愛と闇の物語のレビュー・感想・評価
全19件を表示
凡庸さの中の哲学
映画、物語として鑑賞するとただただ平板で凡庸な毒にも薬にもならない展開ですが、時々で出てくる言葉が、特に、最初の家族での食事での会話からの流れでの母子の対話、に最後まで引っかかり、その意味を考えながら鑑賞していました。どういう会話だったのかは実際に鑑賞なさって確認下さい。
この映画、ナタリー・ポートマンが伝えたかったことはそこに凝縮されているんだろうなと確信します。
舞台は第二次大戦の終盤の中東でのイスラエル建国前から始まります。イスラエルに世界中からユダヤ人が集まり、アラブ人との摩擦を抱えつつ、なんとか一緒にやっていこうという姿、これは英国を共通の敵として収まっていた、からイスラエルの建国からアラブとの闘争を欧州から引き上げてきたナタリー・ポートマン演じるファニアの家族の様子を通じて描いています。が、そこの描き方がとてもバランスが取れており、誰かに憎悪を向けるものでもなく、そこにも哲学的考察がなされています。
それから、ファニアはいろいろなストレスから壊れていきます。(と私には見えました)
良好に見える夫婦関係、嫁姑問題、引き上げてきた苦しい記憶、甘い思い出、イスラエル建国を巡る世情、内戦、中東戦争、、、、上げればキリがないです。
そういうところをバランス良く、逆に言えば山場もなく淡々と描いていくのは逆にすごいと感じました。
なお、映像に関しては凡庸です。どちらかといえばつまらないです。が、音の演出は秀逸で、常に生活音に囲まれ、町中の喧騒も音の位置が的確で気持ちの緩急が表現されています。(200人以上の箱を私一人だったので余計に。幽霊でもいるんか?というレベル)
そうだ、クリント・イーストウッドっぽい映画ですね。これ。
監督・脚本・主演ナタリー・ポートマン
1945年、ユダヤ人への迫害を逃れ、エルサレムにやってきた主人公一家、少年の母親はこれまでの逃亡劇や引き続き起きるイスラエル独立戦争で、心が少しずつ壊れていった。
原作はこの少年は大きくなって書いた自伝的小説で、ナタリー・ポートマンが監督・脚本・主演を務めている。
静かだが胸に迫るものがある。
ロシアとウクライナの指導者には歴史を学んで貰いたい。勿論、我々も同様だ
『イスラエル建国と言う まさか の展開で、何千年も故郷を求め続けたユダヤ人の熱意が、燃え尽きた。』
さぁ、この言葉を詭弁と見るかと言う事だ。
イギリスの都合によって、アラブとユダヤは、中途半端に独立する事となった。イギリスの二枚舌外交は世界史で習う事だろう。
さて、事実か?
偽りではないが、しかし、まだ問題は継続しているのでそれを語りたくないが、もっと奥は深いと思う。語りすぎるとナチと言われたり、ユダ○陰謀論と言われ、レビューは削除される。
さてさて、この映画は、建国に関してのナタリー・ポートマンの自虐的歴史観だ。賛同はするが、数々あるアメリカ・ニューシネマの反ベトナム戦争映画の様になっている。つまり、パレスチナ側からは一切描いていない。一人のユダヤ人女性が悩みながら自虐的に死を迎えるが、その裏で、何万人ものパレスチナ難民の露頭に迷う歴史が、この映画では無視されている。
では、虚偽を語るプロパガンダ映画なのか?一つ言える事は、この映画を見るまでもなく分かる事だが、イギリスやアメリカ、そしてドイツによるウクライナに対する武器供与は、イスラエルに対して武器を供与したアメリカの行動と同じだと言う事だ。また、イギリスが『難民をルワンダへ』と言う考えと、シオニズム(イギリス人から見たシオニズム)がそっくりと見るべきだと思う。つまり、歴史は繰り返すのである。
ナタリー・ポートマンのイデオロギーは間違っていない。日本でも演者や芸人が監督する作品があるが、あまたの日本人芸能人と比べれば、自己表現のしっかりした女優だと感じる。ナタリー・ポートマンはユダヤ人としてのアイデンティティを持った演者だと言えるかもしれない。
但し、
『女がみんな優しくて正直とは限らない』最後はそれを言いたいのかなぁ?
