ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょうのレビュー・感想・評価
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写真に写っていた二人の姿‼️
初めて逢ったその時から、互いを運命の人だと確信したリザとギオルギ。白い橋のカフェで再会を約束するが、"邪悪な目" の呪いによって姿を変えられてしまう。お互いが分からないまま、二人はカフェで相手を待ち続ける・・・‼️SFファンタジーなラブロマンスかと思いきや、CGや特撮を駆使した見せ場は一切無く、朝起きたら二人とも姿が変わってました、みたいな感じ‼️そして偶然にも白い橋のカフェで働くことになった二人が、次第に心を通わせていく過程を淡々と描いていきます‼️そこに映画撮影のため、複数のカップルをカメラに収めることになった女性カメラマンのエピソードが絡みます‼️この女性カメラマンに頼まれカップルのふりをしたリザとギオルギ‼️二人を写した写真に写っていたのは⁉️このラストカットの写真の二人がホントに印象的‼️二人が姿を変えられるシーンで、画面上で字幕でカウントダウンしたり、下校中の子供たちやサッカーに夢中になる子供たちの微笑ましいにぎわい‼️不思議な現代の寓話と言うべき秀作ですね‼️
現代が舞台なのに「邪悪な目」「呪い」で外見が変わるという設定が突拍...
現代が舞台なのに「邪悪な目」「呪い」で外見が変わるという設定が突拍子もなくて観る気が失せた。
また、歩いていて同じ相手と2度ぶつかった、そこから愛が生まれたとか強引過ぎる。
あとは意味不明な描写も多い。
観たことのない映画
セリフはほぼなく、ただただ地の文を読み上げる……。撮影されてるとは気がついていないかのようなカメラワークもある。しかも出てくる沢山のストーリーにピンと来る繋がりが感じられないまま進む。こんな映画観たことがない。そして体の一部だけをずっと意味なく撮ってたり、突然二部が始まったり、なんとも不思議。でもなぜか最後はほっこりするんだなぁ。
ლ ლ ლ ジョージアに行ってみたいなと思った。ジョージア文字がカワイイ。観客に邪悪な呪いがかけられる。
交差点で、木と雨どいと監視カメラと風が彼女に話しかける。翌朝、邪悪な呪いで主人公2人の顔が変わってしまう。元の顔を覚える前に顔が変わってしまったので、顔が変わってしまったかどうかは分からない。男性は髪の毛が失くなってしまうので分かる。
しかしファンタジーはここまで。後は特に呪いを解く話にはならなず、ジョージアの日常が叙情的に描かる。しかもその多くが主人公2人には関係ない。
ナレーションが多く、会話の多くがナレーションで説明される。実際の会話が聞きたくてウズウズした。会話部分までナレーションを多様した理由は分からない。ナレーションで時間短縮になったとも思えない。
60~90分後、「第1部終わり」の文字が画面に出たときには、「えっ、第1部だったのか、で第2部が始まるのか、マジか」と思ってめまいがした。邪悪な呪いをかけられたのは自分ではないのか? 実は2度みたので2回目はショックを回避できた。
もちろん第2部になってもジョージアの日常描写は続く。お陰ですっかりジョージアのファンになってしまったヨ。映画が退屈で所々寝てしまった人でも、「いつか、ジョージアには行ってみたいな」と思った人は多いのではなかろうか。
ジョージア文字がカワイイ。お気に入りはmに似た ლ ( 読み方はラス(ラシ?)、発音は[l])。 クリームパンやじゃんけんのグーみたいで面白い。 ლ ლ ლ (出し方分からないのでもちろんコピペ)
ジョージア語ってジョージアでしか話されてないらしい。日本語と同じで覚えてもジョージアでしか役に立たないところがイイ。
150分 → 90分ぐらいにしてほしかったです。
2023/4/19(水).25(火) 吉祥寺uplink
あらゆる些事を忘れて、女を、そしてショットを見よう。
あらゆるショットがビスタサイズで適切にフレーミングされているとはいえ、
不要としか思えないショットがあまりに多すぎる。
素晴らしく単純なストーリーが、150分の尺を持たされる必然性は皆無と言える。
矢鱈に使用される既成楽曲も、映像と音響の結合による表現として有効な部分は殆どなく、
ラストの言い訳がましいナレーションもなくてちっとも構わない。
しかし、そうして噴出した不満は、全て大目に見よう。
つまらない些事に囚われて、目の前の画面を見過ごすような愚かしい振舞いはやめにしよう。
