「72年間の空白。」Arc アーク レプリカントさんの映画レビュー(感想・評価)
72年間の空白。
人類にとって最大のテーマのひとつ不老不死をひとりの女性の人生を通して問う問題作。果たして不老不死は是か非か、不老不死は人類を進化させるのかそれとも退化させるのか。
17歳で産んだ子供を捨てて家出したリナは無軌道な人生を送っていたところをエマにスカウトされ、その後継者となる。やがてエマの弟アマネと結ばれた彼女はアマネが開発した不老不死の新薬により人類初の不老不死となる。
死があるからこそ人間はその人生に意義を見いだすことができるのではという記者会見での問いに彼女は答える。それはいままでの人間の話でありこれからは違うと、自分自身の人生でそれを証明して見せると。
化粧品会社エタニティー(永遠)が追い求めるのはまさに永遠の美であった。姉のエマは死体を永久保存するプラスチネーションの技術を確立させ、今やその第一人者としてカリスマ的地位にいた。一方、弟のアマネは肉体の永久保存を生体に施す不老不死の開発を目指していた。
共に永遠の美を追究する二人は対立関係にあった。エマが目指すものはあくまでも死を肯定した上でのものだったが、アマネはその死をも否定する。
彼女はアマネに言う、不老不死は進化ではなく退化だと。果たして不老不死は人類を進化させるのか、それとも退化させるのか。
人類の今日の発展にその寿命の長さが関係しているのは間違いない。優秀な科学者や芸術家がその一生を通してひとつの大発明や芸術作品を作り上げ、それを何世代も繰り返して人類は発展してきた。とすれば、人間が永遠に生きられれば人類はさらなる飛躍が期待でき進化するとも思える。しかし逆に発明や芸術作品は限りある人生だからこそ生み出し得たとも言える。人の一生には終わりがあるからこそ、時間が限られているからこそ人の能力が最大限に引き出されたとも言える。
また、ひとりの人間が永遠に生きられるとなれば、もはや種の保存のための出産、育児というものも不要となる。しかし種というものは生と死という新陳代謝を繰り返して生物的にあらゆる環境に耐えうる強さを培ってきた。その新陳代謝が失われれば人類という種は脆弱なものとなってゆくかもしれない。これは人類という種として退化と言えるのではないだろうか。
出生率0.02%、自殺者の増大、不老不死化が世界に浸透してすでに60年近い年月が過ぎた世界でラジオから微かにそのような現在の世界の状況が語られる。
リナはこの時89歳であった。アマネの忘れ形見と共にアマネの創設した介護施設で過ごす彼女の日常がモノクロで淡々と描かれる。
主人公リナの各年代ごとに章がわかれる作品構成。その中で89歳から90歳を迎えるリナの章がもっとも比重がおかれている。そしてそこにはある仕掛けがあった。それはまさに過去との邂逅であった。
不老不死となったが故に自分の息子が自分より先に老化し、死を迎えるという現実と対峙することとなるリナはかつての自らの罪と否応なく向き合わなければならなくなる。
罪滅ぼしのために今からでも不老不死化の処置を勧めるが息子は全く聞く耳を持たない。母と子のあまりにも長い空白期間。もはや息子は母を憎んではいなかった。憎み続けるにはあまりにも長すぎる年月が経過していた。
かつては憎んだろうが、愛するものとめぐりあい、自分の人生を取り戻した息子は母に言う。母さんもいい加減自分の人生を生きるべきだと。
不老不死となったリナの人生は偽りのものだったのだろうか。新たな人類の生き方を自らの人生で証明すると言った彼女の人生は彼女自身の人生とはたして呼べるものだったのだろうか。その息子に先立たれ、月日はたち、彼女は135歳となっていた。
彼女はすでに薬の接種をやめ、老化していた。彼女は言う。終わりがあるからこそ始まりがある。死を受け入れることで自分の人生を初めて見いだすことができると。
孫はそれはかつての人間が作り出した神話だと言う、彼女自信もかつてプロパガンダと言った。しかしこれが彼女の出した結論だった。
不老不死はいずれは現実のものとなるだろう。全世界の富の半分を1%の人間が独占するこの世で、宇宙旅行にいそしむ彼らの次なる関心事は不老不死であり、そのための潤沢な資金は難病研究などにではなくそちらに投入されるだろうから。
しかし技術的にそれが可能となったところでそれを受け入れるかは個人の選択によるべきだろう。
今の時点では結局リナの決断がまっとうなものと思えるが、遠い未来においては、やはりそれは神話となってしまうのかもしれない。
作品冒頭でさまようかのようなリナの手は弱々しくたよりなさげであったが、いまや死を受け入れた彼女の手は空をしっかりと握りしめ、確かに何かを掴んでいた。
不老不死となったひとりの女性の壮大な物語。人類にとっての不老不死、ひとりの人間にとっての不老不死をどう受けとめるのか、鑑賞中ずっと思索に耽させてくれる稀有な作品であり、個人的にかなりはまってしまった。
主演の芳根京子さん、小林薫氏を筆頭に役者陣の演技もすばらしかった。