キブツへ向かうトラクターに乗る息子と父親の再会の場面を見て、この映画が初見で無いと知る。すっかり、見たのを忘れていた。
2021年2月 有楽町ヒューマントラストだった。
イスラエルとパレスチナ問題
主人公アモスの母(ナタリーポートマン)の苦悩がとても伝わってくるストーリー。
今もなお続くイスラエルとパレスチナ問題について知ることができる作品です。
母が子どもに聞かせる冒険物語が哲学的でちょっと怖い。時折出てくる母の想像上の男性が夫よりイケメンなところだけ、人間らしさを感じる。それにしてもアモスの母が、なぜあんなに実母から罵られるのかが最後まで分からなかったな。
いじめられた時にはターザンの話を聞かせよう・・・あぁ~あ~
イスラエルの作家アモス・オズの自伝的小説をもとに、イスラエル建国あたりの歴史的背景を学ぶことができる。ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害については会話だけだったけど、エルサレムに移ってからの複雑な状況がわかるようになっています。
ヘブライ語、アラブ語、英語といった言語が飛び交い、エルサレムにおけるユダヤ人とアラブ人が混在する中、国連が主導してイスラエル建国に至った経緯(シオニズム運動)。さらにはアラブ人も迫害を受けていた民族だと知り、建国後のパレスチナ問題もある程度わかりました。
そうした国際的政治的な話はメインではなく、アモスの母親ファニアの心の問題がクローズアップされていきます。建国という理想、夢がかなうと、生きる目標が失われる・・・誰しもが生きる目的を考えると思いますが、叶ってしまうとやる気も失せる。ファニアにとっては家族のことよりも大きな要素だったに違いありません。やがて病んでいく母。少年の目にはどのように映っていたのだろうかという心理描写も興味深いところです。
家族の描き方も少年の視点なので興味深いものがありました。求婚ライバルが多いため、必死でファニアにプロポーズした父アリー。物語を創作してくれる母。そして小説が売れずにいた父の本が5冊全部売れた!と喜んでいた後に、人気ロマンス小説家の部屋にはその5冊の本を見つけてしまったときの少年の心。徐々に父親から心が離れていく様子がうかがい知れます。
子どものいない夫婦に子どもを貸し出すとか、ちょっと理解できませんでしたけど、それがちょっとした事件に発展。アモスも徐々に心を閉ざしていくようになるブランコ事故でした。「あなたは小説家になるべきよ」という言葉に対して、「ぼくは農家か、犬に毒を飲ませる職業に就きたい」。笑っていいのかどうなのか・・・青年期のアモスを見ると、笑っちゃダメなんだと思ったけど。
アモスオズ
アモスオズの自叙伝の映画化だが、暗いから長く感じてちょっと疲れた。アモスはノーベル賞文学賞には選ばれなかったが、有名な作家でジャーナリストでもある。彼の公演を聞いたことがある。パレスチナ国とユダヤ国の二国提唱者だと思うが詳しくは調べていない。多分韓国で文学賞をとっている。不幸にも私は彼の文学作品は一冊も読んでいない。
この映画の良さはヘブライ語ロシア語アラブ語英語と必要なところにそれぞれの言語が使われていて、その時代を写実的に描写している。家族はかなりの言語を操れるようで、言語によって、例えば母親の家族はロシア方面からの移民だと理解できるから好きだ。本物の映画という感じがする。
アモスには子供の世界が少なすぎて、ちょっと不気味だった。父親の両親はアシュケナージユダヤ人でエルサレムに移住してきた。母親は今のウクライナからのユダヤ人。家族がパレスチナアラブの富豪のような家庭に招かれアモスは女の子と話して木に登りブランコを揺さぶるシーンがあるが、悪ふざけが過ぎブランコをゆりかごの中の赤ん坊にぶつけたようだ。家族もそこをすぐ立ち去り、あとで父親は電話で謝り医療費を払うと言っている。うまく言えないが家族三人が頭でっかちで生きるのが不器用に感じる。秀才家族で学問以外は苦手のように見える。父親はアモスとの接触を時々一人前の大人のように扱っている。