では、何を見るのか。
第一に、女を見よう。
それは主役のリザであり、サッカーをする子供たちをスローモーションで捉えたシーンでひときわ目を引く少女であり、その他画面に登場する、ありとあらゆる女性たち(老いも若きも)である。
彼女らの髪、瞳、顔の輪郭、表情、仕草、或いはふくらはぎの脈動に対するコベリゼ監督の執着は、「こんにちは、マリア」におけるゴダールのミリアム・ルーセルに対するそれ以来とも形容できるほど、変態的な域に達している。
女性に見惚れさせてくれる映画が世界中で絶滅しかけている現在、
登場する女性に悉く見惚れさせてしまう本作は、それだけで貴重である。
と同時に、ショットを見よう。
思えば、人物がなにやら会話している場面でもその台詞を録音することを拒否し、
申し訳程度に音楽や環境音をつけたシーンが無数に配された本作は、
はなから観客に、サイレント映画のごとく、ショットを見よと強要していたはずだ。
水準の高いショット群の中でも、ひときわ胸をざわつかせたいくつかのショットが、
脳裏に蘇ってくる。
例えば、主役二人が呪いを受ける前に別れる夜の交差点を俯瞰した超ロングショット、
例えば、ギオルギにサッカーボールを借りに来た子供たちが、見知らぬ男と化したギオルギの元を去ろうとしたとき、ベランダから不意に出現するボールを捉えたショット、
例えば、カフェの店長の依頼で二人がケーキを調達しに行った店のある丘の上で、
何やら祝い事を催しているらしい若者たちが、木の下のテーブルに次々と集まってくるショット、
そしてもちろん、16mmフィルムに映っていた、主役二人の照れ臭くはにかむショット…。
しかし、それら全てを差し置いて最も素晴らしい、
ワールドカップ決勝の夜に、リザの家までの帰路を行く二人を望遠のクローズアップでフォローパンした長回しのショット、この美しさはただ事ではない。
この1ショットだけで、この監督の次回作、あるいは日本未公開の作品に対する無際限の期待を抱かざるを得ない。
ともかく見よう。そして期待しよう。
いま新たな作家が発見されようとしている。
優しい光が誘うクタイシ 人の営みの魅力
2人の若い男女が出会って織り成すラブストーリー?
いえいえ、主軸はもちろんそこにあるものの、クタイシを舞台に沢山の日常や想像が、贅沢なまでに散りばめられています。
じっとスクリーンをみつめてその動きに最後まで身を委ねてみてください。
私たちの知らないジョージアの街がそっとあなたを包み込んでくれますから。
※少し長いと思っても、出来れば寝ずに映画館で鑑賞されることをおすすめしたいです。
ジョージアからやって来た面白い映画。行き先もルートも分かっているつもりの列車に乗って窓の外の風景を見ていたら、あちこち寄り道した挙げ句目的地に着くと、どうでもよくなっていた…みたいな映画。
①邦題から連想されるようなロマンチックな恋愛もの…では全く無かった。
原題はジョージア語を英語に訳すと“What Do We See When We Look at the Sky?”
⚽が見えます。
②物語の核に姿が変わってしまった恋人たちを据えたのは「真実を掴まえるのは映画」ということのメタファーか。
③でも、彼らが画面に登場するのは全体の何分の一かだけ。最後どうなったかなんて突き放されちゃうし…
④リザの部屋にあった草履(あれ、絶対草履だよな)(ジョージアでは、上がり框は無いけど靴は履き替えるんだ)、ビワ、ワールドカップを観る犬
⑤人が横切る画面が多い、しかもその後人のいないなった画面がしばらく続く。小津安二郎の映画みたく。
⑥恋人になる二人よりも、子供たちを映したシーンが多い。
冒頭の学校前の子供たちの集まりとざわめき。
途中のサッカーに興じる子供たちを延々と映すシーン。
ラストも裸の背中に「MESSI」と書いた子供たちのショットで終わる。
まるでジョージアのクタシイの子供たちを撮るのが主眼かとも思わせるように…
⑦サイレント映画のような趣もある。一応ナレーションがどんな物語か語っていくけれども、違う物語のナレーションになっても成立するような映像。
⑧最後、「この話、ちょっとおかしいでしょ、でも世の中こんなもんよ」みたいな脱力するようなナレーションで終わる。ちょっと西加奈子の「サラバ」みたく。
⑨という訳で、ちょっと面白い文法の映画です。
⑩途中、2箇所くらい眠たくなったので⭐一つだけ減点。
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