「ファンサなら★5、映画としては★2.5。※一応具体的なネタバレは避けてます」スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム alalaさんの映画レビュー(感想・評価)
ファンサなら★5、映画としては★2.5。※一応具体的なネタバレは避けてます
好きなキャラが動いてるのさえ見られれば良い!今までの集大成だから内容はともかく感動!胸アツ!というファンなら★4〜5にするんじゃないかな。自分ももちろんファンだけど、そっち系のファンではないので、作品としての評価は低め。
DVD視聴でしたが、2時間半の長丁場というのを置いといても、途中で何度も「まだ終わらないのか?」「まだ半分?」「え?まだ?」とシークバーの位置を確認する始末。
そういや自分がMCUファンを語っておきながら、単独作には悉く低評価積み上げてたハイパー高望みファンだってことを忘れてた…
今作は「格好良いからこういうシーン欲しい」「この設定は次作に繋げるために入れなきゃ」「盛り上げるためにこのシーンは必要だし、それ入れたらこの会話も入れないと」という裏の事情が透けて見えるというか、「事情」で入れなきゃいけないシーンが大量にあり、結果的に全体がその継ぎ接ぎのように感じてしまい、どうしても楽しく見られませんでした。ていうか、そもそもそういう余計なことを感じさせてしまうテンポの悪さ。
そして、そこを置いといてもピーターがアホ過ぎる。子供の失態をコメディ調にして、って手法はディズニー版に今までもあったけど、いくら何でもコメディにできねーだろというレベルのミスをやらかしまくる。で、前作の反省はどこに活かされてんの?という話。前作のレビューで「一つ山場を越えたからって急に大人になれるわけじゃないし」って書いた気がするけど、それにしたってお前。
前回、自分の生活を優先したくて、都合良く現れたよう知らん他人に軽々しく自分の使命を押し付けて大惨事になったよね?あれだけ痛い目見て、なんも学んでなかったぞこの小僧!と衝撃の今作。
初っ端から軽々しくドクター・ストレンジに頼み事、重要な魔術を使ってる最中にアレコレ注文をつけまくり魔術失敗、その場の思い付きで人の大事な物をパクって逃走、敵を改心させりゃ納得してもらえるっしょ☆からの大失敗、自分の失態で犠牲者出して逆ギレ、仲間に諭されたにも関わらず暴走し、仲間を傷つけ自分の尻拭いしただけなのに何故か泣けるBGM流してくる自己陶酔エンド。
いや泣けるよ?泣ける話だけどね?最初から最後まで、ただただ自業自得。1、2作目の「周りに迷惑かけつつ支えられながら頑張って成長していく愛すべきおバカ」はどこいった?
監督も脚本も1から変わってない(1は脚本の人数がもっと多かったけど、2以降もその中の2人が続投)のに、やっぱりシリーズの締め兼他のシリーズに繋げる作りにするのは色々と難しいんでしょうね。非常に大雑把な纏め方で、やりたいことはわかるけど…という感じでした。
確かに、ピーターがアホなクソガキじゃないと折角出した仲間達が引き立たないから、2から成長してないのも仕方ないかもしれませんが、物語として、主人公の同じような「思い付きで行動からの失態」を何度も見せられるのはやはりウンザリします。
個人的に、MCUのピーターがあれだけ愛されキャラになったのは、アベンジャーズありきだったと思うんですよね。
スパイダーマンが加入する時のアベンジャーズは、既にヒーローとしてある程度安定した強さを持った年上の集団で、そこに入ってきたモロ後輩って感じの未熟な子供が、その大人達に可愛がられて成長していく…という設定でファンの心を掴んだのがかなり大きかったと思います。特に、ずっと父の愛を感じられなかったトニーが、親のいないピーターと父と息子のような関係性で描かれていたこと。指パッチンでピーターが塵になった時の、トニーの表情に泣けた人も多かったのでは?
逆に言えば、どんなに頑張ってもその魅力はサム・ライミ版やソニー版では絶対に出せないんです。支えてくれる人、見守ってくれる人がいないから、自分ひとりで辛さを抱えて無理にでも成長するしかないという、孤独なヒーローにしかなりようがなかった。でもMCUに合流することで、周りの大人達に見守られ、時には厳しく叱られながらも成長する、漸く「ヒーローだけど中身は普通の子供」を表現することができた。
大事な人を失い、自己犠牲をし続けながら独りぼっちで苦痛と共に無理やり成長するのではなく、周りに支えられ、見守られながら成長していくという、子供の理想の成長の仕方を漸く描けるようになったのです。
だからライミ版やソニー版と違ってホイホイ色んな人に正体がバレるし、ピーターの成長を近くで見守ってきたメイおばさんと、スパイダーマンの成長を近くで見守ってきたハッピーという2人が恋愛関係になるしと、ピーターを見守る人々にもフォーカスをあてたストーリーになっているのかな、と思っていた…のですが。
2作目の最後で急にメイおばさんが『ハッピーとの付き合いは遊び』とか言い出し、ピーターは自分のことしか考えず、人に迷惑かけて学んだかと思いきや今作でも成長しておらず、まるで続編に繋げるお膳立てが3作目で無事できたから、もう初期の設定なんかどうでもいいとでも言わんばかり。
メイおばさんが突然軽率な恋愛をするキャラ設定になったのも、あまり思い入れんなよってことだったりして。もちろん恋愛に関して色んな考えの人がいるだろうけど、1作目ではさも「今後は2人でピーターの成長を見守っていきます」的な雰囲気を醸し出してたので、3部作とも「ホーム」がタイトルにつくこともあり、てっきり温かい「ホーム(家庭)」を一番大切に描くのかなと思いきや…まさかの。「ホーム」って全作タイトルにつけてきたフリは一体何だったんだよ。