1947年の国際連合総会でパレスチナ分割決議のラジオニュースを聞いている。史実の通り賛成多数で可決されたて(その後はアメリカが背景にいるため、パレスチナはイスラエルのユダヤ人に占領されてしまったようだ。)特に父親は大喜び。ヨーロッパにいた家族は反ユダヤ主義の中で大変な思いをしているから。自分の国が建国されたからもう差別がなくなるというが。それに教育をつけることによっても差別がなくなるという。
母親はアモスに自分の小さい頃の話を聞かせてあげているが、いつも憂鬱な顔をしている。彼女の友達はパレスチナアラブとユダヤ人の内戦が原因でスナイパーに殺される。母親は躁鬱病になり寝ることも食べることもしなくなる。千九百五十二年に薬の取り過ぎで亡くなってしまう。アモスは母親が本当に苦しんでいて自殺をしてしまったことを知る。
何年か後にアモスはキブツに行って住む。母の夢だったdesert bloom (エルサレムに緑を)を作るために。
個人的にで批判承知で書くが、私の心を打たなかった。母親に対する心からの同情はあるが、今のイスラエルにおけるユダヤ人の独裁がひどく、パレスチナ人に対する同情心が私にとって大きい。例えば、ワクチン問題。ガザ、ウエストバンクのワクチンの数と、これら以外の場所でのワクチンの接種件数の違いは世界からも批判を浴びている。2/28/21のワシントンポストでも、イスラエルでは五十歳以上は90%がワクチンを受けていると。しかし、よく読むと、イスラエルアラブや超正統派 のユダヤ人は摂取率が低いと。しかしこれを1967 年のパレスチナはワクチンは多数が受けていないと。
中東戦争で置き去りにされた(これは聞こえがいい)パレスチナ地区(ガザなど)はこのような差別を受けているので、この映画のユダヤ建国を手放しで喜べなかった。
ユダヤ人をテーマにした映画は沢山ありますが、これはイスラエル建国前...
ユダヤ人をテーマにした映画は沢山ありますが、これはイスラエル建国前後を一つの家族の目線を通じて描かれ作品。こういった作品を見る度に人間の愚かさを感じます。
ナタリーポートマンが主演、監督、脚本だったのですね。今後の作品も楽しみです。
イオンエンターテイメントシネマからのシネフィルへのアンサー的作品
私はレオンやアメリ、バファロー’66を映画館で見ていない。
90年~00年初頭、郊外で暮らしていた私はミニシアターとは無縁であった。
中学、高校生にとっては東京に行くという行為はハードルが高く、東京は別世界であった。
映画雑誌で東京で上映される作品をチェックして、
地元のTSUTAYAでレンタルされるのを待っていた。
東京は私の現実とは無縁で想像の対象でしかない。
*********************
私はいつものように家の近くにあるイオンシネマの上映スケジュールを眺めてい
ると暗めな洋画「愛と闇の物語」を発見、しかもナタリー・ポートマンが監督しているではないか。
私にとってナタリー・ポートマンといえば「抱きたいカンケイ」一択である(昨年、ラブコメをバカのように観まくった時期に麻痺した頭でも面白かったからだ)。これはぜひとも劇場で観たい。ちょっと高尚な映画っぽいから本腰を入れて前情報を仕入れるために公式サイトへ。
安心感。
アクセス先はこの作品のレビューをチェックしているようなシネフィルならお馴染みの、イオンシネマ配給作品特有のあのサイトであった。
「うちはサイト作成業者じゃねんだよ」と、
簡素なサイトを有象無象なインターネット世界にアップロードする姿勢。
それはコストカットと過剰な広告へのアンチテーゼで一粒で二度おいしい姿勢。
俺は広告を見たいんじゃない、いい映画を見たいんだと再認識。
液晶モニターの上下左右に表示される広告は邪魔でしかない。
自分で探って掘ってサイトへたどり着く映画好きに向けたサイト。
そしてその簡素さは高齢化社会への目配りともいえる。
でもやっぱり公式サイトだけでは情報が少ない。
なぜ2015年製作をいま公開?なぜか私だけが知っている秘密の映画っぽくてニンマリしてしまう。しかも集まった観客は初老4人。おいっ、マチルダボブをしていた女子、レオンとSWでチヤホヤ男子、この状況どう考えればいいんだ!?イオンのたまごサンドイッチはおいしいぞ!!
