「生命は不可逆の現象である」Arc アーク 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
生命は不可逆の現象である
人類の歴史上の岐路には屡々天才科学者の存在がある。19世紀から20世紀は天才科学者を輩出した時代で、特にマンハッタン計画に携わった沢山の天才科学者は有名だが、話が物騒なので違う例を出すと、やはりコンピュータとインターネットである。世界中の社会生活を劇的に変化させたと言っていいこの2つの発明にも、やはり多くの天才科学者の功績が寄与している。
本作品では人類の長年の夢であった不老不死を実現させた社会を描く。長年の夢と言っても、実際に不老不死を夢見たのはファラオをはじめとする支配層たちである。死ななければこの世の栄華をいつまでも享受できる。支配されていた人間たちは不老不死よりも、この世の地獄からの脱出を望んでいただろう。つまり不老不死は、必ずしも人類共通の夢ではないのだ。
美魔女と呼ばれる女性たちの出番がなくなるのはある意味で痛快だが、本当に不老不死が望まれるのは世の女性たちではなく、天才科学者や優れた芸術家たちであろう。研究するため、あるいは芸術を創出するためにもっともっと時間が必要な彼らが、80年やそこらで死んでしまうのは惜しい。生きるために生きる人々ではなく、何かをするために生きる人々にこそ、不老不死が相応しい。
しかし本当にそうだろうか。老いることも死ぬこともないと自覚したら、優れた研究や素晴らしい芸術が創出されるだろうか。桜が散らなくなってしまったら、誰も見向きもしなくなるだろう。花は散るから美しい。よく言われる言葉だ。人間も同じではないか。
小林薫の存在感が圧倒的で、芳根京子をはじめとする小娘たちを塵のように軽い存在にしてしまう。その妻を演じた風吹ジュンとともに、生が死を内包しているから人生なのだという事実を主人公に突きつける。不老不死が実現した世の中で流れるニュースは、加速度的な少子化と自殺件数の激増だ。
難しいテーマのように思われそうな作品だが、それほどでもない。熱力学第二法則は、これからも覆すことは出来ない。生命においては、エントロピーの増大が細胞の再生サイクルを上回るときが必ず来る。細胞の再生サイクルを延長することはできるだろうが、熱力学第二法則がいつかはそれを凌駕するのだ。生命は不可逆の現象である。