アメリカのヒーローものって何故か暗い終わり方するのが多くて、MCU版のスパイダーマンは割とポップな雰囲気だったから、やっと暗いエンドじゃなくなりそうかなと思ってたのにな。何で今更、昔の使い古された「孤独なヒーロー」像を踏襲してきたのか疑問。別世界の仲間と集結したし、ここらで一旦原点回帰しとく?って感じなのか。
もちろん色んな設定があって良いと思うけど、あまりにも「孤独なヒーロー」と「物悲しいエンド」に偏り過ぎじゃね?と。そういう設定が爆発的に売れたから、ずっとその設定で何十年も続けてるんでしょうか。それはそれで馬鹿らしいというか。お金の事情もあるんだろうけど、ポリコレだの何だの言ってないで、設定、ストーリー、キャスト等どんどん全方向に新しいチャレンジをし続けていただきたいですね。
とりあえずスコセッシ監督に「あんなもん映画じゃねーよ」とか、タランティーノ監督が「スターになったのは俳優じゃなくヒーローだろww」と煽り散らかされた時、自分も「言いたいことはわかるがせめて見てから言え」と思ってたけど、本作みたいなのを作ってたら反論できないかもな。完全にシリーズものの一部、しかも最終章だからこれだけ売れたんだよね?と言われたら反論できない。
ただ、これだけは完全同意と思ったのが、スコセッシやタランティーノに対して「シャン・チー」の主演シム・リウが言った言葉。
『私もハリウッドの「黄金時代」は大好きです。でも、それは地獄のように白かった。』
「映画界にスコセッシとタランティーノしかいなければ、黄色人種の自分はあれだけの大作に出るチャンスすらなかった」というハリウッド黄金時代の差別主義と多様性のなさを指摘する発言です。
本当に白人男性ばっかでしたね。今もだけど。有色人種や女性が出てくるのは、そうでなきゃいけない理由がある時だけ。
もし社会派の作品でもっと有色人種や女性が主人公の作品が増えてヒットするようになっても、やっぱり「ポリコレだ~!見慣れないもんは全部ポリコレだ~!」とワケわからん奴らがまた騒ぐんかな。そういや本作のレビューで、「アメリカの作品なんだから全員白人にしろ!不細工な女や有色人種を出すな!ポリコレだ!」っていうのがあったけど。
有色人種や女性が主役の大作映画を作ること自体が「新しい試み」なくらい今までが偏ってたんだから、最初のうちは暫く手探り状態でヘボい作品が生成されても当然。
今までの売れた作品の焼き増しではなく、思い切って全然違う作品を、こういう大型作品をまだ作れてる企業や監督が率先して増やしていってほしい。
ところで、Youtubeの確か"WIRED"というチャンネルで、今作の視覚効果担当者が「こんなに視覚効果使ってるよ~」と解説してる動画があるんですが、その肝心の視覚効果が安っぽく感じました…
前作は感じなかったのに何故?と思ったら、今作はジョーダン・ピール監督の「ノープ」を見た直後に間を置かず見てしまったせいかも。
「ノープ」はどうしても実現できないシーンだけ視覚効果を最低限使ったそうで、ほとんど「リアル」。対する本作は、ほとんどのシーンが視覚効果で作られたものだそう。「リアル」を見た後に視覚効果バリバリの本作を見てしまい、大迫力なことが起きているにも関わらず薄っぺらに見えてしまったんだろうなと。
「視覚効果スゲー!」の幻想を壊してくれたという意味では良かったかな…どんなに緻密にリアルに作ったとしても、やっぱり「そこにある」という存在感には敵わないんだな、と改めて思い知らされました。質量を感じないというのか、本物の木とプラスチックでガワだけ作った木くらいの差。
トム・クルーズみたいにリアルを追求する俳優はまだまだいますが、徐々に「爆発なんか視覚効果でどうにかなる」が普通になり、すぐ近くで爆発が起きて「死ぬかもしれない」と本気で恐怖と戦いながら演技をする俳優は既に減ってきてるんでしょうね。
もちろん危険行為を減らせ、現実にできないことも作り出せる、価値の高い技術だけど、同時に俳優にとって命となる「経験」もどんどん失われているんだろうな。外野としては怪我がないのが一番って気持ちもあるし、経験が貴重な財産になるとも思う。
何度かレビューで「持ってないものは出せない」と書いてますが、どんなに想像力が豊かで優秀な俳優でも、経験の差は大きいのでは。
ストレンジ役のベネディクト・カンバーバッチは言わずと知れた演技派ですが、危険な現場どころか若い頃に誘拐された経験があるそうで、やはりその経験が自分の生き方を変えたと話しています。プライベートでそんな激ヤバ体験をする人はそんなに多くないでしょうが、「危険な現場」に挑戦する俳優も、安全に配慮されていたとしても、似たような気持ちなんだろうな。
でも、これも「新しい挑戦」と思えば納得かな。最先端技術を使いまくって「今はこんなことできるんだぜ!」って作品も、それはそれで技術を楽しむって意味で面白いかもしれないし、特に映像技術に関心のある人達からしたら興味深いだろうし。
将来こういうのが「映画の中に入れるVR」みたいなのに繋がってったりするのかな。もしできても、スコセッシ監督は使わないでしょうね。
どう見るか、どこを面白がるかは人それぞれだし、色んな作品があって「映画」というジャンルなんだよな、ほんと。
ともかく、最近流行りのマルチバース系の話にも興味がなく、スパイダーマンガチ勢というほどではなく、視覚効果マジックを「ノープ」に壊され、主人公に肩入れできなかったので、色々重なってしまい不運でした。
サム・ライミ版から「我こそはダーマンガチ勢だよ!」という方には滾る場面もあるのでお勧め。