さて映画が始まり、冒頭に会社のロゴが流される。あまり見慣れないロゴと多さにこの映画の苦難を察する。いや、詳しくは知らないけど。
ナタリー・ポートマンって日本語で文字起こしすると、私の感覚ではポストマンとかポート(港)とかを連想して、中欧の石畳をなんとなく関連付けしてしまう。
だからエルサレムの石造りの家に彼女の黒髪が映える。そう、この映画はロケーションがいいのだ。
木々の緑と岩の景色は幻想的、石壁ばかりの街は圧迫的、砂と僅かに生えている草と岩の景色は荒廃感、これがエルサレムなのかと妙に納得がいく。
また、衣装も素朴だけれども丈夫そうで温もりを感じて人の営みを強く感じるのも良い。カット割りはガチャガチャしておらず、演出のせいなのかフェリーニの牧歌的な雰囲気もふと感じた。
ファニアが静かに苦しんでいく姿は色々と考えさせられ、数ある「想像でつらい現実を乗り越える系」の映画(テリーギリアム作品など)の中でもこの映画は少し違う。結果的に想像がマイナスに働くのである。そう、つらい現実を乗り越えられないのである。ファニアは物語を想像することで現実の苦しみがより増してしまい、子供がファニアの光だと自分自身でも理解していてもその光をすがりきれずにどんどん不安定になっていく。主人公は母親の想像の結末を変えてあげたいけど、閉ざされた想像なのでどうにもすることができない。想像がマイナスに働いてしまうのはエルサレムという地域や民族的歴史、現状の生活環境もあるのだろうけれども、ファニア自身が持って生まれた志向なのかとも思う。大人になりきれなかったのだろうか。なににせよ子供の成長にも影を落とす。
物語や想像の力が原動力のひとつである映画というメディアで、物語や想像による悲劇を表現するというのは芯からのネガティブさを感じられる映画であった。
****************
私はエンドロールを眺めながら上記の感想を抱きつつ映画館について考えた。
現在はネットフリックスなどのオリジナルコンテンツやサブスクによる配信サービスが幅を利かせ、かつ新型コロナウイルスによって劇場は疲弊している。
また、一般的に郊外に展開されるモールはしばしば批判される。
地域性が失われて文化が画一化される。確かにそうだ。
しかしイオンシネマは「うるせぇよ」とは言わない、大人だから。
イオンシネマは行動で示す。
芯からのネガティブさを感じられる映画を広告なしで配給。
イオンシネマは届ける、独自の映画文化を。
もしできるならば、高校生の頃の私にこんな映画を郊外の劇場で観せてあげたい。そしてあの頃想像していた大人になった自分自身の生活とは全く違ったものになっているよと伝えたい。
シネフィルの熱い視線を集めるイオンシネマ、これからも期待しています。
映像も内容も暗かった
1945年英国統治下のエルサレム。
ヨーロッパから迫害を逃れてエルサレムに移住してきた、父アリー、母ファニア、息子のアモスの3人家族。母のファニアは物語を作って息子のアモスに語り聞かせていたが、第二次世界大戦が終わり、イスラエルが建国されてからファニアは鬱病になり・・・という話。
母ファニアにとってはイスラエル建国も病気の原因だったようで、心の問題は難しい。
両親を失った戦争孤児が国内に2万人冬を越せそうにない、から家に泊めてくれる人を募るとか、ユダヤ人の問題はイスラエル建国でみんなハッピーになった訳じゃないのがよくわかった。
ファニアを演じたナタリー・ポートマンが美しかった。
日本では余り問題提起されることは少ないが大切なこと。でも難易度は高め(補足いれてます)
今年37本目(合計104本目)。
比較的低評価が多いですが、この映画自体、かなりの前提知識を要求する部分があり、その点を理解しないと何がなんだかわからない展開が続くことが原因かな…と思います。
なので、まずこの前提知識の補足から。
-------------------------------------------------------
▼ 監督について
ナタリー・ポートマンはイスラエル出身。
▼ 史実について
