「インサイダーとアウトサイダーを軸にした基本的な解説は「おまけの夜」...」偶然と想像 あにーさんの映画レビュー(感想・評価)
インサイダーとアウトサイダーを軸にした基本的な解説は「おまけの夜」...
インサイダーとアウトサイダーを軸にした基本的な解説は「おまけの夜」さんのレビュー動画が整理されていて最高だったので、そちらに預けるとして。
『ドライブ・マイ・カー』に続いて観た本作について、比較しながら所感を書き連ねてみる。
まず『ドライブ・マイ・カー』では劇中劇でありながら、カメラはその場面で重要なモノ(者/物)に焦点を当てていて、今何が重要なのか丁寧に解説してくれる映画だった。特に車の中で岡田と西島が語るシーンでは、淡々としたトーンのわりに、あたかも自身がその場にいるかのように、共感度を引き上げられる感じがして胸が熱くなった。
一方で『偶然と想像』ではその場面に登場する人物が全員映るように引きで撮られていて、どの視点でこの場面を見ればよいのか分からなくなってくる。タクシーでたまたまお客さんの話を聞いてしまったような、隣の席での会話をたまたま耳に挟んでしまったような、歩道橋でたまたま通りかかった時に目にしたような、そんな感覚に陥る。自分が当事者ではないそうした場面に対しては、たいていの場合、現実の断片を想像でつなぎ合わせてしまうものだが、この映画は終始それが求められる。多くを語らない、行間を想像でつないでいくのだ。それがまたこの映画の、現実か想像か分からなくさせる不思議な距離感につながっているのかもしれない。
そして登場人物たちは、本来であれば感情的に話すような内容を淡々と語る。でもきっとこれが人の心のうちの本来の姿であって、人は意外と感情を故意に乗せて話しているだけかもしれない。一見、感情が抜かれているかのように見えるからこそ本心に思えて、本心を淡々と言葉を尽くしてぶつけられることに動揺してしまう。それは言葉を尽くす関係性が一見淡白そうに見えるのに、実はかえってエロティックに感じる感覚に近しいのかもしれない。
そして核心に迫ったとき、共通して登場人物たちはいうのだ。「どうして怒ってるの?」このキーワードをきっかけに、次々と繰り出される感情の吐露は、現実味が一気に削がれ、滑稽にも見える。人は本心を語る時、自己防衛から笑みを浮かべることもあるというが、ある種そんな笑みを浮かべてしまうような滑稽さに、気持ちが浄化されるような感覚になっていく。それが鑑賞後の解放感にもつながっているのかもしれない。
最後の場面でピンクの花が出てくる。この花はなんだっただろうか、花言葉はあるのだろうか、言葉の細部まで意味を詰める監督に、そんな邪推を抱きながらも、その爽やかさに目を細めて、この3話の物語が現実だったのか、想像だったのか、しばし余韻を愉しむこととする。