人(ケイ役の女優と純平役の子役)は実に良かった。純平には明るい将来が待っていて欲しいと思った。ただ、長過ぎる。
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