1915年:フセイン=マクマホン協定 → オスマン帝国(当時)からの独立(アラブ反乱)を目指すアラブ人は、イギリスはこれを応援した。
1916年:サイクス・ピコ協定 → イギリスは、フランス・ロシア(当時)とアラブ地域の3国での分割統治を決めていたが、そこにはフセイン・マクマホン協定と矛盾する内容が含まれていた。
1917年:バルフォア宣言 → パレスチナに当該地区にユダヤ人の国家を建設することを認める宣言を発出するも、このことを快く思わなかったロシアに暴露され撤回。しかし、今度はイギリスはロシアが邪魔になったので、ロシア抜きでで分割統治を決めるセーヴル条約を勝手に結ぶ(1920年)。
→ この時点でどれもこれもが矛盾しており、ここでどれをとっても破綻が発生。このイギリスの無茶苦茶ぶりは「二枚舌外交」「三枚舌外交」と強く非難された。
1947年:パレスチナ分割決議 → これは映画の内容通り。ユダヤ人を自国から追い出すという口実でアメリカ(トルーマン大統領が熱心に賛成していた)やロシアが賛成に回るも、アラブ諸国は猛反発。モメにモメまくって無関係な国は棄権。イギリスは当時、もうすでにこの問題で、どの国からも「いい加減にしろ」という風潮だったので棄権(史実通り。映画内でも描かれている)。これでまた問題が勃発する。
1948年~現在まで:第一次中東戦争などが勃発。今でもこの問題は収まっていない。
※ なお、1916年のサイクス・ピコ協定は、もっぱら西洋諸国(ロシアは微妙ですが…)だけで取り決めたものだとして無効だと主張して、間接的にイスラム国(ISIL)の問題を巻き起こした。
※ イスラエルを抱える問題で、国境が不可思議な線引きになっているところがあるのは、こうした矛盾する条約・宣言で作られた妥協の産物。
-------------------------------------------------------
この映画は、こうした内容を把握していないと理解が非常に難しいです(字幕ではまったく出てこない)。今でも確かにこの問題は問題提起されますが、元はといえば上記のような複雑な事情があり(しかも、サイクス・ピコ協定はイスラム国「建国」の根拠として主張されたほどだった)、かなり複雑な理解を必要とします。
いわば「文系版「エジソンズ・ゲーム」」のような様相で(そういえば、3月に「テスラ」も放映されるようです)、このあたりの知識の有無が理解を9割以上(といっても正直過言ではない)左右します(高校世界史の教科書ではここまで扱わない)。
内容は、完全な史実に基づくものではないようですが、主要な登場人物は実在する人物で(ただ、その説明も映画内にはなく、史実に着想を得たのか完全フィクションなのかわかりづらい)、この点も理解が必要でしょう(ただし、ググれば理解ができます)。
正直なところ、この辺の知識の有無がこの映画の評価をかなり(★3.0程度以上に)左右するのですが、字幕が少なく、ちょっと…とは思いました。とはいえ、歴史上の問題提起の映画の中でも、この問題を扱った映画はやはり少なく、その点は「公開されたことに意味がある」と考えました。
感想というより、今後見に行かれる方の理解になれば幸いです。
なお、加点減点は下記の通りで4.5としています。
--------------------------------------------------------------------------------
(減点0.4) 正直、日本の公開にあたってこうした部分の説明が字幕で皆無であり(まったく存在しない)、前提知識がないとまるで不明な映画になってしまっています。ただ、日本の高校世界史の事情でそこまで扱えない(どうしても近現代史は授業のコマ数の関係で駆け足にならざるを得ない)ことと、誰も話していないことを勝手にあれこれ付け加えるのもどうか…とは思い、この程度にしています(ただ、字幕で独立してある程度説明するなり、入場時特典パンフレット等などは配るべきだったのでは…とは思います)。
(減点0.1) 上記のように、イギリスが大きくかかわってくる映画ですが、「現地の(多くの混在した言語よりも、ひとつの)英語」として、英語教育を推進しているところがあります。ここでの英語はイギリス英語です。ここで、
I do. 私はする。
I did 私はした。
…
I should have …
…ということを「五十音的に」学習するシーンがありますが、 I should have (仮定法過去完了)に「私はするべきだった」と解説しているところがあるのですが、それ自体は間違っていなくても、この表現は暗に「実際にはしなかったことを後悔する」表現です(つまり、実際にしなかったことを示唆する)。
この部分は日本の字幕では説明がなく、一定の文法力がないとハマリが生じかねない点であり(中高の英語で触れないだけで、この点は結構複雑な議論を含む)、字幕に工夫があってしかるべきかな、とは思いました。
--------------------------------------------------------------------------------
毒グモの様な町
1945年からエルサレムで幼少期を過ごしたイスラエルの作家でジャーナリストのアモス・オズの昔語りのお話。
まあ、アモス・オズという人を知らないで観た訳だがw
迫害されて両親と共にヨーロッパからエルサレムにやって来たユダヤ人のアモス。
殺伐とした作家となった父親と、文学的思考をもつ母親のもと、過ごした幼少期。
即興で物語を作って話をしたりって凄いね。
子供のいない夫婦に貸し出され、トラブルになってしまったり、戦争が激化して精神的にも肉体的にも弱っていく母親を目の当たりにしたり、夢や想像の物語を絡めながらみせていくけれど…。
確かに重くるしい世界観や悲観的な様子は伝わってくるし、救いの無い話は好みな自分だけれど、特段衝撃的なことはないし、淡々と、モッサリとした印象で、あまり刺さらなかった。
ナタリー・ポートマンはやっぱり美しくかった。
【苦悩】
この物語は、原作者アモス・オズの母親の苦悩を描いたものであり、また、アモス自身の苦悩の物語でもあり、更に、ナタリー・ポートマンの苦悩でもあるのだと思う。
アイデンティティとは何かを問う苦悩なのではないか。
迫害から逃れてたどり着いたエルサレム。
戦争が終われば、生まれ育った故郷に帰れると信じていたのが、イスラエル建国で、そこにとどまることを余儀なくされる。
希望が叶うと熱狂は冷める。
だが、それだけではないだろう。
イスラエル建国は長年のユダヤ人の夢のように考えられがちだが、イスラエルの地に多くのユダヤ人を押し込めて、厄介払いする方が良いと考えたヨーロッパ人が少なくなかったのも事実だ。
イスラエル建国によって、それまでの自身のヒストリーと、それを背景にしたアイデンティティを失ってしまったファニア。
その苦悩を受け継ぐアモス。
アモスは自由を求めても、所詮、それは不自由な世界で与えられた自由なのだと感じたのではないだろうか。
ポートマンという姓からも想像できるように、ナタリー・.ポートマンはアメリカ育ちのユダヤ人だ。
生まれはエルサレム。
ポートマンは、祖母の名前から取った芸名らしいが、〇〇マンは、ユダヤ人の典型的な姓だ。
彼女は、エルサレム生まれであることをアイデンティティのように語っていた時代もあったが、今は、イスラエルとは距離を置いている。
おそらく、パレスチナへの対応など様々な問題が背景にあるのだろう。
信じていたものが、実は、想像とはかけ離れていた。
宗教が特定の人を救うことはある。
しかし、宗教が全ての人を救うわけではない。
人に苦痛を強いて得られるものとはなんだろうか。
本当は、希望こそが人の生きる糧ではないのか。
宗教が人の希望を妨げるものであって良いはずがないのだ。
しかし、これは、ユダヤ教というスコープを通して見た僕達の世界そのものではないのか。
宗教も、政治も、〇〇主義も、特定の断面からしか見てないのであれば、盲目と同じだったりする。
作品の暗さは、そんな意味もあるのではないだろうか。
※ なんか、評価低いだろうなと思いながら観てしまったけど、考えさせられる。
ナタリー・ポートマン監督、脚本としても才能あり!
アモス・オズの自伝であったり、ユダヤ人やイスラエルの歴史を描いているけど、
これ、ナタリー・ポートマンの自伝的要素も入ってるでしょうと気づいてニヤニヤして観てました。
ユダヤの風習や価値観はあまり馴染みないのでわからないところもありましたが、そういった視点で楽しんで観れましたよ。
ハンマー持ってるパートナーとか、カラスと言いながら白鳥が飛んでるとか、両側に髪をぐるっと結うとか、アレとかアレとかアレですよね。
何度もウトウト…
確か今月に入って急遽組み込まれた作品。配給がイオンなところや、5年前の作品である事から大きな期待はしていなかったがその低い期待を下回ったというのが率直な感想である。
恥ずかしながらアモスオズという作家を知らなければ彼の著書も目にしたことがない。イスラエル内で有名なのか、はたまた世界的に有名な方なのか…そしてこの作品はどこまで原作に忠実なのかも全て分からない中鑑賞。
とにかく前半から暗くどんよりした雰囲気でストーリーは進み展開も重い。
ユダヤ人迫害等々を扱う作品だからまぁそれは仕方ないのだが、このタイプの作品をだいぶ目にして来てるとこの作品においては特に新鮮味があるような展開などはないためどうしても飽きてくる。
今回イオンシネマ調布のグランシアターで上映していたので少しばかしチケット購入後はワクワクしたがむしろあの横になるシートで観ると眠気が増して久々に鑑賞中何度もウトウトしてしまった。
まぁこういう状況下の中では新作の洋画に触れる事ができるだけ感謝はしたい。
暗い
36本目。
愛より闇、ただ暗い。
ヒドいまではいかないけど、観終えた後に十字架を背負わされる感じもないけど、本当暗い。
薬を飲み始めてからは、かったるくなり展開もなさそうだから、目を閉じた。
普通なら損した気分になるけど、私は・・・が上映中止になった時に貰った観賞券で観たから、そこ迄のダメージはなかった。
いやでもPOKEMON GOを我慢し、急いで向かったから損してんのか?
理想と現実の... 狭間
The only way to keep the dream alive, full of hope and not
disappointing is to never try to implement it. A dream brought
to life is disappointing. This disappointment is the nature of
dreams. ラスト90分頃のアモスのラインより
ナタリー・ポートマン
エルサレム生まれ。 3才まで過ごし、そして両親と共にアメリカへ... ハーバード大学とイェール大学にストレートで合格し、ハーバード大学で心理学の学位を取得した彼女は、この映画『愛と闇の物語』を題材に幼い子供と若い母親の心理的プロフィールを創造し構築している。
If you have to choose between telling a lie or insulting someone,
choose to be generous.
-I'm allowed to lie?
Sometimes... yes. It's better to be sensitive to be honest.
このラインは母親であるファニアと子供のアモスの何気ない会話の中にファニアの心に抱える問題が見え隠れする。彼女は息子に「一緒になって物語りを作りましょ」と誘い、その事によって幼いアモスのまだ発展途上の未熟な想像力に火をつけ、彼らの両方が英国統治下のエルサレムという完璧ではない社会環境や不安定な生活状況から逃れることを可能にする精神的支柱となる二人だけの儀式を始める。彼らの日常の存在の洗い流された現実のパレットは消え去り、彼らの創造した寓話には建国のパイオニア・ヒーローや敬虔なユダヤ教の修行僧とホロコーストを象徴する空を覆う黒い鳥がフューチャーされている。
You can find hell and also heaven in every room. A little bit of
evilness and men to men are hell. A little bit of mercifulness
and men to men are heaven.
アモス・オズの回顧録は彼とイスラエル国家が一緒に成人して行く過程をあたかも記録しているかのように、シオニスト左派の著名なメンバーである彼は、この映画『愛と闇の物語』からユダヤ人とアラブ人の関係修復の機会を逸したと見ている。作中、アモスと母親のファニア、父親のアリーと複数の国と関係を持つ国際的視野のあるアラブ人家庭を訪ねる場面は、アラブのおもてなしの美徳を称え、2つのグループの間に常に存在していた関係の本質的な性質を示している。このシーンは、ユダヤ人とアラブ人の間に存在していたかもしれない束の間の平和に対する希望を意味しているけれど、アモスがアラブ人の子供に怪我をさせた後に、彼の両親が謝罪したにもかかわらず、2つのグループ間の相互理解を見つけるのがいかに難しいかを描いていた。
時系列として、アモスがイギリスに対する "モロトフカクテル" と呼ばれる火炎瓶の製作のための空のボトルを集めたり、市民が集まって国連のイスラエル建国の決議の様子を実況する公開ラジオの前で多くの聴衆が聞き入り、ラスト、成長した若きアモスの人生の方向性がイスラエル国家の将来を見据えている。
Maybe you could finally tell me, what is it about you that I
love so much, you of all people?
役が女優の内なる魂を明らかにする時、彼女の作品によって映画スターを知っていると錯覚するように自分自身をだますことがある。ホロコースト史上、悲劇のヒロイン、アンネ・フランクを演じたナタリー・ポートマンのスター作りだけのロールや彼女を最も国際的に露出させ、有名女優にした何を考えているのか分からない蝋人形パドメ・アミダラ女王まで、彼女の汎用性の明確な結果としてオスカーを手にすることに... オスカーを獲得して以来になるポートマンの情熱的なプロジェクトになっている本作品。彼女の熱意は明らかで、すべてのシーンは美しく撮影され、厳粛な弦のフィルム・スコアが後についてくる。しかし、イスラエルは日当たりの良い地中海の国なのに、撮影する方法は、ユダヤ人がまだ東ヨーロッパにいるようにも映ってしまう... ハイコントラストとは無縁のカラーであるダーク・グリーンのモノトーンが映画全体を占めているために。
そんな中でもファニアの子供時代への夢のようなフラッシュバックと彼女のシュールなファンタジーの場面だけが、わずかに鮮やかなパレット色で映し出されている。それ以外のモノトーンさが同様のシーンの無限の繰り返しに見え、すべての瞬間から瞬間に等しい重点を置くために、本当にその場面の時間的長さよりも倍を感じてしまう。
通常の手段では、映画『愛と闇の物語』は素晴らしい映画であるべきで、映画の背後にある人の衝動の表し方は非の打ちどころがなく、誠実であり、ポートマンのパフォーマンスの欠点を見つけることは不可能と言える。
製作者として彼女の最大のミスは、物語がアモス少年ではなくて彼女のキャラであるファニアに焦点を当てていることであり、その表れが、映画の後半には、彼女の演技がほぼ独占的になっている。
She punishes herself only to punish me.
二日で2,3000人が、ナチスの手にかかるようなおぞましいホロコーストをかいくぐり、希望の地イスラエルに来たのにまた、親しい人の命が新しい戦争の為に消えてゆく。そして何より愛情のない夫と愛情のない実母と愛情のない義理の母... そんなファニアの夢の世界は打ち砕かれ、空想の世界だけではしのげなくなった彼女のココロが徐々に病んでいく
ポートマンの父方がポーランド系ユダヤ人であり、ファニアもポーランドのホロコーストの生存者という共時性からか? 彼女が8年越しに伝えたいと熱望してきた話なのに... 企画当時、彼女は主演するつもりはなかったと聞く。
「私はイスラエルの女優を使いたかったが、このような完全に商業ベースに乗れないプロジェクトの上に、監督が初めての私には、誰もお金を出してはくれませんでした。」と、彼女が監督としてカンヌデビューした時にコメントしている。そして、時間の経過が、「私は、自分で役を演じるのに十分な年齢になっていたという事です。」と...
映画『愛と闇の物語』は自意識過剰な芸術の瞬間を持っている
ヘブライ語ではなくて英語にするようプロデューサーからポートマンはアドバイスを受けたのにそれを固辞している。後に永年住んでいるアメリカの英語のアクセントが純粋なヘブライ語を話すのに邪魔になり、それを修正するのに大変だったと語っていたポートマン。
撮影は美しく撮られていても全体のモノトーンがラストにはファニアの病状に合わせたように更に拍車をかけているかのように映画全体の印象がただ暗いだけになってしまっている。
一切合切考えると、日本に来るまでにヘブライ語➡英語➡日本語と複数の翻訳家の手を通過するということは、伝言ゲームではないけれども映画の本質のニュアンスがかなり違ってしまう可能性と懸念も生じる。
結局のところ採算の取れない "box-office bomb" の仲間入りとなり、イスラエルとアメリカのユダヤ・コミューン向けだけのPV映画となり下がっている。 ファンの皆様、失礼
長らく、ソーシャル‐メディアの前から遠ざかっていたポートマン。
2016年のINSIDERのインタビューで次回作の事を聞かれたいたけれども、その予定はないとの事。今はたぶんパリにいる彼女だけれどもこのインタビューは映画『愛と闇の物語』が公開された1年後なので、映画そのものが6年落ちという事で、スーパーが企画すると???
イオンエンターテイメントの商いの仕方を好意的に捉えるのか?
それとも安物買いの... と悪意にとらえるあたしが変人ってか⁉
全19件を表示